歯ブラシ選びの大事なポイントとは?

先日ある老人と話をしているときに、ふと東南アジアの話になりました。
老人は元軍人で、次のような独自の歴史観を語りました。
「戦前の東南アジアは、西洋諸国の植民地支配下にありとても独立国といえるものではなかった。独立してたのはせいぜいシャムぐらい。そこへ日本軍が解放軍として進出した。だから現地の8割ぐらいの人間が日本に感謝している。戦後独立国になれたのも、半分は日本のおかげである」

 戦前の東南アジアについては無知ですので、このことがどれほど本当かは知りません。
 日本は中国と長く戦っていました。それにも関わらず戦線を拡大して東南アジアへ進出していったのはなぜでしょうか?
 東南アジアの人は日本軍に対してどのような感情を持っていたのでしょう?

 よろしくお願いします。

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A 回答 (9件)

基本的な情報をお伝えいたしましょう。


(1)東南アジア諸国の状況
インドを含めて現在の東南アジア諸国は1941年当時は以下の国の植民地でした。

★インド・パキスタン・バングラデシュ・スリランカ・ネパール・ブータンはイギリス領インド帝国を形成。
★ミャンマー(ビルマ)は一時インド帝国に編入されていたがイギリスによる別枠の統治を受ける。
★タイ(シャム)は唯一の独立国。第二次大戦の時は日本と同盟を結ぶが日本の戦況悪化と共に立場を変え、終戦時は戦勝国となっている。
★ラオス・ベトナム・カンボジアはフランス領インドシナ植民地。
★マレーシア・シンガポールはイギリス領海峡植民地。
★インドネシア・ブルネイはオランダの植民地。
★フィリピンは1898年からアメリカの植民地(それ以前はスペイン領)
★なお、赤道以北の旧ドイツ植民地の諸島(パラオ諸島、カロリン諸島など)は日本の委任統治領であった。

(2)なぜ東南アジアへ進出したか。
1932年の満州事変以来日本は中国に進出して行き、蒋介石政権と戦い続けていた。中国の蒋介石政権を後援していたアメリカはさまざまな外交圧力によって日本の侵略を緩和しようとしたがうまくいかず、ついにABCD包囲線による石油禁輸でもって日本に中国から手を引くように脅した。これに対して日本は対米戦も辞せずとして、当時オランダ領の石油などの資源を入手するために東南アジア進出を決意した。
とこういう経過ですね。(#1の補足でのyoshinobu_09さんの認識は順番の誤りです)

(3)東南アジア諸国の対日感情の変遷
戦争初期はイギリス・オランダなどからの解放軍として歓迎される。しかし、日本軍の現地研究不足(理解不足)による圧政、資源・労働力などの収奪により、対日観が変化。そのため、日本と旧宗主国との戦闘の合間を縫って独立を模索し始める。日本降伏後は旧宗主国に対する独立運動を継続して独立を勝ち取る。

一例としてミャンマーを取り上げると独立直前に暗殺されたアウンサン将軍(アウンサンスーチー女史の父)は当初日本で同志と共に軍事訓練を受け、ビルマ独立義勇軍を結成して日本の援助のもとに対英ゲリラ戦争をしかけて英軍をミャンマーから追い出すが、その後第二次大戦途中から日本軍に距離を取り始め、イギリス軍の反攻とともに対日反乱を起こして日本を排除します。その後、戻ってきたイギリス軍に対しても独立を主張しますが、別のビルマ人勢力により独立直前に暗殺されてしまいます。

最後になりますが、歴史を考える時に細かいディテールにとらわれすぎることは禁物です。大きな流れと全体の動きをまず知る必要があります。歴史的事件の中で各個人が体験したことは嘘ではありませんが、また「歴史上の事実」であるとも認定できないのです。

さらに言えばある事件に対して各個人がどう思ったかということは確かに人によって異なりますが、いくつもの感想・感情がある中で多くの人が思ったこと感じたことがその時の潮流となって政治を動かし歴史を動かしていきます。こうした流れを理解するのが「歴史観」であると私は考えています。

この回答への補足

基本的な情報大いに参考になりました。
「統治」「植民地」の実態がよくわかりません。
戦後の日本も統治されていましたが、形式として政治的な決定は国会で日本人によって決められています。(GHQ指導のもと)かなり民主的です。
それよりひどい扱い(資源や労働力の搾取)されていたのでしょうか?

