14歳の自分に衝撃の事実を告げてください

母が2週間くらい前に癌で亡くなりました。毎日病院に通いました。でも・・私はなにもできず、ただ、もう一度家に帰してあげたくて「頑張ってよくなって」「良くなってるからね」と、少しでも生きる力が出て、奇跡でも起こらないかな・・といのるばかりでした。お医者様からは、もう治療する方法はない・・と言われていました。あとはただ死を待つだけでした。そう言われて、心の隅では納得し覚悟もありました。でも・・どうしても諦めたくなかったから、母に生きてほしい、頑張れと言い続けてしまいました。今思うと酷だったのかな・・本当はもっと早くに楽になりたかったのではないのかな・・と思ってしまいます。通夜、告別式と、親戚が集まり、私に「良くやったね」「えらいね」と声をかけてくれます。でも・・そんな言葉を聞いても素直になれず・・(偉くなんかない・当たり前だし・もっとできる事はあったはずなのに・なんで、もっと早くから手を打たなかったんだろう・なんで・・なんで・・)と、声をかけられればかけられるほど・・悔しくて、悲しくて・・・
残された人が、明るく前向きに幸せに生きていく事が亡くなった人も安心して成仏できる・・・泣いてばかりいたら心配になってこの世に未練が残り成仏できない・・・見たいな事を言われますが、その通りかもしれないけど・・・
今私は泣いてばかりいて・・
母は、あちらに安心して行けないでしょうか?
安心して行ってほしいから・・泣かないって決めても、母の話などが出ると、涙があふれてきます。
どうしたら、もっと強くなれるのでしょうか?
どうしたら、母の話を冷静な状態で出来るようになるのでしょうか?

A 回答 (10件)

No.8です。



しつこいようですが・・・

心が追い付かないなら、追い付くまでじっとしていればいいんです。
急ぐことはありません。

亡くなった人を弔わなかったらよくないことが起きるという信憑をもたぬ民族はこの世界のどこにも存在しないでしょう。それを妨げる人にはよくないことがおきるかもしれません。

泣くことも弔いです。

物言わぬ死者の代わりに残された人間が何かをするというのが弔いです。
あなたがいることを覚えているよ、というのが弔いです。

弔いすぎるということはありません。

悲しめなくなったお母様の代わりにあなたが悲しむのも弔いです。

気のすむまで弔ってあげていいんです。

「いつまでも・・・・」は余計なお世話ですよね。

いつか心安らぎます。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

度々の回答ありがとうございます。
そうですね!
自分がつらいから、それから逃げたくて、そんな事を思っていたのかもしれません。
母を弔う事はそういう事なんですね
今は、悲しくて、思いだしては、泣くばかりだけど・・それでも、これが私の母に対する弔いなのかもしれないです。
(小さい頃から、泣き虫だったから・・・)
本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/07/26 07:12

グリーフ・ケアの専門家に


会って、癒しや希望を
ゲットしませんか。

(グリーフ・ケアの専門家に関しては
地域の電話帳か、葬儀社に訊けば
わかります)
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人の死亡率は100%です。



これは有史以来ただ一人の例外もありません。

それが身に降りかかったとき、受け止められるかどうかはその時にならなければ決してわかりません。
わかったところで時計の針には逆進性がありません。

現実を現実として見るしかないのです。

それをあくまでも受け止めたくないと思うのも構いません。
自分の心行くままに行けばよろしい。

冷静になる必要もありません。

変わらないのはあなたのお母様は生きていないという事実だけです。

生きている人間に死者を引き留めるほどの力はありません。
あなたがいくら泣いてもきちんと成仏できます。

だから、泣きたければ思い切り、気が済むまで泣けばよろしい。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうなんです。
その通りなんです。
わかっている事なんです。
でも・・心がついて行かずに・・・
冷静な回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/07/25 14:50

私は母を21才の時に亡くしました。



色々な受け止め方があると思いますが、こうあるべきなどという答えはありません。

時間が解決するとしか言えません。泣きたければ泣きたいだけ泣けばいいと思います。
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私は高校生の時に母を亡くしました


電車や色々な場所で仲のいい母子を見ると、悲しくて
「何で私のお母さんいないのに、あの人たちは幸せそうなんだろう」と苦しくなりました。ああすればよかった。こうすればよかった。謝りたいこともある。でも・・・もう届かない。

もう何十年もたっているのに。ふとしたきっかけで涙が出るときがあります。

死・・・ということを考えたときに、母が死んだときに私の中に母の魂のかけらが入り、それが徐々に私の魂と一緒になっていく。そのかけらが大きければ大きいほど悲しみも大きく喪失感も大きい。
お母さんの思いはあなたの中でかけらとなり、生きていく。あなたが亡くなるときにお母さんも亡くなる。
そしてあなたの魂も誰かの魂に残されていく。

