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三蹟の、藤原佐理と藤原行成は親戚とかなんでしょうか?
教えて下さい。お願いします!

A 回答 (2件)

●藤原行成 ふじわらのゆきなり



アジア 日本 AD972 平安時代

 972~1027(天禄3~万寿4)太政大臣藤原伊尹の孫,右近衛少将義孝の長男。母は中納言源保光の女。祖父の養子となり,984年(永観2)従五位下となり,侍従・弁官・蔵人頭などを経て,1001年(長保3)に参議に昇任し,権中納言・権大納言を歴任,1027年(万寿4)に56歳で没している。蔵人頭に抜擢されたのは,行成が藤原実方と殿上で争いごとをし,怒った実方が行成の冠を投げる行為に及んだが,行成は激せず主殿司に拾わせて身につけたのを見て,感心した天皇が推挙したことによると言う。行成は穏やかな人柄の人物であったらしい。さまざまな才芸にすぐれていたがことに書道にすぐれ,三蹟の一を称され,その書を行蹟という。一条天皇の命で宮の門の榜に題を書すことを行っている。行成の日記を『権記』と言い,摂関期における宮廷社会の表裏をよく書いており,当時の歴史を知るための重要史料となっている。長保年間に世尊寺を建てたのでその書法を世尊寺様と言った。 ●藤原佐理 ふじわらのすけまさ

アジア 日本 AD944 平安時代

 944~998(天慶7~長徳4)摂政太政大臣藤原実頼の孫,左近衛少将敦敏の子。961年(天徳5)18歳で従五位下となり,以後蔵人・弁官・内蔵頭などを歴任し978年(天元1)に参議に昇進し,991年(正暦2)に参議を辞めて大宰大弐に転出している。大弐在任中に宇佐八幡宮の神人らと紛争事件を起こしており,地方官として多少適格性を欠いていたようである。名門の出として官位は余り振るわなかったが,書にすぐれ,摂関期における代表的な書家として小野道風・藤原行成とともに三蹟と称されている。佐理の書を佐蹟と言い,京都六波羅寺の額を書いたり関白藤原道隆の東三条第の障子に和歌を書いたりしている。伊予国三崎神社の額も佐理の手によるとされ,大宰大弐をやめ京都への帰途,夢中における神の求めに応じ書いたという。そのためそれまで荒れていた海が急に穏やかになったと伝えられている。死去したとき55歳,前参議兵部卿であった。その女も能書家として知られていた。

参考URL:http://www.tabiken.com/history/doc/H/H175C100.HTM
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この回答へのお礼

とても参考になりました~
どうもありがとうございました(^o^)

お礼日時:2004/01/08 23:33

#1の方の情報でご自分でお探しになれるでしょうが、


わたしも検索したのでせっかくだから貼っておきます。
http://www.toride.com/~yuga/clan/fc-sekkan.html
行成の名前はありませんが、伊尹はいます。
佐理も次のページになりますね。実頼と伊尹は伯父甥のようです。
二人は一世代違うことになりますね。またいとこの子供、っていう関係ですかね?

参考URL:http://www.toride.com/~yuga/clan/fc-sekkan.html
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました(^o^)
助かりました☆彡

お礼日時:2004/01/08 23:34

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