ABCD包囲網と南進の経緯を調べてみました。
・1940年9月23日、日本軍は援蒋ルートの遮断と南進を目的とし、フランスの敗北に乗じてフランス領インドシナ北部(北部仏印)に進駐。
・1940年9月27日日独伊三国同盟に調印。
・1941年4月から日米交渉を開始。
・1941年7月28日にフランス領インドシナ南部(南部仏印)に進駐。態度を硬化させたアメリカは7月に在米日本資産を凍結し、8月には石油など重要軍需物資の対日輸出を一切停止。
・ABCDラインが成立し、日本は孤立。
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/gendai/56-daini …

これによるとやはり南進の方がABCD包囲網より先になっています。インドシナ進駐を本格的な東南アジア進出ととらえるかどうかで認識が違うのでしょう。

>戦争初期はイギリス・オランダなどからの解放軍として歓迎される。しかし、日本軍の現地研究不足(理解不足)による圧政、資源・労働力などの収奪により、対日観が変化。

 最初は歓迎されていたのに残念ですね。
 搾取する一方では長続きしません。戦争中ということもありあせっていたのでしょう。
 戦後の裁判で多くの日本人が東南アジアで死刑判決を受けたと聞きますが、圧政が理由でしょうか。

 アウンサン・スーチさんの父親はずいぶんと活躍をした人だったのですね。日本で軍事訓練をしていたとは驚きです。

補足日時:2004/01/09 21:49
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拙文で恥ずかしくはありますが、少々私見を述べさせていただきます。


まず、国民党への英米の援助を遮断する目的で仏領インドシナへ進駐したというのはもう述べられていますが、
これは、当時のフランス政府との合意の上での共同統治といいう形でした。
もちろん当時のフランスはドイツの影響下にありましたが。
また、米国の蒋政権への援助は、米が国際連盟憲章にも挙げていた孤立主義から大きく逸脱するものでした。

次に、統治の仕方という点ですが、軍政下にあり苛酷な生活であったことは事実でしょうが、日本は独立の約束と、その担保を与えていました。
そもそも、当時の日本は現地の人間を日本に留学させ、独立時政府の下地を作り、陸軍学校では現地人を独立後の国軍にさせるために学ばせていました。
これが独立の際の戦争で大きな助けになったのです。
これは衆愚政策に代表される西欧の統治政策とは対照的なものでした。
最終的に行ったことが資源の収奪でしかないというのは一面的な見方でしかなく、かといって完全な正義しかなかったということもないでしょう。
個人個人の感情というのはその人間の些細な経験でや勘違い、運不運で変わってしまうものであり、重要なのは歴史の流れの中での意義ではないかと思います。
当時のアジアで日本以外にも唯一シャムが独立していたといっても、不平等条約に縛られ、大国間の勢力争いの中でうまく立ち回っていたということに過ぎません。
当時、世界に非白人の独立国は日本を除きありませんでしたし、国際関係は力以外の発言力はありませんでした。
それが第二次を境に大きく変わったということは事実だということは言えるのではないかと思います。

この回答への補足

>フランス政府との合意の上での共同統治

 そうだったのですか。参考になります。

>日本は独立の約束と、その担保を与えていました

 担保とはなんでしょうか?土地ですか。

>衆愚政策に代表される西欧の統治政策とは対照的なものでした。

 衆愚政策とは何でしょうか?日本の場合は武力による統治と考えてよいのでしょうか。それとも傀儡政権を打ち立てるのが目的だったのでしょうか?満州国のように。

>シャムが独立していたといっても、不平等条約に縛られ、大国間の勢力争いの中でうまく立ち回っていたということに過ぎません

 これもとても参考になります。
 日本が介入したことにより、結果的に独立が早まったという事実をどう評価するかで大きく違ってくるようですね。
 

補足日時:2004/01/10 23:17
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歴史というものは過去に起きた客観的事実を元に分析を深めるべきものだと思うのですが、中には思い込みや虚偽の事実を元に主張される説も多々あるようです。


従って、何が真実なのか、ということは誰にも分からないし、回答なんてないものです。

例えば、ご質問のご老人の発言にしても、実際は東南アジアに行って自分の目で見たワケではないですよね?つまり、誰かの発言(ウソかホントか分からない)の受け売りか、戦前の日本政府の発表(事実を公表しているとは限らない)を聞いてそう思っただけなんです。
また、現在生きている現地(東南アジア)の人が○○と言っているというのも、同様の理由から鵜呑みにはできないですよね。
「実際に経験した」という人についてもどこまで事実なのか疑い出したらキリがないですが、その主張の背景に政治的なものや、金銭的給付目的がないか、といった点を勘案しなければなりませんよね。なにしろ人間なんて「嘘つきだらけ」なんですから。

以上のように、結局はご自分でいろいろな説を勉強して、どれが正しい可能性が高いか、という観点で判断する他ないんです。でも人間というものは、結局その人の信条をベースにした見方になってしまうから「歴史観」というものは人それぞれ違うんです。このように「歴史観」というものはある意味、宗教みたいなものですから、いくら話し合ったところでお互いが納得するなんてことないんです。

ご自分の「歴史観」がまだ確立されてないのであれば、以下のことをアドバイスさせていただきます。
(1)できるだけ客観的な資料を根拠にしていること
(2)論理的にありえないことを主張していないこと
(3)学校で習ったことが真実だと思い込まないこと

