中国の国名は隋唐清…などいろいろ変わってますよね?
国の名前が変わるというのは、日本で言うとどういう時なのでしょうか?
ヨーロッパでみると、ローマ帝国や神聖ローマ帝国など今はもう無い国が存在しました。ある時から、現在もある例えばイングランド、フランス、イタリアなどがでてきました。それぞれの中で王朝や王は変わっていますが、名前は変わっていませんよね?日本も、平氏、源氏、豊臣、徳川、明治政府と支配者が変わっても、日本と言う国は変わっていませんよね?
一方で中国はちょいちょい名前が変わっています。これはどういう意味なのでしょうか?これが一点目。もう少し抽象的に、国の名前が変わる、というのは一般的にどういう時なのでしょうか。
歴史初心者なので愚かな質問になっているかもしれませんが、宜しくお願いします。
A 回答 (15件中11~15件)
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No.11
- 回答日時:
上記より主な引用
「東方的な君主制と共和制以来の「インペラトル」、そして、キリスト教の思想が結びつき、「元老院・市民・軍隊の推戴」をうけた「神の代理人」である皇帝が「全世界の主」として統治するという体制が築かれた。」
「西ヨーロッパ諸国は古代末期から8世紀までは、名目上コンスタンティノポリスにいるローマ皇帝(上記のように、通常「東ローマ皇帝」「ビザンツ皇帝」などと呼ぶ)の権威に服し、各国の王は皇帝の代理として旧西ローマ帝国領を統治するという形態をとっていた。しかし、7世紀以降イスラムやスラヴ人の侵攻によってコンスタンティノポリスの帝国政府の力が弱まり、また、ローマ教皇とコンスタンティノポリス総主教の宗教的対立や、ラテン語圏の西欧とギリシア語圏の東ローマの文化的な対立などから旧東西ローマ帝国の亀裂が深まっていった。そこで、ローマ教皇はフランク王カールを「ローマ皇帝」に戴冠し、コンスタンティノポリスの皇帝からの独立を図った。これがカール大帝の「西ローマ帝国」であり、その後継者を名乗る神聖ローマ帝国である。」
あるいは カール五世の称号
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC% …
Charles, by the grace of God, Holy Roman Emperor, forever August, King of Germany, King of Italy, 以下略
August までとそれ以下とでは、表記方法が違う、つまり意味が違います。
後半部は ○○という領域の 王 であるのに対して、前半部は違っているのです。
チャールズ 神の御名において 聖なるローマの皇帝 永遠なるアウグスッス ドイツの王 イタリアの王 以下略
なので、歴史地図なので 神聖ローマ帝国の領域・・・なんて表示されているのは、簡略化しているだけです。
地上の聖俗において聖のすべてを統治するのがローマ教皇で俗のすべてを統治するのがローマ皇帝。
という構造になっています。
回答ありがとうございます。
すべての回答にコメントを付すのが大変になってきたので、まとめてNo.15さんの回答に書かせていただきます。
No.12
- 回答日時:
#5、#7です。
遅まきながら質問者様の質問の核心がようやく見えてきた気がします。
#8補足2.3.4.の国名が変わる理由についてですが、まず国名が変わる理由についてです。
原則としては、支配者が変わる、政体が変わる、その他の理由で変わるとどれもありえるのです。
日本の場合、幕府や明治維新などがあっても、政治は天皇が任命した者が行うということは、まったく変化していません。これは支配者が変化していないということで、日本はずっと日本なのです。
しかし地域によっては変化の仕方に特徴があります。
中国の場合は、支配者が変わると必ず名前が変わりました。また中国といっても常に全土を統一した王朝があったわけではなく、三国時代などいくつかの国に分裂していた時代もあります。
中国の場合、古代から律令制で官僚は国が分裂、統一されても新しい支配者に忠誠を誓うことでそのままの職務に残ることも多かったため必ず新しい国名をつけて命令が下されたこと、易姓革命で違う名前をつける文化があったことなどがあげられます。
