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現在の中国は共産党の一党独裁ですよね。その独裁制について質問ですが、


1.中国の独裁制のはじまりはいつですか?秦の始皇帝がその最初でしょうか。
また、そうだとすると、古代における独裁制は現代中国でも続く独裁制に何か影響を与えているのでしょうか。

2.どうしてその体制を脅かされることなく現代においても一党独裁を続けることができているのですか?

A 回答 (4件)

中国の歴史は、長江文明・黄河文明に続いて、


夏(紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃
殷(商とも。商人の語源)(紀元前1600年頃 - 紀元前12世紀・紀元前11世紀ごろ)
周(紀元前12世紀・紀元前11世紀ごろ - 紀元前256年)…殷を倒し、西周建国。克殷の年代については諸説あり、はっきりしない。 春秋時代(紀元前770年 - 紀元前403年)…紀元前453年晋が韓魏趙に分割された時点、または紀元前403年韓魏趙が諸侯に列した時点をもって春秋時代の終わり、戦国時代の始まりとする。
戦国時代(紀元前403年 - 紀元前221年)…晋が韓・趙・魏に分裂し、戦国時代突入。

秦(紀元前221年 - 紀元前207年)…秦王・政(始皇帝)が6国を滅ぼし中華統一。と、さかのぼることができます。
歴史そのものが、弱肉強食を実践してきた、独裁政治の歴史でもあります。民衆の選挙で、リーダーを選ぶという選挙の文明は、彼らには理解できないのです。ですから、共産政権下でも選挙らしきものを行っていますが、対立候補のいない、お手盛り選挙だけです。
事なかれ主義者が大部分を占める国民性ですから、選挙で争うなんて夢なんでしょう。悲しくもないのに、泣き喚かないと粛清される北朝鮮も、同じような思想を持っています。
何時の時代も、政権による恐怖政治が基本ですから、一党独裁は当たり前の文化なんです。前政権を皆殺しの文化が、中国4000年の基本です。
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政党が誕生したのは近代ですから、それ以前の王による独裁とは、


意味合いがちがうと思いますが。

王による独裁も政党による独裁も庶民を支配すると云う意味では
同じですけれど・・・

国家を運営するには大きな財力が必要です、必然的に利権が発生します、
政権を得ると利権を握る事が出来ます、利権のおこぼれにあやかろうとして
政権保持者に人が集まります、王政による独裁政治の誕生です、そんな
美味しいものをただ指をくわえて見てる人ばかりでなく、取って変わろう
と言う集団が現われ争いとなります、人類の歴史はその繰り返しなのです。

今の日本は官僚支配による一党独裁のような物です、国会議員は官僚の
ただの操り人形なのです、そんな国会議員を選んだ我々が悪いのです。
流血無く、密やかに独裁体制が完成したのは人類の歴史上、初めてでは
ないでしょうか。
しかも国民は経済的に潤っているので、今の体制を容認してますね。

お隣の中国が、理想の独裁体制の日本の姿を目指しているように思えるのは、
私の物の見方が捻じ曲がっているからでしょうか・・・
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1,中国は易姓革命の国です。



つまり、ある政権が誕生し、それを次の政権が
倒して新しい政権が生まれる訳ですが、前の政権と
後の政権との間には、連続性、継続性がありません。

前政権のモノはすべて、根こそぎひっくり返してしまいます。
全く新しい国をうち建てるようなものです。

それはず~と独裁が続いてきたからです。

こういう体制は、日本と比較すると理解しやすい
かと思います。

日本は、一応天皇が頂点にあり、その下で政権が
変わってきた、という形を取ってきた国です。

そこでは、中国のように、以前のモノを根底から
ひっくり返して、全く新しい国を建てる、といった
ものではありません。

日本ほど、独裁を嫌った国は無いと思います。
江戸時代だって、天皇があり、その下に形式的とは
いえ、将軍がありました。

将軍の下には大名がおり、各地は独立国の様相をていして
います。

将軍も、その権力は万能ではなく、実質は老中が決めます。
老中は合議制ですし、大藩の領主は老中にはなれませんでした。

江戸には、南北、二つの奉行所が設置されていましたが、
これは、独裁を嫌ったためです。

こういう国は、権力が分散していますから
たとえ政権が倒れても、中国のように断絶する
てことは無いわけです。

2,現代の共産党政権の歴史は、高々半世紀に過ぎません。
いつまで持つものか、判りませんよ。
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始皇帝が中国を統一してから、幾多の王朝が盛衰栄枯を繰り返しましたが、


