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私は友達の恋を素直に応援できません。

その友達は話も合うし、おもしろいし、すっごく優しいし
私は大好きです。

恋がかなったときは友達は彼氏がいないのにもかかわらず
とっても応援してくれて自分の事のように喜んでくれるし
のろけも嫌な顔せずいつでも聞いてくれます。

しかし私はテストや部活でいいことがあったときには
素直に喜んであげることができるのですが、
恋の事になるとどうしても応援してあげることができません。

私の恋がうまくいっていないということもあるかもしれませんが
私は根性が悪いのでしょうか。

またどんな考え方をすれば応援することができるようになりますか。

A 回答 (2件)

>私は根性が悪いのでしょうか。



そんなことはないですよ。

すごく素直で正直な気持ちなので、人間として当たり前の感情かも。
そのことで自分を責めたりすることはしなくていいと思います。

誰だって、そんな気持ちになると思いますしね。
(ただ、”人と自分を比べない”でいられるようになれたら楽になれるけど・・なかなか難しいものです;)

友達が「彼氏がいない」時と
あなたが「彼氏がいて、うまくいってない」時では、
聞く立場になった時の心境も違うとも思います。

>私の恋がうまくいっていないということもあるかもしれませんが

たぶん、あなたの恋がうまくいってたら、また違いますよね?

本当は応援してあげたいのに、できないから悩んでるわけですもんね。

すこし友達の立場に立って考えてみたら、
彼氏がいなかったのに(本当の気持ちを隠してたかもです)
あなたの応援をしてくれてた大切な友達ですよね?

でも、あなたは今は、自分の恋がうまくいってない・・だけど応援したい・・。
そのことは、きっと理解してくれてると思います。(でも友達も寂しく思ってるかも。)

「すっごく応援したいけど、でも自分のことで、いっぱいいっぱいで」みたいなことを
素直に伝えてみるのもいいかもしれないし、
今は、無理せず応援できる範囲で応援してみてはどうでしょう。
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こんにちは。



とても素敵な友達ですね。

ご相談の文章をちょっとひねった読み方をしてみます。 どんなふうに思われるかな。

●その友達は、あなたの話に合わせてくれて、あなたを面白がらせよう、優しくして
 あげようといつも努力していた。 自分は彼氏がいないのに、あなたの恋愛を
 とても応援してくれて、自分のことのように喜んであげた。 あなたののろけ話も
 嫌な顔を見せることなく、あなたが話したいときにはいつも聞いてくれた。

●あなたはその友達のことを「彼氏いないよね」と考えながら、「私の恋愛自慢話で
 嫌な気持ちになるかもね」と思いながら、「今も彼を自慢したい嬉しい事が
 あったから、彼女に良かったねと褒めてもらおう。あたしが幸せだ、って
 羨ましそうに言ってもらおう」と何度も彼女にのろけ話を聞かせた。

●やがてあなたの恋愛は壊れそうになりあなたは幸せを感じられなくなった。
 そんな時、彼女に恋人が出来た。 あなたはとても不愉快で、彼女の恋が失敗すれば
 いい、と考えているのかも知れない。

とても意地悪な文章に見えると思いますが、あなたが書いたことを少しだけ客観的に
並べ替えただけなのです。

いかがでしょう? 既にご相談の文章の中にあなたの人柄がぼんやり描かれています。

あなたが彼女を好きだと思うのは、自分を大切にしてくれる人だからでは?
彼女の人間的に良く出来た部分を尊敬し、尚かつあなたの友情が彼女にとって
とても大切なもので、あなたもまた彼女から尊敬されている。 そんな友情なら
あなたも彼女の恋愛を心から祝福して上げられるものです。
例えあなたが失恋中であろうとも。

私は女同士の友情、というものを当たり前のものとして信じるタイプの人間です。
だから、恋愛(勿論、同じ男性を好きになったりしたら難しい問題ですが)とは
別に、お互いを大切に思い、ずっと付き合って生きたいと思う。 友情とはそういう
ものだと思うのです。

、ということは、冷静に考えてみると少し怖い結論が導かれます。

彼女はあなたを気遣い、大切な友人だと思っているかも知れませんが、貴方は本心では
彼女を友情の絆で結ばれた親友だとは、実は思っていない可能性がある、ということです。

あなたより女っぷりが劣る「自分の後ろを歩いていた女」とか、或いは
「今、自分の前を歩いている女」と見ている可能性がある、ということです。
勿論、それでも友達 もしくはライバルには違いありません。

でも、いつも自分にいい思いをさせてくれるから楽しい、好き、というのが友達の条件か
というと、それは違います。

自分より下だと内心見下していた人間が自分より地位が高くなったり価値のあるものを
手に入れたりすると、猛烈に腹が立つ、という心理が人間にはあります。
馬鹿にしていた人間よりも自分が下だと思うことに耐え難い苦痛を感じるのです。
裏を返せば、その怒りに比例して、内心では相手を軽蔑していた、とも言えます。

また、他人が自分より幸せかどうかに一喜一憂しているタイプの人には、自分が
幸福でない時に他人が幸福であることに耐え難い惨めさ、孤独、屈辱を感じる者も
いるでしょう。 つまり、心の底の魂の基盤が安定しておらず、他人と自分を比べて
ぐらぐらしながら生きているような気持ちの人も、同様に他人の幸せが自分の不幸に
思えます。