日本人もなるべく人と違う名前をつけたがりますが、国名も滅ぼした国とおなじ名前はイヤなので必ず新しく付け直したという文化的な要素もあるのです。
ヨーロッパにおいては、どの地域を「誰が」支配するか、というのはかなり複雑な内容であり、先に書いたように貴族は横のつながりもありましたので、支配者一族の名前をつけるよりも、地域の名前をつけるほうが便利だったという理由もあります。
資料をということですので、ウイーン会議で認められた国の支配者一族の名称の一覧を見てください。同じ苗字がいっぱい出てきます。
http://www1.ncv.ne.jp/~amu/page041.html
たとえばフランス王国もスペイン王国も同じブルボン家が治めた地域ですので、ブルボン王国という名前ではどちらの地域なのか分からなくなってしまうのです。そのため、地域名称を多用することになるのです。
その当時ドイツで各国をどのように呼んでいたかは
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/ …
をご覧ください。フランス王国はKGR. FRANKREICH(カーゲーアー.フランクリッヒ)です。
ほぼ同時期を表示したイタリア語での表記地図
http://moterma.altervista.org/Tesina/Images/L'Eu …
フランス王国はREGNO.DI.FRANCIA(レグノ.デ.フランシア)
同時期、各国の支配者は自分の国をどう定義していたか、というとたとえばロシアは
Российская империя(ラスィーイスカヤ・インピェーリヤ)「ロシア帝国」
と定めていました。ところが同じヨーロッパでも他国はキリル文字を採用していませんので、まったく読むことも書くこともできないことになります。
国境を接した、隣の国であっても文字が違えば正式な名称を記載することは不可能です。ですので、この時点で通名が利用されることになってしまうのです。
これを踏まえると#8の補足1.の理由を説明することができます。
各国の教科書に国名を採用するには、どの言語の発音を利用するかも検討対象になってしまうということです。変化しないと教わるわけではなく「教科書レベルでは変化するという内容まで教えられない。通名で対処せざるを得ない」というのが事実なのです。中国の古代でも同様で、隋、唐などと習いますが、発音は日本語読みであり、通名であることには違いはなく、イギリス・オランダなどの日本の教科書に出てくる通名は江戸時代に日本で流通するようになった名前です。
国名というのはその実態をつかむのがどれくらい難しいか、お分かりいただけたでしょうか。
国名は支配者が変われば改名される、のは原則です。しかし、後から学習するのにその実態を知るには、知りたい国の言語まで合わせて学習しないと無理なのです。
一応地域によっては次のような取扱になってはいます。
・ヨーロッパのような統一された地域では、発音がほとんど同じなので、表記はそれに近い各国語で書く
・漢字文化圏は、各国の発音がかけ離れているので(中国は現在でも地域によって通じないことがある)漢字で書いたら、あとは各国語で好きに読む
・その他の独立した文字などを持つ国は、自国語で正式名を書いたら後は回りが通名を使うのを許す
結局歴史を学ぶ場合は「歴史の本質」の理解が重要であり、名前の重要度は低いのです。そのため、理解の妨げにならない程度に様々な名前・通名が利用されることになるのです。
回答ありがとうございます。
すべての回答にコメントを付すのが大変になってきたので、まとめてNo.15さんの回答に書かせていただきます。
No.13
- 回答日時:
雑文失礼します。
1.国の名前が変わるというのは日本で言うとどういう時なのでしょうか?
Ans 天皇家に関わる人が統治権を失い、異民族が支配した場合
つまり易姓革命です。日本は皇統が堪えた事はまぁちょっとありますがまったくの異民族が支配した時代はありませんので固有名称も変わりません。
2.イングランドやフランスの国名が変わらないのはなぜ?
Ansアングロ・サクソン人の王朝が絶えなかった。フランク族の王朝が絶えなかった。
支配権をもつ民族の血が変わらない為国名の変更がなかったとまとめます。
3.日本も支配者が変わったのに名前がかわらないのはなぜ?