ちなみに、ご質問の件についての私の見解は、以下の通りです。
(1)西洋も日本も侵略者であり、たいていの人は好意を持っていない。
(2)ただ、日本はそれまで侵略していた西洋の国に比べ、近代的な文化を浸透させることに貢献したため、西洋人よりは憎まれていない。
(3)自分たちと同じアジア人(日本人)が西洋人と戦って勝っているところを目の当たりに見て、自信が持てた。(その意味で日本は好きではないが感謝している面もある。)
こんなところです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
特に歴史観について質問したつもりはなかったのですが、反応が多いですね。
歴史観に達するまでには、総合的な歴史的事実や流れなどを認識してからでないと達成できません。
その知識がないので、基本情報を聞きたかったのです。
戦前の東南アジア情勢についてはあまり知られていないようです。

>日本はそれまで侵略していた西洋の国に比べ、近代的な文化を浸透させることに貢献したため、西洋人よりは憎まれていない。

 西洋人は憎まれていたのですね。
 そして近代的発展にあまり貢献しなかったわけですね。
 よい統治はしていなかったと理解します。

お礼日時:2004/01/09 22:20

#2のNexus_no6です。


この事柄に関しては国内的にも国際的にも評価、判断がまちまちで、このような場で明確な回答が出来るとは思えず、又、余計な先入観や現代的な価値判断による誤解思い込みが入りやすいため、ご自身で調べられるよう助言したつりいです。
文章力不足で伝わらなかったのなら申し訳ありません。

  日本が東南アジアへ進出する前の東南アジアの
  状態はどのようなものだったのでしょうか?
  西洋諸国の厳しい占領統治をうけていたのでし
  ょうか。

 どのような回答をしても一面的なものにしかなりません。つまり立場の違いで様々な答えが返って来るということです。

  当時のアジア人は無知蒙昧で、我々(西洋)の
  おかげで文明的な生活を送れるようになった。

一例ですがこのような回答すら可能です。(実際そう信じている人も少なくありません。)
国家の威信、面子、大義名分等々・・・。やはりご自分で少し勉強なさってください。
現在進行中のイラク問題も、国家、民族、宗教によって様々な意見があります。
人の意見に盲従するのは感心しません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>人の意見に盲従するのは感心しません。

 盲従はしませんので、ご意見をおかきいただければ幸甚です。

お礼日時:2004/01/09 22:24

表向きにはアジアを欧米の植民地支配から


解放して大東亜共栄圏をつくことを
口実にしていましたから、個人の独自の
歴史観ではなくそう教えられていたのでしょう

私も戦後にアジア諸国が独立したのは日本の
おかげだと言う話は良く聞きました、普通の
兵隊はそう教育されていたのでしょうし、
戦後も現地に残って独立戦争で戦った日本兵も
いたようです。

漫画家の水木しげるさんは現地の人と仲良く
なって、日本に帰らずに暮らそうと思った
そうですよ

どっちにしろ武力で占領しましたし
負けたのですから快く思ってはいないでしょう
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
水木しげるさんの漫画は読みました。
終戦を知ったとき「現地解散して、自分は島に残りたい」と願い出るのですが、隊長に説得されて日本に帰るのですね。
漫画では現地の人はひたすら平和に暮らしているように描かれています。自分の庭で他国の兵士同士が争っているというような。

お礼日時:2004/01/09 13:01

すでに#2の方が書かれているとおり、東南アジアは日本の資源(特に石油)を確保するために占領されたというのが真相です。

(東南アジアを撤退してから日本にはゼロ戦を飛ばす石油もなくなり、松根油(しょうこんゆ)を使って飛ばしていたという事実があります。余談ですが、戦後ちゃんと精製した石油でゼロ戦を飛ばしたら、公表値の1.2倍の性能を示し、当時ぶっちぎりで世界最高の戦闘機であったことが証明されています。)
但し、一部の現地の方は日本に好意を寄せています。これは、幸運にも日本軍による略奪等がなかったためであり、独立が早まったとして喜んでくれているのは少数派のようです。大抵の地域では資源(人的資源も含む)の略奪者として見られているというのが、世界的な見方です。
日本から見た見方は、そのご老人の言われるとおりなのですけどね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>資源(人的資源も含む)の略奪者として見られている

 結局はそのとおりかもしれませんね。

お礼日時:2004/01/09 12:56

一緒に住んでいる何人かのインドネシア人から何回も言われましたけど、日本が占領した2年間というのはひどかったらしいですよ。



親しい間柄ですので厳しい言葉は使ってきませんけど、日本が空襲に遇い、広島と長崎に原爆が落とされた時はみんな喜んだ、って言われると、どうも、現地人が感謝していると言うのはでっちあげのような気がします。

参考までに。

ちなみに、友達からこんなことを言われるなんて、っと少しがっかりしてますけど。
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この回答へのお礼

>日本が空襲に遇い、広島と長崎に原爆が落とされた時はみんな喜んだ

 これは一証言として重みのある言葉です。
 9:11テロのときアラブ人が喜んでいた映像を思い出します。
 日本が進行する前に英仏蘭が進出していますが、これがどのようなものだったのに興味があります。

