出産前後の痔にはご注意!

「こころ」における先生にとっての私とKの存在はどういったものなのでしょうか?

あと、先生と私の社会的階層についても教えてくださると助かります;

A 回答 (2件)

「先生」にとっての「K」は、「良心」「倫理」「道徳」といったものから離れそうになる自分をそれらに結び続けておく存在です。

「先生」は「K」の死という事実から、常に自分自身に「良心」「倫理」「道徳」の定規を当て続けざるをえなかったわけです。

「先生」とっての「私」は、「良心」「倫理」「道徳」から離れそうになる自分を留める煩悶と苦悩の継承者となる存在です。「先生と遺書」の第2章の最後の部分に「私の鼓動が停つた時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来るなら満足です」とあります。「先生」は「私」に継承者になる資格を見出し、自分の過去を打ち明けてその煩悶と苦悩を「私」に引き渡したのでしょう。

漱石に関するある解説に「漱石の後半期の諸作品においては、知識階級人というものは、道徳の実践者としても、またその違反者とても、道徳や正義を意識する鋭さや強さにおいて人間社会の代表的存在として描かれている」とあります。「私」と「先生」は道徳や正義を意識する鋭さや強さを備えた知識階級に属する人たちで、しかも、道徳の実践者としても違反者としてもその意識を実施に移すことができるだけの意志と余裕のある人たちです。
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念のため補足要求です。

ご質問の「私」とはもちろん、上・中の「私」ですよね?

>先生の社会的階層
作中にも何度も出てきますが、東京帝国大学卒業です。当時の帝大生と言えば、よほど暇と金のある人々です。先生は叔父に遺産を大分だまし取られたのに残った金の利子も使い切れなかったとあります。卒業後も働かずに奥さんを養い下女を雇っています。いわゆる「富裕層」です。

この回答への補足

上・中の「私」のことです。説明不足ですみません。

補足日時:2011/01/08 13:11
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2011/01/23 12:51

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Q夏目漱石の「こころ」。「私」はなぜ「先生」に惹かれたのか。

今夏目漱石の「こころ」にはまっているんですけれども、
なぜ「私」が「先生」に惹かれたのかがいまいちよくわかりません。
考えられる可能性としては、「私」が「先生」の奥さんに一目ぼれしてしまった、ってことなんですけど・・・。

おしえてください、よろしくおねがいします

Aベストアンサー

 こんにちは。私もNo.1さんと同様に、人生の師と仰ぐべき「先生」としての、また一人の人間としての「尊敬」の気持ちと、「先生」のなぞめいた雰囲気に、惹かれたのだと思います。
 先生との最初の出会いは、鎌倉の海水浴場で、先生が西洋人を連れていたところから始まります。東京帝国大学の学生である「私」は、若い頃の「先生」や「K」と同様、明治という新しい時代(「私」が大学を卒業してすぐ、明治は終わってしまいますが。)に希望を持ち、社会的に有用な人間になるべく、自分の未来に大きな夢を持っていたのではないかと思うのです。そうした私の目の前に現れた「西洋人」を連れた一人の日本人は、時代の最先端を行くとても魅力的な人物として見えたのではないでしょうか。この時「私」は意図的に「先生」の目につくような行動をしています。「私」は、「先生」を大学の講義とは違う「生きた教材」として「先生」に近づいていくうちに、「先生」の人柄、「先生」のなぞめいた行動、若い「私」には理解しがたい「先生」の言葉に、どんどん引きつけられていったのだと思います。「先生」の遺書を受け取った「私」は、実の父親が、重病であるのにもかかわらず、東京に向かってしまうほどにまでなっていました。

 こんにちは。私もNo.1さんと同様に、人生の師と仰ぐべき「先生」としての、また一人の人間としての「尊敬」の気持ちと、「先生」のなぞめいた雰囲気に、惹かれたのだと思います。
 先生との最初の出会いは、鎌倉の海水浴場で、先生が西洋人を連れていたところから始まります。東京帝国大学の学生である「私」は、若い頃の「先生」や「K」と同様、明治という新しい時代(「私」が大学を卒業してすぐ、明治は終わってしまいますが。)に希望を持ち、社会的に有用な人間になるべく、自分の未来に大きな夢を持っ...続きを読む

