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昔は、「学士様」と言われるくらい大学卒は貴重でしたが今は全入時代で誰でもどこか希望を出せば必ず入れる時代になってしまいました。
こんな時代に、大学に行く意味とは何なのでしょう?

専門を見つけて少しでも早く専門学校へ行って資格を取ってプロフェッショナルとして働くことも考えられますが、それとの違いは何なのでしょうか?

A 回答 (16件中11~16件)

大学とも呼ぶにふさわしくない学校がたくさんあります。


教員免許の更新制度を創るより、大学の脚きりが必要かと思いますよ。
ゆとり教育の弊害かとおもいますが、推薦制度でレベルの低すぎるものが、合格する。
お金さえ払えば、大学生の量産する制度。
内申書要りませんね。おばか大学生を量産するだけですから。
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貴方の考え方は正しいと思います。

大学卒業しても就職が出来ない人が多いことを考えると専門学校に行き資格を取得して就職した方が無難です。でも、大学の勉強は社会に役立つ事や就職という実利的な勉強だけでなく自分自身の気持ちを広くする又は視野を広くする勉強があります。また、大学での先生との交流は醍醐味がありますよ。

でも、私なら医療か介護系の資格を取得する選択をすると思います。
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とにかくいえることは馬鹿が大学に行くようになったことで高卒で就職できることがへってしまった。

だから大学を出ていることが前提になってしまう
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>大学全入時代に大学に行く意味とは?


タイトルに答えるなら「採用枠『大卒以上』の募集に名乗りを上げられる」
選べる道を増やせるということです。
選択肢が増えた結果が良いか悪いかは誰にもわかりませんが。

>こんな時代に、大学に行く意味とは何なのでしょう?
様々な場面で先に意味ありきな考え方をする人が増えているようです。
(特に人生の選択は)「意味は自分で作るもの」です。
そもそも希望すれば入れて、留年することなく卒業させてくれるような大学。
そこを卒業したということを評価してくれる人が採用側にいることは極希です。
上を目指そうとすれば、いくらでも入り難く、そして卒業を評価される大学があるのに
この質問をする人は上を見ずに下ばかりを見て言い放ってしまいます。
ほとんどの場合は努力をしないための言い訳です。
正しい自己防衛(これ以上やったら自分が自分で無くなってしまう感覚)ともいえますが。

>専門学校へ行って資格を取ってプロフェッショナルとして働く
専学で資格を取った人は今この瞬間までに無数といっていいほどいるでしょう。
ではその人たちは皆プロフェッショナルとして働いているのでしょうか?
「皆」と言われるとNoです。極々一部の人だけがやっていけているでしょう。
専学で資格を取っただけでは、普通社会ではひよっこ扱いです。
それがわからずに「資格さえ取ればバラ色の社会人生活が~」と思っていると
就職あるいは開業できないで資格だけが手元に残った生活になることが多いでしょう。
ちなみに極々一部の成功する人は「専学にいったから」「資格を取ったから」
成功するのではなく、成功するだけの何かを手に入れたから成功するのです。
「自分の店を持つことが夢なんだ」と、いざ店を持ったら閑古鳥なんてことはよくあります。

>それとの違いは何なのでしょうか?
選べる道の数とその広さと・・・視界の良さ悪さ、でしょうか。
ここまでを読んでくれたならもうその意味はわかると思います。
安全で広い道が良いわけでも、狭くて鬱蒼とした道が悪いわけでもありません。
ただ選ぶのはその人自身です。選ぶだけの数があってもなくても・・・ね。
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知りたいことがまだあるから大学にいく、本来は、ただそれだけの話ですね。



大学全入と書かれていますが、日本は、ODCA参加国中、ほぼ最下位の大学進学率で、高校卒業者のやっと5割を超えたばかりです。また、進学を諦めた人は、その理由に経済的理由を挙げる人がトップです。
単に親の経済力でふるいがかかっているから、行ける人は皆はいれるというだけです。
ホントに行くべき人が行けないから、国や経済を動かす人たちの劣化が激しいのかなと。
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大学で勉強したいことがあれば進学すればいい。


コストとお折り合いがつくかどうかですね。
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