お礼日時:2004/01/09 13:04

 この質問に真剣に答えようとすれば、かなりな長文に成らざるを得ません。

ですから図書館などで、しかるべき本を借りて読まれる事をお勧めします。
 多少意見を書かせてもらえば、その御老人が話された事は、当時の「大日本帝国」国民(臣民)としては常識で、何ら『独自の歴史観』という訳ではありまん。
そして、『中国と長く戦って』(なぜそのような事にになったのかというと、ややこしい話しになります)いたため、結果的(かなり込み入った話になります)にアメリカ等からの経済封鎖を招き、『戦線』を維持するための戦略物資を獲得するために『東南アジアへ進出』した訳です。(何か反発されそうな文章だなぁ・・・)
『東南アジアの人は日本軍に対してどのような感情を持っていた』かは、最終的に憎悪したというのがほぼ正確だと思います。(やっぱり反発されそうだなぁ・・・)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
日本が東南アジアへ進出する前の東南アジアの状態はどのようなものだったのでしょうか?
西洋諸国の厳しい占領統治をうけていたのでしょうか。

お礼日時:2004/01/09 12:54

 おはようございます。



 歴史の時間に,「ABC包囲網」というのを習いましたよね。今で言う経済封鎖ですが,資源の無い日本は,それに対する危機感から資源を求めて東南アジアへ進出したのが実態ですね。その老人が言われているのは,結果としてそうなったというだけで,それを目的に戦争をした訳ではないですね。
 東南アジアの人の感情は悪くはなかったみたいですが(表面的なことだけかも知れませんが。),どちらにしても,戦争を美化してはいけませんね。
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この回答へのお礼

たしか日本が南方へ進出したので、「ABCD包囲網」という経済封鎖をされてしまったと記憶しています。
その交渉がこじれて太平洋戦争の開戦につながったと。

>どちらにしても,戦争を美化してはいけませんね。

 その老人は南方には行っていないのですが、韓国・中国へは行っており、現地で、「日本の高い文化と教育、技術をもちこんだので、感謝されている」と実感したらしいです。
 おそらく一部しかみてなかったのだと思います。

お礼日時:2004/01/09 12:46

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Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。

Q満州国建国の目的を教えて下さい。

なぜ日本は満州国という独立国を建国したのですか?当時の国際事情や国内事情などを踏まえながら、建国の目的を教えて下さい。

Aベストアンサー

当時、日本を含めた列強諸国は中国に数多くの利権を有していました。
これはアヘン戦争以来、一世紀近くに渡って列強諸国が鎬を削って中国での利権獲得競争を行った結果でした。
そして植民地獲得競争において出遅れた日本において、満州周辺で獲得した利権はほぼ唯一に近い「海外利権」でした。
このため当時の日本では「満蒙の特殊権益」は「明治以来、先人が苦労と犠牲と投資を重ねて獲得した利権」であり、また「国家の生存に必要不可欠」と認識されていました。
しかも当時は世界恐慌の結果、引き起こされたブロック経済化により日本製品は欧米やその植民地の市場では高額の関税を課せられる事となったために、その重要性がかなり誇大に意識されるようになっていたのです。
誤解を恐れず敢えて言えば「戦後の日本における一時期の憲法9条」のように、その是非を議論すら許されないという風潮があったのでした。
しかしながら第一次大戦以降の世界的なナショナリズムの高まりにより、中国においても列強に奪われた利権を奪い返す国民運動である「「国権回復運動」が起こりました。
ただしこのようなナショナリズムに根ざす運動は、現在でもそうですがしばしば過激化し、外国勢力への排撃運動に近いものになる事もよくありました。
その結果、日本人の多くは中国で獲得した利権が危機にさらされており、それが日本という国家の生存すら危うくしかねないという(現在の視点からすれば)かなり大げさな意識がもたれていました。
これは戦後の日本でも「日米安保は戦争の道」「PKO活動で日本は軍国主義化する」とか後から見ると馬鹿馬鹿しい話が大きな政治問題になったことを考えれば、理解しやすいのではないかと思います。

ただし満州事変当時の日本政府はまだ国際協調路線を取って、交渉で穏便な事態解決を望んでいました。
ところがその前にロンドン軍縮条約で引き起こされた「統帥権干犯問題」のため、政府は軍の統制を取ることが出来ず、満州事変により日本軍は政府の不拡大方針を無視して満州の殆どを制圧し、一気に「特殊権益問題」の解決を図ったのでした。
この行為は現在では「軍の暴走」とされますが、当時の日本ではマスコミは拍手喝采して支持し、事態の不拡大を計った「政府の弱腰外交」を非難しています。
そしてこの国民世論の後押しを受けて建国された満州国について、欧米との対決を望まなかった当時の犬養毅首相は承認を渋りますが、五・一五事件で暗殺され(犬養は統帥権干犯問題を引き起こしてこの事態を招いた張本人のひとりであるので、自業自得の一面もあります)、日本政府は軍の暴走と国民世論に引きずられる形で満州国を承認、欧米との全面対決、そして国際連盟脱退へと向かってしまいます。