魂のかけらが優しく揺れるから、時々思い出しては涙する。今は鈍い痛みを伴いながら張り裂けそうかもしれません。

何かの宗教ではなく、私の中の死生観ですので。

母が亡くなった時。そういうことをずっと考えていました。泣いて引きこもってしまえばお母さんは心配するかもしれません。

でも悲しいときに悲しみを我慢すると、いっぱいになってしまいます。

久しぶりに母のことを思い出して私も泣いてしまいました。
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この回答へのお礼

回答
ありがとうございます。
そのような考えもあるのですね。
そう思えば、少しは前を向けるかも・・・
ありがとうございました。

お礼日時:2013/07/25 14:54

ガンに負けずに長生きする方法もありますが、みな自分の場合も余命宣告されるのは一度だけのことです。



どれが良い生き方だったのかは判りませんね。

http://www.asahi-net.or.jp/~kx5n-kgym/square.htm

ここにはどの様に過ごしたら良いのかの、色々な情報がありますので、参考にして下さい。

ロゴセラピーでは、あなたとお母さんが一緒に過ごしたことの意味を考えてみませんかと問うと思います。

哀しみは一周忌の時期が近づくと大きくなりますから、泣くだけで無く、お母さんの死の意味を受け止めて置いて下さいね。

お母さんの居る場所はあなたやお父さんの心の中だと思いますよ。

あなたが明るいお母さんと話をしていれば、楽しく過ごしているでしょう。

あなたが哀しんで、泣いて過ごしているなら、あなたと一緒に悲しみを分かち合っているでしょう。

一緒に生きた日々の意味を理解できたら、お母さんの話を冷静に口に出すことが出来ると思いますよ。

癒しの広場にあることを、よく読んだら、心が落ち着くと思いますよ。
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お母様のこと、お悔やみ申し上げます。

さぞお辛くていらっしゃるかと思います。

私も31の時に1年半の闘病生活だった母を失くしましたので、少なからずお気持ちお察しいたします。

まず、お母様に生きてほしい、頑張れと言い続けられたとのこと、酷なんてことまったくありません。

わたくしごとで恐縮ですが、私の母は最期が近づくにつれ、だんだんとお見舞客に遠慮いただくようになっていきました。なぜかと尋ねると「みんなが(母の快気を)諦めていることがわかるから」と言いました。「信じてくれてるのは○○(私)とお父さんだけ」とも。

まだ生きられる、必ず治る、と信じてくれる周りの気持ちが、闘病する人の力になっているのだと思います。

お母様はお辛かったかとは思いますが、質問者さんの真心にきっと感謝されているはずです。


どうしたらもっと強くなれるかとのことですが、まだたったの2週間、平常に戻れるわけもありません。私などは人様と母の話を平然とできるようになるまで10年かかりました。今でも身内と話す時は、途中から声が震えてきてしまいます。気丈な方たちを見るにつけ、自分のふがいなさを情けなく思いますが仕方ないかと諦めてもいます。

泣いてばかりいたら故人が成仏できない……ってお坊さんや年配の方たちに私も教え諭されました。でも、泣かれなくてもそれはそれで故人は寂しいんじゃないでしょうか。

泣いて泣いて……でもごめんね、私は大丈夫だから、安心して良い所に行ってね……と、そういつもお伝えになっていれば、お母様はご安心されると思いますよ。

立ち直りというのか、身近な人の死を受け入れていく過程というのは、本当に超がつくほどの個人的な体験で、千差万別の、時には孤独な道のりだと思います。

だから、私が見聞きしてためになったと思うことをここでご紹介することはあえて控えますが、こうして掲示板などで経験者の意見をお聞きになったり、心ある方たちと触れ合い、メディアを通じて見聞を広めたり、丁寧に日々を生きること……それらの中から、これから先きっと質問者さんの心の琴線に触れるような多くの気付きを得られることと思います。そしてゆっくりと、本当に少しずつ、前へと進んでいけるように……気付いたら何とか歩き出せていた、という日が必ずやってきます。だから、広くいろんな意見、情報、知識を取り込むことのできるよう、いつも心をオープンにしていてください。

今は泣いて、もがいて、リラックスして、また泣いて……お母様を偲びつつ、ご自分を癒す作業に没頭してください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
つらい経験をした人はたくさんいるでしょう。
でも、今自分がつらくて、この感情をだれかにわかってほしかった、共感してほしかったのかもしれません。
心が少し楽になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/07/25 11:12