Q夏目漱石「こころ」名前のある登場人物について

夏目漱石「こころ」についてです。

この作品の登場人物は、ほとんどが代名詞で表されていますが、
上で、奥さんを「静」
中で、母を「お光」と呼ぶシーンがあります。
この作品で個人名が与えられたのはこの二名だけです。

これは一体何を表していると考えられますか。
みなさんのご意見が聞きたいです。

私はジェンダー論と絡めて考察したいと考えています。
(ジェンダー論に関してほとんど無知なので、これから勉強していくつもりです。)

Aベストアンサー

>この作品の登場人物は、ほとんどが代名詞で表されていますが、

「こころ」は、漱石の長篇小説の中では、唯一一人称による語り(回想)によって物語が展開されていくという形式を採用していますよね。
こういう場合、これはあくまでも一般論、原則論でしかないのですが、《語り手》と《語り》の対象との間に、時間的・空間的な一種のパースペクティブ(遠近法)な《距離》がありますから、これが《語り手》に作用して、語る対象としての素材・題材をより抽象化や類型化させやすいと言えるかもしれません。

「こころ」の場合、主人公の《語り手》は帝大を卒業して間もない理想主義者で、人間的にも真面目で誠実だが、まだ人生や社会の裏表を十分には理解できていない、良くも悪くも観念先行型、頭デッカチの田舎青年というキャラクターを与えられていますよね。
その点では、テーマは違いますが、やはり熊本出身の三四郞が良くも悪くも文明開化の光と影を具象化し、自我意識に目覚めた、男勝りの超美人の美禰子に翻弄されつつ自己形成していくのと通底するところがありますよね。

この三四郞が「先生」という人物とたまたま鎌倉の海水浴場で出遭い、持ち前の愚直さで先生の人柄に惚れ込み、最終的に「先生」の「遺書」の差し宛人として遇されるだけの信頼を勝ち取った結果、「明治の精神に殉死」した先生によって自分の後継者として、新しい時代《=大正》を生きていくことを託され、そのための《宿題》としての「遺書」を委ねられたと解することができます。

このような「こころ」の《語り手》としては、あくまでも「先生の遺書」を受取り、それを読んで驚愕した時点から時間を遡るようにして先生と自分との関係を反性的に捉え直す必要性に迫られたはずですから、それ以外のこと、登場人物等のプライバシー等が《語り手》の興味・関心の対象外だったとしても何ら不思議ではないですよね。
だから、「登場人物は、ほとんどが代名詞」であっても全然構わなかったと言えるのではないでしょうか。
彼の興味・関心はひとえに先生の「明治の精神に殉死」する必然性を自分自身の人生の課題として受け止め、その真相を明らかにすることに向けられていたはずでして、これを一種の手記の形にまとめ上げ、読者に披瀝することで、問題意識の共有を求めようとしたとは考えられないでしょうか。

ということで、「こころ」では「登場人物は、ほとんどが代名詞で表されています」ことだけに限らず、彼らのプライベートな側面を描くにしても、実は物語を展開していく上での必要最小限の範囲内に限られていると言えるはずです。
だから、「静」にせよ、「お光」にせよ、地の文の中ではなく、会話文の中でしか使用されていませんよね。
やはり、《語り手=主人公》の興味・関心があくまでも、自分の人生の師である「先生」の自殺の動機、必然性だけに向けられていたからと説明するしかないような気がします。

ただし、以上のように考えれば考えるほど引っ掛からざるを得ないのは、冒頭の以下の一節でして、これをどう解釈するかについては、質問者さんご自身に委ねたいと思います。

「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。」

なお、「こころ」を「ジェンダー論と絡めて考察」なさるのも結構ですが、漱石が生涯を通じて凝視していたのは、「ジェンダー論」のはるか彼方でチラチラする、より困難な課題であったことだけは忘れてはいけないと思います。
もし、「ジェンダー論」的な視点からということなら、「こころ」よりも「虞美人草」、「道草」、「明暗」等の方が恰好な材料を提供してくれるかもしれません。
「こころ」は「三四郞」と並んで、一種の教養小説(Bildungsroman自己形成小説)と評した方がより適切であるような気がします。

