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古代ギリシャはなぜ繁栄したか?
古代中国やメソポタミア、古代エジプト
のように肥えた土地が無いのに、
農産物や食糧はどこから供給されたのですか?
島が多く海運には恵まれているとは思いますが。

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A 回答 (2件)

先っぽだったから



先っぽの意味は二つ
ひとつは、農業革命の先端であったいわゆる肥沃な三日月地帯のそばだった。農業ノウハウは伝わりやすい。
ひとつには、バルカン半島の最南端。
寒くなると、暖かい方に移動します。バルカン半島の最南端にギリシャがあります。
農業よりも狩猟採集の方が、個人レベルでは楽に食い物を取れます。農業は一日中働く必要がありますが、採集の方は楽なもんです。ただ、農業の方が、人口として濃密に居住出来る。
なので増えてきた人口を養うために、しょうがなく一生懸命農業ノウハウを入手した、そしたら人口も増えることができた・・・というのが古代ギリシャの始まり。

エジプトに農業が始まったのも、豊かなサハラ砂漠(という表現もなんだが)が乾燥して北部アフリカの人口が東にシフト・・・移動して行ったらナイル川のあたりは水があった。というので農業が始まった。
人口増加によって仕方なく農業を始めたという状況です。

あと、ちなみに、ギリシャは大河が無いのに・・・という表現がよくありますが、大河なんて管理するのは大変です。

古代中国で黄河文明とか言いますが、黄河のほとりではありません。
黄河の支流の渭水(長安のあたり)とか、洛水(洛陽のあたり)というように、管理しやすい支流がメインです。
日本の農業も、大河(日本で大河というのもおこがましいが)で農業ができるようになったのは、江戸時代であり、それまでの農業の中心地は、扇状地とか、谷合の土地で、小規模で管理しやすいとこと。
この意味で、ギリシャは管理しやすい小規模農地となります。
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この回答へのお礼

丁寧な解説、有難うございました。大変、勉強になりました。

お礼日時:2010/04/22 15:26

もっと詳しい方がフォローされると思いますが、、



日本人が考える古代ギリシャというのは、いわゆるひとつの国ではありません。アテネやスパルタなどギリシャ人の都市国家の総称を古代ギリシャとしています。
またギリシャ人は海洋民族であり、地中海を自由自在に渡っていました。そのため現在のスペインやアフリカ大陸の沿岸地域までギリシャ人国家があったのです。また今のイタリア南部とシチリアにもギリシャ人が多く住みマグナグレキアと呼ばれいました。

このような形で北アフリカやシチリアなどからの農産物があったこと、海洋民族なので貿易で富を作ったことが古代ギリシャの発展に寄与したのです。もちろん、それらを守る軍事力も強かったようです。

特にプトレマイオス朝はギリシャ人(マケドニア人)が支配した王朝であり、クレオパトラもギリシャ語を話す女王でした。それぐらい、古代ギリシャの地域は広かったのですが、総称として古代ギリシャが繁栄したといっても、ここのポリスは栄枯衰退を繰り返していました。
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この回答へのお礼

北アフリカやシチリアまでギリシャの勢力圏だったのですね。
よく分かりました。どうも、有難う。

お礼日時:2010/04/22 15:28

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Qなぜヨーロッパの歴史がギリシアやローマから始まったのか

なぜヨーロッパの歴史はギリシアやローマから始まり、発展したのでしょうか。是非教えてください。

Aベストアンサー

 
ここで「ヨーロッパ」と言っているのは、「西欧文明」のことだと理解します。何故なら、「ヨーロッパ」には、北欧、東欧、ロシアも入るのであり、北欧や東欧、ロシアの歴史は、ギリシアやローマから始まっていません。北欧、東欧などは、キリスト教の布教によって、キリスト教文化の流入と共に、ローマやギリシアの文明との関連が生まれますが、それは、8世紀とか9世紀とか、かなり時代的に後になります。また、ロシアは独自の歴史があり、西欧とはまた違った文明とされます。

西欧文明の場合、人種的あるいは部族的には、ケルト、ゲルマン、ラテン人(ローマ人)が西欧文明を築いたと言えますが、中心に来るのは、ゲルマン・ケルトで、更にゲルマン部族が、西欧の歴史の主人公だとも言えます。

ゲルマンやケルトの場合、過去の歴史を遡って行くと、紀元前には、現在のフランスを中心とした大森林のなかで狩猟生活をしていた小部族の集団ということになります。紀元頃だと、ケルトの部族も多数、現在のフランス・ドイツ・イギリスなどの領域に居ましたが、やがて、3世紀から4世紀にかけての「ゲルマン民族の大移動」と呼ばれるもので、ゲルマン族が、西欧を席巻し、ローマやイベリア半島や、果ては北アフリカにまで広がって、多数の部族王国を築きます。

