A 回答 (7件)
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No.7
- 回答日時:
第二次大戦後の世界というのは資本主義(自由主義)と社会主義(共産主義)のイデオロギーの激突の次代でもありました。
大戦が終わったとき、ヨーロッパの東半分はソ連の勢力下となりました。当時の国名でいえば、ポーランド、東ドイツ、ルーマニア、ブルガリア、チェコスロバキア、ユーゴスラビアが社会主義国家となりました。
またフランスは昔からコミンテルン(社会主義)の勢力が強い国でもありました。自由フランス軍を率いたシャルル・ド・ゴールが大統領となったのですがアルジェリアの独立問題などがあって国内も騒然としていました。小説「ジャッカルの日」はドゴール暗殺をモチーフにした小説ですが、実際問題ドゴール暗殺未遂事件は知られているだけでも二度あったといわれています。
日本人にとって、アルジェリアが遠い国の話である一方北朝鮮の問題が非常に身近なように、フランス人にとってアジアの問題は遠い遠い国の話です。なにしろ当時は定期飛行機路線はなく(当時の飛行機は航続距離が足りませんでした)、フランスから中国に行こうと思ったら船でえっちらおっちら三ヶ月くらいかけて行かなければなりませんでした(直行で行かずにあっちこっちに寄るから時間がかかる)。
フランスにとってはアルジェリア独立問題とインドシナ(ベトナム)独立問題のほうがよほど切実な問題で、もちろん大戦の影響で国内もグチャグチャになっているのに「中国なんぞに構っているヒマはない」というのが実際だっと思います。仮に中国に共産政権が誕生することに反対の立場だったとしても、口先で「反対」という以上のことは何もできなかったと思います。
イギリスもまた然り。当時のイギリスはアフリカ、中東、インドなどに植民地を持っていましたが、そこがどこもかしこも独立運動を始めた。しかも、それらの国々の多くが何らかの形でソ連からの援助を受けていました。だから、それらに対処するので精一杯で中国に干渉しているヒマなんぞありませんでした。実際問題、それらの植民地はほとんど全部独立されてしまいましたからな。
アメリカは他の方も回答しているように蒋介石政権を支持していましたけど、肝心の蒋介石が負けちゃいましたからね。直接介入するつもりは毛頭なかったのでしょう。
シェンノートさんというアメリカ軍人が第二次大戦中に蒋介石軍の顧問としていたんですが、これがもう本当にメチャクチャだったらしいですよ。シェンノートさん、中国嫌いになったらしいですから。支援物資を送ると軍幹部が横流ししちゃって全く前線に行き渡らなかったらしいです。とにかく腐敗がすさまじかったようです。
何しろ蒋介石の国民党軍ときた日にゃ、敗戦の一年前の1944年にもう米軍にボコボコにされていた日本軍が「大陸打通作戦」という大規模な作戦をやったんですが、ボロボロの日本軍相手に全く歯が立たなかったですからね。
No.6
- 回答日時:
アメリカは、国民党政府への多額の援助をしていました。
時代は違いますが、アフガニスタンの共産党政権に対する、反政府勢力の勝利等、使い方次第で援助のみでも、軍事的な結果が変わることがあります。それと同じことを期待していたのです。
なお、中国に対する外国の直接的な軍事介入はうまく行かないことは、第二次世界大戦で、日本軍が証明しています。
No.5
- 回答日時:
優先順位の問題です。
今でこそ中国は大国であり、とても重要な国ではありますが、当時のアメリカ、イギリス、フランスにとって中国は最重要な国でも最優先されるべき問題でもありませんでした。
だから中国が共産政権になるのを傍観しました。
イギリスの場合、国共内戦の再燃した1946年、まだ戦争による経済的疲弊から回復していないイギリスを、数十年振りとも言われる大寒波が襲い深刻な燃料危機が発生し、ますます経済を悪化させます。既に政府の予算は巨額な対外借款に依存しており、予算の問題としても深刻でした。その結果、それまでの対外政策が根本から見直され、1947年1月には大幅な軍事支出の削減や植民地の独立(ビルマやインド)の方針が示されました。
