プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私の母は若い頃から商売をして生きてきました。
普通の人では考えられない商売のやり方で財を成してきました。
私たちは二人姉妹。母とは暮らしたことがなく、ずっと親戚に預けられて育ちました。
父は私が生後6ヶ月の時に離婚したらしく、顔も何処に住んでいるのかも知りません。

母は財を増やすことばかりに明け暮れ、私たちの成長に関しては全く興味を示さず、
大人になったら、お前たちに財産が行くんだから、ありがたいと思え、と言われて育ちました。

本当に、大変な子ども時代でした。
預けられた親戚の家では迷惑がられ、母に対する不満に満ちた叔父叔母の顔色を伺いながら育ちました。
いっそうの事、施設に入れてくれれば良かったのですが、何故か親戚の家に預けられたままでした。
子どもでしたので、自分が何故そのような境遇なのか、何故親戚に辛く当たられるのかも理解できるわけもなく、
いつも心が寂しく、愛情に飢えていて、悲しみを押し殺しながら、生きていたように思います。

家庭というあたたかさに飢え、父母に愛されて育つまわりの子どもたちに憧れていました。

子どもの頃から、家庭というものへの憧れが強く、早く結婚して、子どもを持ち、自分には与えられなかった、幸せな家庭を築きたいと夢を持っていました。

しかし、早すぎる結婚は上手くは行きませんでした。

私もシングルマザーとして生きることになっていました。
とてもやり切れず悲しい現実に、泣きくれました。
本当に子どもには自分と同じ道を歩ませてしまったことに、申し訳なく、罪悪感に苦しみながら育てていました。

しかし、唯一、私は貧乏してでも、子どもは絶対に手放さない、いつも側に置いて育てようと思いました。

児童扶養手当と養育費だけで、月8000円の古い市営住宅に住み、子どもを育てていました。

それでも、子どもとの暮らしは幸せでした。子どもの成長を見ることはどんなことよりも幸せでした。

父親がいないけれど、なるべく側にいてあげよう、愛情を注いであげよう、と、全てを手作りで細々と暮らしてきました。

母は数億円の財を成し、仕事が生きがいで、次から次と新しく事業を拡げ自分の人生を好きなように暮らしていました。
母は明けても暮れても、お金の計算ばかりの生き方になっていました。

財を増やすに連れて、従業員をまるで奴隷のように扱い、傲慢な態度は従業員の反感を買い、やめていく人が多くなっていき、やがて事業が行き詰るようになっていきました。
仕方なく、外国人を安く雇うようになり、貧しい国の外国人は多少奴隷扱いされても何でも言うことを聞くので、扱いやすかったようで、どんどん外国人の従業員を増やしていきました。

しかし、やがて、バブル時代が終わりを告げ、事業は上手く行かなくなりました。
外国人を受け入れがたいお客さんは離れて行き、事業は傾いて行きました。

しかし、まだ、貯えのある母は、怖いもの知らずで、まわりの人をお金で動かそうとする傲慢さは変わらなく、まわりの人がお金で動かないと怒り、恨み、取引業者とトラブルになり、
裁判を繰り返すなど、相当自己中心的な生き方になっていました。

商売の傾きを取引業者のせいにし、恨みつらみを果たそうと、裁判を繰り返し、お金はどんどん裁判費用で消えて行き、それでも、プライドが許さない母は、勝つまで裁判を繰り返していきました。

そんな状況でしたので、商売は上手く行くはずもなく、とうとう、多くの人の信頼を失い、会社は破綻し、全てを失うことになりました。

しかし、貯えは全てなくなったわけではなく、貸し駐車場などの不動産を持っていましたので、生活は出来ていたようでした。

そんな母が、あるとき株に投資をすることをいつの間にかおぼえていました。

多い時は面白いほど、利益を上げることに味をしめ、事業に向けていた生き甲斐を、株投資に掛けていきました。

最初は、結構利益が上がり、どんどん、自分のたくわえを増やしていっていました。
毎日毎日、株式の動きに目を見張り、面白いほど、利益が出ることが楽しくなって行ったようで、
事業に失敗したけれど、株で生きて行こうと思えていたようでした。

