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昔は、「学士様」と言われるくらい大学卒は貴重でしたが今は全入時代で誰でもどこか希望を出せば必ず入れる時代になってしまいました。
こんな時代に、大学に行く意味とは何なのでしょう?

専門を見つけて少しでも早く専門学校へ行って資格を取ってプロフェッショナルとして働くことも考えられますが、それとの違いは何なのでしょうか?

A 回答 (16件中1~10件)

大学に行く意味を考えるべきなのは、「こんな時代」であってもそうでなくても


同じだと思います。行く意味を考えて行く人は得るものがあるでしょうし。

定員数的には全入とはいえ、上位校の競争がなくなるわけではありません。
競争に参加してまで受験するということは、その時点で人それぞれの「意味」が
すでにあるのではないかと思います。それがスバラシイか不毛かはともかくとして。

また、世界地図を見るような、もっと広い目で見れば、
競争の少ない下位校や通信課程などややハードルが低い所であっても、
「教育の機会が国民に広く開放されている」という意味では
むしろいい社会だと思います。一部の特権階級しか大学に行けない国家ってのも
ちょっとどうかと思います。(もちろん、レジャーランド化だったりだとか
高い学費だとか問題はいろいろありますけど)人にはそれぞれ事情があったりしますから、
例えば「うまくいかない人生の巻き返しの第一歩」として、たとえハードルが低くても
教育を受ける選択肢があるというのはいいことだと思います。
そういう点ではやや安易な進学にも意味があると思います。

なにも考えないで行く人はたしかに得るものが少ないかもしれません。
が、「学費を払って大学の経営を支える」という意味では役には立っているかと思います。


要は、考えて行くなら得るものがあり、考えないで行けば搾取される、という
可能性が高くなるということだと思います。なので、全入時代かどうかは
実はそれほど関係ないのでは?と個人的には思います。


また専門学校は主に技能を身に付けるところで、大学は主に考え方を学ぶ
(分野によってはプラス技能)ところだと思うので、そもそも役割が
違うんじゃないかと思います。どっちがいい、というよりかは目的によりけり、では?

例えば(他の回答者さんも書いておられる通り)料理人になりたければ大学よりも
専門に行く(もしくは修行に行く)方が早いでしょう。料理そのものよりも
店を経営して大きくして従業員をマネジメントしたければ大学で経営を学ぶという
選択も出てくる、という違いじゃないかと思います。

専門学校も、意味や目的をよく考える=得る 考えない=搾取される 
の図はあまり変わらないと思います。
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大学全入時代?そんなことはありません。


解っていらっしゃるでしょうが、今でも大学進学率は50%程度です。
日本は学費が高い駄目国家なので貧乏人は大学に行けません。
海外は学費が安い国が多いので羨ましい。
貧乏ならば奨学金を使え、アルバイトをしろと言う方が良くいますが、
そう上手く行きません。強い人間などごく少数なのです。
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いやそれくらい四大卒が当たり前の学歴になったからこそ、卒業しておかないと、というのが普通の人の考えだと思います。

例えば、30年くらい前なら、普通高校で特に資格がなくても、高校や住んでいる地域によっては、無理しなくても事務職として損保や都銀、超一流メーカーに就職することも可能でした。しかし、高卒の採用は無くなり、短大生に、そして今は四大卒が普通になりました。

なお、専門学校で確実に資格と仕事が結びつくのは、看護くらいではないですか。その看護教育さえ四大化が進んでいます。
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同じような感じで


「昔は高等学校に行くなんて素晴らしいと思われるくらい貴重だったが、今は全入時代で誰でもどこか希望を出せば必ず入れる時代になりました。
それでも高校に行く意味は何なのでしょうか」

と考えたとしてどう思われるかが今回のご質問の答えだと思います。
「誰もが入れるとは限らない時代」であればその人材はとても貴重でしたし、逆に高校・大学に行かなくとも多くの就職口があったはずですが、割と当り前になったときには「社会に出る=それなりの学歴があることが前提」となるので、学歴をつけることに大きな意味が出てくるのだと思います。

