幼稚園時代「何組」でしたか?

どの戦国武将も皆何人か子孫が居ますが
戦国時代・安土桃山時代の人は皆種があったのでしょうか?

それとも中々子供ができないから
正室や側室が浮気してできた子供を、武将の子として育ててる場合もあるのでしょうか?

A 回答 (7件)

「いるでしょそりゃ」って感じ。

だから親類縁者、はたまた主君筋から養子を貰うわけです。時には歳のはなれた弟を養子にする場合もあります。例えば、小早川隆景は弟の秀包を最初に養子にしましたが、豊臣秀吉から木下秀俊を養子に押し付けられてます。この木下秀俊が後の関が原の合戦で西軍を裏切って有名になった小早川秀秋なのです。種があったかどうかは知りませんが、小早川隆景は実子に恵まれなかった。

武将の子として育ててるというより、武将の子として育てられている適当な人物を養子に迎えるという話。実子に恵まれない人もいれば、実子に恵まれすぎている人もいるわけで。一人も実子が無い武将もいれば、10人以上実子がいる武将もいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/13 23:05

今晩は!私の大元の先祖はWikipediaに載っている武将で、親戚はまた別の武将の家臣の直系です。

私も親戚も、大元の先祖と自分達は血縁は無いと思っています。何故なら、養子縁組み等でお家を存続することもできましたし、今のように法律等のきちんとしたものもほとんど無かったからです。それに、博打や酒で土地を簡単にスられてしまう人もいた様ですし。あまり確実な回答でなく、大変申し訳ございませんが。。。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/13 23:05

初めまして。

戦国時代の武将で実子がいない武将は何人もいます。他の方も上げておられる、細川政元、上杉謙信は有名な例です。この両者必ずしも「男色」の気があったとは断定できません。ただ二人とも密教の教えに傾倒していたのは確かです。また何らかの形で先代の血縁に当たればすんなり「養子」を迎えています。会津の蘆名氏などは佐竹氏(当時は常陸国守護)から後継者を迎えています。
ただ養子の場合の家督継承は難しい場合もあり、細川政元も上杉謙信もその没後に家督継承争いが起きています。
ちなみに上杉謙信の女性説は成立しません。(山形県米沢市に遺品がたくさん残っています。衣服などもあり、女性の着衣ではありません。)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/13 23:05

日本の場合は「創業者」を除けば2代目以降は実子でなくてもよく、乱暴な言い方で言えば血縁関係がなくとも後継者になれるので、どうしても実子をと言う考えは無かったと思います。


また実子でも周囲が認めないと赤の他人扱いされることも多々あり、武田勝頼(武田信玄の四男)や結城秀康(徳川家康の次男)、織田信孝(織田信長3男)などは、兄の死により実質的な長男でありながら後継者として疑問をもたれており、苦労しています。(俗説もあり)

>正室や側室が浮気してできた子供を、武将の子として育ててる場合もあるのでしょうか?

無いわけではなく、平安末期の平清盛などは平忠盛も種ではなく、白川法皇の種ではないかといわれていますし、織田信長と戦った斎藤義龍は斎藤道三の実子ではなく土岐頼芸の種と噂されています。(俗説有り)
主君が有力家臣に側室を下げ渡すことはままあり、その時点で孕んでいたという可能性もありますが、周囲としては家が安泰ならよいわけで、誰の種かは重要ではなかったのかも知れません。

>どの戦国武将も皆何人か子孫が居ますが
戦国時代・安土桃山時代の人は皆種があったのでしょうか?

上杉謙信、細川政元などはそちら系の性癖があり、独身を通し、子孫もいません。
また豊臣秀吉・秀長兄弟も妻子に関する資料がなく、子孫に関してはよく判らない点が多く、豊臣秀頼も秀吉の種か疑問があり、大野治長の子ではないかともいわれています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/13 23:05

 安土桃山時代には,南蛮人の影響で性病(梅毒など)が流行していたので,なかなか子供に恵まれなかった武将が結構いるようです。

豊臣秀吉がその最たる例ですが。
 もっとも,日本ではヨーロッパと異なり,養子を取って家督を継がせることが広く認められていたので,正室や側室が浮気してできた子供を自分の子(実子)として育てる需要はあまりなかったと思われます。
 ヨーロッパの場合,跡継ぎになれるのは正妻との間に生まれた子供だけで,しかも子供ができないと王としての素質が疑われるという厳しい世界でしたので,ひどい場合は自分の妃を他の男に強姦させて子供を作らせようとした王様もいるらしい(ポルトガルのアフォンソ6世など)ですが,日本ではそんなことをしなくても,跡継ぎは側室の子でも可,養子も可という世界ですから,わざわざそのようなことをする男性はいなかったと思いますし,実際にそのようなことがあったという話は聞いたことがありません。
 ただし,夫も知らない間に妻が浮気していて,不義の子がそのまま夫の子として成長し家督も継いでしまったという例であれば,公式の記録には一切残らない問題であり,今も昔もなかったとは言えません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/13 23:05

顕微鏡がない時代に、精子の有無を確認する方法はないですからねー。

DNA鑑定もないですし。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/13 23:05

種なしかどうかはわかりませんが、実子のいない武将はいます。



有名なのは、上杉謙信で子供は5人いますが、すべて養子(畠山義春、山浦景国、上杉景虎、
上杉景勝)・養女(山浦国清室)です。
そもそも上杉謙信は結婚していませんので、男色説、女性説なんかもあるようです。

浮気でできた子をというのは???ですが、このように養子をもらうケースは普通にあったも
のと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/13 23:05

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