牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

江戸時代までの本(古典)を見ていると現代の単語(たとえば「計画」とか「整備」といったことば)があまり出てきませんが、明治以降になると急激に、たとえば法令や著書、新聞に現代にも見られる単語が出てくるようになります。現代の単語はいつ、どのようにして生まれたのでしょうか

A 回答 (4件)

よく英和辞典を見ていると、独特の訳づけは、明治からの伝統?かと思うことがあります。

私の学生時代には、おかしな訳が残っていましたね。「小心翼翼たる」とか、「赤貧洗うが如く」とか、英語を学ぶ最中で、そうした言葉を覚えました。たぶん、明治からの名残りなのでしょうね。

良く知られるのは、西周(にしあまね・1829-1897)という人の功績で、和語に置き換えたものがふんだんにあると言われます。

化学、学術、科学、技術、芸術、哲学、主観、客観、本能、概念、現象、知覚、感覚、総合、分解 という単語などが挙げられます。メディアで扱われる単語は、漢字で表すというムーブメントがあったようで、現代は、その頃の恩恵にあやかっているようです。

それ以前は、思想・概念的な用語は、ほとんど仏教で使われていたのですが、他に利用されることはなかったようです。思わぬ用語が仏教用語のようです。例:作業、覚悟、挨拶(禅仏教)、流通、葛藤、自由(自分の主体性に従うという意味、自由自在)、宗教(英語等とは概念的に違い、大本を教えるという意味)、愛(元は欲望のひとつの意味)等。これらも、明治時代、翻訳の文化の流入とともに、再認識され、意味自体も変わっていったようです。

しかしながら、日本語の非ネイティブが驚きを以て指摘するように、現代の日本語には日常の言葉に、非常に哲学的な用語が使われていると言います。それらの多くは、仏教に基づくものだと思います。
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江戸時代までは、漢語は日常生活にあまり用いられませんでした。


和語(大和言葉)が主力でした。
たとえば「計画」という漢語は、昔から中国にあったのかもしれませんが、江戸期以前の日本では、「目論見」とか「筋書き」とか「企て」のような和語を使っていたと思います。
和製漢語もありましたが、それは「火のこと」⇒「火事」のようなものでした。

明治に入ると、西洋の文物・概念が入るようになって、その翻訳に和語や既製の漢語では対応できなくなり、多くの和製漢語が作られるようになりました。
それぞれの分野の学者や識者が作りました。
森鴎外も「交響楽」「交響曲」という言葉を作っています。
和製漢語の出来は相当良く、中国(清国)でも新語を造語しましたが、日本製が本場中国を圧倒したようです。
「人民」や「共和国」も和製漢語です。
和製漢語を使わなくては「中華人民共和国」の国名もありませんし、毛沢東語録もできません。

「和製漢語」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E8%A3%BD% …

「和製漢語一覧」
http://www.chinabusiness-headline.com/2010/06/88 …
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実際は明治より少し前ぐらいから主として西洋の書物を翻訳する場合に、


中国の古典に似たものがある場合はそれを使った。
漢字で似た意味をもつものを新たに作った。

前者では「共和」
後者では「社会」

が思い浮かびますが、計画、整備(これはもっと新しいと思います)などもそうした造語です。
新聞も現代も単語も著者(?)もそうだと思います。

自由などは江戸時代は気ままという悪い意味でしたがいい意味に変わりました。
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明治になって西洋から学ぼうとした時、様々な学問書や専門書を翻訳する必要がありました。


その時に考え出されたものが多いと思います。
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