ちなみに、大学に行かず専門学校だって良いと思いますよ。ただ、確実にプロフェッショナルを育て卒業生の多くが活躍できるような業種でないと更に意味が無くなります。
声優とか漫画とかの専門学校が良い例ですね。
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大学は自分で勉強する所なんですよ。


高校まで、あるいは専門学校は時間割が
決まっていて、教室で待っていれば先生が
来て授業してくれます。受身の勉強でイイ
のです。でも、大学は自分で何を教科に
とるか考えなきゃいけないし、教室で待って
いても、先生が来ても何にも言わないことも
あります。いきなりレポート何十枚なんてのも
ザラで、受身の勉強じゃ絶対にムリです。
私はIT系企業にいますが、専門学校卒と
大卒ではこういう点が決定的に違います。
壁に当った時にああでもない、こうでもないと
モガクのが大卒で、進捗報告時に「未だ
できてません」と言って、上司の出馬を待つ
のが専門卒です。(例外もいるでしょうけど
会ったことがない)
どっちも解決に至らないかも知れないけど、
モガイた分だけ、直接には関係しないが
有用な発見があったりするから、後々の
発展が見込めます。

もう一つの観点は難関大学に入る、あるいは
卒業するために努力した根性を買うのです。
辛く苦しい受験勉強を耐え忍んでやったから
一流大学に入れた訳で、悪友の誘いに乗って
遊びに行った人はやはり三流の学校にしか
入れませんよね。経験的に頭の良さは一流も
三流もあまり変わらないんだけど、何かを
調べるとかいう場面になると歴然とした差が
でますね。
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アメリカもそうだけど大学全入化しても、学歴信仰は止まらないから、むしろ中卒や高卒が


得られる仕事が無い。
本来、30年前は高卒がついたような仕事も「大卒以上」が条件になっている。
だから(本来の意図とは別に)自動車免許のような感覚で大卒の資格はあった方がいいかな、と思う。


例えばゲームや声優の専門学校はあるけど、それになれるのは10%や20%である。
大半がなれない。
しかし、なれなかった人が就ける仕事が無い。
プロ野球選手になるような気持ちで専門に行くならいいんだけど、そういう人は少ないでしょ?
でも専門出てもつぶしも効かないし、競争も激しい。



大卒はつぶしが効くのがおいしい。
ただ、日本の国力を考えれば全体のパイが下がっている。
非努力家や非専門性は、どんな高学歴だろうが、親が有名人だろうが
不要になって来ている。

30年前なら有り得なかっただろうが、
早稲田や東大を出てもフリーターになったり、中小企業さえ受からなかったりしてる。
日本はまだマシで韓国や中国はもっと酷い。
そもそも資本主義ってのはそういうもんだし、当然だ。

「入学ゴール」の人が多いけれど、それじゃダメだ。
「努力を続ける」のは口で言うほどラクじゃない以上、
ともかく好きなことをやった方がいいとは思う。

政治家や評論家、またネット住民はマクロでモノを言うことが多いが、
ミクロで考えるべきだ。
10人中9人が成功するとしても1人は失敗する。
1クラス30人で1人しか成功しないならその一人になればいい。
それだけの話だ。
そもそも
数学が苦手なら数学者にならなくていいし、
ケンカが強いなら職人とか、ヤクザとかになればいい。
英語が得意なら英語教師に、
美人ならモデルやキャバ嬢になってもいいだろう。

誰だって自分が得意なこと、好きなことをやるもんだし、ならば成功する可能性は高い。
重要なのは自分がやったことに対し責任を取ること、
そして
その分野については継続して努力すること。
その際にあまりどの大学にいるかとか、そういう事は関係ない。
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> 誰でもどこか希望を出せば必ず入れる時代になってしまいました。



そんな話は聞いたことがありません。
「私立大学の学費が払える」家の子が「自分の希望する進路であろうが無かろうが構わず」「タイミングを失わずに」願書を出せば、「多くのケースで」どうにかなるということなら知っていますけど。