毎日毎日、株の計算に明け暮れていました。
ご飯を食べることも忘れ、眠る時間も惜しみ、株の計算に明け暮れていきました。

来る日も来る日も、株のことしか頭にはなくなり、ご飯を作る時間ももったいないと、食パンを側におき、パンをかじりながら、株の計算に明け暮れていきました。

かなり性格はワンマンで、人の話を絶対に聞かない性格ですので私たちが何を言おうと、突きかえされ、まるで病的なほど、株のことばかりに没頭していきました。

商売をやっているときもそうでした。同じです。
利益の計算ばかりに明け暮れ、自分の趣味もなく楽しみもなく、商売だけが生き甲斐で生きて来た人でした。

朝も昼も夜もなく、株に明け暮れ、身の回りのこともしなくなり、身なりも気にしなくなり、同じことばかりに明け暮れていきました。

それから15年が過ぎました。

15年の間に大きく株で損を繰り返していました。

その損をした金額を取り返そうと、ますます、計算に明け暮れ、どんどん持っていた資産はなくなっていきました。

最後に自分の持ち家と土地を失うまでになってしまいました。
しかし、それでも株は辞めません。

それも取り返さないといけないと、更に株に明け暮れ、気がつくと貯金残高は、20万くらいになっていました。

母と暮らしたこともなく、母とかかわったこともない私でしたが、もう限界だと思い、母にきつく話しました。
「こんな生活は普通ではない、いい加減目を覚まして欲しい。
私たちは子どもの頃から、親らしいこともしてもらったこともなく、金金と生きるあなたを恨んで育ちました。今、財産を全てなくなっても、まだ、お金に執着をするあなたを見て悲しい、もう、株は辞めて、細々と暮らして欲しい。お願いだから、辞めて欲しい。見ていると胸が張り裂けそうに悲しくなる。
もう、お金に執着するのは辞めて欲しい。」と訴えました。

しかし、母は辞めません。まるで、何かに取りつかれたように、今日も株に明け暮れています。

20万円しかないお金でまだ、株に投資をしています。

母は今は全てを失い、風呂無しのおんぼろアパートに布団とテーブルしかない部屋の中で、毎日株の計算をしています。
精神を病んでいることに最近気がつきました。

本当に深刻に悩んでいます。病院に連れて行きたくても、本人は承知しません。
自分を病気だとは思っていません。

母の母親、私の祖母も同じようにして、呆けて行きました。
最後はお金に話しかけるようになり、お金と会話を楽しんでいました。
そのときの祖母と重なって見えてしまいます。
その光景が今でも忘れられません。

母もこのままだと、同じ状態で呆けてしまうと思います。

しかし、私も姉も母に何を言っても聞く耳を持ちません。凄く悲しいです。

母に代わって病院に行き、病院で症状を話して相談に乗ってもらうことは出来ますでしょうか?

やはり、本人が行かなければ、精神科では取り合っていただけないものでしょうか?

同じようなご家族を持たれている方がおりましたら、何かアドバイスをお願い致します。

今になって思いますと、母は幼少の頃から学生時代も偏った性格を持っていたようで、アスペルガーの要素が強いと思います。

他人の話は絶対に聞き入れません。視野が狭く、まわりの人の気持ちを考えたり、空気を読むことが出来ません。

大人のアスペルガーとの関わり方が分かりません。凄く面倒臭い性格です。とても疲れます。

このまま放って置くしかないのでしょうか・・。悲しくて仕方がありません。
母の財産を当てにしていたわけではなりませんが、ここまで全て株に投資してしまったことに怒りもこみ上げてきます。

この先どのようにして上げることが一番良いのか分かりません・・。

どうか、ご意見、アドバイスを頂きたく、何卒、宜しくお願い致します。

A 回答 (5件)

株で、ディトレして成功するなら、ありでしょう、とは言え、精神科の代理面接はOKです。


あなたが受診した時に説明して、セレネースの水薬をもらってください、ハロペリドール系の水薬です、それを内緒で食品とかに、混ぜて飲ませて、音なしくなったら、通わせます、と先生にお願いしてください。
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この回答へのお礼

