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私の勝手な妄想の範囲ですが、もし英国がもう少しヴァージニア13植民地に寛容であったとすれば合衆国は独立せず、そうなれば当然現在の超大国アメリカの存在はなく、カナダや豪州並みの英国自治領として存続し英連邦構成国の一員として緩やかな独立の道を歩んだのではないでしょうか。

また、恐らくカナダの存在もなく広大な“英領北米連邦”の一部を構成していたと想像できます。英国人はアメリカ人ほど旺盛なフロンティア精神がないので、果たして西海岸に到達出来たか怪しさを感じます。
そうなると英国の主要植民地はインドではなく北米となり、その経営に忙殺されるためインド支配は宿敵フランスに、オセアニア地方はオランダの勢力圏に入るのではないかと思います。

歴史のIFを予想することは難しいですが、皆さんの意見をお聞かせ下されば幸いです。

A 回答 (5件)

小生のアメリカ通史・世界史の知識から回答したい


なお、小生は、予備校世界史講師なりよ

>もし英国がもう少しヴァージニア13植民地に寛容であったとすれば合衆国は独立せず、そうなれば当然現在の超大国アメリカの存在はなく、カナダや豪州並みの英国自治領として存続し英連邦構成国の一員として緩やかな独立の道を歩んだのではないでしょうか。

小生は、あまり現実味を感じない
理由は、そもそも当時の英国の国際情勢下において、想定されるような寛容な政策を実施しにくい背景が存在することにある
それでも、十分に可能な寛容な政策を実施したとしても、早晩にペルシバニアを筆頭に分離独立運動に発展し、フランスの支援の元に、今よりも小規模なアメリカのスケールで独立を為したように思う。

そもそも、信教の自由をベースにした英国脱出者だけで原初のアメリカは出発している、とは言えない。
ドイツ系を筆頭に、当時のイングランド王室との距離があるスコットランド・アイルランド系英国人の独立気質は強かったし、原初のアメリカ経済が英国依存だったからこそ、英国との関係維持が可能だった、という部分も大きいだろう
 英仏の植民地戦争の全盛期だった独立前夜の英国財政は逼迫していたし、寛容になるにも限界があったように思う
同時に、独立前夜の英国政府も独立に対する危機感から相当な寛容さがあるとも思える。
つまり、かなり寛容であったにも関わらず、独立気運が高まった・・というのが小生の見解なのである

この話を論じる上で、KEYになるのは、フランスであることは理解できるだろうが、英国にとっては、フランスとの関係性から、原初のアメリカ政策は、対仏戦争維持のレベルでは寛容だった・・と言える。

したがって、これ以上の寛容さを望めない・現実味がない・・という評価であるし、どこまでも寛容にしても独立気運は先延ばしの限界があっただろう
しかし、これもフランス次第の話でもあろう。

総括すれば、英国の政策云々ではなく、フランスの動静次第で原初のアメリカは大きく変化しただろう・・という話である

ちなみに小生は、英国のインディアン融和政策の失敗が、もっとも大きなアメリカ独立気運の因子だと思っている
特に有名なのが、『ポンティアック戦争』であるが、インディアン対策をこれまで十分に行なってきた英国の限界点が露見したのが、この戦争であり、1763年のことである

結局は、英国にとっては、原初のアメリカは、対フランス外交の付随要素に過ぎない・・とも言える
つまり、フランスの出方次第・・・なのである


以上、甚だ簡単だが
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http://en.wikipedia.org/wiki/Patriot_(American_R …
これによれば 愛国者=独立派 40-45 王党派=ロイヤリスト 15-20
単純に考えると 中間派45-35
流れによってどうとでもなる比率だと思う

代表なくして課税なしというのが1つのスローガンでしたがそのスローガンを出したと言われるジェイムス/オースティンにおいて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7% …
家族で独立派だったり王党派だったりしている。

逆に言うと、アメリカからの代表もイギリスに送れていたなら、上記の独立派・王党派の比率は逆転して可能性もある。

No3でクックの航海を書きましたが、第三回の段階でアメリカ西海岸にクックは到達しています。
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七年戦争


1754-1763

インドにおけるイギリスの優位が決定した
その七年戦争の北米大陸における言い方が、フレンチアンドインディアン戦争で、その時のイギリス側の主力が北米の植民地人、ワシントンとか独立戦争における指揮官はここで軍人として成長した。

キャプテンクックがオーストラリアやらニュージーランドあるいはアメリカ西海岸を調査したのはアメリカ独立戦争前で、最後の1976年からの航海の段階ですでにアメリカ独立戦争は始まっていた。
1768-1771 第一回
1772-1775 第二回
1776-1780 第三回

という感じなので、いまさらフランスがとかオランダとかありえない
また、独立戦争当時でも、アメリカには王党派がたくさんおり、この比率が高かったら、独立していなかっただろうと思う、つまりヴァージニア13州は応答はとして残ったならば、イギリス帝国のために働いたと
http://en.wikipedia.org/wiki/Loyalist_(American_ …
15-20%程度だったらしい。

実際に、アメリカ独立のキーマンだった ベンジャミン・フランクリンは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3% …

フレンチアンドインディアン戦争でイギリスのために働いており、彼はかなり直前までイギリス親派だったらしい  ベンジャミン・フランクリン、アメリカ人になる
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82 …

よって、もしアメリカがイギリスに残っていたら、イギリスに人的資源をより多く提供したから、イギリス帝国は より栄えた得ただろうと思われる。
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奇抜な歴史のIFを楽しく読みました。



このIFから連想したのは、なるほどアメリカの好戦性は独立戦争をしたことから生まれたのかな?と言うことでした。

いやしかし、もともと好戦的だったから、独立戦争を始めたのかな?とも思いました。

世界中に戦争を仕掛けているアメリカの好戦性の原因が私の疑問なのです。

アメリカが独立戦争をしないで、カナダのようになってくれたら良かったのに、と言う気持ちに同感します。
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 >英国人はアメリカ人ほど旺盛なフロンティア精神がないので、果たして西海岸に到達出来たか怪しさを感じます。



 って、全世界を席巻して
   「日の沈まない帝国」を築き上げたイギリス人こそ
        フロンティア精神の塊ではでしょうか?

  当時のイギリスには世界は狭すぎでしょうから、
    たとえアメリカ大陸がイギリス領でも
     限りなく拡張を続けたのではないでしょうか?
    インド、オセアニアはイギリスの勢力圏と予想w 
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