この間、「羊が日本に入ってきたのは明治時代初期」だとラジオで聞きました。
羊毛を取るために輸入したとか。
では、それより以前の人は、干支の「未年」や「未の刻」などをなんと理解していたのでしょうか。どんな動物だと思っていたのでしょうか。
トラや龍もいませんが、これは中国の絵画なんかで知っていそうだと思うのですが、羊の絵、ってなさそうですよね????
それともたくさんやってきたのは明治時代だけど、少しは存在したのでしょうか?

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A 回答 (3件)

下のurlなんかいかがでしょう。


奈良時代に羊の形の硯があったのですね。

それから、羊羹というお菓子は、もともと羊の肝の煮込んだものの宗教的代用品みたいだったらしいですよ。

参考URL:http://www.museum.pref.mie.jp/saiku/siryou/006-k …
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検索した結果少なくとも江戸時代の日本には羊はいました。



「緬羊飼養の変遷」
(西暦599年の推古天皇の御代に朝鮮半島の百済から)
http://fukuoka.cool.ne.jp/baromett/hituzi/text03 …

「ジンギスカン料理の起源について」
(1793年に巣鴨の薬園にて緬羊飼育)
http://www.chuo.agri.pref.hokkaido.jp/takikawa/U …

「Australia's Sheep-1」
(安政4年、幕府が北海道10頭の緬羊を送る。)
http://www.you-commerce.com/aust/meat/page3-1.htm

「既刊情報:関西大学東西学術研究所出版図書」
中国・和蘭羊毛技術導入関係資科
角山幸洋編著
【A5/282頁/定価(本体4,800円+税)/〒380円/ISBN4-87354-077-1】
(江戸幕府が中国技術者を招き長崎で緬羊飼育)
http://www.kansai-u.ac.jp/Syppan/frame3-12b.html
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。
goo初心者なのですが、いきなりたくさん答えて下さる方がいらして感謝しています。いろいろ検索していただいてすみませんでした。ポイントですが、正と準とひとつずつしか出せないそうでそちらにポイントが入れられなくてすいません。ほんとにありがとうございました。

お礼日時:2001/05/12 19:53

羊は日本の気候に合わないので,江戸以前は羊毛のみ輸入していてそうです。


下記ページに羊毛の歴史がのっています。
ご覧下さい。

参考URL:http://www.nikke.co.jp/wool/wool01-2.html
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Aベストアンサー

>江戸時代の人は元号を言えたか?
その人がどの階層(身分)に属して居たかで大きく変わりますが…99.99%の江戸時代の日本人は元号はおろか、何月と言う概念すらありませんでした。従って基本的には「江戸時代の人は元号を言え無かった」と言う答えでOKなはず。従ってその「前世に戻った人」はどこか遠い星の "EieDoo(我々に理解出来る言葉で発音すると「エド」と聞こえる)" と言う時代から来た異星人かと思われます。

P.S.
日本では明治5年の改暦詔書までは、一部の学者や政府高官以外には元号はおろか、何月何日と言う概念すらありませんでした。そもそも日本では中国由来の暦が数百年に渡って使われており。年号では無く「今年は甲子(きのえね)の年」と言った風に考えていました。いわゆる「干支暦」と呼ばれる暦です。

>Wikipediaによる解説:干支 - http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B2%E6%94%AF

江戸時代以前と明治以降の現代文明社会とでは時間の流れ方が全く違います。江戸時代では手紙を送って、その返事が来るのを1ヶ月以上も待って、それからまた返事を送って相互確認を取り、それで互いに了解して~と言った風に物事が運ぶ時間感覚です。厳密に何月何日の何時までに返信を!~みたいな感覚は一切ありません。また個人で時計を所有してる人も居ません。1日は朝昼晩で良かったし、1週間と言う区分も明治以降に西洋文明と共に入ってきた制度です。

江戸時代は主に住んでる地域の神社仏閣で月に行われる「お祭りの日付」を基準に月日を勘定するのが一般的な習慣でした。例えば今ならデートの約束を「明日、2月3日の15時に駅前で」みたいに行います。江戸時代なら「お稲荷さんの次のお祭りの前の日に六角地蔵の前で」みたいになります。現代人みたいに正確に何時何分と言う概念自体がありません。早く来過ぎたり、或いはのんびり出掛けて相手を何時間も待たせて、特に怒ったりはしません。だってそう言うものだからです(なので待ちぼうけやすれ違いも当たり前でした)。

>江戸時代の人は元号を言えたか?
その人がどの階層(身分)に属して居たかで大きく変わりますが…99.99%の江戸時代の日本人は元号はおろか、何月と言う概念すらありませんでした。従って基本的には「江戸時代の人は元号を言え無かった」と言う答えでOKなはず。従ってその「前世に戻った人」はどこか遠い星の "EieDoo(我々に理解出来る言葉で発音すると「エド」と聞こえる)" と言う時代から来た異星人かと思われます。

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#2

上記サイト内の『この商品を見た後に買っているのは?』のリンクにある以下の書籍も同じ著者の作品になります(これは「なか見!検索」ができませんが、レビューが掲載されています)。
私はこれは読んでいませんが同じ著者・出版社となっていますので、こちらも興味深い内容になっているのではないかと想像いたします。