このように満州国の建国は決して日本が国家意思として行ったものではなく、当時の日本人の「満蒙の特殊権益」に対する過剰な意識と中国側の反発、そして軍の統制問題などが絡み合ったために、一部の暴走を国家が追認するという非常に危ういものでした。
しかしそれが当時は「大成功」を収め、国民からも高く評価されてしまった事で、その成功体験が後の日中戦争、そして太平洋戦争の遠因となり、大日本帝国を滅ぼしてしまうのです。

なお満州事変当時の日本国民の意識について論じた本で、簡単な書籍としては「日米もし戦わば―戦前戦中の「戦争論」を読む(光人社)」などがあります。

当時、日本を含めた列強諸国は中国に数多くの利権を有していました。
これはアヘン戦争以来、一世紀近くに渡って列強諸国が鎬を削って中国での利権獲得競争を行った結果でした。
そして植民地獲得競争において出遅れた日本において、満州周辺で獲得した利権はほぼ唯一に近い「海外利権」でした。
このため当時の日本では「満蒙の特殊権益」は「明治以来、先人が苦労と犠牲と投資を重ねて獲得した利権」であり、また「国家の生存に必要不可欠」と認識されていました。
しかも当時は世界恐慌の結果、引き起こされた...続きを読む

Q日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国があるのですか

先日、テレビでパラオは、過去の戦争で日本軍がいたのですが、すごい親日国だということを知りました。
過去の戦争で日本軍がいた他の東南アジアの国でも親日的な人は、結構多いと聞いたことがあるような気がします。

韓国や中国は、反日的ですが、過去に日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国と分かれるのでしょうか?

すみませんが、お教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>過去の戦争で日本軍がいた他の東南アジアの国でも親日的な人は、結構多いと聞いたことがあるような気がします。
>韓国や中国は、反日的ですが、過去に日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国と分かれるのでしょうか?

回答:反日の国は、国民に嘘を教えているからです。

軍隊がいた=反日 というのは無知から来る短絡思考です。
日本には米軍基地がありますが、日本人は反米なのでしょうか。

この類の質問は何度もでていますが、日本を非難する方は何故か資料を出さずに、主観的な推測を語る方が多いようです。


まず、東南アジア諸国についてですが、日本は植民地にはしていません。
大東亜共栄圏構想は、欧米から独立してアジア諸国による民族自決を目指したものです。
当時のアジア諸国の国力は日本だけが飛びぬけていた為に、日本の主導になっていたことは事実ですが、「日本によるアジア支配」という解釈は歪曲です。
日本は、白人を排除した後に大東亜会議を開いて、彼等の自治を認めています。

【大東亜会議】
http://www.youtube.com/watch?v=3mvHRVlrFUU

アジア諸国は「日本の戦争は侵略ではない」という認識から、連合国が認めた賠償請求権を放棄してくれています。(しかし、日本はそれに対しても「準賠償」という名目で経済援助をしています)

【日本が支払った戦争賠償金】(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=euNuLLDSWTI


ソムアン・サラサス(タイ側交渉団)は終戦後の訪日時に、↓のように語っています。

「日本国民は餓死寸前でありました。日本中が焼野原でした。
そして、皇族も華族もいなくなり、有力な軍人と賢明な役人と高潔な政治家は牢に叩き込まれて誰もいません。
アメリカはそっくり返って威張っている。団員は口々に“こんな気の毒な日本を見ていられるか”と言いましたよ」
「(こんな値引きに応じて)“国へ帰ったら、殺されるかな”とフッと思った。
けれど、“まあいいや、友邦日本は悲惨な状態なんだから”と自分に言いきかせました。団員も同じ気持ちだったのです」

大東亜戦争中、日本はタイから20億バール(当時の10億ドル以上)の借金をしていました。
タイはそれを2500万ドルに値引きしてくれています。


フィリピンについてですが、
私は、戦争がなくてもフィリピンが(タダで)独立できたか については疑問があります。

オランダはインドネシアの独立の時に60億$を請求しています。
他にも、インドネシアにオランダ人が所有している土地財産の保全と、スマトラ油田の開発費用の弁済を要求しています。(独立戦争をしてすら、このような要求をされています)

実は、フィリピン国民は「フィリピンの独立記念日」は1898年だと思っています。
フィリピンは元々スペインの植民地でしたが、スペインがアメリカと戦争したとき、アメリカは独立を条件にフィリピンを味方に付けました。
戦争はアメリカが勝利し、フィリピンは独立を宣言しました。
しかし、アメリカはスペインからフィリピン統治権を買い取り、新たな宗主国としてフィリピンを統治しました。

日本は占領後の1943年にすぐ軍政を撤廃し、「フィリピン共和国」として独立させています。

その後日本の敗戦により、日本に亡命したラウレル大統領によって「フィリピン共和国」は解散されます。
その後、1946年にアメリカ統治下での選挙で当選したロハスによって、「現在のフィリピン共和国」が独立します。


