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1993年に冷夏によって発生した米騒動について、どんなことでもいいので、なるべく詳しく教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

http://ja.wikipedia.org/wiki/1993%E5%B9%B4%E7%B1 …

http://www.mekong.ne.jp/linkage/thairice.htm

他にも検索すれば一杯引っかかるので概要は抜きにして個人的な意見でも^^;;

そもそもそれまで日本はコ米余りによる減反政策を続けており毎年政府の米蔵には米が一杯残っていました この年の収穫量が75%だとしても実質足りないのは せいぜい15%一週間に21食 食べるとしてわずかに3~4食パンか麺類を食べれば充分に足りる数字です 事実翌年の豊作と重なり輸入した米が大量に余るという現象が発生しました

オイルショックと一緒です マスコミがヘタにあおったので世間が大騒ぎしそれに便乗した一部業者がうまく出し渋り大もうけをしたに過ぎません その裏に増え続けて居た貿易黒字に対してアメリカ等から農作物の輸入に関する規制を緩くするように迫られ続けて居たと言う背景が有ったため これを口実に国内の農業関係者の反対を押し切り最大の保護作物である米の輸入の実績を作ってしまおうとした 政府高官の思惑が有ったと思います

いつの日もしわ寄せは市民に来るものです><
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うわー懐かしい。



 あの時は、スーパーマーケットから一斉にコメがなくなりました。当時は、政府にも備蓄米がほとんどなかったために、外国からコメを緊急輸入することになり、中国米やタイ米、アメリカ米が出回るようになりました。

 私の家では、昔からの付き合いのある米屋で配達をしてもらっていたのですが、その米屋と取引のない人はコメを売ってはもらえませんでした。また、あきたこまち10キログラムが1万円にもなっていました。

 一方で、中国やタイなどからのコメも売っていました。2キロで500円くらいでした。その時、あきたこまち10キロと中国とタイ米の混合品を2キロ買いました。
 中国とタイ米の混合品は普通にご飯として食べても、パサパサとしておいしくないのですが、焼き飯やピラフにすると、日本のコメよりおいしかった記憶があります。

 ただ、田舎(米農家を除く)よりも都会のほうがコメは手に入りやすかったそうです。外国産米も売っていなかったため、田舎の親族にこちらからコメを買って送った記憶があります。

以上、長くなりましたが、記憶の整理ができました...
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米不足ということで、店先には国内産の米は非常に少なく、値段もふだんの3倍くらいだったように覚えています。

それも2Kgパックが多かった。

政府が外国産を緊急輸入しましたが、東南アジア産の長粒米で日本の短粒米とはちがいパサパサした食感でした。
それの補いかたとして、こんにゃく粉を混ぜて炊く方法が広まりました。

それでも、本来アフリカなどの飢餓地域に向けられる米を「お金にまかせて横取りした」とかの話もあり、日本の底の浅さを感じました。
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国内で米が緊迫したため、海外から米を輸入しました。
フィリピン、タイなどでも日本のこしひかり等を生産しています、それらの日本米が全て日本に輸出されてしまい、海外で生活していた私達日本人が買えなくなりタイ米など匂いが強く粘り気の少ないインディカ米しか食べられなくなった。
あの時、最も被害を受けたのは東南アジアで生活していた日本人かも知れない。
日本にいた兄弟などは普通に食べてたからね。
 
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