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先日、我が町でもようやくその重い腰を上げ、瓦礫の受け入れを表明しました。
自分の住んでいる家の、約数百メートル先にある焼却処分場に搬入されて来ます。
いよいよかとの実感を増すとともに、我が町の非常に遅い対応に、同じ東北人として情けない限りであります。

震災があってもうすぐ一年になりますが、非難して来た福島の方々に対するいじめの話題も尽きませんね。
ある子の親は、公園で子供を遊ばなせないでくれと頼まれ、ある子は放射能が移るから寄るなと言われる。

十数年前、広島や長崎で原爆が落とされた時も、そのような事がありましたね。
白血病が移るなど、今の時代には考えられないような偏見がありました。
でも、まだあの当時は、人々に情報も知識が無かったのだから、愚かな事ではあったが仕方ない事でもあったようにも思えます。

そして今、このような情報や知識を仕入れようと思えばいくらでも仕入れる事が出来る時代、本当に一部の人間ではあるのでしょうが、そんな心無い行為をする者達が、今回の震災を機に形をあらわしました。

いじめ自体は震災前からありましたし、決して無くなる事の無いものなのでしょう。

放射能が怖い、子供の事が心配、助かりたい。。。
でも、それは福島や宮城、岩手の人達でも同じ事なのに。
自分は、綺麗事を言っているだけなのでしょうか?

そこで質問です。
「その通りだ、綺麗事だ」と言う人にお尋ねしたい。

前に、中国のニュースで、小さな子供がひき逃げされ、何人もの人が知らぬふりをしてそのまま通り過ぎたと言う事故がありましたよね?
あれを見て、皆さまはどう思ったのでしょうか?

「綺麗事だ」と言う人は、あれを見て「かわいそう」「ひどい」とは思わなかったと言う事ですよね?

あの時通り過ぎた子供連れのお母さんに、日本のマスコミが取材している所を見ました。
そのお母さんは「自分の子供だけ良ければそれでいいのよ!!」と言っていました。

被災地のガレキ受け入れ拒否と、中国のあの事件、何が違うんでしょうか?
どうか教えて下さい。

A 回答 (4件)

日本ならば、ひき逃げされている子供を見捨てる人はいないでしょう。


民度の低い国と比べるのはナンセンスです。

被災地の瓦礫が放射性物質に汚染されているという不安は、まったく根拠のない「漠然たる恐怖心」です。
昨日、関西ローカルのニュースでしたが、具体的に数値を挙げて論証していました。

たとえば大阪の梅田で測定される放射線量は、毎時0.1マイクロシーベルトだそうです。
ところが福島の瓦礫を測定したら、0.01マイクロシーベルト。
梅田でショッピングしているときの方が、福島の瓦礫から出ている放射線の10倍浴びているという現実。
つまり、怖がるために怖がっているだけで、本当は何の問題もないことを知らないだけです。

それから「放射能がうつる」?
自ら放射線を発するほど浴びてたら、その人はとっくに死んでますてw
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この回答へのお礼

早速のご回答、誠に有り難うございます。

確かに日本では、人が車に引き逃げされていたり、道路で倒れこんでいる人を見れば、そのまま放っておく人はいないと思います。
でも、それは「助けても何も無いから」です。

あの事件の前に、中国では下手に被害者に手を貸してしまった者が加害者扱いされ、訴えられる事件が多発しておりました。
その為に、中国では「人を助ければ自分が損をする」と言うような考えになってしまったようです。
この事態を重く見た中国政府は、「助けた者を訴えた者には罰を与える」などの法の改正まで行ったようです。

中国でのあの事件は、日本ではとても考えられない複雑なものでしたが、その背景はとても簡単なもので今の日本と何も変わりないように見えます。

「放射能がうつる」と言う事は、本当に言われている事です。
自分の友人が福島におりますが、その人から聞きました。
知らないのか知っていてもそう言う人は言うのか、自分には分かりません。

自分はとても傲慢な質問をしているのだと思います。
瓦礫を受け入れる事も、受け入れない事も、どちらもエゴなのだと思います。

自分は受け入れたいからこっち、あなたは受け入れないからあっちと言う事が出来ない事を承知で、それでも受け入れたいと思ってしまいます。
自分の子供が可愛くない訳でも心配しない訳でもありません。
でも、自分の子供が可愛ければ可愛い程、心配すれば心配する程、それは被災地の方でも同じ事なのだろうと、そんな事を考えてしまいます。