>この作品の登場人物は、ほとんどが代名詞で表されていますが、

「こころ」は、漱石の長篇小説の中では、唯一一人称による語り(回想)によって物語が展開されていくという形式を採用していますよね。
こういう場合、これはあくまでも一般論、原則論でしかないのですが、《語り手》と《語り》の対象との間に、時間的・空間的な一種のパースペクティブ(遠近法)な《距離》がありますから、これが《語り手》に作用して、語る対象としての素材・題材をより抽象化や類型化させやすいと言えるかもしれません。

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Q夏目漱石「こころ」で「先生」が自殺する原因は?

夏目漱石「こころ」で「先生」が自殺する原因は?
昔、「こころ」をドキドキしながら読んだ記憶があります。
あんなに小説に引き込まれたのは初めてですが、結論に納得出来ないものを感じます。
結局、「先生」は友人を裏切った良心の呵責に耐えかねて自殺しただけなんでしょうか?
将来に対する明るいメッセージはないのでしょうか?

Aベストアンサー

思うに、高校の教科書のいずれもが、「先生と遺書」中の先生がKを出し抜いてお嬢さんと婚約し、その後Kが自殺するという箇所を採用してきたがために、多くの読者も、

>結局、「先生」は友人を裏切った良心の呵責に耐えかねて自殺しただけなんでしょうか?

という疑問に囚われざるを得なくなるのではないでしょうか。
そして、いつまでたっても、どこか「結論に納得出来ないものを感じます」という違和感を持ち続けざるを得ないのではないでしょうか。

でも、虚心坦懐に「こころ」全体を読んでみれば、この小説には、質問者さんがおっしゃるように、まさに「将来に対する明るいメッセージ」に満ちていることが浮き彫りになってくるはず、と私には思われてなりません。

思うに、この小説の最大の謎は、先生が、妻にも明かせない、自分の最重要な内奥の秘密を綴った《遺書》を、ほかでもなく、田舎出の、世間知らずで、勝手に先生に魅了され、勝手に先生宅に押しかけ、勝手に先生を師と仰ぐ、やや青臭さく、思慮の浅い、しかし理想家肌の一青年に託そうとしたのはなぜか?という点にあるのではないでしょうか。

で、その前に「「先生」が自殺する原因は?」となると、先生がKを出し抜く形でお嬢さんと婚約したことは、大正以降の日本人の常識的な倫理規範に照らして、特に恥ずべき行為ではないにせよ、「明治の精神」(封建道徳)に照らす限り、許すべからざる行為であったが故に、乃木将軍が明治天皇に殉死したことに触発され、「明治の精神」に殉ずる形で自殺することを選んだと解しうるのではないでしょうか。

ただし、漱石自身となると、「明治の精神」を単純に賛美していたわけでも、時代遅れの旧道徳と蔑んでいたわけでもないことは、「現代日本の開化」からして明らかでしょうね。
「明治の精神」には、封建道徳だけではなく、文明開化と同時に流入してきた個人主義思想も含まれていたはずですが、かつて信頼していた叔父によって父親の遺産を横領され、その後自分を信頼してくれていたKを裏切るという経験をした先生としては、西洋近代思想である個人主義をとても手放しでは容認できなかったはずです。
となると、この自らのエゴイズムを罰するには、やはり「明治の精神」に殉じるという方法しかなかったのではないでしょうか。

その上で、先生が自殺に至るまでの生き様や経緯を告白した遺書を、主人公の「私」に宛てた動機や理由を考えてみますと、主人公がまだ思慮が浅くとも、理想家肌の青年であることからして、先生はこの青年に、自分の精神上の息子として、自分に代わって新しい時代を生きてくれることを期待したのではないでしょうか。
その意味では、先生の遺書には、大正という新時代を生きる青年の指針、成長の糧となって欲しい、という先生の切なる祈念が込められていると言えるのではないでしょうか。

