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逆の言い方のほうが良かったかもしれませんが、
なぜ、宇宙の物は全部動いていると決めてあるのですか?

何かを基準に、動き(移動)が存在すると思うので、
基準こそが「動いていない物」だと思いまして、、
ソレが何なのか知りたいな、と思いました。


もしくは、
とにかく全部が全部、動いているんだ。として、
ぶつかって跳ね返ったり、色々、みんな、てんでばらばらに動いていると思うのですが、
運良く?ちょうどうまい具合に動きを殺し合って、止まったままの物もあると思うのです。

表現が下手ですが、
例えば、洗濯機の中に、水とボールを入れて、グルグル回した時、
運良く、全く動かない確立が、ゼロではない(気がする)以上、宇宙の中で止まっている物もあるのでは?と思うのです。
だけど、それは何を基準に?とも思うのです。

A 回答 (14件中1~10件)

すべての運動は相対的なので、


何が動いていて何が止まっている
ということを議論することは
実はナンセンスなのです。

相対性理論はまさに
それを基にした理論です。
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基本的な事実というか、誤謬を招きやすい言葉の使い方などを、整理し検討する必要があるでしょう。

「赤方偏移」はすなわちイコール、ドップラー効果ではないし、ドップラー効果の場合も、真空中の光のドップラー効果と、通常の物質媒質における波(例えば、空気を媒質とする「音」)のドップラー効果で、同じに考えてよいのかどうか、吟味する必要があるのです。

「赤方偏移」はすなわちドップラー効果を意味するかというと、間違いです。「赤方偏移」の意味についても、より正しい理解が必要でしょう。ドップラー効果は、赤方偏移が生じる「一つの原因」として考えられるもので、赤方偏移があるから、すなわちドップラー偏移であるとはならないのです。

宇宙の天体観測における赤方偏移については、ドップラー効果によるものと、もう一つ、重力による偏移の二つが代表的に知られています。「赤方偏移」とは、天体からの光が、赤い方向にずれることですが、これは、天体からの放出光のエネルギーが何かの理由で奪われたり、減少した場合に生じます。

ドップラー効果による赤方偏移は、光を放出する天体が、

1)我々の銀河系(または観測者の系)に対し、後退している結果、光のスペクトルが全体的にエネルギー低下となるため起こる場合(この場合、観測系と後退天体のあいだの距離は偏移の程度に関係しません。つまり、もし後退によるなら、後退天体から、わずか1光年しか離れていない位置で観測しても、赤方偏移の値は同一です)。

2)天体から光が出たときは、天体はさほど後退しておらず、従って、偏移もあまりなかったのが、膨大な空間を進んでいるあいだに、観測系が「見かけ上」、段々遠ざかって行き、赤色偏移が、我々の銀河系へと近づくにつれ、段々大きくなった場合。

以上の二つの場合が考えられるのです。膨張宇宙における赤色偏移は、後者の2)の場合であって、(1も含めて)これらを、ドップラー効果と呼べるかどうか疑問があります。

我々の銀河から、20億光年の距離に観測される銀河Aからの光を考えます。この場合、我々が見ている20億光年彼方の銀河Aは、実は、20億年前の過去の姿なのです。

現在は20億光年彼方に見える銀河Aは、実は現在は、我々の銀河から、極端には、例えば、30億光年の距離にあるとも言えます(つまり、20億年のあいだに宇宙膨張により、我々の銀河と、銀河Aとのあいだの距離20億光年が、30億光年に増大したのです)。

20億年前、銀河Aを出発したとき、光はすでに、当時の「見かけのAの後退」で、或る量の赤方偏移を備えていましたが、目的地である我々の銀河が、宇宙の膨張と共に、光からすると、見かけ上、遠ざかって行き、その結果、20億年の時間のあいだに、赤方偏移が蓄積され、これが、元々の赤方偏移にプラスされたのが、現在観測される20億光年彼方の銀河(実は、現在は30億光年彼方にある)から来る光のスペクトルの赤方偏移です。

こうして、観測されている赤方偏移は、1)の要素、プラス2)の要素であるということになります。

宇宙の膨張は、ハッブルの法則から「観測事実」として見出されたものです。ただし、これは、赤方偏移が広義のドップラー効果に起因していると仮定した場合です。重力以外にも、赤方偏移を導く要因が他に何かあるかも知れません。

