出産前後の痔にはご注意!

 「あんたがたどこさ」の最後、「それを木の葉でちょいと隠し」ですが、「それ」って何でしょうか。

 狸を、煮て、焼いて、食って・・・、するとやっぱり「う○こ」でしょうか・

A 回答 (3件)

手まりを突きながら歌われた童謡ですね。

う○こでは飛躍しすぎでしょう。
土地の古老に聞けば分かることでしょうが、私には次の三つの可能性が考えられます。
1.食べ残した狸の肉を木の葉で包んだ。
2.食べた方法を後で説明している。
3.当時の猟師の習慣・・狸は化けて出てくるので木の葉をかけて祈りを捧げる動  作。(昔の猟は食べ物を得るためであり、楽しみのためではないので、常に神  に感謝していた)

いずれの場合も対象は狸またはその肉となります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

 そもそも、狸は食用なのかどうかも疑問なのです。(カチカチ山で狸を捕まえる話は出てきますが)

 食って食えないことはないでしょうが、わざわざ、鉄砲をもって撃ちに行くものかどうか。同じ撃つのなら、イノシシとかキジとか、おいしそうな=値段のいいものをうちゃあいいのに、と思ったり。

お礼日時:2001/04/18 23:40

「う○こ」はあんまりなので、食べ残したたタヌキの残骸とかを含めて、食べた場所、ということにしておきましょう。

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この回答へのお礼

 ありがとうございます。
 最初の方の紹介HPを見ると、熊本の地元では「木の葉でちょと隠し」はなかったそうです。
 あとのつけたし、ということになると、ひょっとすると、「う○こ」もありますかねえ・・。しかし、あんまりですねえ。

お礼日時:2001/04/18 23:48

それ=狸とばかり思っていました。


狸がいて、それを猟師が鉄砲で撃って食べて余っちゃったのをおもち帰りで木の葉に包んでTAKEOUTだとばかり...。でも「う〇こ」説もありえないとはいいきれないなぁ。

ちなみに2番では船場川には海老がいて、それ漁師がとって食べちゃいます。

参考URL:http://www.interq.or.jp/japan/k3j/
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。
 川エビだと、変質が早いから、木の葉に包んでも保存できないかなあ・・。

 私も、ふと、思いついたもので、ひょっとすると・・?ぐらいのいいかげんな質問です。

お礼日時:2001/04/18 23:43

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Q通りゃんせの歌・・・帰りの何が怖い?

通りゃんせの歌で
「行きは良い良い 帰りは怖い 怖いながらも通りゃんせ 通りゃんせ」
と歌いますよね。

私はむかしこの歌について「7歳のお祝いに札を収めて成長をお祝いする」ために天神様へのお参りをするということで聞いたことがあるんですが、めでたい席の帰りでなぜ帰りが怖いんでしょうか?お払いとか受けた後のはずなのに。
むしろ細道の行きの方が感覚的に怖く感じます。子供の成長についても7歳までのほうが7歳からよりも危ないような気がしますし。

なにか魔物の伝承でもあるんでしょうか?

Aベストアンサー

 
  こういう話というか、民謡に含まれる古い「恐ろしい真実」の意味については、『孔子暗黒伝』などの作者の諸星大二郎が書いていたはずだと考えていますと、検索した以下のURLのページで、やはり、諸星氏の作品に触れています。
 
  この何故「帰りは怖い」のか、というのは、多分、答えはないのだと思います。昔はあって、失われたという可能性と、もう一つ、言語化できない直観の真理認識のようなものがあったのかも知れません。
 
  もう少し散文的に言うと、これは、「神隠し」などと同じような地平の話というか、心の状態なのだと思います。「神隠し」とは何かというと、子供が行方不明になるのですが、これも散文的に理由を考えると、例えば、人さらいにさらわれたとか、山人とでもいうか、サンカとか、山男とか山姥などと呼ばれている人々が連れ去ったとも言え(サンカと山人や山姥との関係は必ずしも明確でありませんが)、または、迷子になって死ぬ子供とか、または、食人の野生人が山にいたのかも知れません。
 
  散文的な話ですが、子供が遊びにでかけると、行く時は、遊びに行くので楽しいが、帰れるかどうか分からない……「神隠し」に会う可能性があるぞ、という歌なのではないかと思います。「帰りは怖い」は、行って帰って来て、帰りが恐ろしいのではなく、帰ろうとすると恐ろしいものがたちふさがるということを警告している、あるいは、遊んでいる子供達は、直観的に理解していたのかも知れません。
 
  「七つのお祝いに、天神様の細道」ですが、天神は怨霊を神として祭ったものです。非常に古い日本の伝統的な宗教観が、怨霊は神として祭らねばならないということを教えるのです。そして「七」というのは、吉兆数ですが、神秘数でもあり、諸星風に言うと、「異界」への数とも言えます。
 
  諸星の話からの連想だと、「神隠し」の背後には、子供を神の生け贄にして殺すという儀礼が背景にあった可能性も想定し得るのです。七歳の祝いの日に、子供に晴れ着を着せて、神界への細道を進ませ、そして子供は消えて、帰って来なくなるのです。
 
  行きは、「神界」へと晴れて行くのですが、帰りは、「異界=黄泉の国」へと帰って行くのです。それでもよいなら、「通りゃんせ」という歌なのでしょう。
 

参考URL:http://homepage2.nifty.com/osiete/s683.htm

 
  こういう話というか、民謡に含まれる古い「恐ろしい真実」の意味については、『孔子暗黒伝』などの作者の諸星大二郎が書いていたはずだと考えていますと、検索した以下のURLのページで、やはり、諸星氏の作品に触れています。
 
  この何故「帰りは怖い」のか、というのは、多分、答えはないのだと思います。昔はあって、失われたという可能性と、もう一つ、言語化できない直観の真理認識のようなものがあったのかも知れません。
 
  もう少し散文的に言うと、これは、「神隠し」などと同じ...続きを読む


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