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- 回答日時:
わたくし自身は「当時を知る」年齢ではありませんが、ホンダについて一時期詳しく調べたことがあり、また、わたくしの父や叔父が過去にトーハツの二輪車に乗っていたこともあって、ご質問のような両社の比較にかねがね興味を持っておりました。
以下にお答えします内容は、多くは彼らや当時を知る方々から聞いたエピソードを基に、検索などからの引用も交えて作り上げていた長い文章のものからの、ほんの一部ですが、継ぎ接ぎだらけの文章ですのでご参考になりますかどうか…。
●結論:両社の足跡、それはそのまま、両社の体質や経営指針、考え方の相違、市場動向への視点の差などと、なにもかもが両社の運命を左右したのではないかと思います。
(1) つまり、時代のニーズを読んだ後発メーカーホンダが二輪車の世界を一直線に驀進し始めたことと、トーハツが多角的な市場を当てにして時代のニーズへの対応が遅れてしまったこと。
(2) ホンダの独創性に富んだアイデアと緻密な商品開発力、トーハツには老舗的な真面目さがありながら、独創性や技術開発力などには欠けていたこと。
(3) ルート販売のトーハツ、二輪車メーカーとして後発のホンダがとった機略的な割り込み販売戦略。
(4) 両社の運命を分けた原動機付自転車の制度と空前の原付ブーム。
(5) さらにはその後の両社の経営能力や体質。たとえばホンダのマン島レース優勝によるイメージアップなど。
1945年(昭和20年)第二次世界大戦(太平洋戦争)の敗戦を迎えた日本、空襲によって焼け果て荒廃した日本には物資も工場設備も、そして働く人材さえも、とにかくなにもかもが残っていなかった、それでも復興の足並みは着実に衣食住の順に進んで行った。1954年(昭和29年)には「もはや戦後ではない」と言われた時代であった。
終戦当時のオートバイ(二輪車)といえば、BSA、トライアンフ、インディアン、ハーレィ、エンフィールドなど戦前に輸入されていて焼け残ったものばかり、当然一般庶民が手にすることは出来なかった。それだけに、エンジンで走る乗り物…に対する庶民の渇望はかなりのものであったはずである。
だが、一部の余剰物資だけは豊富に残っていたらしい、そのひとつは戦闘機などの尾輪に使われるはずであった小径の車輪、そして戦時用の小型エンジン、鉄材、こうした資材を有効に活用する方法、そこからスクーターが開発された。三菱重工ではシルバーピジョン、旧中島飛行機系の富士重工からはラビットが市販されたが、価格も高くまさに高嶺の花であった。
当時とあっては本格的な自動車、ことに乗用車の開発は遅れていたが、自転車の普及だけは始まっていた。当時では自転車もまだ貴重品であったが、商売などの仕事にとっては、さらにエンジンが装備された乗り物が求められた。シルバーピジョンやラビットはそうした庶民の、いずれは手の届く距離に近づくであろう夢の乗り物に見えた。
トーハツは内燃機関の専門家であった高田益三によって1922年(大正11年)に設立された「高田モーター研究所が前身で、いわば小型エンジンの分野では老舗であり名門企業である。その後タカタモーター製作株式会社を経て1939年(昭和14年)「東京発動機株式会社」と名を改めた。以下経歴を略してトーハツと表記。
第二次世界大戦前は2ストロークガソリンエンジンを主力として、軍の発電用エンジンを主に生産、軍管理工場となった。戦後は国鉄の車両向け小型エンジン・小型船舶用エンジン・農業向けエンジン等、小型のエンジンを手広く生産し、1949年(昭和24年)には日本最初の可搬型の消防ポンプも発売していた。
トーハツがオートバイ(二輪車)事業に着手したのはホンダより若干遅く、1950年(昭和25年)のことである。トーハツのレース用オートバイは船橋オートレース場の100 ccクラスでは圧倒的な強さを見せていた。初めて世に出したトーハツの本格的な市販オートバイは1953年(昭和28年)のPK53型であった。この2ストローク単気筒98ccモデルは性能が良く、しかも比較的安価であった。このモデルが市場で成功を収めたことからトーハツは本格的なオートバイメーカーを指向することとなった。
PK53型の成功によって1955年度(昭和30年度)には販売業績で日本一となった。翌1956年(昭和31年)のPK56型(空冷2ストローク単気筒123 cc)はベストセラー車となった。当時はメーカーごとに得意な分野があり、4ストロークの大型車では陸王、メグロやキャブトン、2ストロークの小型車はトーハツが代表的なメーカーだった。