他方、「理論的」に導かれる宇宙膨張は、一般相対性理論と宇宙原理から理論考察されて来ました。「宇宙原理」とは、宇宙は、大局的には、「一様」かつ「等方」であるという理論仮定です。つまり、宇宙はどこの場所でも、同じような構造で、方向的に偏りがない、という原理前提です。

この場合、参考URLの質問で、別の回答者が記しているように、ロバートソン・ウォーカー(Robertson-Walker)計量(線素)で宇宙の状態を方程式記述します。

  線素 ds^2=c^2dt^2-[a(t)^2]*{r,θ,φ}

{r,θ,φ} の部分(空間成分)には係数Kが入っており、Kがゼロより小さい場合は、宇宙の体積は有限で、Kがゼロの場合、平坦な無限、Kがゼロよりも大きい場合、体積は拡大型の無限になります。

[a(t)^2] の部分をどう考えるかで、色々な種類の理論的な宇宙モデルができます。無論、膨張する宇宙の解もあります。

現在の時点では、どの理論モデルが現実の宇宙に対応するのか良く分かっていません。また、ロバートソン・ウォーカー計量を使った宇宙論モデルが妥当だという証拠もありません。他にどう考えればよいか、非常に難しく理論モデルが構成しにくいというのが実状です。

また、宇宙論においては、「地平線」という概念があります。「粒子的地平線」や「事象の地平線」など、その他にもありますが、現在の話では、「粒子的地平線」が問題になります。

粒子的地平線とは、宇宙が膨張しているとすると、膨張している宇宙内の二点のあいだの離れている速度が、光速を越えた場合、そのような二点のあいだでは、相対性理論では、いかなる粒子も互いに到達しなくなるので、これが「地平線」になるのです。

特殊相対性理論では、光速より速い物質または系は存在しません。しかし、宇宙膨張によって、事実、二つの銀河が互いに、光速よりも速い速度で、あいだの距離を広げて行っているということも、理論的には導かれているのです。

一般相対性理論と宇宙原理を元に、アインシュタイン、ミルン、ド・ジッター、フリードマンなどは、宇宙の理論モデルを考察しました。そのなかには、定常宇宙や膨張宇宙や、振動宇宙などの複数のモデルがありました。

しかし、アインシュタインを初めとして、カルツァなど多数の物理学者が、一般相対性理論を更に拡張して、電磁気力を組み込んだ、幾何学的(テンソル代数による)宇宙理論を構築しようと、1920年代前後に試みましたが、現象が複雑すぎて、いずれもうまく行きません。これらの理論は、「統一場理論」と呼ばれましたが、それは、「強い力」「弱い力」の発見により、更に、ゲージ場理論の展開と共に、1967年、ワインバーグ・サラムが提唱した統一場理論とは別のものですが、しかし、カルツァ・クラインの理論などは、後の統一場理論の基本的構想の原型になっています。

今日、四つの力を統一的に扱う「大統一場理論」の構想があり、様々な、もはや実験検証のできないような理論が出現しています(超弦理論も、実証検証が不可能に近いです)。

空間とは、「何もない広がり」などということは、現在では考えられていないというか、そのような意味の空間はどこにもないとも言えます。理論的に「物質のない宇宙」のモデルを、ド・ジッターなどが造りましたが、現実には、宇宙には物質があり、その物質の構造や、相互に働く力の理論が、現在のような複雑な理論で考察される状況で、「空間の膨張」とは何のことか、「物体の移動・運動」とは何のことか、反省的に考えれば、あまりにも難しくよく分からないというのが、わたしの述べようとしたことです。

非常に簡単な話でも、宇宙の空間や物質は、基本的な三つの定数いかんによって決まって来ると言うことは、半世紀前から分かっていました。「プランク定数」「光速度」「重力定数」です(他にも、宇宙の状態の決定項はあります)。

これらの定数は、時間と共に変動するものかも知れません。しかし、宇宙膨張によって、それほど変化していないと考えられます。何故なら、プランク定数が大きく変化すると、原子は現在のような構造を維持できなくなり、物質は壊れて、別の様態になるはずだからです。しかし、何十億光年という彼方の銀河から来るスペクトルを調べても、何十億年前にも、現在と同じような原子が存在したことが、その特性としての吸収線や輝線がスペクトルにおいて見出されることで、確認できるのです。

