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将来、教職に就きたいと考えている大学生です。

教職大学院の存在は前々から知っていたのですが、インターネットの情報を
見ているとその評価は高くなく、存在意義も疑われているほどのようです。
教員採用試験に落ちた人が行くといった認識もされているようで、文部科学省が
力を入れている割には一向にその価値が認められていないように思えます。

従来の教育学研究科とは違い、教職大学院はより実践的(現場重視)なカリキュラム
が組まれているようですが、それでもやはり現場での経験には勝てないでしょうか?

自分は今のところ大学卒で教職に就くことを目指していますが、正直なところ
教育学部ではないのでどうしても現場での指導経験が不足してしまいます。
そのため、自分が学校の教壇に立って指導する姿が想像できません。

そう考える反面、教職に就けば結局は実践の連続なのだから教職大学院ではなく
教育学研究科(または専門学部の教科教育学研究科)に進学して、何か問題が
起きてもブレない理論と分析力を身に付けるのも良いのではないかとも考えます。

現在、教職大学院はどのような評価がなされているのですか?
意見を聞かせてください。

A 回答 (4件)

おはようございます。

#1です

>このような教職大学院以外の大学院、つまり本来の教育学系の大学院を修了することについてはどう思いますか?

 うーん、ご自分が教える教科の内容をより深く学ぶ、というのなら意義はあると思います。ですが、一生が勉強という職業ですからねえ・・毎日勉強していれば必要な知識は手に入るのではないかなと思います。大学教育を経てきたものにとって、教える内容といえばまさに取るに足りないものですよね。一方でもっと具体的な教授法、問題対処法等々は必要と思っています。


 北米・・アメリカ、カナダですと大学にはご存じのように医学部、法学部がありません。医師、弁護士になりたければ、とにかく四年制大学を卒業してその後メディカルスクール、ロースクールへ入学して、卒業後それぞれの認定試験に合格すると医師、弁護士になれるという高等教育制度になっています。日本では医科大学院は実現せず、法科大学院だけが実現しました。

 で、教員になるためにも同じ過程を辿る必要があるんですね。4年制学部卒業後、修士課程にあたる教員養成課程に進み、卒業して国家試験に合格すると「教員免許」が与えられます。
 日本の教員に較べると就学期間が長く、かつ免許の取得は国家試験に合格しなければならない、という厳しさです。教職大学院はこれをモデルにしたものと思います。

 で、4年間の大学教育+ちょっとの教職科目の追加取得と2週間の実習だけで「教員免許」が取れてしまう日本は「教員免許」の重さが吹けば飛ぶようなものです。しかし、それを補ってきたのが「教員採用試験」の狭き門ではないかと思います。じっさい、40人以上を一斉授業で面倒見るという日本の教員についての評価は「Amazing」と言われることが多いようですよ。

 国民性、教育制度の歴史、文化その他の違いがありますんで単純比較も危険ですが、日本ではそれでも教師は「よく機能している」と思います。

 ダラダラとなりましたね。とにかく自分の能力は自分で高めるのが基本。次に教職員大学が期待するリーダーとしての教諭などというものは、どうにも日本では機能しないだろう。そして、だいたいそのような教育機関の講師が、「元校長」「指導主事」という行政職員、生徒を相手にしたことがない大学教授、というのが大学院に対してあまり期待しない、という私の意見の根幹にあります。退職した元教師だったら期待できるのですが。

 
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この回答へのお礼

>とにかく自分の能力は自分で高めるのが基本。
そうですよね。大学院に頼ることなく、自分で自分を磨きあげようと思います。

お礼日時:2012/05/07 23:02

現役の先生に聞いたことがあります。



まず一定の役割は果たしているかと思います。
学校によりますが、今は新卒や未経験者ウェルカムではなく、
現職教員や、教育学部で免許を取得した者がより専門性の高いものを学ぶために
進む場となっております。

ただこちらの評価は、、必ずしも現場での高い評価があるわけじゃなくつまるところ
「2年間無給で勉強してメリットあるの?」と言う感じにはなってしまいます。
だからどうしても向学心の強い一部の先生にしかウケてないのが現状です。


利用としては、例えば30歳ぐらいでやる気も能力もある主婦やサラリーマンみたいな人、あるいは外国人留学生を積極的にウェルカムして、かなり上のポジションから教員になれる、そういうシステムならレベルも上がるだろうし魅力的な機関なんですが。

個人的に言えばあなたのスタンスはそれでいいと思いますよ。
年齢(若さ)は見ますので、変にこだわらずに学部編入か院に行って免許を得ればいいと思います。
通信については、中退率の相当な高さや実質授業料の高さを考えてまったく薦めません。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

説明不足だったかもしれませんが、自分が学部二年目を迎える大学生です。
現在教職課程を履修しており、卒業までには教員免許を取得できます。

教員免許を取得するために大学院進学を考えているわけではありません。

補足日時:2012/05/07 23:00
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一部(大勢)の教員のレベルの低さが教育センターや教育委員間で問題になって、今、新任の教員には、寝る間もないくらいの研修が長期に課されています。


教職大学院ができた背景は、この点だと思いますよ。
教えるレベルが低いから、悩める教員が多い。職場では教われない(就職氷河期等の関係で、中堅層年齢の教員が極端に少なく、団塊の世代のベテラン教員は退職済み)のということも大きいみたい。