でも、あなたが特別なわけではなく、昔から「他人の不幸は蜜の味」なんていう酷い
言い伝えも世界中にありますから、人間の一般的な性質だともいえますね。

さて。

人間誰だって上手く行かないとき、失敗して辛いときが無数にあるものです。
でも、それは運が悪かったり自業自得だったり、様々な理由があるけれど、
他人には関係の無いことです。 例え友達でも替わってあげることは出来ないし、
また、替わってあげようとすべきことでもありません。 それぞれの人生ですから。

自分も辛い思いを沢山して頑張って生きてきて、他人の痛みや苦しみが自分のことに
置き換えて感じることが出来て、人は結局自分で頑張るしかないんだ、替わってあげる
ことはできないんだ、と良く判っているから、せめて一生懸命に相談に乗ってあげよう、
力付けて労って、励ましてあげようと思う。 それが友情だと思います。

決して、自分が今幸せで苦しくなくて、苦しんでいる友達が哀れに見えるから
善人を演じることではありません。 苦しんでいる友達の話を聞くこと一つ取っても、
そういう幼稚な心持ちでは「可哀想だから少し意見してやるか」という傲慢な姿勢に
なってしまいますし、大変だね、といたわってあげる言葉も「ダメな人だなあ、憐れで
可哀想だなあ」という見下した気持ちが裏にある、いやらしい態度になってしまいます。

一見同じような友達としての言動も、本当に相手の痛みを感じ、安易に批判したり
しないちゃんとした人柄ゆえであれば良いのですが、自分の劣等感や醜いエゴを
喜ばせるためにしているのであれば、それはもはや、友情などと呼べる代物では
なくなるでしょう。

それでも、今何かのきっかけであなたはそんな自分に気付き、少し嫌気が差して
こられたようにお見受けします。 だからご相談なさったのでしょうしね。

どんな考えをすれば応援できるようになるか、とのご相談もありますが、この言葉から
上に書いた「かも知れない、あなたの本心」とは別に、彼女を本当に友人として好き
なのだ、と読み取ることも出来ますね。

簡単に、呪文のような短い言葉や考えをインプットした位で人の性格は変えられません。
でも、苦しい気持ちを抱えている今なら、ご自分の心の深い所にどんな劣等感や
欲望を潜ませているのか、その心は一体何故、どこから来たのか、自分と向かい合い、
恋愛していなくてもあなたを気遣ってくれた彼女の気持ちとはどんなであったか、
じっくり考えてみることが大切なことだと思います。

人は、夢や楽しいことで心が深まるのではありません。

辛いとき、悲しいときに深く深く考え続けることで、幼稚な自己中心的な考えを捨て
他人も自分と同じように心を持っているんだな、と実感出来る様になっていくものです。
「そんなこと、判ってるわよ」と思っている限りは、実は全然見えてさえいないもの。

苦しむこと悩むことは、自分の心を掘り下げること、他人様の心を理解することに
他なりません。
そして、それゆえに、自分のちっぽけさ、無力さに打ちのめされ、世の中の広さに
畏怖し、だからこそ、互いを大切に思い、いたわりあえる二人が深い絆で結ばれる。
巡り会えた幸運を喜びあう。 相手を理解する、というのはそういうことだと
私は信じています。

それでさえ、分かり合える部分は少ししかありません。 行き違いで心が離れて
しまうことだってあるのです。
だから、自分の理解が及ばぬ相手の人格の深さを尊ぶのです。 友人に対して
礼儀を弁えることは、ついつい忘れがちになりますが、とても大切なことです。

徒にベタベタせず、友人と言えども互いに無闇に踏み込まない一線はきちんと守る。
親しい間にも礼儀あり、とはそういう意味ですしね。

恋愛はともすると生物的な本能に基づく生理現象とも言えます。

でも、欲望をベースにした恋、とは異なり親子でも夫婦でも姉妹でも、深い絆で
結ばれている人々は沢山います。 本当の友達もまた、同じように絆で結ばれて
いますが、他の多くの絆と同じように、最初から強い結びつきがあったわけでは
ありません。

愛し合って結婚した恋人同士でも、いつしか醜い争いを繰り返して離婚することも
多々あります。 親心が理解できない未熟者の子供、或いは子離れ出来ない
困った親、喧嘩ばかりしている兄弟など、絆が切れたり絆ゆえに傷つけあう関係も
あります。

だから、自分の至らない点や醜い点を見据えて苦しみ、そのほころびを繕いながら
絆とは、紡ぎ、育てていくものでもあると思うのです。

悩み苦しむことは、人の道の王道です。安っぽいヒューマニズムや「ポジティブ思考」
のようなただの流行言葉ばかり使いながら暮らしていると、いつしか自分の本心さえ
見えなくなって、自分でも良く判っていない受け売りや、ありがちな嘘臭い友情を
演じるようになってしまいかねません。

自分と向き合い、自分の心の底まで見通すような沈思黙考を重ねていけば、今の
あなたの悩みはいつしか霧が晴れるように消える日もくるでしょう。

人間を学ばれる良い機会にされることを・・・・
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