超弦理論は、時間及び空間の最小単位の存在を示しています。比喩的に言えば、空間には、最小単位があり、モザイク構造になっているということです。

空間の膨張で、もしこのモザイク構造自体も大きくなったとすれば、大きさを比較するものが、膨張と共に大きくなっていることになり、そもそも、膨張は観測できません。水素原子の基底状態での半径は一定であるとして、初めて、宇宙空間の膨張は膨張と分かるのです。

銀河の大きさは変化しないのに、そのあいだの空間距離は広がって行く。これが宇宙膨張だとすれば、何らかの意味で、空間のモザイク的な要素が生成されている、増殖していると言うような、イメージ的表現のどこがおかしいのか、という疑問が逆に出てきます。

これ以上、話をしても仕方がないとも思います。とまれ、わたしは以上に述べたようなことを考慮した上で、回答を記しています。

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なお、最後に、調べていると、絶対零度約3度(4度ではなく、3度でした)の宇宙背景輻射は、等方等質に宇宙空間に遍在していると考えられ、この背景輻射が、丁度、運動の基準として考えられた「エーテル」の代用になるということを知りました。

これに従えば、我々の銀河系は、乙女座銀河集団の方向へ、毎秒500kmほどの速度で進んでいると考えられるようです。つまり、我々の銀河系近傍または内部で、乙女座銀河集団と逆方向に、毎秒500kmで慣性運動する系は、背景輻射の等方等質空間に対し、相対的に「静止」している、と言えるようです。

(先に、1000万光年ほどの局所銀河群での静止系を述べましたが、乙女座銀河集団だと、2億光年ほどの空間規模になります。銀河は、乙女座銀河集団に、重力的に引き寄せられているということになります)。
 
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No.10に書いたものですが、


このままだと答えが得られないまま終わってしまいますよ。
というより答えになるべき答えはもうすでに出ています(No.4さんなど)。

pppfffさんは宇宙の中で絶対に「止まっている物」を想像できますか?
もし、想像できないのならば、あなたの想像の中にも「止まっている物」は存在しないのです。
存在しないことについて質問してもあやふやになってしまうのは明確ですよね。
もし、「止まっている物」が想像できるのなら、その状況をしっかりと示すと、しっかりした答えが返っくると思いますよ。
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>何かを基準に、動き(移動)が存在すると思うので

これはその通りで、「運動している」「静止している」ということは、「何かの基準座標系」に対し、運動している、静止している、という意味です。

こう言った観点から大きく宇宙物理学的な視点で考えると、「静止している物体・系」は存在するという結論が出てきます。まず、結論を書きます。何故、そうなのか、どういう系がそうなのか以下で説明します。

ただ、こういう問題は、先端の物理学・宇宙物理学の理論や観測事実に密接に関連しているので、以下に述べることは、わたしの認識している範囲での物理的な理論においてです。これ以外の考えもまた何かあるのかも知れません。

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ニュートンの運動の概念は、ニュートンの古典力学が、アインシュタインの特殊及び一般相対性理論において、光速よりもずっと小さな速度の運動系について成り立つ、「近似理論」とされましたが、しかし、「ニュートンの運動の概念」は、現在でも有効です。

ニュートンは、物体の運動とは、何か基準となる座標系に対する、時間と共に変化する変位の存在(物体の移動)であるとし、この「基準座標系」として、「絶対空間」とも言える基準を仮定しました。空間には、ニュートンの時代だと、目印など付けることができないのですが、理論的にニュートンは、「空間は固定されている・静止している」という理論前提を立てました。

しかし、ニュートンの時代には、すでに、地球が自転していること、月が地球の周りを公転していること、更に、地球と月の連動システムが更に、太陽の周りを公転していることが知られていました。

そうだとすると、「静止系」とはどこにあるのか、地球の中心が静止しているとは言えない訳で、では、太陽が静止系で、その中心がこの静止系の原点なのか、というと、ニュートンの力学からすれば、そうではないと言うことになります。地球は太陽の周りを公転し、諸惑星も、ケプラーの法則に従って、太陽の周りを、楕円軌道を描いて公転していることが分かっていました。