西欧文明のコアであるゲルマン部族の人々の歴史は、紀元前になると、文書記録がほとんどなく、実態は、遺跡の発掘などで、考古学で検証されています。

イタリア人の歴史は、確かに、遡ると、ローマ帝国、ローマ共和制から始まります。またギリシアも、オットーマントルコの支配下に長い間あったとはいえ、遡ると、ローマ帝国の属州、更に遡れば、独立した古典ギリシア文明へと繋がります。

しかし、フランスやドイツやイギリスの歴史は、遡ると、大森林のなかの狩猟部族群となり、それも、遙か東の黒海あたりから移住してきた人々です。紀元前の西欧は、一面に大森林に覆われていて、当時のギリシア人やローマ人は、ゲルマン・ケルトの人々、つまり現在の西欧の人々の祖先を、森のなかの「蛮族」だと呼んでいました。

ローマは地中海全域を版図に収める大帝国を築きますが、その版図には、現在のフランスやドイツやイギリスは含まれていません。イギリスはブリタニアとして、比較的開けた領域は、ローマの植民地でしたが、島全体から見れば、ケルト族の土地でした。

現在の西欧の人々の直接の祖先の歴史になると、イタリアとギリシアは別ですが、「森のなかの蛮族」になってしまいます。

ギリシアとローマの文明は、西欧文明とは別のもので、西欧文明は、ギリシア・ローマを通じて、「文明」というものを学習したのですし、技術や知識や文化や思想を「模倣・継承」したのです。

西欧の歴史の最初が、「森のなかの蛮族」では、西欧の人々の自負心を満たさなかったので、古典ギリシアやローマ帝国の「継承者」を自認して、ローマやギリシアを、自分たちの歴史の最初に置いたというのが事実です。

なお、西欧が古典ギリシアを忘れていたなどというのは、どこから出てくるのか理解し難いです。12世紀13世紀のイスラム文化を通じての古典ギリシアのアリストテレスの思想の復興や、ルネッサンスの古典ギリシア復興のことを述べているのだとも思いますが、それは、キリスト教を文明の宗教としたことで、古典ギリシア哲学やローマ哲学を含む、「異教」の書物などを、すべて廃棄して残さなかったので、一見、忘却したように見えるだけで、ラテン語での記録などでは、ローマ帝国がかつてあり、古典ギリシア文化がかつて、ローマが崇拝した文化としてあったということは、忘却などされていません。

キリスト教にとっては、興味がなく、かつ有害と考えられたので、軽視され、また無視されていたので、キリスト教に都合の良い資料は、ローマ時代のものも、古典ギリシアのものも、西欧には残っていました。(ただし、哲学等のギリシア語原典は、意図的に廃棄し、抹消したので、名前だけ残り、実物が西欧からはなくなり、アラブ人を通じて、原典の写本が、12世紀頃再び、西欧に入って来たと言うことです)。

フランスの歴史、ドイツの歴史、イギリスの歴史などで調べると、最初がギリシアやローマにはなりません。イタリアの歴史の場合は、最初がローマやエトルリアになりますが、ギリシアはまた別です。

ローマや古典ギリシアが繁栄していた時代、イギリスやフランス、ドイツには、大森林があり、森林のあいだの小さな開拓地にケルトやゲルマンの人々が集落を作り細々と生活していたので、ギリシア人やローマ人は、彼らを、「森の蛮族」と呼び、フランス・ドイツ・イギリスなどを、「蛮族の土地」としていたのです。

(西欧は、上で述べたように、古典ギリシア文明や、ローマの文化資産を「学習・継承」して、みずからの文化を発展させて行ったのです。そのため、西欧の歴史の最初に、古典ギリシア文明やローマ帝国を置きます。特に、ローマ帝国は、キリスト教の成立と発展と密接に関係あるので、多数の資料がラテン語で西欧に継承されています)。 
 

 
ここで「ヨーロッパ」と言っているのは、「西欧文明」のことだと理解します。何故なら、「ヨーロッパ」には、北欧、東欧、ロシアも入るのであり、北欧や東欧、ロシアの歴史は、ギリシアやローマから始まっていません。北欧、東欧などは、キリスト教の布教によって、キリスト教文化の流入と共に、ローマやギリシアの文明との関連が生まれますが、それは、8世紀とか9世紀とか、かなり時代的に後になります。また、ロシアは独自の歴史があり、西欧とはまた違った文明とされます。

西欧文明の場合、人種的あ...続きを読む

Qギリシアとローマの関係について

高校レベルの世界史もよく把握していないのですが…
古代ギリシアとローマの関係がよくわからないのです。

・ギリシアとローマは戦争していたこともあり、別個の支配体制ですよね?
・それなのに同じ12神を信奉していますし、使用するアルファベットも似ています
・ローマは土木工事等の実学には長けていたが、ギリシアのような哲学や数学は発達しなかったと聞きます。文化面でもだいぶ隔たりがあるように見えます。

結局この2つはどんな関係で、お互いにどんな相手だと見ていたのでしょうか?

