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21歳、男です。


3年ほど前から英語を初め、今は英検準1級をとったりそれなりに会話も(ほんの少しですが)出来るようになってきました。


しかし、最近英語に対してのやる気が落ちてきています。


 友人に生まれてから小学校卒業まで合計12年間アメリカで生まれ育った人がいて、その人は頭もそれなりにいいのですが、やはり帰国子女というだけあって英検一級やその他の英語資格も沢山持っています。

日本語と同じような感覚で英語を話したり読んだり出来ると言っていました。

彼は今は本当に毎日遊んだりバイトとかをして楽しく過ごしているようです。


しかしそんな姿を見ると、私が今こうやって英語をもっと出来るようになりたいと思って勉強しているのが馬鹿らしく思えます。

何故なら、仮に18歳ぐらいから勉強し始めた私が一生このまま頑張ったとしても発音に関してはネイティブみたいに話すことは出来ないし(指導歴20年のTOEIC満点、通訳の資格も持っている有名の予備校講師を含め他の様々な人が言っています)、もっと上を目指そうと思ったらやっぱりプロの全員がしてきた様に莫大な時間を費やさないと高い英語力というのは身に付けるは出来ないからです。

結局いくら頑張った所でその友人みたいな英語を話すことは出来ないからです。

仮に友人に近づこうと時間を費やして頑張ったとしても、その間彼は遊んだりバイトしたり自分の好きな事をする事ができて、でも私は別にとりわけ英語を頑張ろうなんて考えていないそんな彼と肩を並べれる日は絶対来ないというのがとても悲しいからです。


さらに、英語をアメリカ人のようにペラペラ喋りたいと思っている私ですが、一番やりたい事と言うのは英語ではなく他にあって、もし今私がその友人の様に英語を話す事が出来たら、他のやりたい事に集中出来るのになぁって思うのです。


これは私に限った事ではなく皆さんも同じで、もし皆さんが帰国子女でアメリカに何年もいたとか、小さい頃から英語教育を受けてきたとかで今英語が喋れたら、今英語学習に費やしている時間バイトしたり遊んだり色んな事が出来ると思います。

しかも今いくら頑張った所でその友人のような英語を話す事は出来ない。

これってものすごく惨めな気持ちになりませんか?


最近こう思うことが強くなり、もう英語学習を辞めようかなんて思っています。


私の夢は別に将来外資系で働きたいとかではなくただただ「憧れ」としてその友人が話すみたいに英語を話したかった(こんな夢を抱いている人は私以外にも大勢いると思いますが)。

ですがそれは不可能に近いと知った今、出来たとしても今からではかなりの時間がかかると知った今、すごい惨めな気持ちになってしまう私はもう英語学習を辞めるべきだと思いますか?

皆様の意見お願いします。

A 回答 (8件)

惨めになる必要なんてないですよ。



だって、あなたのお友達とやら、12年も英語を勉強してきた、あるいは練習してきたのでしょ?それも24時間英語漬けの環境で。
一方あなたはたったの3年。しかも24時間日本語を忘れて生活したりしてないでしょ?
なんだ、あなたの努力はあなたのお友達の努力に遠く及ばないじゃないですか。それならお友達のように話せないのは当たり前でしょう。それでどうして惨めな気持ちになるのでしょうか?不思議ですねー。

さて、あなたの悩みを聞いて感じたことをいくつか書きます。

まずぺらぺら喋るようになるのはネイティブでなくても可能です。一度次のような国を訪れてみてください。ドイツ・フランス・ベルギー・オランダ、最近ではフィリピンが注目されていますね。あとはカリブやメキシコのカンクン等の観光地など。
こういうところでは、ネイティブでないけれど英語を上手に操る人が大勢います。こういうところに言ってみれば、自分が目指すべき英語が何かがよく分かると思うんですよね。決してネイティブレベルの英語なんか話せる必要はないんだなと理解できるはず。あるいはその前に達成すべきレベルがたくさんあることが判るんじゃないでしょうか。自分の経験からすると、おそらく英検ジュン一級程度ではそこまでのレベルに達していないと思います。

それから日本人ならではの英語会話の楽しみ方もあります。ボクはアメリカで仕事をしているので、必要なことなら全部普通に英語で伝えられるし、24時間英語モードのままで過ごすことも普通にできますが、これまで経験してきたことの大部分は日本語での経験なので、そういうことを英語でうまく伝えるのは大変知的な作業だと思うんですよね。
そしてそれが相手に上手く伝わったときの快感はたとえようがありません。わざと変な表現を使って相手を笑わせたりしてね。英語勉強してきてよかったなと思える瞬間です。これは多分ネイティブレベルの英語話者では経験できないことだと思ってます。

