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最近、テレビや本などで
「こうゆうのが・・・」「どうゆうこと?」
という風な字をよく見かけます。

これって言葉の使い方として合っていますか?
私は中学2年なのですが、友達から借りた携帯小説などで見かけることや、テレビの字幕などにもよく使われていることもあります。
「ゆ」ではなく、「い」だと思っていたので違和感があります。

他にも、「そのとうりです」などの言葉も気になります。「お」じゃないのかな、という感じで。

このような言葉が使われていることにちょっとムッとしてしまうんですが、この使い方は正しいんですか?
友達が作文を書いているときに使っていて愕然としてしまいます。

また文面でこんな言葉を使っている大人に、一度指摘したんですが、
「中学生が細かいことを言うな」と返されました。

確かに細かいことなんですが、ちょっと気になります
回答待ってます(._.)

A 回答 (5件)

>確かに細かいことなんですが、ちょっと気になります



文法上はあなたが正しいです。
私も超!気になる派です(笑)

解っていてあえて表記を変える場合もあれば、
完全に間違って理解していることもあるでしょう。
その辺は前後の文脈で見当がつくと思います。

そのオトモダチはいずれ本人が知らない所でさんざん恥をかくことになりますが
恋人かダンナでもない限り放っておきましょう(笑)
ただ目上に指摘する時は、できれば相手のメンツが立つようにしてあげてください。
いい年の人でもちょっとした間違いをけっこうなさいます。
当人は指摘されてもすなおに受け取れないこともあるので、私はこっそり陰で校正していました。
こういうのを処世術と言います。

質問者さんはとてもステキなオトナになりそうな気がします。
これからもちょっとだけ気にしながら学生生活を楽しんでください。
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貴方が正しいです。



「言う」は、「いう」であり、「ゆう」とは書きません。
ただし、発音は、「ゆう」となります。

「ゆう」と書く人は、要するに「発音どおりにしか書けない」人なのです。
本を読まず、国語が苦手。そういう人ですね。

携帯小説や、テレビの字幕などで「ゆう」が使われていたとしても、それは誤りです。
今は、ネットというものがありますので、間違いでも多くの人が使えばそれが正しいことになってしまいがちです。

普段から本(携帯小説やネット小説ではなく)を読み、正しい日本語表記を知っている人は、ジョーク以外には「……とゆう」などとは書きません。


>友達が作文を書いているときに使っていて愕然としてしまいます

学校で、それで通ってしまうのでしょうか?
先生は、それについて注意しない?
その辺が、オバサンの私には理解不能です。
先生も若い人であれば、「……ゆう」の世代なのかもしれませんが…。

いずれにしろ、貴方が正しいですよ。
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確かに本来の使い回しでは間違いになります。


「行く」は「いく」であって「ゆく」ではありませんし、「ず」と「づ」も音が異なります。
英語圏では「R]と「L」の使い分けや、「S」と「TH」の使い分けが厳しいですし、中国語では「マー」という発音も高低、強弱の違いで意味が変るそうです。フランスでは「R]の発音でその人の民度まで測られてしまいますが、その点、日本人は無頓着だといえます。
通りは「とおり」であって「とうり」ではありません。私が小学校の頃はテストまでされました。
「おおさま」と「おうさま」とか・・。

しかし実際には古い時代からこのような変化は常に繰り返されてきました。
例えば「全然」という言葉。今では「全然~ない」と否定に使われると習いますが、昭和初期以前は肯定文の方が頻繁に使われていました。
つまり所謂“本来”からすれば、否定文に使う方が謝りなのかもしれませんし、「100%」という意味でどちらでも使えるのかもしれません。
テレビでは「いいまつがい」とか言ってクイズになっていますし、知らない者を非常識扱いして差別してますけど、実際に日常に戻ると「気にするな」と平然と言ってしまうのは日本人です。
謙譲語や尊敬語も似たようなものですね。私語のような言葉使いを「正しい」と称して人を見分けようそして居ます。

少なくとも現代では文科省が一定の判断を示しているのだから、それに従って教育がなされるべきでしょうね。
最も私から見ればこの指針の中にも合点のいかない事は山ほどあるのですが・・。
近年日本人が教育を蔑ろにしている事は確かですね。これでは国は確実に滅びます。
変化は時代の流れですが、学ぶときは正しいものを学ぶという事が必要でしょう。

国内でも格と学識のある人はそれを見極めて人を測ります。差別ではないけれど、どちらかを選択しなけれればならないという場面においては知っている人を選ぶでしょう。ですから、知って居る事は大切な事です。
でも英国のBBCが正しい英語だと言われたように日本のNHKアナウンサーが最も正しい日本語を使うといわれていましたが、今ではかなり訛ったり、変化して使い方をしています。
民放では更にメチャクチャです。ジャパネットの「○○という」で切ったり、番組のナレーションで「○○だそう」という言い回しは私は大っ嫌いです。

これと同じ事は米語でもいえるんです。私が子供の頃に「スラングだから使うな」などといわれた語句や使い回しが、いまでは中流階級でも平気で使っている。逆に正しい使いまわしは「堅苦しい」と日本の教師も米国の教師も言います。

日本人が日本語をどこまで正しく使うか、時代と共に変化していくものをどう考えるかは難しいものです。
また「何が正しいのか」も含めてしっかりと見極めていく事が大切だと思います。
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伝えたいことが伝われば、言葉としての役割は満たしているし、


言葉は生きていて、変わっていくものだとも思うし、
英語を使わなければならないときなんて、文法的に合ってる間違っているなど気にしている余裕はないですが、

やはり間違った使い方は気になりますよね。
その感覚は間違っていないと思うので、そのままでいいとは思います。
あまり細かいと煙たがれるかもしれませんが。

ひとつ、
「すいません」を見るとイラッとする。本当にこいつ謝る気あるのかと思う。
「すいませんです」?えっ?
謝罪の挨拶くらいは、「すみません」を使って欲しいですね。
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疑問を感じたら、辞書を調べることをお勧めします。

広辞苑(岩波書店)によると

いう(自動詞)・いう(他動詞)とあり、また

ゆう(自動詞・他動詞)⇒ いう とあります。一般的には、「いう」ですが

「ゆう」の表記もあるようです。小説などの作品では、口語調を強調するため「ゆう」を

使うこともあるでしょう。

「通り」は「とおり」ですね。「とうり」は、誤りです。

大人に指摘して反発されたようですが、知識を得ることに興味の無い人に言っても無駄でしょう。

その人にも、学ばなければならないという義務があるわけではありませんから。

それから指摘の仕方によっては、押し付けがましく聞こえるかもしれません。

馬の耳に念仏という言葉もありますので、そういう人は放っておけばいいでしょう。

「放る」は「ほうる」です。
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