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当時、イギリスは香港島を長期間実効支配し続けれる十分な陸上戦力を送り込む能力が無かったと思います。
中国は海上では全く勝てなくても、陸上ではそこまでの差はつかないはずです。
つまり、中国は降伏しなくても陸上戦に持ち込めばイギリス軍を撃退できたのではないですか?
イギリス軍は海上だけ支配しても意味が無く、陸上を実効支配しなければいけないので、
必ず陸上戦に挑む必要があります。

制海権を奪われた状況で陸上戦をすると海上から砲撃される心配がありますが、
当時の艦船の対地攻撃はどれほどの効果があったのか、どれほど長時間継続可能だったのかは疑問ですし、
陸上戦で人海戦術を採れば分が悪いなりに一応は勝てたと思うのですが違いますか?

A 回答 (4件)

南方戦線からいきなり黄海から上陸。

手薄な都の皇帝を人質にしたからですよ。

この回答への補足

ソースはありますか?

補足日時:2011/12/09 11:30
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条約を結んだのが中国ではなく、清国であるというのが理解のカギだと思います。



イギリスや日本といった国民国家は、国民が滅亡するまで戦います。
国家の敗北を国民の敗北と認識するからです。

国民国家以前の国家の指導者の考えでは、外寇より内乱が怖い。
国民が死ぬまで国家のために戦ってくれないから。

たとえば、1945年終戦の段階で、日本の指導者層の一部がおそれたのは、陸軍のクーデターによる赤色革命だったりする。それが怖くて、アメリカに降伏した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%95%E9%9B%B2% …
外敵と戦うよりは、内敵と戦うために割譲するというのが、行動パターンです。

人海戦術を使えるのは、人民が国家と一心同体になれることが必要であり、清国の段階ではそれは不可能というか、発想すらしないでしょう。

清国自体が、明の内乱に付け入って本土支配に成功しているのですから
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この回答へのお礼

確かにそれが理解のカギな気がします。
非常に参考になりました。

お礼日時:2011/12/09 19:33

19世紀には清の軍事力が空洞化していたのです。

清の伝統的な軍事制度は八旗と呼ばれる国民皆兵制度でしたが、長い平和ですっかり衰えていたのです。1796年に勃発した白蓮教徒の乱の際にも鎮圧に8年もかかっている。八旗が空洞化していたからです。実際に鎮圧にあたったのは正規軍ではなく、地域の有力者が組織した自警団みたいな連中だったわけです。そういう功績を挙げた有力者を大臣に取り立てるという仕組でした。有力者は国の為にそうしたわけでもない。自分が功績を挙げる機会だと判断しただけの話なのです。だから他の有力者は逆にライバルの足を引っ張る機会だと静観する場合もありました。アヘン戦争の時もそうなのです。清は一丸となってイギリスと戦ったわけでもない。此度の合戦は是非私におまかせあれと有力者が名乗りでる。相分かった、お前に全部まかそう。そういう志願者が現れない場合は戦争はそこで終わりです。兵士だってそうです。国のために戦っているわけではない。給料だけが目当てで有力者についてきただけ。この調子じゃ勝ち目無いなあ、給料も払われないかもなあ。だから劣勢になると、馬鹿らしい、やってられないとばらばらになってしまう。盗賊家業の方が楽だと地下に潜ってしまう。有力者が兵士を集める手段は、我軍に加われば、いままでの罪は全部許すし、給料も出すぞといったものです。そういう募集に応じるチンピラ集団がいつの間にか正規軍になるという仕組。中国4000年の歴史はいつもそうなのです。正規軍と盗賊団を往復するようなチンピラが兵士の主力なのです。合戦が起きれば、チャンスとみて集まるが、いつの間にかちりじりになって、元の盗賊団に戻ってしまう。

アヘン戦争の終わりは関天培の戦死です。もう他に有力者がいなくて戦闘能力喪失なのです。道光帝がいくら手を叩いて、誰かいないのか?と叫んだところで、誰もいないものはいない。後はどうやって講和にこぎつけるか。といって講和を斡旋してくれる国があるわけでもないのです。清は当時の国際情勢を理解していたわけではないし、イギリスの国力を知っていたわけでもない。悪のアヘン商人を追い払ったら、今度は近代化した軍隊が代わりに出てきやがったという感覚で、イギリスと戦争しているという自覚もないのです。
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この回答へのお礼

とてもわかり易かったです。
参考になりました。

お礼日時:2011/12/09 19:33

清国の軍隊では無理でしょう。



当時、清では太平天国の乱などの内乱が絶えなかった
のですが、清国の軍隊は使い物にならなかったのです。

それで曽国藩や李鴻章が私兵を募って戦い、それが
強かったので、いや、清国の正規軍隊よりもはるかに
強かったので、彼らが頭角を現すことが出来たほどです。

当時の清国の庶民には、国家という概念が殆ど
在りませんでした。
上海人とか北京人とかの感覚だけです。
だから国の為に戦う、ということが出来なかったのです。

将校などは賄賂を渡さねば、戦いを始めなかったといいます。
つまり、傭兵みたいな感覚しか無かったのです。
しかも、銃すらほとんど無い、という有様です。

これに対して、英国は当時は世界最強国家でした。
とてもじゃないが、清が敵う相手ではありません。
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この回答へのお礼

とても参考になりました。

お礼日時:2011/12/09 19:38

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