古い王朝は、新しい王朝から完全に否定され、悪者になります。

毛沢東が行った文化大革命当時は、チャイナドレスは保守反動と批判され、
もし、チャイナドレスを当時着ていたら、首に反省文をを書いたカードを書けて三角形の帽子をかぶって町中を歩かなければなりませんでした。チャイナドレスは、騎馬民族の満州族、清王朝の文化だからです。

日本では明治維新があっても、仙台伊達家、徳川家は健在ですし、
清王朝の愛新覚羅家の末裔や、内モンゴルで戦前、漢民族から独立国を作ろうとしたモンゴル族王様の末裔も平和に暮らしています。


中国には「易姓革命」と「天命」という考え方があります。

天命
皇帝は、多くの国民の中から天によって選ばれる。
天は、民衆の中から最も徳のある人物を選んで皇帝とする。
天によって選ばれた1人の人間が皇帝となり、中国を治める。
中国の王朝創始者の伝記を読むと、イエスキリストのような神秘体験や奇跡が描かれています。
天によって選ばれた存在であることを強調するためだと思われます。

易姓革命
天によって選ばれた皇帝でも、徳を失えばもはや皇帝の価値はない。
徳のない皇帝を追放することが、天の意思である。
したがって、天災や疫病、不況等が起これば、民衆は皇帝の正当性を疑う訳です。
そして、誰でも天に認められれば皇帝になるチャンスがあるのですから、
一旦皇帝になると、体制を維持するのが大変です。

天の意思の具現者として振る舞い、民衆の信頼を得ている間は良いのですが、戦乱や反乱を封じ込むことができなかったり、
天災が生じると、支配の基盤がぐらつきます
我こそが天の意思を受けたものだといって、天下統一を目指します。

ヨーロッパでは、庶民から王様になることはありません.王朝が途絶えるた場合、外国から王様を連れて来たりします。
日本もそうですが、世界中の国で、王様は生まれや血筋が優先されます。
しかし、中国の場合誰でも王様になれるのです。
例えば、明王朝の創始者は貧農の生まれで、家族は全て餓死しています。
戦前に満州地方を支配した張作霖という人がいます。
この人も皇帝になれるちょと手前までいったのですが、彼も貧農の子どもで読み書きもできなければ、麻薬中毒でした。
日露戦争の時、ロシアの手先だったのを日本軍に捕まり、日本に協力する条件で助けられますが、
その後、日本の力を利用し、満州を支配します。最後には日本が麻薬中毒の張作霖に振り回されてしまします。

話がそれましたが、
中国で天の意思を受けて皇帝になれば、遅かれ早かれ次の天命を受けた人物に滅ぼされるのです。
それを防止するには、反逆者の芽を早めに摘み取っておくとか、政治に関しても思慮深い策略を必要とします。
始皇帝や毛沢東は粛正などで、反対分子を一網打尽にしていますよね。
現在でも、ネット検閲や 法輪功への弾圧は体制維持のために必要なことなのでしょう。
国民の不満を対外問題にすり替えることも体制維持には必要な政策です。
共産党独裁の正当性は、極悪非道な日本軍を打ち負かし、中国に幸福をもたらした 天の意思の実現者であることにあります。
また、北朝鮮を援助するのも、朝鮮半島を通して民主的な空気が満州地方(中国東北部)に流入するのを防ぐ目的があるのかもしれません。かの地は万里の長城の外側ですから、

面白いことに、漢民族以外の王朝である清王朝の初期の時代は代表者による会議が行われていました。
何年か後、漢民族の官僚が増え、漢民族の文化に染まって行くうちに独裁的な君主が統治するようになりました。
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