中国どころの話ではなかったのです。
フランスもイギリスと同様でした。ドイツからの支配を脱したとはいえ、その戦争の傷跡は深く経済的困難な状態にありました。それに付け加え、回復したアフリカやインドシナの植民地で独立運動が激化し戦闘になっていました。特にインドシナで激しいゲリラ戦にあっていました。
フランスも中国どころではありませんでした。
アメリカは当初、以前より支援していた国民党と共産党との調停に動きましたが、それがうまくいかず、その後は国民党を見限りました。
対欧州援助、対日援助や中近東への影響力強化に重点を置いていたからです。
当時のアメリカの安全保障としてはヨーロッパや日本、中近東が中国よりも優先されたのです。
ことにソ連が1946年頃、イランやトルコに影響力を伸ばそうとしていました。
この頃、特にトルコへのソ連の接近についてアメリカ政府では「ソ連の狙いはトルコ支配にあり、それが可能となればソ連の支配はギリシアから中近東に及ぶ。中近東は交通と石油を含む資源の両面で重要である」との判断が下され、そのためトルコとギリシアに援助が与えられ、東地中海に空母を含むアメリカ艦隊が常駐する事が発表されました。
イランに対しても1947年にアメリカとの間で軍事協定が成立しました。
その一方でヨーロッパでも問題が発生します。1948年にソ連によるベルリン封鎖が始まり東西の緊張が高まります。
この戦争への懸念、ソ連の脅威に対抗するため1949年にはアメリカ、イギリス、フランスなど12ヶ国が加盟したNATOが発足します。
国共内戦が行われている間に、中近東でもヨーロッパでもアメリカにとり重要な安全保障問題が持ち上がっていたのです。
アメリカは大国ですが、その力には限りがあります。アメリカにとっても国民党を単独で支えるのは大きな負担です。
その結果、優先度の高い国に援助が回されました。
国共内戦が再燃した翌年の1947年にアメリカが国民党に援助した金額は、2億1300万ドルです。
同じ年、アメリカはイギリスに対して28億ドル援助しています。国民党への10倍以上です。日本に対しては5億2500万ドルです。国民党への2倍以上です。
1948年にアメリカが国民党に援助した金額は2億2500万ドルです。
戦争している国民党よりも、戦争していない日本への援助額が大きいのです。ちなみに当時、アジアで一番アメリカの援助額
が大きかったのも日本です。なお、アメリカは他にもフランスやドイツなど色々な国にも援助をしています。
そして1949年にはアメリカは国民党への援助を打ち切り、軍事顧問も引き上げました。
中国の国内問題は中国自身に委ね、介入はしないという方針をアメリカ政府がとったからです。国民党を見捨てたのです。
これにはアメリカ政府が、日中戦争時代から国民党を支えてきたけれど、その国民党の腐敗ぶりが明らかで、不信感があった事と、一般市民の国民党離れを認識していたためとも言われます。
つまり、フランス、イギリスは自国の経済・防衛問題で余裕がなく、アメリカにしてもヨーロッパ、アジア、中近東諸国への援助とその防衛問題が優先で、自国民から見放されつつある中国の国民党を援助する意思は、少なくとも当時のトルーマン政権にはなかったのです。
No.4
- 回答日時:
西側各国が中華人民共和国を認めたのは、アルバニア決議による中国国連加盟を認めたのが転機でしょう。
当時ベトナム戦争が泥沼化したアメリカが、ベトナムからの撤退を進めるため中国に接近したのが理由です。
No.3
- 回答日時:
大きく二つの理由があります。
一つは、日中戦争に関した対日抗戦の戦略に起因し、もう一つは、長く続いてきた中国の農村社会システムを起因とする構造的なものです。
1.国共合作時の国民党と共産党の対日軍事戦略の違いについて。
・明治維新以後、日本は国内統治システムを完全に作り上げ、富国強兵を徹底して「軍」を編成しました。
それに対して軍閥戦争が終わったばかりの当時の中国には、日本軍と同程度の戦闘力を持つ精鋭正規軍部隊は、蒋介石(日本に軍事留学し日本陸軍の将校だった経験があります。)の率いる国民党部隊だけで、日本軍の10分の1以下の兵力しかありませんでした。