そしてニュートンの力学からは、このケプラーの法則も正しくないということが出てきます。空間のどこかに原点を置き、静止座標系を仮定して、地球と太陽のあいだの運動を計算すると、地球と太陽は、「共通重心の周りを相互回転している」という解が出てきます。実は、地球と太陽は、このような運動関係にあるので、「地球が太陽の周りを公転している」というのは、厳密には違うのです。

太陽が仮に静止しているとすると、地球の見かけの運動は、ケプラーの法則に従う、ほぼ円に近い楕円軌道を公転しているというのが、ニュートンの力学での解です。

ニュートンは「絶対空間」を考えましたが、絶対空間における「静止系」つまり、止まっていると系とは、具体的には、どういう系なのか、どの系または天体が、静止していると言えるのか、それは分からない、考えないという理論だったのです(分からないが、天体の運動の問題では、色々と静止系を取ってみて、運動の姿を計算できるという理論です)。

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アインシュタインの特殊相対性理論そして一般相対性理論は、ニュートンの絶対空間を否定したと一般に表現されますが、厳密には、そうとは言えないのです。

ニュートンの運動学では、静止系はあるが、どれが静止系とは言えない。逆に言えば、どの系でも静止系と見做して、運動方程式を立てることが可能だということになります。それに対し、特殊相対性理論では、「静止系と見なせる系」について、条件が付きます。それは、「慣性系が静止系である」と考えられるということです。速度の異なる慣性系は無数にあるので、無数の静止系がある、ということになります。

ところが、一般相対性理論になると、「天文学的メゾレベル」で、「静止系」が実際に決まるという結果が出てきます。「天文学的メゾレベル」というのは、例えば、半径50万光年の空間の規模では、あるいは、1千万光年の空間距離規模では、というような話です。

一般に、特殊相対性理論の方が、分かりやすいので、「運動は相対性を持つ」ということを言いますが、一般相対性理論になると、理論の原理前提に「相対性原理」は含まれていますが、「重力と加速度は等価である」という、もう一つの重要な理論原理から、上で述べた、天文学的メゾレベル規模では、「静止系」が決められるという結果が出てきます。

分かりやすい話をすると、地球から宇宙船が宇宙空間に出発して、光速近くまで加速し、そのまま飛行を続けて、遙かな星までたどり着き、そこでUターンで地球へ、また還って来たとします。このとき、特殊相対性理論で考えると、光速に近い速度で運動する系は、相対的に静止している系に対し、時間の進行が遅くなり、その結果、地球では、百年が経過して宇宙船が還って来たとき、宇宙船の乗員たちは、その宇宙旅行に要した時間は、10年であった、などという時間の間延び現象が起こります。

この時間の進行の遅延は、素粒子物理学などでは、普通に観察されていることで、物理学的に妥当です。しかし、この話は、実は、一種の誤魔化しがあります。どういうことかと言えば、このような加速度運動をして、その後、巡航慣性運動をし、また減速し、再度、加速し、というような運動は、特殊相対性理論では、扱えないのです。こういう運動は、一般相対性理論が扱います。

何故、特殊相対性理論では扱えないかは、「加速度」が働くからです。単に、特殊相対性理論の「運動相対性」だけを当てはめると、地球に対し、宇宙船が出発し、別の星に向かって飛行して、百年経過して帰って来たと考えることもできますが、逆に、宇宙船は静止していて、地球の方が、宇宙船から遠ざかる運動をし、百年後に、再び、宇宙船のところに帰って来たとも考えられるはずです。

この場合、宇宙船のなかでは、百年の時間が経過したが、地球では、10年しか時間が経過していないとも考えられます。しかし、実際は、そんなことはないのです。やはり、地球で百年の時間の経過、宇宙船では、10年の時間の経過で、その逆は成り立ちません。

地球の方が、宇宙船より圧倒的に大きな天体であるので、こういうことが起こるのか、というと、違います。それは、宇宙空間に、同じ宇宙船を二基置いて、一方の宇宙船は何もせず、乗員が、そこに搭乗しているとし、他方の同じ大きさ、形の宇宙船が、加速度運動をして、旅に出、運動しなかった宇宙船において、百年の時間が経過した後、帰って来たとすると、やはり、運動した宇宙船の時間経過は10年になるのです。