また大人になってから英語を習得した経験は重要です。特に別の言語を学ぶときに有利になります。ボクは今スペイン語をかじり始めてますけれど、英語を話せるようになったときのコツみたいなものがやっぱり生きてますね。英語を習得するときの苦労をあまり味わうことなく上達している気がします。多分中国語でもロシア語でも同じなんだろうな、と想像できるのです。
英語+スペイン語、あるいは英語+中国語が話せると、地球上のほぼ半分くらいの人たちとコミュニケーションできるようになるので楽しいだろうなと思ってやってますけどね。

ま、こんなところですよ。全然惨めな思いをすることはありません。
もっと経験をつんで英語が上達したらそんな悩みはどこかに吹っ飛びます。
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> 私が今こうやって英語をもっと出来るようになりたいと思って勉強しているのが馬鹿らしく思えます。


> ですがそれは不可能に近いと知った今、出来たとしても今からではかなりの時間がかかると知った今、すごい惨めな気持ちになってしまう私はもう英語学習を辞めるべきだと思いますか?

I think it’s time you should take sidesteps from what you call ‘studying English’—conventional understanding held among many Japanese who spend tremendous amount of time cramming on English study books all day. You are losing your self-esteem not because you are struggling in learning English but because you always compare yourself to your expat friend. Was your friend better than you in terms of overall English proficiency? Your answer is yes. I agree. But does that mean he is always and will be better than you forever? Does it lead you to the conclusion that there’s nothing you can do to redeem your self-esteem including learning English as a foreign language? Absolutely Not. If I were you, I would not hesitate to spend what little time I have for my private life to study English for the better understanding of social life and public culture. I don’t care who my friend or enemy is. I don’t care what he/she can do or cannot do. It’s not just one friend or peer who influences you personally in your life. You’re gonna deal with many folks—close friends, comrades, family, supervisors, etc.

My suggestion is to forget about what your friend has or is doing. Don’t let your friend’s shadow stand in front of you. You need to snap out of it! Comparing your gifts and talents with your friend’s for your accomplishment won’t make you feel better. It only makes your life "miserable"--the word you use to describe your life.
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英検準1級をとって惨めな気持ちになっているのでしたら、今が英語の学習の辞め時でしょう。


グローバルな企業に勤めたいとか映画やテレビを字幕なしで見たいとか、そういう動機がなければ、それ以上英語を勉強する必要はないと思います。

一番やりたいことが英語のほかにあるのなら、そちらに集中するほうがいいと思います。

でも、もったいないですね、たった3年の学習で準1級がとれるほどの能力を持っているのに。
5年も真剣に学習すれば TOEIC 900 overもできるんじゃないかな?
(わたしからするとその学習能力は、うらやましい限りです)

「惨めになりませんか?」との問いに対しては「いいえ」です。

私はビジネス上最低限必要なライティングしか出来ないし、文法も単語もブロークンなので、英検の一番下のレベルすら合格しないと思います。

ただ、外国のニュースも見たいし、海外のQAコミュニティにも参加したい、それだけが学習(してないけど)の動機です。

ちなみに、英語は目的ではなく手段です。

潘基文(パン・ギムン)国連事務総長の英語を聞いたことがありますか?
発音はネイティブから程遠いです。
でも活躍しています。誰も彼の発音を笑ったりしない。

Lady Gagaさんが来日した時の溝畑観光庁長官の英語なんて高校生以下です。
でも、言いたいことはしっかり伝わっています。

英検準1とれたんなら、英語ではなく会話力さえ身につけばいいんじゃない?

さ、もう英語の学習は辞めましょう!
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ご質問者さんの悩みは大変な努力をしたにも関わらず英検準一級で、知り合いの友人は英語圏で生まれて小学校まですごしたので、ネイティブのように話せる。

不公平ではないかということだと思います。

しかし友人には友人の別な悩みがあります。そもそもご自分で私はなにものだろうという、どっぷり日本人の生活をしている我々には想像もつかない悩みがあります。おそらく彼は自分は米国人でもなく、日本人でもないという孤独な時代を過ごして来たと思います。また日本語社会に順応するためにご質問者さんが英語に対して努力したと同じ程度の努力を日本および日本語を理解するために費やしたと思います。

日本で受けていなかった教育の期間、生活をしていなかった12年間の知識の不足は多くの場面で彼にとってマイナス要因となっています。多くの人が大笑いする場面で笑えないというのは悲しい現実だと思います。日本人が米国に同化するのはある意味で簡単です。しかし米国人が日本人の顔をしたままで日本に同化するのはかなり難しいと思います。

>私はもう英語学習を辞めるべきだと思いますか?