タバコや車の排気ガス、太陽光線、今まであったものは受け入れるしかないと思いながら、その一方で新たな火種は持ちこむなと言う心理。
分からなくも無いのですが。。。

無意味な質問とは思いつつ、拒否している方に、ただ尋ねて見たかったのです。

参考になるご意見、本当に有り難うございました。

お礼日時:2012/03/08 15:09

人に善意を施すというのはとても難しいことです。



まずは自分自身が幸せになり、

次に恋人、奥様、自分の子供、

次に親兄弟、

次に友人、親戚と

自分の器を次々と幸せで満たしていって、

そこからこぼれおちそうな幸せを誰かに分けてあげるというのが、

自然の流れだと思います。

自分が食うや食わずの貧乏生活なのに、

ボランティアに出かけるというのは、確かに立派なことですが、

現地の人たちや、恋人、親兄弟にかえって迷惑をかけてしまうことにもなりかねませんから、

本末顛倒です。

中国は、経済発展目覚しいですが、まだまだ人々の心は満たされておらず、

他人にやさしさを分けてあげるレベルでは無いのでしょう。

「自分の子供さえよければそれでいい」というのは一昔前の日本と同じであるかもしれません。

瓦礫受け入れも、福島の方々の気持ちを思えば、国民一人ひとりが痛みを分かち合うべきでしょう。

しかしながら、痛みを分かち合うなら痛みを受けた人も最大限の努力をすべきだと思います。


被災県にがれきを捨てる場所がまったく無いとは到底思えないのです。

たしかに産廃施設は認可の関係ですぐには作れないでしょう。

しかし、近隣県としては、安易に押し付けられている感は否めません。

自分の県にがれきを処理する場所をいたるところに作ったけれども、

どうしても処理能力が足りない。

だからすこしづつでも受け入れて欲しい。

ということであればまわりの県の理解も少しは得られるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答、誠に有り難うございます。

確かに、善意を施すのは難しいですね。
もはや、何が正しくて何が間違っているのかさえ、分からなくなって来ます。
そもそも、このような問題に、正解は無いのかも知れません。

自分は、瓦礫を受け入れる事も受け入れない事も、エゴであると思っています。
親が子供の心配をするの当たり前であり、困っている人を助けてあげたいと思う事も当たり前の事なのでしょう。
受け入れる方はあちら、受け入れない方はこちらと言うような事は不可能である事なのに、「瓦礫を受け入れたい」と言う事は、受け入れたくないと思う人達にまで迷惑をかけてしまう事になります。

中国での事件の背景には、「自分が被害を被ってまで人を助ける必要はない」というものがありました。
幸せを分け与えると言うよりは、幸せを壊したくないと言ったものではないかと思いました。
きっと、それが生きて行く中で正解に近いのだと思います。
でも、それを意識して自覚した時に、人は果たして本当に幸せだと思えるのかなと疑問に思った次第です。

>痛みを分かち合うなら痛みを受けた人も最大限の努力をすべきだと思います。

確かにそうですね。
でも、もし仮に自分の住んでいる県が同じ状況になったら、きっと今の被災地と同じような状況なのだろうと思います。
今、我が県で受け入れる瓦礫の撤去費用は、運搬から焼却、埋め立て費用まで、全て向こうの被災県に請求するようです。
あくまで、本当にお手伝いのようなものですよね。

今は、国の方で焼却処理施設の新設、増設も検討しているみたいですね。
被災地でも、復興とは何も瓦礫の撤去だけではないでしょうし、修繕や補修など、様々な分野でお金がかかっている事でしょう。
努力とは、どこまで声を届かせれば、それを認めてもらえるのでしょうかね。
本当に難しい問題です。

参考になるご意見、本当に有り難うございました。
また何かの機会がございましたら宜しくお願い致します。

お礼日時:2012/03/08 16:30

母親が自分の子供を守るのは母性本能です。


車からこどもを助けるのは、自己犠牲だけですみます。

放射能やアスベストの微粒子が付着した震災がれきの
受け入れは、孫子の健康に影響するので、自己犠牲の
精神だけではすまず、本能的に受け入れられないのです。

被災地でがれき処理プラントを作るのが一番効率的です。

陸前高田市の市内にがれき処理プラントを作りたいとの希望を、
被災地特例の規制緩和して建設すべきなのに門前払い。
環境省の怠慢を、他の自治体が受け入れないからと責任転嫁
しているのです。