この虎の子の精鋭部隊を初戦で日本軍と全面衝突して戦わせても、壊滅してしまい、以後は全く抵抗ができなくなります。
そこで、蒋介石の率いる中国国民党側は、侵入した軍より弱体な軍備しかない場合の、大陸国の伝統的戦術である主力温存策を取りました。
・具体的には、急造の二線級部隊(=民間人徴発)で人数を膨らませ、日本軍よりも多数の兵力にし、精鋭部隊とともに日本軍と戦いますが、日本軍の攻勢で戦況が不利になると、徹底抗戦せずに戦力を温存して内陸部に撤退します。
ナポレオンがロシアに負けた時と同様に、相手に軍需物資を消費させながら、敵軍主力を補給の届かない内陸部に引きずり込んでいく作戦です。
中国は絶対に負けず、日本は勝てない戦術で、陸軍参謀本部の石原大佐(満州事変の首謀者の一人)などは、この戦術を中国が取るので戦いが泥沼化するとして、対中戦争を極力回避しようとしましたが、現地派遣軍は戦闘に勝っているので、撤退することなく内陸部にどんどん入り込んでしまいました。
その結果、食糧など補給に苦慮した日本軍は、住民からの軍票による食料徴発で、太平洋の島のような飢えには苦しまなかったものの、捕虜や住民の食料を保証することはできませんでした。(その結果、住民の恨みを買ってしまい、占領地の治安を確保できなくなりました。)
また、民間人を駆り出して作った訓練の行き届かない中国の二戦級部隊は、銃の撃ち方などは習っているものの、戦術的部隊行動などは実戦の場では満足にできません。訓練の行き届いた精鋭部隊がさっさと撤退する後に、取り残されて大量に捕虜となり、日本軍のなけなしの食糧を食いつくすこととなります。
そのうえ、少し前までは普通の民間人でしたから、敗走となると軍服を脱いで民間人となってしまうものも続出し(中国人同士の軍閥戦争の時はそれで何の問題もなかったのです。)、兵士・民間人・便衣兵の区別が極めてあいまいになってしまいました。
・日本がポツダム宣言を受諾して日中戦争が終了後、精鋭の主力軍を失うことなく戦い続けた蒋介石は、その軍事力を背景に「国民党」のトップとして、戦争後の政府の代表者となりました。
しかし、大した兵力を持たず装備も整っていなかったので日本軍の占領地で便衣兵としてゲリラ戦を行うしかなかった「共産党」との内戦が始まると、『装備の優秀な国民党軍は逃げて戦ってくれなかった。満足な武器がなくても共産党軍は戦ってくれた。』という民衆の気持ちが大きく働いて、国民党は国民の支持を失うこととなりました。
2.中国の農村社会と共産主義
明・清朝時代の中国は、科挙(科挙を受けることは、建前上、男子なら誰にでも許されたが、長期・苛酷な受験の連続で、経済的にゆとりのある大地主の一族しか事実上合格できなかった。)によって官僚となることの出来た富裕大地主層によって支配されていました。
資本主義経済があまり発達していなかった中国では、都市労働者主体による共産主義革命路線が失敗し、毛沢東の提唱する農民を主体とした共産主義革命路線(毛沢東思想⇔マルクスの提唱したと資本主義のもとでの工業労働者による共産主義革命と決定的に異なる)によって、中国共産党は、農村地域に基盤を伸ばしました。
その原動力は、共産党支配地域では、富裕地主の土地を没収し、農民の共有とするもので、小作料を払わなくてもよくなり、土地を自分たちの物にすることが出来るという実利によって、小作貧農層に圧倒的な支持を受けました。
戦後も、国民党が、富裕地主層の土地私有を認めたのに対して、共産党は戦前からの富裕地主の土地没収政策を進め、多数を占める貧農層の支持を拡大していきました。
・大戦後、イギリス、フランスは疲弊しており、唯一、自国が戦場とならなかったアメリカも、厭戦気分が強く、日本が泥沼化した大陸への出兵を回避し、国民党への軍事援助に留めています。
<参考>
こうして、中国共産党の大陸支配が確立しましたが、貧農層に政治基盤を置いたため、その後の長い経済不振と、鄧小平路線による共産主義の放棄につながっていきます。
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