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子供や動植物への「あげる」「やる」

色々な所で散々論議されている事に、

~「犬に餌をあげる」「花に水をあげる」は全て間違いで、動植物に対しては「やる」が正しい~

というのがあります。

アナウンサーが「動物に餌をあげる」と言えば、
鬼の首を取ったように新聞の読者欄やコラムで「叩き」の記事が出ます。

また「やる」と表現するのは人間の上から目線の傲慢であり、
同じ地球上の生物として動植物にも敬意を表すべきだとして、
国語上は間違いでもあえて「あげる」と言っている、という人もいます。

私個人的には「あげる」でも全く問題ないと思うのですが、
どちらが正しいのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

>子供や動植物への「あげる」「やる」



いや、本当の問題は、「子供や動植物」に対して、「あげる」と「やる」のどちらを使うのが是か非か、正しいか、適切かというところにあるのではないのです。

たとえば、質問者さんがご自分のお子さんやペットに対して、「あげる」という尊敬語を用いたところで、全然問題ではないのです。
それどころか、質問者さんのお子さんやペットに対する愛情や慈愛に溢れた表現だと言えます。

しかしながら、質問者さんが友人、知人などの他人との会話の中で、「子どもにお乳をあげなきゃ」とか、「犬に餌をあげなきゃ」とおっしゃるとすれば、これは立派な敬語の誤用になります。
そして、われわれが敬語の誤用を避けようとするのは、「国語上は間違い」だからではなく、会話の相手にとって失礼になるからにほかなりません。

それは、ちょうど質問者さんがご両親のことをどんなに尊敬していても、他人との会話の中で「私のお母(父)さん……」とはとても言えず、やはり「私の母(父)……」とおっしゃるのと同じ事情によるのです。

他人との会話の中で、「私の母(父)……」とか、「子どもにお乳をあげなきゃ」、「犬に餌をあげなきゃ」とかと言ってはいけないのは、会話の相手に対して、「あなたも私の母(父、子ども、犬)に敬意や愛情を抱いてね」と言外に要請していることになるからです。
要するに、会話の相手への気遣いを欠き、自分の家族やペットに対する自分の思いを優先していることが問題なのです。

>私個人的には「あげる」でも全く問題ないと思うのですが、
>どちらが正しいのでしょうか?

もうお分かりかと思いますが、自分の家族やペットに対して「あげる」と言う分には何ら問題ありませんが、他人との会話の中でも「あげる」と言うのは、相手に対して失礼であるという理由により「正しくない」と言わざるを得ません。
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 別の方も回答されていますように、文化とは絶えず変化するものです。

言語についても同じことが言えるでしょう。例えば、「お魚」という言葉はさざえさんをはじめ、幾つかの歌に出てきますね。
 しかし、こうした変化は一部の年配の方には受け入れにくい部分かもしれませんね。若者が無教養(vakamono)に見えるのは昔からあることでしょう。

 淡くてひ弱なもみじの芽が後に栄華を極め、やがては散って新たな命の糧となるが如く、変化を現実のものとして受け入れざるを得ないのではないでしょうか。ただし、明らかに変な言葉が氾濫しているのも事実です。これはだめですね。
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滑稽な回答なのは、質問の本質がわかっていない回答です。


私なら「与える」を用います。

自身の読解力の無さにもかかわらず滑稽ですと不用意に表現したり、
無教養な若者Vakamono云々と、傲慢な物言いはいかがなものか。
「叩き」の心理を如実に表していて、いかにも暑苦しい。
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いろいろ訂正が多いのでややこしくなってきました。


ハイハイ、敬語は待遇表現です。尊敬語も謙譲語も丁寧語もなにもかも待遇表現のうちです。
しかしね、同じ待遇表現でも何もかも一緒じゃないですよ。
それから、話し相手に対する気配りは、その通りですがね。犬や子供や動植物に対して敬語を使うのはおかしいですよ。
「山川草木これみな御仏の賜物」と全然思っていな人々が、植物に水を「あげている」のが実態です。
「話し相手に対する『待遇』意識の中にこそある」とは、人間と犬が二人?であった場合、犬に対して敬語を使っていいといっているわけ?
犬に対して【尊敬の念】を持っていれば、そりゃ結構ですけど、そういう人は、お稲荷様のお狐様を犬と混同している人くらいなもので、めったにいません。
愛情と尊敬とは全然違います。愛情表現に敬語を使うって、そんな変わった人わたし知りません。
ものすごく滑稽です(^○^)。
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私は使いませんが、正しい・正しくないよりも、言語習慣・文化の問題だと思います。


「お肉・お野菜・お魚」も、私の好みに合いませんが、いまさら「おかしい」と言っても、もうあと戻りできない人が圧倒的ではないでしょうか。「おビールはおかしいが、お野菜はおかしくない」と言われても論争の対象になりませんよね。
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No.6、7ですが、再度訂正させていただきます。