戸羽市長(以下、戸羽) その繰り返しに尽きますね。たとえば、
がれきの処理というのは復興へ向けた最重要課題のひとつなわけ
ですが、現行の処理場のキャパシティー(受け入れ能力)を考えれば、
すべてのがれきが片付くまでに3年はかかると言われています。
そこで、陸前高田市内にがれき処理専門のプラントを作れば、自分
たちの判断で今の何倍ものスピードで処理ができると考え、そのこと
を県に相談したら、門前払いのような形で断られました。
http://www.cyzo.com/2011/08/post_8323.html
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有り難うございます。
お礼が遅れ、大変申し訳ございませんでした。

子供を守るのは、母性本能。。。
とてもよく分かります。
自分にも子供がおりますので。
ただ、自分の子供を可愛いと思えば思うほど、心配すれば心配するほど、それは被災地の親たちも同じなのだろうと、最近はそんな事ばかり考えてしまいます。

色々な想定がありますが、中国での引き逃げの事件は、決して「自己犠牲」だけで済むものではありませんでした。
ご存知かと思われますが、あの事件が怒る前、中国では困っている人を助けた人が、逆に加害者扱いされ、訴えられて金を取られると言う事件が多発しておりました。
その為、「人を助ければ損をする」と言う風潮のようなものが自然と作られていったようです。
あの場を通り過ぎた方達のインタビューでは、そのような事をみな言っていました。
そしてトドメにあの母親の発言です。
自分の一瞬の善意のせいで、将来子供に苦労をかける事になるかも知れない可能性を考えれば、それも一つの子供の守り方なのかも知れません。

おおよそ、今の日本では起こり得ないであろうあのような行動も、背景を見れば、根底は何も変わらないのだろうと思った次第です。

それにしても、一向に進まない瓦礫の処理に業を煮やし、いよいよ国の方でも瓦礫処理施設の新設、増設の検討に入ったようですね。
自分の地元で処理する瓦礫も、被災地にある瓦礫の量からすれば本当に微々たるものです。
自分たちのゴミを処理する合間合間の能力で行う事ですので、それを考えれば致し方のない事なのだとも思うのですが。。。

本当に難しい問題です。
親切にご回答頂き、本当に有り難うございました。

お礼日時:2012/03/09 08:31

同じ人間なんだから、根は同じでしょう。



しかし、同じということは100%同じという
意味ではありません。
現実世界はデジタルではありません。

程度、てのがあるのです。

中国人の身勝手が10なら、日本人のそれは
5ぐらいだ、という程度の差があると思います。



”何が違うんでしょうか?”
   ↑
つまり、程度が違うのです。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有り難うございます。
お礼が遅れ、大変申し訳ございませんでした。

「程度が違う」のですか。。。
すいませんが、デジタルでないと申されるのは、具体的説明が出来ないと言う解釈に取っても良いでしょうか?

他の回答者様のお礼にも書きましたが、あの中国の事件の裏側には「人を助ければ自分が損をする」という背景がありました。

血だらけで倒れている子供を素通りする、放射能(瓦礫)は持ちこむな。

その違いが、中国10、日本5となる訳ですか。

自分にはよく分かりません。

このような質問をしながら、瓦礫を受け入れるのが良くて、受け入れないのは駄目だとは言いませんし、言える資格もないと思っています。
どちらにしても、エゴなのだろうと思います。
「自分の大切な何かを守りたい」と思うのは、中国人も日本人も、被災者も被災していない者も、瓦礫受け入れ賛成派も反対派も、そこだけは100%同じなのだと思います。
ただ、それぞれ大切なものの守り方が違うだけの話で。。。

もし、日本でも倒れていた子を助けた人が犯人扱いされてしまうような事件が多発したら?
全てでなくとも、やはり少なからず見過ごす人は出てくるのではないでしょうか。

しかし、そこはやはり、今の日本でそういう「もしも」はあり得ないという事になるのでしょうね。
それが程度なのでしょうか。

回答頂き、本当に有り難うございました。

お礼日時:2012/03/09 08:53

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