また、「こころ」という小説を、より主人公中心の視点、観点から眺めてみると、主人公が来るべき新時代を自立(自律)して生きていくための、一種の父親殺し(旧思想切り捨て)に通じるモチーフが潜在していると評することもできるかもしれませんね。
さらには、同じような意味で、「こころ」は「三四郎」と同様、主人公の人間的成長過程をテーマにした、一種のBildungsroman(教養小説)に通底する基本性格を持っていると評することもできます。

もし、「こころ」に以上のような解釈の可能性が内在しているとすれば、やはり、漱石の「将来に対する明るいメッセージ」が潜んでいると解してもあながち間違いではないと思います。

思うに、高校の教科書のいずれもが、「先生と遺書」中の先生がKを出し抜いてお嬢さんと婚約し、その後Kが自殺するという箇所を採用してきたがために、多くの読者も、

>結局、「先生」は友人を裏切った良心の呵責に耐えかねて自殺しただけなんでしょうか?

という疑問に囚われざるを得なくなるのではないでしょうか。
そして、いつまでたっても、どこか「結論に納得出来ないものを感じます」という違和感を持ち続けざるを得ないのではないでしょうか。

でも、虚心坦懐に「こころ」全体を読んでみれば、この小説...続きを読む

Q女性差別の具体的な例

具体的な女性差別の例を教えてください。
たとえば、男女混合名簿とか

Aベストアンサー

>具体的な女性差別の例を教えてください。

1)プロの女相撲の禁止(大正時代くらいまではあったんですが)
2)プロ野球への女性入団の禁止
(アメリカには女性の選手いるんですよね)
3)東大の教授の人事
(東大卒の女性教授はいますが、東大に女性の教授が
 いません)。
4)女性用風俗店の少なさ
 男性用の性風俗は沢山あるのに、女性用は
 あまりありません。女性だけの東南アジア向け  
 美少年売春ツアーがあるくらいですから、需要は
 少なくないはず。
5)女性の教育レベルの低さ
 今だに女は早く結婚させるべ、みたいなバカ親が
 いること自体信じがたいことですが、男性の
 大学院への進学率の上昇率に対して、女性の
 進学率が低すぎます。
  これについては社会的障害ではなく、親が女の子
 に十分な教育を行わないという差別をしている
 ことに間違いありません。
6)女子大の存在
  社会に出たら、男女平等に機会が与えられると
 同時に共に戦わなければならないかもしれないのに、
 大学という中等教育まで女性専用という箱入り娘
 的逆差別教育環境があるのはおかしいです。

>具体的な女性差別の例を教えてください。

1)プロの女相撲の禁止(大正時代くらいまではあったんですが)
2)プロ野球への女性入団の禁止
(アメリカには女性の選手いるんですよね)
3)東大の教授の人事
(東大卒の女性教授はいますが、東大に女性の教授が
 いません)。
4)女性用風俗店の少なさ
 男性用の性風俗は沢山あるのに、女性用は
 あまりありません。女性だけの東南アジア向け  
 美少年売春ツアーがあるくらいですから、需要は
 少なくないはず。
5)女性の教育レベルの...続きを読む

Q夏目漱石『こころ』はエゴイズムを描いたのか

似た質問がありますが、少し違う視点から質問しますので皆様、盆休みの間によろしくお願いします。

よく『こころ』はエゴイズムを描いた小説とされますが、何度読んでみてもどうもしっくり来ないのです。
先生のせいでKが自殺することになったのは確かです。けれど、先生はエゴをふりまくタイプではないし、もちろん自覚的なエゴイストではありません。
うまく表現できませんが、先生は何だか流されてそうなってしまった人といった印象を受けるので、普通イメージするような「エゴ」「エゴイズム」ということではくくれないような気がするのですが。
作者がエゴイズムを描いたとすると、どう解釈すればいいのでしょうか。また、他の解釈があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

『こころ』は人間の心に潜むエゴイズムを描いた小説である、と、自分の持っている文学事典にも載っていました。

この場合の“エゴイズム”は、
辞書にある“自己の利益を最優先させる態度”と取ればよいと思います。

先生は、Kの恋愛感情を知りながら、Kに自分の気持ちを告げることなく、先回りして、お嬢さんとの仲をまとめてしまった。
この行為が“エゴイズム”なんです。

いまの見方からすると、こういうことってあるよね、という感じではあるのですが。

この恋愛パターンは、中期三部作と言われる『それから』『門』にも出てきます。
『それから』では主人公代助は友人の妻である三千代に恋愛感情を持つ。
『門』での宗助は、友人の妻であった御米を妻にしている。