その頃、1951年(昭和26年)、運転免許制度に新たに原動機付自転車の区分が制定された。ついで、翌年50cc以下の原動機を搭載した自転車を第一種、50cc以上125cc未満の原動機を搭載した自転車を第二種と区分制定した。これらは自転車であり、当初は手続きだけ、のちには講習を受講するだけで運転できる簡易さからその後、こうした原付自転車は大変なブームとなる。
当時の原付ブームに乗って乱立した自転車搭載型原動機のメーカーの中にあって善戦していたのはブリジストンのBSモーターであった。自転車のフレーム部分に装着し、レバーを引くとゴムローラーが後輪に接触して後輪を駆動するタイプのものであったが、デザインもなかなか美しく良く売れた。ただ、あまりにも非力であったこと、そして雨の日にはローラーがスリップしてしまうという欠点もあった。
こうした市場に伍して、トーハツも自転車のハンドルの前に装着し前輪を駆動する「トーハツ・パピー」を発売した。だが、ひと足早くホンダが市販を開始したカブには敵わず、ヤマハやスズキといった後発メーカーが優れた2ストロークの本格的な二輪車を販売するようになったこともあって、原付市場、二輪車市場ともに遅れが顕著になって、やがて、おりからの不況の嵐の中、東京発動機トーハツは1964年(昭和39年)に倒産、会社更生法の適用を受けることとなった。
一方ホンダは、自動車部品などを製造する東海精機株式会社を、創業者の本田 宗一郎が株式会社豊田自動織機に売却。その資金を元に、終戦の翌年の1946年(昭和21年)、静岡県浜松市に本田技術研究所として開設され、内燃機関および各種工作機械の製造、ならびに研究を開始した。1948年(昭和23年)に本田技研工業株式会社として設立。1949年(昭和24年)に藤沢武夫を経営全権として迎え、以降、技術の本田宗一郎と経営の藤沢武夫による二人三脚の経営が始まっている。
本田技術研究所として開設した翌年の1947年(昭和22年)にはA型自転車用補助動力エンジン「カブ」を開発、1949年には、初の2サイクル・98ccの二輪車「ドリーム号D型」を開発した。「D型」の改良モデル4サイクル・146ccの「ドリーム号E型」は大ヒットし、58年発売のスーパーカブ号とともに、「ホンダ」を象徴する二輪車となり、やがて同社は二輪車で世界のトップメーカーに成長することになる。ただ、そうしたホンダであっても、その間に開発した二種原付のベンリ―とか樹脂ボディが斬新だったスクータージュノーなどあまり高評価を得なかったものもあった。
ここで特筆すべきは「カブ」である。1952年(昭和27年)から本田技研工業が生産した自転車補助モーター(小型エンジンキット)「F型」が「カブ」と名付けられて市販が開始され、大ヒット商品となった。
当時市販されていた自転車搭載型原動機のほとんどはオートバイのイメージから脱却できず、ほとんどがフレームの部分とかハンドルのすぐ前とか、あるいは荷台の部分とか、つまり自転車の中心線上に取り付けるタイプであった。「カブF」キットはそれらとは大きく違って、エンジン搭載位置は後輪側面(今日の自転車で言えばスティックスタンドの位置)、その後の駆動系統も全て後輪回りで完結する構造で、乗り手にも自転車取り付け工事を行う業者にも扱いやすかった。
円盤状の真っ白な琺瑯処理タンクと「Cub」のロゴが入った赤いエンジンカバーから「白いタンクに赤いエンヂン」のキャッチコピーが付けられた。ダイキャストの多用で生産性も向上させている。カブはエンジンのスタートも素直であり、当時のどの自転車搭載型原動機よりもパワーがあり、しかも静かだった。
「カブF」の特異だった点は、販売店に外交員を飛び込み営業させる常道を取らず、日本全国の5万軒に及ぶ自転車店に取り扱いを勧める営業ダイレクトメール(DM)を送るという、当時としては画期的な拡販手段を用いたことである。さらに、1958年(昭和33年)の℃100型に始まった「スーパーカブ・シリーズ」は、世界最多量産の二輪車であり、同時に世界最多量産の輸送用機器でもある。
余談ではあるが、1963年(昭和38年)には後年に「スポーツトラック」とも呼ばれることになるT360(日本初のDOHCエンジン搭載)で四輪車業界に参入した。同年には、欧州ベルギーに二輪車製造拠点を設立し、日本の自動車産業界において初となる、欧州圏での製品(スーパーカブ・℃100)の現地生産も行った。ホンダはレースにも力を注いでいた、それはそのまま商品のイメージに直結したからである、マン島レースで見せたホンダの、そして日本の工業力は世界を驚嘆させるに十分であった。以下略。
この回答へのお礼
お礼日時:2012/03/06 20:06
詳細、ありがとうございます。なるほどと、べんきょになりました。経営方針、商品戦略、販売方法、、、いろいろな観点がありますね。きっと、その時その時で判断してきたアイデアや直感力の差が今に反映されたのですね。
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