台湾とパラオについてですが、
【植民地】というものについては、欧米の支配の実態から誤解されていますが、
植民地の本来の目的は、宗主国の国民を入植させつつ遅れた地域を開発し発展させることです。
台湾とパラオが親日なのは、その通りの事をして、それらを評価しているからです。
(それらの領有の経緯と是非については、質問されていないと判断しました)

【日本とパラオ ~歴史を越えた友情~】
http://www.youtube.com/watch?v=cTRfPNEPR-A

【日本と台湾は一心同体】
http://www.youtube.com/watch?v=gwPwOrmdlMs

反日の台湾人の多くは、中国大陸で共産党との権力闘争に敗れて台湾に逃れてきた国民党(蒋介石)の人たちです。
どちらも日本とは戦っていたので、反日でした。


韓国と北朝鮮ですが、
無知な人は日本が朝鮮を侵略して植民地にしたと思い込んでいますが、
日本は、失政で破綻した朝鮮の要請を受け入れて併合したのであって、侵略してはいません。
世界も併合は両国の合意に基づく平和的なものであることを認めています。
併合とは、一つの国になることで、他国を一方的に支配する植民地とは全く違うものです。
そして、日本は併合した朝鮮地方に対して、植民地である台湾やパラオより優遇しています。
(当然差別や虐待などはなく、強制連行や、従軍慰安婦や、創氏改名の強制は、事実ではありません。)

今の韓国が、反日である理由は、独立後の教育が原因です。
今の韓国の政府のルーツは、併合で特権を失った貴族や、外国(中露)から支援を受けて反日運動をしていた者達が、上海で名乗っていた自称亡命政府です。
戦前の彼らは、世界中が併合の正当性を認めていた為に孤立していました。(犯罪で資金稼ぎをしていた事も原因です。)

その後、WWIIの終戦で朝鮮は日本から独立しました。
終戦時の朝鮮には、日本の教育を受けた者しかいなかった為に、連合国は影響力を行使する為に、その亡命政府を独立した韓国の代表に選びました。
功績も無く他国の都合によるタナボタで権力を得た彼等は、日本の統治の方が良かったと国民に言われることを恐れました。(実際、日本の方が遥かにマシでした)

それを逃れる為に、新政府は朝鮮が独立できたのは、戦前・戦中からの我々の抗日運動の成果である。
朝鮮は昔から日本より優れていたが、日本が卑怯な方法で侵略して、韓国の富を奪って行った。
今現在韓国の発展が遅れているのは、それが原因であると、事実と違う捏造教育をし続けました。

このように、自分達の失政への批判を、日本という敵を作ることでそらし続けてきた結果、反日が韓国人に定着してしまい、今更、教えた歴史が嘘でしたとは言えない状態になってしまっています。
今、それをした場合、韓国人のアイデンティティは崩壊して、国そのものが危うくなってしまうでしょう。

北朝鮮の反日も↑の自国の政府の正当性を、「日本と戦っていたこと」に拠っているからです。


中国の反日も、韓国と同じです。
彼らも日本の侵略を戦って撃退したと言っていますが、事実は全く逆です、
日中戦争は、中国が朝鮮(当時は併合で日本領)を侵略したのが原因です。

当時の中国ですが、清国が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態でした。
彼らは大陸の日本領内にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行っており、現場の緊張は極限状態に達していました。
日本は、条約や協定による平和的な解決を試みましたが、彼等にはまともな行政・司法・警察等の能力は無く、国際条約の知識や理解も薄く、それらの遵守は期待できませんでした。(実際何度も一方的に破棄されています。)

当然治安も悪く、テロも多発しており、日本人の大尉が中国兵に惨殺される事件も起きています。
これらの結果、現地の部隊が暴発し、独断行動による戦闘が発生してしまい、それが満州事変に発展します。

これによる満州国の建国を、侵略によるものだという意見もありますが、満州国という地域を確保しないと当時日本が所有していた、満州鉄道へのテロを防止できませんでした。

その後の満州国は、日本が治安を維持した為に各地から人口が流入し繁栄した為に、再びそれを狙った中国によるテロ活動が起りました。
日本軍は前回と同様、領土内で対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。
日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。
これが日中戦争に発展します。

私は、これらの経緯を日本の一方的な侵略と断定できる人の知能と国籍を疑います。

http://www.youtube.com/watch?v=Kiz7N4z7c3M

>過去の戦争で日本軍がいた他の東南アジアの国でも親日的な人は、結構多いと聞いたことがあるような気がします。
>韓国や中国は、反日的ですが、過去に日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国と分かれるのでしょうか?