『こころ』でKが自殺しなかったらどうなっただろう、という仮定を、『門』の中に見ることもできます。
漱石は、宗助と御米の姦通に対して、宗助夫婦から富を奪い、健康を奪い、三人の子を奪うという、という残酷な刑罰を課しています。
漱石にとって、こうしたエゴイズムの発露は、許せないものだったんです。

当時でさえ、こうした漱石の倫理観には、反発する人もあったようで、谷崎潤一郎などは、若い頃“世の中というのは、もっとふしだらな、ルーズなものではなかったか”みたいなことを言っていたようです。

漱石は人間の心の奥深くに巣くうエゴイズムを暴こうとしました。それを白日の下に晒していけば、人々は反省し、自然で自由な世界へいくことができる。それが、後期の“則天去私”の心境とされています。
晩年の『明暗』を読むと、もっとその漱石流のエゴイズムがわかるかもしれません。

『こころ』は人間の心に潜むエゴイズムを描いた小説である、と、自分の持っている文学事典にも載っていました。

この場合の“エゴイズム”は、
辞書にある“自己の利益を最優先させる態度”と取ればよいと思います。

先生は、Kの恋愛感情を知りながら、Kに自分の気持ちを告げることなく、先回りして、お嬢さんとの仲をまとめてしまった。
この行為が“エゴイズム”なんです。

いまの見方からすると、こういうことってあるよね、という感じではあるのですが。

この恋愛パターンは、中期三部作と言われる『...続きを読む

Qこころ 夏目漱石

こんにちは。こころ、を読んだのですが疑問点が消えません。もしよければお力貸してください。

お嬢さん、についてです。彼女は先生とk、どちらが好きだったのでしょうか?
なぜ結婚は母親ひとりで決断したのでしょうか。
なぜkと二人であったり、こそこそしてたのでしょうか?
もしkが好きだとしたらなぜ先生と結婚したのでしょうか?
本文中に書いてあること、つまり根拠と一緒に教えてくださると助かります。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

1、彼女は先生とk、どちらが好きだったのでしょうか?
:先生だったのではないかと思います。
【根拠1】
まず、kの同居を奥さんが拒もうとします。これは、お嬢さんを含めた三角関係をあらかじめ防ごうとしたものでしょう(実際懸念したような結果になるわけですが)。
つまり、奥さんは、お嬢さんが先生を好きなことを知っていたということだろうと思います。
【根拠2】
kが来てからのことを考えてみます。
お嬢さんはkと2人だけでいるところを2、3度ほど先生に見られます。
そして、その時に先生の(恐らく)心配そうな顔を見て笑うという対応を何度かしたはずです。
これは、先生の嫉妬を茶化したということが言えると思います。
自分が先生に対して好意を持っていたからこそ、先生の好意も理解できたのでしょう。
仮に「自分が好意を持っていない人」の「自分に対する好意」を感じて笑ったのだとすれば、これは嘲笑になるわけで、作品中のお嬢さんがそこまで性悪な女性として描かれているとは思えません。
【根拠3】
kと2人でいるところを見てぎこちない対応よりできない先生を、「変な人だ」と皆の前で言います。
これは、「何の感情も持っていなければ普通に対応できるのに変な人だ。」という意味でしょう。
自分が好意を持っている相手の本音を確かめようとする(無意識の)常套手段であり、仮にkの方をすきだった場合にはこのような言い方はしないように思います。

2、なぜ結婚は母親ひとりで決断したのでしょうか。
:先に述べたようにお嬢さんが先生を好きなことは奥さんが良く知っていたからでしょう。
また、本人との話し合いも無しにという意味であれば、昔は親が一方的に決めることが不自然ではありませんでした。
中には見合い写真だけで結婚式の日まで相手の顔を見たことがない、などという極端な場合もあったようです。