自分は18の時に母を亡くしました。

余命宣告があったわけではなく、突然死だったので質問者さんのケースとはちょっと違いますね。

私はお葬式でも気丈に振舞い、常に冷静を装いました。
優しい言葉をかけてくれる親族も居ましたが、自分の心には何も響きませんでした。
ようやく日常も落ち着いたのが1週間後。でも心にポッカリ穴が空いてしまい、ただただ虚無感で満たされました。自分が描いていた夢が陰り、全てが壊れていくのを感じながら、自分は母によって生かされていたことに気付きました。

それらを全てに整理をつけて、ようやく母を自分の心の中から送り出してあげることが出来たのは10年たってからでした。母の命日前になるといつも憂鬱なカウントダウンが始まり、その日を思い出すことが毎年ありましたが、10年目その日をうっかり忘れてしまったんです。
その時初めて、自分の気持ちが母の記憶を束縛していたんだなぁと思いました。

今は泣くしかない。
全部出し切ってしまうほうがいい。それでも涙が出てきても。
生きている自分は前を向くしかない。


そのあと何年もかけて、自分なりの答えが出て

※自分の話ですが、
あの時、優しい言葉をかけてくれた親族、厳しい言葉をくれた人達の言葉を受け入れられれなかった自分。ひねた心で耳を塞いでいた自分。親が死ぬことによって、そういう大人と子供の間で揺れる心を、全然だめじゃない!おまえはまだやれる!って今度は自分が経験者として救える立場になりたい。

と、思った時 本当の意味で強くなれたと思いました。

与太話で申し訳ない。
少しでもこの回答が貴方の心に響いてくれればと思います。
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おはようございます。



親は基本的に先に死ぬのが一般的です。そしていつまでも親は生き
ているものではありません。それを受け止め、親のいない状況に耐
えつつ、あとは時間が悲しみを和らいでくれるまで待つしか無いと
思います。

末期癌だったら奇跡的に峠をこえても、完全回復するなんていうケー
スはほぼなく、病気期間が伸びるだけだと思うのです。残される家
族からみれば生きていて欲しいという希望は当然のものですが、そ
の期間も、本人は生きるために大きな苦しみを背負っているのです。

親の死の時のショックは大きいです。1ヶ月も立たずに冷静に話出
来なきゃいけないものでもないと思います。でも残された人間には
残された生活があるのです。先に死ぬであろう親が死んだからといっ
て、悲しみで今の生活を壊してしまうのもどうかと思うのです(子
供が死んだというならその限りもないと思います)。悲しみつつ頑
張っていくしかないんじゃないでしょうか。

どうしても辛いというなら、故人を知っている人、理想的には同じ
時代を生きている兄弟がいればいいのですが、そういう人と、ふざ
けたバカ話(理不尽な話や納得できなかった事とか)などを繰り広
げればいいと思うのです。

以下雑談
ドラえもんで感動したと名高いUSO-8OOの話で、未来に帰る事になっ
たドラえもんに対し、のび太は、いつまでも弱虫のままじゃドラえ
もんが心配するから、とジャイアンに殴られつつも立ち向かってい
きます。漫画ですが、のび太の感情に学んでみてはいかがでしょうか。
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焦る必要は無いです。


泣きたいときは泣けば良いのです。思いっきりね。

私は高校2年の時に癌で父親を亡くしました。
その1年前に入院して、余命3カ月を言い渡されていました。
でも、強靱な体力と精神力?で1年も保ったのですが・・・・
私は毎週末しか病院に行きませんでした。遠いのもあったけど、レスラーのような
大きくて頑丈な体が、やせ細り、文字通り骨と皮になっていく様を見るのに
耐えられなかったから。
今思えば、もっとたくさん会いに行けば良かったと思います。
でも、頻繁に会いに行けば、かえって病気(父には胃潰瘍といっていました)が
重いものだと悟られるんじゃ無いか?とも思いますし・・・
何とも言えませんね。
やってあげたかったと、たくさんあります。
きっとあなたもそうでしょう。でも、それはキリがありません。
最終的にはどんな形でも生きていて欲しかった・・・につきますけどね。

あなたはあなたに出来る事をしたのですから、後悔する必要はありません。
どんな事をしてあげても、やり足りないと思うのは、残されたものとして
みんな同じですから。

お母様はきっとあなたを見守っています。ずっと。
あなたが強くなって、泣かなくなって、自分の事を忘れる日が来たとしてもね。
だから、今は泣いても良いのです。泪枯れるまで。
無理して強くなる必要もありません。
あなたはあなたらしく生きれば良い。

お母様の願いはただ一つ。あなたが幸せになること。
これだけは間違いありません。

父親と同じ年齢になっても、やはり父親を超えたとは到底思えませんが、
幸せに暮らしているよ。とは胸張って言えます。
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