●本当に江戸の浪人は傘張りの内職をしていたのか?―時代考証でみる江戸の仕事事情
>
> 内容紹介
> 職業から江戸の世の中が見える!
>
> ~前略~
> 時代考証家である著者が御庭番や呉服屋、長屋の大家といった時代劇の定番の職業から、町道場主や花魁といった江戸ならではの職業まで、やさしく解説。「髪型でわかる医師の種類」や「地図大国であった江戸の町」「月謝をとらなかった剣術道場」「宅配便から為替システムまで完備していた飛脚のネットワーク」などの面白雑学も紹介。

次の本には、明治時代の暮らしぶりが書かれているようです。
「なか見!検索」とレビューから面白そうだと判断しました。

●明治・大正人の朝から晩まで (KAWADE夢文庫)
http://www.amazon.co.jp/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E3%83%BB%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%9C%9D%E3%81%8B%E3%82%89%E6%99%A9%E3%81%BE%E3%81%A7-KAWADE%E5%A4%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%B4%A0%E6%9C%B4%E3%81%AA%E7%96%91%E5%95%8F%E6%8E%A2%E6%B1%82%E4%BC%9A/dp/4309496989/ref=pd_sim_b_1
>
> 内容紹介
> 当時の衣食住から、社会や街なかの様子、仕事やしきたり、娯楽や恋愛事情、学校生活、はたまた仰天事件や(珍)ブームまで、明治・大正期を生きた先人たちの暮らしぶりが浮かび上がるオモシロ博学本!
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> 内容(「BOOK」データベースより)
> 電灯の目もくらむ眩しさに卒倒し、洋傘をステッキの代わりに持ち歩き、テーブルマナーに苦戦して“流血騒ぎ”…。モダンでレトロな「明治・大正時代」にタイムスリップ。
>
>
> カスタマーレビュー
> 明治・大正時代の人々について、「暮らし」、「ファッション」、「食生活」、「娯楽」、「食生活」、「仕事」、「学校生活」、「しきたり・法律」、「交通・通信」に分かれて書かれています。
> ~後略~

質問者様のご希望に添う本がありましたら、古本屋さんをのぞいてみてください^^

#2

上記サイト内の『この商品を見た後に買っているのは?』のリンクにある以下の書籍も同じ著者の作品になります(これは「なか見!検索」ができませんが、レビューが掲載されています)。
私はこれは読んでいませんが同じ著者・出版社となっていますので、こちらも興味深い内容になっているのではないかと想像いたします。

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Q江戸時代の元号の文字 画像あり

添付は、私の先祖(たぶん江戸時代の後期)が、将来の子孫のために、その子孫が亡くなった際の戒名を付けるルールを予め寺と定めたものです。大金を支払い、戒名の文字数の確保や、戒名の下二文字のルールを決めたそうです。

その寺からの許容書の実際の画像です。
左には、元号が見えます。十二月の前は 何と云う元号でしょうか

八良衛門 は 私の先祖の名前です

また、他の文字も読めれば 教えてください

Aベストアンサー

rodste さん、こんばんわ。

たぶん、慶応二寅の年と書かれていると思います。

後半の部分ですが、「永世に○○○居士、大姉を許容せしむものなり。」でしょうか?

Q江戸時代幕末~明治時代の漫画・サイト

幕末から明治時代にかけての動きがわかりやすい漫画かホームページはないでしょうか?
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Aベストアンサー

私もオススメは「風雲児たち」です。
私も幕末通を自認していますが、風雲児たちを読んで、
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「るろうに剣心」はね~。
創作物と割り切って読む分には面白いですが、あれが
史実だと思っては絶対にいけません。(;^^)

あと日本史全般になりますが、
『そうだったのね!日本史』
 http://www.geocities.jp/sou_nihonshi/
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Q江戸時代の大名家、官位・伺候席などの一覧

江戸時代の大名家の官位や伺候席、石高等が一覧できるサイトを以前見た事がありました

詳しく見られるサイトをご存知の方、お教えください

Aベストアンサー

参考URLの江戸三百藩HTML便覧のことではないでしょうか。

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Q江戸時代と明治時代の百姓の生活の違い

明治時代都会などには西洋の文化が入ってきて江戸時代と比べて生活が急変したと思いますが田舎などでは江戸時代と比べてどれぐらい生活状況が変化したのですか?