Ans 日本で支配者が変わった事はありません。
幕府というのは天皇から将軍宣下を受け征夷大将軍(戦争中に置かれた臨時職)に任命された人が開くことのできる行政機構です。外交と神事は国が行うが、戦争に勝つ為に臨時に軍事・内政を天皇が委任するという考えから生まれたものです。
征夷大将軍はあくまで天皇の代理であって支配者ではありません。故に国名も変わりません。
幕末の混乱はこういう事情からもたらされました。
4.中国はちょいちょい名前が変わっています。これはどういう意味か
Ans 生活習慣も言葉もことなり、まったく共通の基盤を欠く異民族が王朝をひらいた場合
殷周は根底は同じ、秦も漢も根底は同じ、晋からは異民族が跋扈してくるという事情。
例えば漢民族を圧倒した清朝。
少数の蒙古族が大多数の漢族を長く支配した王朝ですが
異民族が"漢"を踏襲するのは不都合が生じます。みんなが漢といえば劉さんだべ!と思い込んでいたら劉さんの命令を聞いて新しい王朝の命令は聞きません。
易姓革命は統治者の変更を知らせることにもなったし、手っ取り早いのが氏姓だった。
この理由から、他の文明とは違う歴史が刻まれたのでしょう。
漢といえば劉さんと言うように、無教養な者でも氏姓が理解できたこともあるでしょう。
徳の考え方はこのようなものだと思います。
5.抽象的に国の名前が変わるというのは一般的にどういうことなのでしょうか。
Ans うーんいろいろなケースがあるけど中国の場合は易姓革命時 日本の場合は皇統断絶時 西洋の場合は民族が消滅した場合や併合された、或いは独立した場合 (ワロニア人やフラマン人のような民族もあるので)
現代では、民族の独立を承認されたか政治形態が変わったかですかね。
チェコやポーランドの歴史を少し見てみればなんとなくわかると思いますよ。
消滅しては復活するたくましさに惚れ惚れしますよ
回答ありがとうございます。
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No.14
- 回答日時:
#2,#8のCaromsです。
皆さん長文で熱く語られるので、読むのが大変ですねー。
まず、本題の中国の国名変更の意味から整理しましょう。中国は日本と違った意味で非常に特殊な例なんです。まず、Wikiから易姓革命の記述を引用します。(西洋との違いの答えでもあります)
(長いので多少不要な部分を削ります。)
『天は己に成り代わって王朝に地上を治めさせるが、徳を失った現在の王朝に天が見切りをつけたとき、革命(天命を革(あらた)める)が起きるとされた。それを悟って、君主(天子)が自ら位を譲るのを禅譲、武力によって追放されることを放伐といった。
後漢(劉氏)から魏(曹氏)のように、前王朝が徳を失い、新たな徳を備えた一族が新王朝を立てる(姓が易(か)わる)というのが基本的な考え方であり、日本で言われているような「単に前王朝の皇室が男系の皇嗣を失って皇統が断絶する」ような状況を指す概念ではない。中国においても例は少ないながらも別姓の養子に皇帝の位を継承した五代の後周のような例もあり、血統の断絶ではなく、徳の断絶が易姓革命の根拠となる。
易姓革命論は実体としては王朝交代を正当化する理論として機能していたと言える。またこのような理論があったからこそ劉邦や朱元璋のような平民からの成り上がり者の支配を正当化することが出来たとも言える。これは西洋において長年にわたって君主の血統が最も重視され、君主の血統が断絶すると他国の君主の血族から新しい王を迎えて新王朝を興すのとは対照的である。』
つまり、天命(=大義名分)を得て、王統が交代することにより、新国家が旧国家に成り代わって誕生することを、中国は古くは堯舜から新しくは清に至るまで続けてきた訳です。
万世一系の天皇が売りの日本とは事情が完全に異なります。天皇は「象徴」とされたことにより、「帝国」の主から、理屈の上では日本国そのものになったのですから。
イギリスの件は、日本に伝わった最初の名称から「英吉利=イングランド」であり、イングリッシュが英国語として認識され、首都ロンドンもイギリス正教会もイングランドにあるのですから、もうそれでいいのではないかという気がします。(イギリス人自身には違うのでしょうが)
あと、フランスの国名が変わってきたと書いたのは、「政体が変わったから」というまさにその通りです。フランス革命後、まず「フランス共和国」に変わり、ナポレオンが皇帝になって「フランス帝国」となり、王政復古・七月革命で「フランス王国」が復活し、第二共和制でまた「フランス共和国」その後帝政が復活して「フランス帝国」第三共和制でまた「フランス共和国」、第二次大戦で一度は国を失い、「自由フランス」の奮闘により、大戦後、現在の「フランス共和国」が復活しました。
こんな千変万化が単なる政体の変化であるわけがありません。フランス国民は王国の民・帝国の一員・共和政府の一員・亡国の民・救国の英雄までのすべての状態を短期間に経験してきたのです。
そんな変化の中で国民がすがったのは、フランスという故郷の名だけだったでしょう。
結局、国名変化を分類し法則化することは可能なのでしょうか。国名はその所属民のアイデンティティです。そこには思想があり、執着があります。こうあってほしいという夢が籠められているのです。
回答ありがとうございます。
すべての回答にコメントを付すのが大変になってきたので、まとめてNo.15さんの回答に書かせていただきます。
No.15
- 回答日時:
既に、多くの方々から様々な回答が寄せられております中、いきなり元に戻ってしまうような回答になりますが、歴史を語る上で、隋・唐・清といったものは『国名』と考えるのは、一般的なのでしょうか?