ご質問の趣旨は実はここにあったのではないかと思いますが、私どもは例えば学校で数年間英語以外の例えばドイツ語であるとかフランス語だとかを学びますが、多くの場合卒業後10年もすると、数行の原文を覚えているに過ぎないということを発見して驚きます。それでもそのようなクラスが延々続けられてきたのは不思議です。なぜなら壮大な無駄と思えるからです。しかしと最近子供のフランス語の成績を見て思いました。つまり質問者さんがしてきた努力は確かに報われないという側面があり、壮大な無駄の一部になりかねないものですが、実はそのような努力を経験としてするということがそもそも教育なのではないかと思うのです。その結果子供であればできなければ容易に諦めていたものが、教育を通して努力することを学び、社会にでて何か有意義なことを語学の分野のみならず他の分野においても達成できるのではないかと思うのです。

21才と言えば実際問題、これからなんにでもなれる年齢です。行動科学とでも訳すのでしょうか、この分野の開拓はにB.F.Skinnerという方は30才ごろまで実社会で働き、その後この分野の第一人者になりました。諦めずに勉強を続ければ何かになれるということだと思います。同じ努力をするのであれば好きなことで努力したいものです。ご質問者さんにとって英語はどの程度楽しみを与えてくれるものでしょうか。
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こんにちは



既に多くの方が答えていらっしゃいますし、私も同意見ですがぜひ書かせてください。

 まず、「その友人のような英語を話す事」というのが「発音」という意味であるならば、不可能ですので、目標とすることはやめた方がよいと思います。国際会議で通訳を介さず英語をはなす日本人、いやノンネイティブの方を見てください。「ネイティブのように」話している人など皆無です。しかし、みな高度に専門的な話をできています。目指すならこちらではないでしょうか(鳥飼さんの例をあげられた方がいましたが、彼女はかなり英語がお上手なほうだと思います)。
 根本的なことを申し上げれば、英語はツールでしかないということです(英語学などをやる方は別として)。ですので、外資系で働きたいという理由でなくてもなんらかの使う場面が全く予定されていないなら、あまり熱心にやる必要はないと思います。私はよく「さっさとネイティブ(ネイティブでなくても英語を問題なく話せる人)の友達を作れ」と語学を学ぶ学生に言っています。そうすれば、おのずと表現力もあがりますし、どこまで勉強すれば良いのかも目安がついてきます。「完璧」など不可能なのですから、目安をつける必要があると思います。
 こうした意味で、英語を話したり、読んだり、聞いたり、書いたり…というのはかなりのレベルまであげられます。帰国子女でなくても。特に読んだり、聞いたりに関しては、努力を続ければかなり上達します。私は学部時代に英語文献を多く読まされましたが、そのおかげで英語で文章を読むのは全く苦ではないし、いわゆる「スラスラ」読めます(もちろん日本語を読むよりは遅いですが)。リスニングに関しても、英検準1級のリスニングをなんなく聞けるなら、例えば英語のニュースを字幕なしでみれる程度はに聞けるのではないでしょうか(合格それ自体に意味はありません)。
 問題は書いたり、話したりだと思いますが、この部分は先ほど言ったように友達あるいは恋人を作るのが一番だと思っています。私は大学一年の夏にドイツに一カ月、冬にアメリカ一カ月…という感じで海外の多くの場所でホームステイをしました。各地で友達ができたので、その後も手紙やメール、現在はスカイプやフェイスブックなどで連絡をとっています。そのおかげで、モチベーションはさがりませんし、なにより話せる、書けるようになります。彼等のリズムや語りのパターンを学べるので、発音は下手でも相手に伝わる「流暢」な英語は話せているつもりです(もちろんまだまだですが)。英語を話す人との出合い方については様々な場所で質問がたてられているのでご参照ください。

「ただ」英語を勉強するのはなかなかつらいですし、みじめな気持になりがちです。英語を使う場面や目的を持つと、帰国子女の方と比べてみじめな気持にならないですむように思います。がんばりましょう!
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「何をおっしゃるウサギさん」って感じです。

もしネイティブ並みの英語力になったら、ネイティブは、kschoo1さんを日本人とは扱ってくれませんよ。アメリカ本土や英国本土に住んでいる日本人の顔をして、英語ぺらぺらの人間がどのような差別を感じながら生活しているかご存知ですか?