3、なぜkと二人であったり、こそこそしてたのでしょうか?
:特にこそこそしていたわけではないと思います。
先生に嫉妬させるための策略という穿った見方もできますが、そこまで歪んだ性格の女性としては捉えられていないと思います。
元々は、kの気持ちがほぐれるように対応してくれと、先生から頼まれていたことでもありますし、多少興味はあったとしても恋心を持ったわけではないでしょう。
kの自殺に関して殆んど無頓着な感想しか持っていないことからみても、それは明らかなように思います。

4、もしkが好きだとしたらなぜ先生と結婚したのでしょうか?
:述べてきたように、個人的には元々先生の方が好きだったので先生と結婚したと思っています。
しかし、先生がもう少し消極的だったら、あるいはkがもっと積極的だったらどうなっていたか、神のみぞ知るといったところかもしれません。

1、彼女は先生とk、どちらが好きだったのでしょうか?
:先生だったのではないかと思います。
【根拠1】
まず、kの同居を奥さんが拒もうとします。これは、お嬢さんを含めた三角関係をあらかじめ防ごうとしたものでしょう(実際懸念したような結果になるわけですが)。
つまり、奥さんは、お嬢さんが先生を好きなことを知っていたということだろうと思います。
【根拠2】
kが来てからのことを考えてみます。
お嬢さんはkと2人だけでいるところを2、3度ほど先生に見られます。
そして、その時に...続きを読む

Q指定校においての欠席日数

指定校推薦の場合においての欠席日数ってやはりとても重要でしょうか?
7日間欠席+1回遅刻+3日インフルエンザ なんですが…。

先生に聞いたのですが、先生によって答え方がまちまちで困ってます。

去年の担任:「評定重視。欠席日数は評定が同じだった場合に見る。一週間程度ならOK。」
今年の担任:「評定第一。でも欠席日数や委員会活動は重要参考資料。」
別の先生:「0.1の差が覆ることはもしかしたらあるかもしれないが、0.2の差は絶対に覆らない。」

先生によって全く違う答えが返ってくるので(もしくは曖昧に言われるか)
どれが真実なのか全くわかりません。

このへんに詳しい方、返答願います

ちなみに評定は4.7で学習院法学部狙っています。

Aベストアンサー

私立大学の教員をしているものです。学習院ではありません (-_-)

指定校推薦についていろいろお悩みのようですね。質問者さんの以前の質問については、教育業界の者としてはちょっと、、、と思ったりもしたのですが、たぶんかなり不安な気持ちなのでしょう。そう考えれば、理解できなくもありません。

#1さんもお答えになっていますが、通常、指定校推薦というのは、高校から推薦されて願書を出すところまで行けば、原則として合格します。不合格はごくごく例外的です。私の大学では、指定校推薦の受験生を落とした場合は学部長か学長の名前で説明書だか詫び状だかを出すような問題です。逆に「こんなヤツをよこすなんて、ふざけんな!」という感じで指定校の指定を取り消すこともありますが、いずれにしても大問題だ、ということですね。

高校の中でどういう基準で指定校の枠を埋めるか、というのは、ルールの問題ではなく、純粋に各高校の裁量の問題です。しかし、私は、高校の先生方は最大限に良識的に、公平に、学習状況を総合的に評価して、推薦の枠を決めていると思います。「ひいき」とか「ごまかし」とか「不正」とか「いいかげん」とかそういったことは、ほとんどないと思います。もちろん調べたわけではありませんよ。調べることは不可能でしょうし。じゃあどうしてそう思うのかというと、「ひいき」「ごまかし」「不正」をするよりも、公正・公平・客観的にやったほうが「楽」だからです。手間がかからないのです。悩まなくて済むのです。特に得になるわけではないでしょうが、少なくとも損にはなりません。何年も教員をやってきて、これからも教員を続けていく人にとっては、そういうことってとても大事なんですよね。

公正・公平な処理が、ある特定の生徒にとっては不利に働くことはあります。たとえば(!)生徒会活動を考慮に入れれば、生徒会に無縁だった生徒さんは不満でしょう。その生徒さんは「ひいきだ」「不正だ」「ごまかしだ」と叫びたくもなるでしょう。しかし生徒会活動は正規の学校教育活動なのです。同様に部活動の成績、校外のボランティア活動、おたずねの欠席日数、どれをとっても有利に働く面もあれば不利に働く面もある、ということはご理解頂けるのではないでしょうか。このことを理解しない人たちが、根拠のない「うわさ」を流し、広める。私はそう考えています。ばかげたことです。