ご自身の崇高な考え以前に、もっともっと土臭い課題が教員の現場にはあって、それをどう解決するか、が、いろいろ模索されています。
教職は、剥き出しの人間関係が、同僚、上司、生徒、保護者、地域に対して発生します。そして、いじめがある3大職業ってご存知ですか?
教員の自殺は、職場でのいじめ(職場関係)が多いんです。
http://tmaita77.blogspot.jp/2011/06/blog-post_25 …

職場にリーダーがいない(別の意味のリーダーが多いみたいですが)ので、それをどう作り出すかがキーになっているようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お世話になった先生やその他ニュース、新聞などの情報から、教職の現状については理解しています。

お礼日時:2012/05/06 22:22

>文部科学省が 力を入れている割には一向にその価値が認められていないように思えます。


 力を入れているから価値があると読めますが、それはおかしいでしょう。役立っているから価値があると考えれば、評価が低いのはそれが理由とも考えられます

>従来の教育学研究科とは違い、教職大学院はより実践的(現場重視)なカリキュラムが組まれているようですが、それでもやはり現場での経験には勝てないでしょうか?

 実践的カリキュラムにしても実際に生徒を前になにかの実践を行うわけではありません。現場での一つの体験とそれへの対処は、10冊分くらいの書籍に対応します。
 理論が無駄と言っているわけではありません。現場でどう教えるかという実践例を集めた書籍は「理論」集ともいえますがこれはあなたの役に立つでしょう。しかし、教壇からの講義される理論は現場ではそれほどの力を持たないのは事実です

>そう考える反面、教職に就けば結局は実践の連続なのだから教職大学院ではなく教育学研究科(または専門学部の教科教育学研究科)に進学して、何か問題が起きてもブレない理論と分析力を身に付けるのも良いのではないかとも考えます。
 
 理論どおりには生徒は動いてくれないし、授業も理論どおりには行かない。もちろん理論と分析力は大事だけれど、日々起きる問題は典型的な事例と個別・非再現的な事例とに別れて後者が圧倒的に多いと思われます。従って必要なのは機転と自分の経験・・・それもすでに分析済みでかつ理論武装したもの・・です。


>教職大学院はどのような評価がなされているのですか?
 かなり以前の教育免許法が改正される前の頃の実態を聞いたことがあります。高校ですと教員免許は学部卒では2種です。しかし校長になるためには修士修了の1種でなければなりませんでした。
 そのため早く現場から逃げ出し校長という名の行政職に就くために1種免許を取得する場となっているという辛らつな批判でした。兵庫県にある教職員大学では朝からゴルフに興じるそのような現場を離れて院生となった教諭達の姿がスクープされて批判されたことがあります。

>正直なところ教育学部ではないのでどうしても現場での指導経験が不足してしまいます。そのため、自分が学校の教壇に立って指導する姿が想像できません。

 上述したことからいえるように、教育学部でも特に実践的な講義を行っているわけではなく、また実習期間も同一であるから、現場での指導経験の不足はどこの学部出身者でも同じです。

 教職はいきなり一つのクラス、授業を任されるという特殊な世界です。そこにあなたが不安を感じるのは当然です。むしろ謙虚な正直な方だと思います。しかし、現実はそうあるわけですから、一時間一時間の授業を大切に、つまり可能な限りの準備をして授業には臨み、終了後は常に失敗の徹底的な分析を行い次の授業に取り入れる、という努力を行い、日々自分の教授方を改善、錬磨してゆくしか道はありません。

 知人はかなりのベテランですが、それでも年に数回は教室の後ろにビデオカメラを入れて自分の授業を生徒の視点から見つめ直す作業を怠りません。それだけやっていても生徒達の質の変化、授業にたいする姿勢の変化に対応するのが難しいとこぼしています。

 世の中の変動が激しく、それは生徒達の質や授業への態度にも当てはまります。教員はこれからさらに辛い仕事になるでしょう。しかし、大学院に進学することでそれに対応できるとは全然思えません。
 毎日の、毎時間のきつい体験を分析しながら、その結果を糧に目の前の問題を乗り越えていく動的な態度・日常ますます必要とされるでしょう。

 かなりなベテランになれたかな、と思った時には現実は今までの経験と理論を一機にゴミにするような大きく変わってゆくでしょう。それはまあどんな仕事でも同じかとは思いますが、変化の速さでは群を抜くかもしれません。
 あなたがそんな仕事は嫌だ、もっと安閑としていられる仕事がいい、ルーチンワークの繰り返しでもしばらくは(10年くらい)やっていけるそんな仕事がいい、というのなら教職は諦めた方がいいと思います。

この回答への補足

回答ありがとうございました。

教職に就いてからも、生徒と同じように教師も常に学び続ける
姿勢、そして前に進み続ける姿勢が必要であると思っています。
いくら公務員とは言え、教職に安定を求めているわけではありません。
何年も悩んでようやく教職に就きたいと一途に思えるようになりました。

>理論どおりには生徒は動いてくれないし、授業も理論どおりには行かない。

この通りだとは思います。しかしながら自分は教職大学院
以外でも教科教育学系の大学院への進学にも興味があります。
そのような大学院で教科に対する見方やその教育法について
しっかり学んでくることは無駄にはならないように思います。

このような教職大学院以外の大学院、つまり本来の教育学系の
大学院を修了することについてはどう思いますか?

いずれにせよ自分は学部卒時点での教員採用試験合格を目指しています。

補足日時:2012/05/06 22:28
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