早速のご回答を頂きましてありがとうございます。精神科の代理面接は可能と言うことを教えて頂き安心致しました。
セレネースの水薬についてお医者様に相談して見たいと思います。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2012/05/20 16:40

「精神病院 強制入院」で検索するとネット上にいろいろ情報が出回っています。


そちらを参考にしてみてください。
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この回答へのお礼

「精神病院 強制入院」との検索キーワードを教えて頂きましてありがとうございます。情報感謝致します。
早速検索して見たいと思います。皆様の温かいご回答に本当に感謝いたします。

お礼日時:2012/05/20 16:42

何かに依存していなければ正常ではいられないのでしたら通院されてみてはいかがですか


例えばタバコが好きな人は吸わなければ落ち着かなくなる
アルコールが好きな人は飲まなければ1日が終わらない
何かに熱中できるのは目的ではなく生活をする為の手段にすぎません。
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この回答へのお礼

ご回答頂きましてありがとうございます。
何かに熱中できるのは目的ではなく生活する為の手段ということですね・・。
タバコやアルコール依存症も行き過ぎると怖いですね。
出来るだけ早く病院に繋げられるように工夫をしたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/20 16:46

なんらかの連鎖か擦り込みがあるのでは


と質問文を読み進めましたが、やはり
……と思いました。

お母さまは(お婆ちゃまも)可哀想ですね。
救う方法は見つかりませんが、
現実を受容することができるように
環境を整えてあげることに成功すれば、
あるいは、変り始めるかもしれません。

それには、
質問者さまのメッセージは、
言葉のみならず、眼差し、表情、態度、しぐさ、
姿、姿勢、言葉の選び方、声のトーンなどから
より多く伝わってしまいますので、
質問者さまは、思ったことを
そのままストレートに言うのではなしに、
一工夫、創意工夫を加えながら、
TPOに応じて、接することでしょう。

とりあえず、
質問者さま自身の
短所の
いい面 肯定できる点を
見つけ出すところから始めてみませんか。
それが済んだら、
お母さまの
いい面 肯定できる点を
できるだけ多く、
見つけ出してみましょう。
Good Luck!
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この回答へのお礼

ご丁寧なご回答を頂きましてありがとうございます。
現実を受容できるように環境を整えてあげること・・私自身環境作りが苦手ですが、改めて落ち着いて母を客観的に見られるように努めて、一番良い方法を考えて見たいと思いました。

言葉だけではなく、眼差し、表情、態度、しぐさ、姿勢、言葉の選び方、声のトーンなどから、より多く伝わってしまう・・・という内容を読みまして、はっと気がつきました。
子育てでも同じですが、本当にそのことに気をつけて上げなければ、
心を開いて貰えないことなど気づいていませんでした。

私自身の短所の良い面ですか・・

母のいい面ですか・・

母を恨むことでしか自分を保てずに生きてきましたので、いい面など見つめることをしたことなどありませんでした。
出来るでしょうか・・・。

悩みますが、少し味方を変えてみたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/20 16:58

どうしたらいいとは言えませんが


お母さんは元々障害を持って生まれてきたのか
育った環境がそうさせたのかはわかりませんが
病気でしょうね。
私もあなたほどではないけど
今思えば私の父も病気なんだろうなって。
それに気付き見方を変えたのですが
また私の感覚は私が小さい時に見てた父に戻ってしまいました。
私はもうダメです、向き合う気はありませんが
もしあなたにまだお母さんと向き合うことが出来るのなら
力にはなれないかもしれないけど見守ってあげて下さい。
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この回答へのお礼

ご回答頂きましてありがとうございます。
ご回答者様もお父様のことで、何かお辛い経験をされてきたことが伝わってきます。
ご回答者様は、もう向き合うことが出来ないとのことですが、私も、心境は同じ境地にいるのかもしれません・・。
見守ることの難しさを今、凄く感じていますが、
他のご回答者様に精神科は代理面接も可能と教えて頂きましたので、
相談しながら、母の状態を見守って行けるようになりたいと思います。
親が至らないと子どもが残酷なまでに苦しむ状況に置かれてしまいますね。

私もとても心が疲れています。
しかし、少し見守って見たいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/20 17:04

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