Aベストアンサー

 明治時代は変化の激しい時代なので、大まかにひとくくりすることは難しいと思います。

 しかし、農村生活に関する限り、基本的には江戸時代の延長だといえそうです。たとえば、明治初期と末期における全就業人口に占める農業の割合は72%から65%に、GDPの割合は44%から37%へと低下しましたが、急激な変化というほどのことでもなさそうです。

 なによりも、農家戸数が550万戸のままほとんど動いていないことが、安定した農村生活の何よりの証拠だと思われます。変わらなかった第一の理由は、日本固有の「家」制度にあると考えられます。近代的な均等相続制度では、農地の細分化、流動化は避けられず、小農経営の持続性は失われがちです。

 日本の場合、経営耕地面積は小規模ですが、長男が農地を相続する制度のため、土地だけでなく、親世代まで蓄積された資本や技術、あるいは経営知識までそっくりそのまま次世代に継承されることになります。その代り、二三男はそれなりの教育を受け、都市に産業労働者として流出する仕組みです。

 これに対し東アジア、さらにヨーロッパでは一般に分割相続が普通で、世代交代ごとに土地財産は分割され、経営ノウハウも分散、断絶することになります。

 第2に、名望家や在地地主を頂点とするムラ共同体の役割があります。農家の間に強い信頼と互助の関係が結ばれ、生産や生活の基盤を形成していました。この関係は、良好な地主小作関係の維持発展にも役立ったようです。小作人というと、強欲な地主のもとで搾取されるというイメージがありますが、実は自作農と小作農のあいだに平均耕地面積や収穫量の違いはなく、小作だから貧しい、収奪されているというイメージは統計的には裏付けがありません。

 しかし、明治後期(日露戦争以後)になると、事態は大きく変わります。まず』産業革命が進行して、都市農村格差が拡大します。さらに巨額の軍事費を賄うために大増税が行われました。このため、農村の窮乏化が顕著になり、小作争議も頻発するおうになります。

 明治45年に刊行された長塚節の長編小説『土』の序文で、夏目漱石は「土の上に生み付けられて、土と共に生長した蛆同様に憐れな百姓の生活」の「最も獣類に接近した部分を精細に直叙したもの」を一度は胸の底の抱きしめるよう勧めています。しかし、これが明治時代の農民生活のすべてだと受け取ることは間違いではないでしょうか。

 明治時代は変化の激しい時代なので、大まかにひとくくりすることは難しいと思います。

 しかし、農村生活に関する限り、基本的には江戸時代の延長だといえそうです。たとえば、明治初期と末期における全就業人口に占める農業の割合は72%から65%に、GDPの割合は44%から37%へと低下しましたが、急激な変化というほどのことでもなさそうです。

 なによりも、農家戸数が550万戸のままほとんど動いていないことが、安定した農村生活の何よりの証拠だと思われます。変わらなかった第一の理由は、日本...続きを読む

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【江戸時代?の京都の名所を3巻に纏めた書物の名前と観光名所一覧が見られるサイトを教えてください】お盆に順番に回って行きたいです。

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Aベストアンサー

江戸時代に苗字御免の人や武家以外の人は名字を公称できませんでした。持っていなかったのではなく公的な場(あるいは文書)で使ってはいけなかったのです。私的な範囲ではどこまで使われていたか正確にはわかりませんが小生のまわりで言えばまず墓があります。「俗名 竹蔵」の脇にやや小さめの字で「田中姓」のように書いてある墓がいくつもあります。「田中竹蔵」と一行に書くと苗字を唱えたことになり御法度だつたのでしょうね。
日記帳などの私的な帳面でも使われています。持ち主を示すためと思いますが裏表紙に「田中氏」のように書いてあることが多いです。
江戸時代は何かあると証文を書きました。それにはハンコを押しますが基本的に苗字が彫ってあります。古文書の研究者の話ではどう考えても田中姓のはずなのに山本というハンコが押してあることもあるそうです。
領主が特別に苗字を許可する場合その旨を伝えるだけでどんな苗字にするかは指定しません(特別に文字や苗字そのものを与える場合は別)。
一般人が公称できるようになるのは明治3年9月からですが、苗字は公的にはなかったわけですから変えるのも勝手。どんな苗字にしようと制限はなかったようです。中には永く使わなかったためにわからなくなった人もいたでしょう。こんな人は新たに作ったでしょうね。
商人は「伊勢屋」「越後屋」などの屋号を使いました。苗字が使えないためのささやかな抵抗だったかもしれません。屋号は農村などでも使っています。本家を「元屋」、東の方へ分家すると「東屋」とか。まわりに同姓の人が多いと苗字では区別できず名前か屋号で呼び合わないとややこしかったのです。

#1の方、失礼ながら、
國定忠治の本名は長岡忠次郎。笹川の繁蔵は岩瀬繁蔵。清水次郎長は山本長五郎。日本左衛門(日本駄右衛門)は濱島庄兵衛。というわけでヤクザでも苗字があります。
なお石川五右衛門の本名は古過ぎてわかりません(豊臣秀吉の頃の人)。

江戸時代に苗字御免の人や武家以外の人は名字を公称できませんでした。持っていなかったのではなく公的な場(あるいは文書)で使ってはいけなかったのです。私的な範囲ではどこまで使われていたか正確にはわかりませんが小生のまわりで言えばまず墓があります。「俗名 竹蔵」の脇にやや小さめの字で「田中姓」のように書いてある墓がいくつもあります。「田中竹蔵」と一行に書くと苗字を唱えたことになり御法度だつたのでしょうね。
日記帳などの私的な帳面でも使われています。持ち主を示すためと思いますが裏表紙...続きを読む


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