Aベストアンサー

 古代ギリシアは都市国家の集まりです。何度か、都市国家連合としての統一国家になろうとしましたが成功しませんでした。その理由は、おそらくは文明・文化の発達でしょう。自立と自由があって、初めて文明・文化が発達します。そして、それを手放してまで、国力だけのために統一国家となることは受け入れにくいのです。

 古代ローマは、文明・文化の発達が遅かったので、早くから統一国家、しかも都市国家連合という緩い結びつきの国ではなく、全域を中央政権が支配する領土国家にまりました。そして、文明・文化は近隣で発展していたギリシア(とりわけ学問先進国のアテネ)に学んだわけです。

 ギリシアの文明に学び、しかも全域が統一されているローマの国力は急速に伸びて行きました。やがて、国力としては劣り、しかも統一できていないギリシアの都市国家を次々と従わせ、ローマの地方都市として、やがてギリシア全域をローマの領土に組み入れることとなります。

 しかし、ローマはギリシアの文明・文化を超えるような独自なことはできませんでした。巨大な建築はできたけど、基本はギリシアのものです。それだけ、ギリシアの文明・文化は発達していたわけです。宗教も、ローマ独自のものはあったのでしょうが、ギリシアの神々と同じものだとしてしまいました。

 キリスト教が広まり、公認されるようになると、ようやくキリスト教由来を加えて、ローマ独自文明・文化が発達し始めました。ローマ帝国が東西に分裂し、西ローマ帝国が滅びても、東ローマ帝国は長く保ち、首都コンスタンティノープルではヨーロッパ有数の文明・文化先進地域であり続けました。

 そういう例は、古代中国にもありました。殷や周は都市国家連合です。一番国力があり、他の都市国家のリーダーととして取りまとめていたのが、殷や周という大きい都市国家でした。その地域を中原(ちゅうげん)と呼んでいて、そこでは早くから文明・文化が発達しました。

 その周の力が衰えていく一方、地方では楚といった文明・文化は遅れていて、中原の都市国家に学んだ国が、早くから領土的にも統一した国家として台頭して行きました。

 周が衰えて、他の国家が力を得て行った春秋時代は、中原ではまだ都市国家連合がひとまとまりとなった国家が多く、非常に多数の小国が乱立していました。小国とはいえ、文明・文化が発達しているので、その周辺地域の領土的に統一された国家から尊敬を受けていました。

 しかし、続く戦国時代となると、ほとんど国家が領土的に統一された国家となります。都市国家は単なる都市となりました。それでも、小国となっても周とその近辺の小国は、秦が中国全土を領土的に統一するまで、長く尊敬を受け続けていました。

 古代ギリシアは都市国家の集まりです。何度か、都市国家連合としての統一国家になろうとしましたが成功しませんでした。その理由は、おそらくは文明・文化の発達でしょう。自立と自由があって、初めて文明・文化が発達します。そして、それを手放してまで、国力だけのために統一国家となることは受け入れにくいのです。

 古代ローマは、文明・文化の発達が遅かったので、早くから統一国家、しかも都市国家連合という緩い結びつきの国ではなく、全域を中央政権が支配する領土国家にまりました。そして、文明・...続きを読む

Q古代ギリシャで急に学問が開花した理由

こんにちは。私は歴史が好きなのですが、ある程度全体を見渡すと改めて古代ギリシャの凄さがわかります。
ギリシャ以前のメソポタミアの歴史等を辿ってみても、古代ギリシャだけがなぜ突出して偉人や哲人が現れ栄えるようになったのでしょうか?
同時にギリシャは世界最古の民主政治を行ったともききます。

歴史の中ではこんなこと当たり前の事実みたいになってますが、改めて考えれば・・・ゲーム的にいえばギリシャだけ(文化面で)チート過ぎると思うのです。
ヨーロッパでは中世に入って地球が丸い云々のとき、もうギリシャでは地球の円周を計算した人がいます。
世界史的に見て、ギリシャだけが他と比べて性格が違って見えます。
なぜこんなことになっているのか理由があるのでしょうか?

Aベストアンサー

 地歴教育の専門家としてはこんな回答になりますが、妥当性は疑ってください
(1)宗教規範による強い束縛がなかった
(2)余剰生産力が豊富で、非労働者階級(知識・芸術を生業とする階級)が多く発生しえた
(3)民主制社会によって、自由な発想・思考が保証された
(4)個人を束縛する社会体制が希薄で、アナーキー(ホッブス的)な社会だったから
(5)海上貿易の発展・文化の中心として多くの知識・学術が集約しえた

以下のような状況が大きいのではないでしょうか?

ギリシャの古代は自然科学の発展が目覚ましいわけですが、これはギリシャ哲学の発展があってこそでしょうが、学問を追求してゆける社会環境が整備されているからこそ・・・というのが結論でしょう。


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