> 専門を見つけて少しでも早く専門学校へ行って資格を取ってプロフェッショナルとして働くことも考えられます

それは高校入試でも同じですよね。
高校に行かずに大工や板前の修業をしたって良いかもしれない。

大学というのはあくまで進路の一つでしかありません。
私はxxの道を進んでいるんで、大学に行く意味なんて解らない、というのであれば解らなくて良いです。
そうじゃないなら、「大学に行く意味」などという「一般論」は考えなくて良いし、その前に「自分の」進路を考えるべきです。
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全入であるからこそ、大学を選ぶことが重要なんです。


この時代であっても、東大、京大に代表されるいわゆる一流大学はかなりの難関です。そこを卒業すれば社会でもそれなりの評価を得ることができますし、そこで努力すれば高度に専門的な能力、技術、知識を身につけることができます。すなわち、そういったものを身につけ、活かそうとすれば大学に進むことに意味はありますし、それ以外の選択肢はほとんどありません。
最近、大学を就職斡旋所のごとき物と心得ている人がいますが、本来大学は研究機関です。ですので研究者を養成する役割を担っています。そして、一流と言われる大学はその機能を有しています。その一方で、その機能を持たない、すなわち、研究者として通用する人材を送り出せないレベルの大学も少なからず存在するように思います。結果的に、専門学校まがいの学部名やカリキュラムを打ち出して、就職予備校としか言いようのないシステムの大学がでてきています。

また、大学を全入というのであれば専門学校とて全入です。もちろん、誰でも無試験で入れるわけではない専門学校もあるでしょうが、それは大学とて同じことです。「選びさえしなければ」全入という点は同じです。また、専門学校で資格を取ると言っても、世間で通用する資格はさほど多くありません。その一方で大学に進まなければ得られない資格もあります。特に専門性の高い、医師や薬剤師の資格などは大学をでなければ得られませんし、世間で通用する資格です。
もちろん、専門学校をでて、自己満足ではなく、世間で通用する資格を得て、プロフェッショナルとして働くというのは結構な選択肢であると思います。例えば、調理師を目指すのであれば大学に行くよりも調理師学校にいった方が良いでしょうね。

ただ、あなたの身の回りを冷静に眺めて下さい。大学や専門学校で特別に学ばなければ身につけられないような高度な専門知識や技術を活かして働いている人はどれだけいますか?極めてわずかでしょ?つまり、専門学校に進んだとしてもそれを生かす仕事というのはさほど多くありません。なんだかんだいっても、結局は「普通のサラリーマン」になるのであれば大学でも行っておこうかというのが現状で、割の良いサラリーマンになるためにはどこそこ大学が有利だ・・と言ったことを語るわけです。現状において、彼らと「普通のサラリーマンの座」を競うとすれば専門学校をでた人の方が不利でしょうし、だからといって専門学校で学んだこと活かした定職に就くことは必ずしも簡単ではないと思います。良い悪いの判断は抜きしてその辺りが現状だと思いますよ。
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明治時代からの大学進学率の推移は,文科省のデータでわかります。


http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chuky …

「学士様ならお嫁にやろうか」とか「末は博士か大臣か」いう希少価値があったのは,進学率が数パーセントしかなかった明治時代のむかしでしょう。戦後になって進学率は急上昇しており,「全入時代」といわれるはるか以前から,質問にある「大学に行く意味」(裏返せば「大学の役割」)は問われているのです。
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ですから、自分が何を得たいのかをはっきりさせる必要があると言うことですよ。



何を学びたいのか、何の資格が欲しいのか、または、どんな学生生活がしたいのか。
偏差値にあわせて漫然と進学すると得られるものが少ないと思います。

専門では取れない資格もありますし、専門からでは発展しにくい職業や業界もあります。

専門で得られる、職に就けそうな分野なら、+1,2年をどう考えるかです。

ほぼ同じ資格を得られる場合でも、大卒の資格と、大学教育の経験ですね。
専門と違う所は、語学や一般教養の単位の問題もありますが、レポート作成能力の向上があります。
それがいらない分野なら、あえて大学にいく必要はないでしょう。
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