《誤》たとえば、質問者さんがご自分のお子さんやペットに対して、「あげる」という尊敬語を用いたところで、全然問題ではないのです。
↓ ↓
《正》たとえば、質問者さんがご自分のお子さんやペットに対して、「あげる」という謙譲語を用いたところで、全然問題ではないのです。

なお、敬語に関して誤解なさっている方がいらっしゃいますが、いかなる対象に敬語を使うかついては、あらかじめ決められた客観的な基準があるわけではなく、これはあくまでも話し手(主体)と話し相手(対象)との関係の問題でしかないのです。
ですから、いわゆる敬語についても、近年、「敬語」とか、「敬語法」とかという呼称よりも、「待遇表現」という呼称の方が適切だとする考え方が主流になっているわけです。

世間には、仏様には敬語を用いても、犬や猫には用いるべきではないという考えの人もいれば、山川草木すべてのものは仏様の御心の賜物という考えの人もいる以上、それぞれの「待遇」意識に応じた表現をすることについては、他人が容喙する余地などどこにもないはずです。

なお、私の回答の主眼、重心は、いかなる対象に敬語を用いるのが適当か?という点にではなく、他人との会話の中で、自分(話し手)の「子どもや動植物」に「あげる」という謙譲語を用いるのは、たとえ話し手がそうと意識しないにせよ(いや、だからこそなおのこと)、話し相手に対して「私の子どもや動植物にあなたも敬意や愛情を抱いてね!」という無礼きわまりない要求をしていることになるからこそ誤用である、という点にあったのです。

要するに、敬語(待遇表現)で最も重要な問題は、いかなる対象に敬語を用いるべきかという点にではなく、いかに話し相手に対して気遣い、気配りができているかという点に、つまり話し相手に対する「待遇」意識の中にこそあるということになります。
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愛情が深ければ、「犬に餌をあげる」はOK(家族内であれば)。


・・・こんな考え方は成立しません。

これは敬語の問題です。
愛情と尊敬とは同じでありません。
「やる」の敬語が「あげる」なのです。
尊敬の念を持って「あげる」わけです。
愛情と尊敬は同義ではありません。全然別物ものです。辞書を引けばすぐわかります。

ただし、御自宅の飼い犬【お犬様】に尊敬の念を抱いている方は、この限りに非ず(爆)。
「犬にえさをあげる」はOK。
この際、「えさ」も「ご夕食」にされたらいかがでしょう(^○^)。

尊敬度と言葉の丁寧度は比例する(天皇には最高級の敬語)。
しかし愛情度と言葉の丁寧度は比例しないな。むしろ反比例するんじゃないか。
女房子供に敬語を使っている奴ほど愛情が深い? そんな馬鹿な!
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No.6ですが、下記のように訂正させていただきます。



《誤》 他人との会話の中で、「私の母(父)……」とか、「子どもにお乳をあげなきゃ」、「犬に餌をあげなきゃ」とかと言ってはいけないのは、
↓  ↓
《正》 他人との会話の中で、「私のお母(父)さん……」とか、「子どもにお乳をあげなきゃ」、「犬に餌をあげなきゃ」とかと言ってはいけないのは、
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自分の子供や動植物に「あげる」は、正しい日本語ではありません。



「犬に餌をあげる」
・・・私は、この言葉を耳にしますと、大の大人が犬の前に這いつくばって、頭を下げながら、餌を両手で差し出しているような光景が目に浮かびます。
大変滑稽です。

「あげる」は、「与える」「やる」の敬語です。相手を敬って言う言葉です。

無教養なくせに御上品ぶりたい人たちが、「やる」という言葉は乱暴に聞こえるからまずい、「あげる」にしたら御上品に聞こえるから、という理由で「あげる」を使い始め、現在ではこの誤用が定着しつつあります。

言葉の使い方は年々変わって行きます。
平安時代に書かれたものは、専門家でないと分からなくなってきました。
言葉が変化するのは、若者が原因とよく言われます。
無教養な若者(Vakamono)が、誤用を始め、それが定着していくわけです。
正しい用法を使用していた老人は死んで行き、無教養な者の天下となって、誤用が正しい使い方として辞書に載るようになります。

仏様(仏壇)もお犬様も、同じように「あげる」では、仏様が御怒りになるんじゃないでしょうか(^^)。
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作家の丸谷才一さんがこの問題を取り上げています。


丸谷さんは「やる」が正しいとしていますが,それ以上に高い見識を示しているのが,ならば「餌を与える」「水をまく」と言えばいいじゃないか,という指摘です。
ある種の宗教論争みたいな「やる」「あげる」よりも,他の言葉をさっさと探したほうが賢明ですね。
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