"WASP"ということばをご存知ですか?"White(白人)"Anglo""Saxons""Protestant(プロテスタント-カトリックではない方)"でないと公には活躍できないということです。でも実情はかなり変わってきています。オバマが大統領になって以来、最初の"W"はクリアできたほどアメリカも困っている状況です。

kschoo1さんの友人のようにぺらぺらに近い状態になれば、日本人からは日本人と思われない可能性も出てきます。アメリカ人からは東洋的な風貌をしたアメリカ人と思われます。一部の名をあげたぺらぺら人とは違って、一般のぺらぺら人は結構人に言われないつらい経験をしています。

どこの世界も同じですが、利用できる間は結構ちやほやしてくれます。人間というものは自分たちを人間と勝手に呼んで、他の動物たちと区別していますが、本質的には動物とたいして変わりません。死ぬまでは、生きていかなければならないということです。

英語ぺらぺらになったらいい生活ができるという幻想に取り付かれておられます。英語ぺらぺらでいい職につけるかなと思ったらそれは通訳ですが、これも仕事の量は限られており、苦しい生活を強いられているようです。ステイタスというか格好はいいですが、実入りは少なく、主婦のアルバイトになっている方も多いです。

このような話になってくると、そもそも人間は何のために生まれてきたのかなんて話になりますが、ここまでは話を広げるつもりはありません。

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英語の話しに戻ります。

> 友人に生まれてから小学校卒業まで合計12年間アメリカで生まれ育った人がいて、その人は頭もそれなりにいいのですが、やはり帰国子女というだけあって英検一級やその他の英語資格も沢山持っています。 日本語と同じような感覚で英語を話したり読んだり出来ると言っていました。 彼は今は本当に毎日遊んだりバイトとかをして楽しく過ごしているようです。

⇒隣の家はよく見える。あまりぺらぺらになりすぎるとろくなことにならない。一生懸命やっているぺらぺらでない日本人の姿を見て、経営者は評価するのです。最近ユニクロやソフトバンクですか?社内の共通言語は英語にするそうですね。馬鹿言ってんじゃないよ、という感じです。言い出した「てめえ」はどうなんだ、って感じです。まあ、そういう社会ではもてはやされることもあるでしょうが、日本的しきたりも心得て、英語にも精通しているタイプにならないとちやほやされないでしょう。

>しかしそんな姿を見ると、私が今こうやって英語をもっと出来るようになりたいと思って勉強しているのが馬鹿らしく思えます。 何故なら、仮に18歳ぐらいから勉強し始めた私が一生このまま頑張ったとしても発音に関してはネイティブみたいに話すことは出来ないし(指導歴20年のTOEIC満点、通訳の資格も持っている有名の予備校講師を含め他の様々な人が言っています)、もっと上を目指そうと思ったらやっぱりプロの全員がしてきた様に莫大な時間を費やさないと高い英語力というのは身に付けるは出来ないからです。 結局いくら頑張った所でその友人みたいな英語を話すことは出来ないからです。

⇒「馬鹿言ってんじゃないよ」って感じです。あまりこういう場で、自分のことは言いたくないですが、私の発音はネイティブ並みです。しかし、NHKの「ニュースで英会話」だったか忘れましたが、「 鳥飼玖美子」さんが司会をされている番組です。彼女の発音は決していいとはいえませんが、彼女の語学力は私の何十倍も上です。お分かりになられませんか?背景の知識その他蓄積されている英語力は、アポロの月面着の同時通訳陸以来、もっとも尊敬される人物です。しかしですよ。彼女が英語だけで食べていけるのかは、内情は知りませんが、そんなに満足のいけるほどのものではないと思います。

>さらに、英語をアメリカ人のようにペラペラ喋りたいと思っている私ですが、一番やりたい事と言うのは英語ではなく他にあって、もし今私がその友人の様に英語を話す事が出来たら、他のやりたい事に集中出来るのになぁって思うのです。 これは私に限った事ではなく皆さんも同じで、もし皆さんが帰国子女でアメリカに何年もいたとか、小さい頃から英語教育を受けてきたとかで今英語が喋れたら、今英語学習に費やしている時間バイトしたり遊んだり色んな事が出来ると思います。