形式論は後に述べるとして、一般的には、王朝名と考えるように思います。
「漢」(紀元前202年~220年)を例にします。
Gooの国語辞典では、「中国古代の王朝」となっています。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/47311/m0u/% …
Yahoo百科事典でも「秦(しん)に次いで中国を統一し支配した王朝(前202~後220)。」です。
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%BC%A2/
Britannicaでも、Han Dynasty(漢王朝)です。
http://www.britannica.com/EBchecked/topic/253872 …
因みに、イングランドのチューダー朝は、Britannicaでは、記事の見出しこそ、House of Tudorですが、やはり「an English royal dynasty」とされています。
http://www.britannica.com/EBchecked/topic/608456 …
私が学校で歴史を習ったのは、もう○十年前なのでよく覚えていませんが、今の私の知識から、敢えて「隋・唐を国名と捉える」場合の根拠を探せば、形式論(&それに伴う結果としての外交上の取扱もあった?)を思いつきます。
形式論とは、以下のような事です。
古代中国(殷・周の時代)は、ある種「都市国家」のようなものが数多くあり、その中の殷・周が、本家・分家といった形で、非常に緩やかな支配関係を、その他の都市国家に及ぼしていました。その中で、諸侯と呼ばれる立場の有力者のもつ、城壁で囲まれた都市を「国」と呼びました。
そこらへんの事は、Wikiの邑部の項で説明されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%91%E9%83%A8
因みに、大きな漢和辞典で「国」の意味を調べると、その中に、「諸侯の領土」、「都、首都」というものがあります。(今日、本屋の立ち読みで、何冊か調べてみて確認してきました。)
その後、春秋戦国時代になると、周の、他の都市国家を支配する力が弱くなる一方で、秦といった『国』が、領土を拡大しかつ領土内での支配力を高めました。そして、秦が中国を統一したのはご存知の通りです。秦の統一は15年程で崩壊し、項羽と劉邦の争いを経て、劉邦が「漢」という王朝を始めたわけですが、この「漢」という王朝名も、劉邦が項羽によって漢中王の地位&領域支配権を与えられた事から来ています。漢の最初の頃は、斉・楚といった春秋戦国時代の「国」が復活(秦は、「国」をおかず、郡県制をひいた)、王が任命され、かなりの程度の独立性も認められていましたが、これも、呉楚七国の乱などを通じて、徐々に「国」の独立性、その支配者としての「王」の力は弱められ、徐々に「王」は、領域支配権のない称号に近づいていきます。しかし、その後も、王朝名は、地名を起源とするとする伝統は、例外はあるにせよ、長く維持される事になりました。三国時代の魏は、曹操が魏公(=その後魏王)になった事に由来しますが、曹操の本拠であるギョウ(業におおざと)は、春秋戦国時代は、「国」の一つである魏の領域にあったので、全く根拠の無いものではありません。(私の知る限りでは、元、明、清は、地名起源ではありません。遼、金もたぶん違うと思います。)
というわけで、中国の王朝名は、形式論で言えば、春秋戦国時代の「国名」を受け継いだもの、といえます。そして、それが伝統に則った名前であるが故に、外交上もそれが使われた、というのは言えるかも知れません。(とはいっても、中国が、外交上王朝名を使った、というのは、日本が中国に派遣した外交使節を、遣唐使と呼んだり、延喜式に新羅とならんで大唐という国名があることからの、私個人の類推です。)
「中国で国名が変わるのはなぜか」というご質問に対する、私の回答は以上の通りです。
回答ありがとうございます。
こちらにまとめてお礼とコメントをしたいと思います。
まず、素人の素朴な質問に皆様丁寧に回答してくださり、本当にありがとうございます。
また、お礼が遅れて大変申し訳ありませんでした。
さて、最終的に一つの回答ができあがったかな、と思っています。
つまり以下のように言えるのではないでしょうか。
各地域に、地域の名前がある。
支配者がそこを支配する際に、国名や王朝名を付ける。
これは、支配者が変わるたびに変更される。
ヨーロッパ、中国、日本それぞれで、国名・王朝名と地域名の間の関係は異なる。
日本で歴史の概略を学ぶ際、中国は地域名よりも国名(王朝名)が焦点を当てて紹介され、ヨーロッパは地域名をベースに国名・王朝名が紹介されるため、中国では国名が変わるのにヨーロッパでは国名(実は地域名)が変わらないという印象を私が持ってしまった。ということでしょうか。
ヨーロッパ諸国で、ヨーロッパおよび中国の歴史を教える際に国名・王朝名と地域名の関係をどのように教えているのか、また日本周辺の国で日本のそれをどのように教えているのかが気になりますが、とりあえずはここまでとします!
ありがとうございました!
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