回答:反日の国は、国民に嘘を教えているからです。

軍隊がいた=反日 というのは無知から来る短絡思考です。
日本には米軍基地がありますが、日本人は反米なのでしょうか。

この類の質問は何度もでていますが、日本を非難する方は何故か資料を出さずに、主観的な推測を語る方が多いようで...続きを読む

Qタイはどうして植民地にならなかった

タイはどうして植民地にならなかったのでしょうか?
また、第二次世界大戦ではタイは戦ったのでしょうか?
ぜひお教え下さいませ。

Aベストアンサー

基本的には、「英仏の緩衝地帯」という見方でよいと思います。

当時、イギリスはビルマとマレー半島を植民地化していました。フランスは仏領インドシナと呼ばれる、現在のベトナムを含めたインドシナ半島の東側を領有していました。
この間に挟まっているのがタイで、双方どちらかがタイを植民地化してしまうと、国境を接してしまうことになるのでよろしくない・・ということです。
ただ、もうひとつ見方があり、それはタイ自身で独立を勝ち取ったという見方です。タイ自身も、あの時代外国人誘致による近代化を進めており、自身の力での独立維持という見方も、わずかながらあります。

さて、第2次世界大戦についてですが、あまり知られていませんがタイは枢軸国として参戦していた日本の数少ない味方国です。(以降は以前の回答から持ってきたものですが、そのまま回答になっています)。
イギリスの爆撃や、B-29の空襲も経験しています。関係としては、日本が仏印(今のベトナムを含めたインドシナ半島の東、つまりフランス領です)に進駐したころから、歩調を合わせ始めています。その前は第2次大戦について中立宣言をしていました。その後、日本が参戦するとほぼ同時に、宣戦布告を行っています。
しかし、最後には完全にそれを翻し(というか日本との同盟など、参戦した理由をうまく自国からそらしたのです)、ついには敵国条項(第2次大戦における連合軍の「敵」リストとでも考えてください)にすら名を連ねていません。これはタイの外交手腕の勝利といえます(今でもそうですが、タイという国は非常に外交が上手です。第2次大戦の前後におけるタイの外交は非常に巧妙で、見事といえます)。
なお、現在の日本との関係は友好的ですね。

基本的には、「英仏の緩衝地帯」という見方でよいと思います。

当時、イギリスはビルマとマレー半島を植民地化していました。フランスは仏領インドシナと呼ばれる、現在のベトナムを含めたインドシナ半島の東側を領有していました。
この間に挟まっているのがタイで、双方どちらかがタイを植民地化してしまうと、国境を接してしまうことになるのでよろしくない・・ということです。
ただ、もうひとつ見方があり、それはタイ自身で独立を勝ち取ったという見方です。タイ自身も、あの時代外国人誘致による近代...続きを読む

Qどうして南部仏印に進駐したのか?

僕は歴史の授業で、日本軍が南部仏印に進駐したことによって米国が態度を硬化させ、ハル・ノートに至ったと教わりました。
では、どうして日本は反発覚悟で南部仏印に進駐したのですか?

大東亜戦争は自衛のためだったとは思いますが、援蒋ルートを遮断するなら北部仏印まででよかったのではないでしょうか?

Aベストアンサー

↓の回答は、質問が求めるているものは、↓の南仏印進駐への理由とその経緯であって、それ自体やその後の事への評価や回答者の意見ではないということと、当時の日本の政府や軍人がどのように考えてしまったのか?ということであるという前提でのものです。

>では、どうして日本は反発覚悟で南部仏印に進駐したのですか?

回答:資源の確保と援蒋ルートの遮断の為で、ビルマルートよりは簡単だと判断されたからです。

南進論自体は、スパイ(尾崎秀実)の工作だと思いますが、その細部(南北仏印への進駐)は、それに乗せられた政府と軍人によるものだと思います。

日本は、ドイツのフランス占領を契機に外交交渉をして、1940年に北部仏印に進駐しました。
それが原因で、米国は屑鉄の対日輸出を全面的に止めました。

その3ヵ月後、タイと仏印との間で国境紛争が起こります。
日本は、間に立って調停を行い、1941年タイ・フランス平和条約が成立させます。
(この功績で日本の評価が上がった事に不満な米英は、オランダ領インドシナに日本への石油の禁輸の圧力をかけました。)
その為、日本は南方に資源を確保する必要に迫られました。

一方で、英国はビルマルートから中国に支援をしていました。
このビルマルートの遮断と、南方の資源確保の為に、日本は南部仏印にも進駐する必要がありました。

日本は仏印政府と交渉して1941年に南部仏印に進駐しました。
これは外交による平和的なものでしたが、アメリカはこれを南方への侵略準備と見なしました。

参謀本部の田中第一部長は手記に「仏印、タイを我が軍事的結合圏内にすみやかに編入するため、取りあえず、仏印南部に所要の兵力を進駐させる必要がある。
その目的は全仏印の実質的把握…更にタイに、にらみを利かせ…情勢に応じてはビルマに進駐する為の基地とするにある。
これによって対支封鎖の陣形は完成される」と書いています。

また御前会議の理由書にも
「…最近米国ヲ中心トスル英米蘭支ノ戦略態勢強化…若シ帝国トシテ速ヤカニ之ニ対抗スル措置ヲ執ルコトナク…日ヲ閲スルニ於テハ…支那事変ノ 解決ハ更ニ遷延スヘク…帝国トシテハ此ノ際仏印・タイ全域ニ渉リ帝国ノ軍事的地歩ヲ先制確保スル要極メテ緊切ナリ…」
とあります。