法学部志望とのことですから、あえて裁判から例をとれば、むかし「内申書裁判」として知られるある事案で、裁判所は「すべての生徒にとって有利な調査書制度などというものは想定できない」という(実に当たり前の)判断を下したことがあります。自分の現状にとって有利なように判断の基準を定めようという発想は、法学的ではありません (^^;

長々と、失礼しました。最後にひとつ、老婆心ながらアドバイス。学習院の指定校推薦枠を持っているような高校で評定平均が4.7もあるのでしたら(これは本当にすんごい成績ですよね!)、ふつうは学習院には(少なくとも推薦では)行かない。いってもきっと失望する。受験常識的にはそう考えると思います。もちろん、学習院が好き、目白の町が好き、という気持ちは大学ランキングなんかよりはるかに重要です。それは間違いありません。ただし、高校の進路指導の先生ももしかしたらそういう(ランキング重視の)発想で質問者さんの推薦をリジェクトするかもしれません。質問者さんに学習院じゃ役不足だって考えるわけですね (^^;; 「役不足」は、この場合、「本来の意味」で理解されるべきです。

私立大学の教員をしているものです。学習院ではありません (-_-)

指定校推薦についていろいろお悩みのようですね。質問者さんの以前の質問については、教育業界の者としてはちょっと、、、と思ったりもしたのですが、たぶんかなり不安な気持ちなのでしょう。そう考えれば、理解できなくもありません。

#1さんもお答えになっていますが、通常、指定校推薦というのは、高校から推薦されて願書を出すところまで行けば、原則として合格します。不合格はごくごく例外的です。私の大学では、指定校推薦の受験生...続きを読む

Q水素結合とはどういうものですか?

現在、化学を勉強している者です。水素結合についての説明が理解できません。わかりやすく教えていただけないでしょうか?また、水素結合に特徴があったらそれもよろしくお願いします。

Aベストアンサー

要は、「電気陰性度の大きい原子に結合した水素と、電気陰性度の大きい原子の間の静電的な引力」です。
電気陰性度の大きい原子というのは、事実上、F,O,Nと考えて良いでしょう。
電気陰性度の大きい原子と結合した水素上には正電荷(δ+)が生じます。また、電気陰性度の大きい原子上には負電荷(δー)が存在します。

水素が他の原子と違うのは、その価電子が1個しかないことです。つまり、他のイオンとは異なり、H+というのは原子核(通常は陽子)のみになります。他のイオンの場合には、内側にも電子格殻が存在しますので、原子格がむき出しになることはありません。
ご存じと思いますが、原子核というのは原子のサイズに比べてはるかに小さいために、H+というのは他のイオンとは比べ物にならないほど小さいといえます。もちろん、正電荷を持つ水素というのは水素イオンとは異なりますので、原子殻がむき出しになっているわけではありませんが、電子が電気陰性度の大きい原子に引き寄せられているために、むき出しに近い状態になり、非常に小さい空間に正電荷が密集することになります。
そこに、他の電気陰性度の大きい原子のδーが接近すれば、静電的な引力が生じるということです。
そのときの、水素は通常の水素原子に比べても小さいために、水素結合の結合角は180度に近くなります。つまり、2個の球(電気陰性度の大きい原子)が非常に小さな球(水素原子)を介してつながれば、直線状にならざるを得ないということです。

要は、「電気陰性度の大きい原子に結合した水素と、電気陰性度の大きい原子の間の静電的な引力」です。
電気陰性度の大きい原子というのは、事実上、F,O,Nと考えて良いでしょう。
電気陰性度の大きい原子と結合した水素上には正電荷(δ+)が生じます。また、電気陰性度の大きい原子上には負電荷(δー)が存在します。

水素が他の原子と違うのは、その価電子が1個しかないことです。つまり、他のイオンとは異なり、H+というのは原子核(通常は陽子)のみになります。他のイオンの場合には、内側にも電子格殻...続きを読む


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