⇒いいところに気づかれましたね。語学は趣味でやるものですよ。英語専門の大学なんかに行くと、かえってプレッシャーになります。語学マスター勉強に費やす時間はかなりの時間です。しかし、私の場合、語学の勉強は語学以外の勉強をすることによって、語学力は幾何級数的に増加することに気がつきました。口幅ったいことを申し上げますが、私は後輩に「英語ばかり勉強しても英語はできるようになりませんよ。」とよく言ってものでした。ひとつ私の理論めいたことに例外があります。リスニングは聞いてその英語を確認した量に比例するということだけです。

>しかも今いくら頑張った所でその友人のような英語を話す事は出来ない。 これってものすごく惨めな気持ちになりませんか? 最近こう思うことが強くなり、もう英語学習を辞めようかなんて思っています。

⇒「何をおっしゃるウサギさん」って感じです。その友人のような英語を話す事は出来ませんよ。だったら、もう英語の勉強をやめられたらどうですか?他の道を選ぶのもひとつの人生ですよ。しかし今の世、どの国に住んでも楽な生活はできません。英語以外に、何かこういうことを知ろうとつもりで他の分野の勉強されたことはありますか?現在、英語ができようが中国語ができようが、ヨーロッパ語ができようが楽な生活ができるほど甘い状況ではありません。アメリカで一流大学を出て、あのリーマンショック直後失業し、看板を立てて路上で就職活動していた映像を見たことがありますか?もう英語学習なんかやめた方がいいですよ。英語学習というよりも動物としての生存本能の問題です。あなたは人間ではなく動物なんですよ。人間ということばは学者が発明したことばです。その発明した学者も実は動物として一生懸命生きてきたのではないでしょうか?一度なんでもいいでですから、格闘技道場へ入門し「自分が殺されるかもしれない」という動物的本能を感じたほうが、ここで質問されるよりよほど役に立つと思います。

>私の夢は別に将来外資系で働きたいとかではなくただただ「憧れ」としてその友人が話すみたいに英語を話したかった(こんな夢を抱いている人は私以外にも大勢いると思いますが)。 ですがそれは不可能に近いと知った今、出来たとしても今からではかなりの時間がかかると知った今、すごい惨めな気持ちになってしまう私はもう英語学習を辞めるべきだと思いますか?

⇒はいその通りです。ここで質問するという行為自体が、他人にどうかしてもらいたいという甘え心が見え見えです。だれも助けてくれません。親は普通にいけばあなたより早く死んでしまいます。あなたには頼るべく人間は生まれた時点で、自分自身しかいないということを自覚してください。誰しも弱い。弱い存在です。しかし弱さは強さに通ずるのです。本当に自分の存在の意味が分かれば。人間の世界だけに拘泥すれば今の状態のままでしょう。しかし、kschoo1さんが生まれたことは誰のせいでもないのです。皆誰のせいでもなく生まれてきたのです。へこむ時もあれば、絶好調の時もあります。そういうものです。あの天下を制した豊臣秀吉の辞世の句をご存知ですか?「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢 」。
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英語を話すことと、英語で何かを伝えることは違います。

英語が native speaker なみに流暢でも内容のない話しか出来ないなら尊敬されません。英語がカタコトでも、教養があり経験豊富な話には引き付けられます。言葉はその人の思想を伝える単なる手段で、その人の個性の一部です。native並みの英語力をつけても世界は変わらないと思います。それより、本を読んで(洋書に限らず)教養を深める方が有意義でしょう。通訳になるのではなく、通訳を雇う人間を目指してほしいですね。
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生涯の仕事を考えると英語が出来ることはそれだけでは(特殊な分野を除いてですが)何の意味も持ちません。

そうでなければ英文科出身の人や帰国子女の就職率がグンと高い筈ですが、全くそうはなっていません。例えばあなたが会社に就職する時、大抵の会社では例えば電子工学科を出ている人には電子工学の力は求めますが英語の力はさほど求めません。もっともグローバル社会ですから以前よりは気にしていると思いますし、会社によってはTOEIC何点以上みたいなことは要求されるかも知れませんが。さらに入社すると協調力とか判断力とか管理能力とかいろいろの能力が求められます。英語力は外国との付き合いが必要になって初めて必要になるのです。言い換えれば何時どういう形で英語力が必要になるかは先のことなのでそう簡単には読めないのです。(付き合う相手が中国だったりブラジルだったりすれば英語以外も必要でしょう。) でも、だから手を抜いてよいとは言えません。自分の人生をどう読むか、ですね。それと、あこがれ的に(つまり趣味で)英語をやる人はがっかりする理由もないと思うのですが....一流のプロにならないからといって誰もピアノの練習をやめようとは思わないみたいなことです。
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