以上から、日本の真の目的は支那事変の解決であり、仏印進駐はその為の資源確保の必要からのものです。

その支那事変ですが、戦争を仕掛けているのは中国です。
英米蘭はそれを理解せずに、被害者である日本だけに制裁をし、加害者の中国には支援をしています。
(彼らはWWIIの終戦後、朝鮮戦争やベトナムでやっと中ソに騙されている事と共産主義の危険性を理解しましたが、既に後の祭りでした。)


スパイ(尾崎秀実)の工作ですが
欧州で独ソ戦が始まったとき、日本は↓の選択を迫られました。
北進論:ドイツを助けてソ連を攻撃する。
南進論:資源確保のために南方に進出する。

ソ連のスパイである尾崎の任務は、日本を南進論に導くことでソ連が日独に挟撃されることを阻止することでした。

日本は支那事変の和平を成立させる方向で動いていましたが、ナチスドイツの快進撃を材料に、近衛と尾崎が三国同盟を締結し南進に向かわせました。

http://www.youtube.com/watch?v=5aowyJM8Cpc

↓の回答は、質問が求めるているものは、↓の南仏印進駐への理由とその経緯であって、それ自体やその後の事への評価や回答者の意見ではないということと、当時の日本の政府や軍人がどのように考えてしまったのか?ということであるという前提でのものです。

>では、どうして日本は反発覚悟で南部仏印に進駐したのですか?

回答:資源の確保と援蒋ルートの遮断の為で、ビルマルートよりは簡単だと判断されたからです。

南進論自体は、スパイ(尾崎秀実)の工作だと思いますが、その細部(南北仏印への進駐)は、...続きを読む

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Q●第一次大戦中の日本『大戦景気』になった理由について(中学レベルです)

僕は中学2年生の男子なんですが、今期末テストの勉強に追われています。
塾などには行っていないし、親も勉強はあまり詳しくないので、ここでちょっと質問させてください。

第一次世界大戦中の日本は、日本の商品が欧米諸国の品物にかわり、アジア、アフリカ地域に進出した。
ということですが、なぜ輸出が増えたのか?と聞かれたら何と答えればいいのでしょうか?

授業中に先生が言っていたのですが、メモを取っていなくて忘れてしまいました・・・。
その先生は「1度言ったことはもう言わない!」みたいなことをいつも言ってるんで、怖くて聞けません。

何となくは分かるのですが、テストの解答欄に書く用の文章にはできません。なので、詳しい方はぜひお願いします。

Aベストアンサー

No,1の方の回答でもう事足りていると思いますが、気が向いたら読んで下さい。

大戦景気とは三国協商vs三国同盟という形で起こった第一次世界大戦の折、戦争をしているヨーロッパ勢がアジアに目を向ける暇が無いのをいいことに日本がアジア・中国市場の独占を図ったこと、そして戦争による需要の増加という2つのことから生じたものです。

「なぜ輸出が増えたか?」と聞かれたら、「戦争している国は輸出用の商品を作っている暇は無く、むしろ戦争に必要な物資をひたすら輸入する側に回ることになるので供給は減り需要は増えることになる。そうして生まれた超需要に目を付けた日本が率先して輸出をしたので結果として輸出量が大幅に増加した。」みたいに答えればいいかなと思います。

なにやら怖い先生みたいですが勉強する意思のある生徒の質問に答えないというのは職務怠慢な感じがするので、友達と一緒に教頭や校長に報告し注意してもらうのもいいかもしれませんね。

Q江戸時代、藩がどう分布していたかがわかりやすい日本地図を探しています。

たとえば、
今の山口県のあたりには長州藩があり、藩主は毛利家
ということが見てわかりやすい日本地図を探しています。
そのような地図がおいてあるサイトをご存知の方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

江戸時代初期は大名の取り潰しが多かったので、いつの時代が必要なのか難しいですが、一応300藩と言うことで参考URLをご覧ください。
地方ごとに分かれています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

Q戦前 中国工業

戦前の中国経済には外資の企業が多く来たときますが、中国工業におけるその役割と問題点について教えてください。日本が紡績工場を作ったりしたと聞いたんですが??よくわかりません。お願いします。

Aベストアンサー

外資系というより、日本が主でしょう。
戦後も中国で走っていた機関車は、主に日本製だったでしょうから。
中国東北区の工業地帯など、日本の残した施設をそのまま使っただけじゃないでしょうか?
同じことは北朝鮮にも言えます。
「1950年代まで稼動していた日本が作った工場」という表現を見ます。
中国が、戦後、素早い復興を遂げたのも、ソ連、ベトナム、チベット等、外国と戦争できたのも、日本が残したインフラと工業設備があればこそです。
朝鮮戦争時、マッカーサーが満州爆撃を主張しましたが、それはこの工業地帯を破壊したかったからでしょう。

問題点といえば、日本がこれだけの資産や設備を中国に引き渡したため、国民党政権が追われ、チベットが侵略され、周辺諸国に迷惑をかけたことですね。

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む


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