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相対性理論は、「運動の相対性」を原理としますが、以上の話で見ると、加速度運動をするかしないかで、明らかに、違いが出てきていることが分かります。二基の宇宙船のうちで、加速度運動などしなかった一方の方が、「静止している」とも言えます。

マッハの思考実験というものは、例えば、人間がバケツを持って、それを振り回し、回転するとします。しかし、もし「運動が相対的」であるなら、人間がバケツを持って回転しているのではなく、バケツを持った人間の周りで、宇宙全体が、回転していると考えても良いのではないか、という疑問です。

これは非常に重要な思考実験で、ただ、「この宇宙」では、人間がバケツを持って回転しているのであって、宇宙がバケツを持った人間の周りを回転しているのでは「ない」ということが言えます(そういう逆のことが成り立つ空間も、思考実験上は、「ありえる」のです。ただ、この「宇宙」は、そういう空間ではないのです)。

バケツを持って人間が回転するというのは(別にバケツを持たなくとも、そのまま回転しても同じですが)、「加速度運動」なのです。そして、加速度運動があると、「運動」と「静止」のあいだで、何かの「区別が可能」になるのです。

それは先に、光速近くに加速する宇宙船の話をしたとき、加速度運動した方の時間が、相対的には、進行が遅くなるのであって、その逆は成り立たないと言ったのと同じ原理なのです。

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一般相対性理論においては、「重力」と「加速度」は、本質的に同じものだとされます。これは理論原理で、「等価原理」と言いますが、果たしてこれが正しいのかどうか、不明ですが、現在までの物理学の現象では、加速度や重力が関係する場合、この「等価原理」は妥当であって、矛盾は出てきていない、という観測結果があります。

アインシュタインは、特殊相対性理論で、いわば、空間と時間が運動において、独立変数ではないとして、時空(ミンコフスキー時空)の幾何学に、運動学を還元したとも言えるのですが、一般相対性理論では、「重力=万有引力」という「力」を、加速度と等価だと考え、これを、「空間の歪み」として表現しました。

「歪んだ空間」というのは、実際に存在するのかどうか、その検証は、「水星の近日点移動」という観測と、もう一つ、日蝕の際、太陽の表面すれすれのところに見える背後の星が、理論的には、「見えない」はずが観測されるということで、実証されました。

二次元的に絵を描いてみると、太陽の丸い円を描いて、地球から太陽の表面に接する線を引くと、この線より太陽側にある星は、光が、もしまっすぐに進むなら、太陽に隠されて見えないはずです。しかし、見えないはずの背後の星が観測できるということは、太陽の表面で、太陽の重力によって空間が歪んでいて、直進するはずの光が、折れ曲がって進んでいるので、見えないはずの星からの光が、地球に届くのです。

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話が長くなるので、結論を言いますと、天文学的メゾレベルの規模では、銀河系の重心、または、銀河系、アンドロメダ星雲、三角座過剰星雲、大小マゼラン雲などが構成する、大体、1千万光年ぐらいの空間領域では、これらの星雲や天体の「重心」が、「静止系」と言えるのです。

上の「重心」に対し、運動していない天体・物体は、「静止している」と言えます。

重力は空間の歪みであるという話から、このことを述べると、銀河系やアンドロメダ星雲などの巨大な質量がある結果、局所的な空間の歪みがあるのです。ある点において、天体または物体が、この「歪み」に対し、加速度運動を行っておらず、かつ、これらの小星雲群の重心に対し、相対的に静止している場合、この物体・天体は、「静止している」と言えます。

宇宙は、「ハッブルのスペクトル赤色偏位」や空間の絶対温度4度ほどの等方等質「背景輻射」の存在から、ビッグバンまたはそれに類した何かの宇宙物理学的事態で、「空間膨張」していると考えられます。

そして、上で述べた「静止している天体」があるとしても、銀河系を1億光年も離れる空間における、「静止系」は、「この空間近傍の静止系」とはまた異なり、更に、ハッブルの膨張からすれば、1億光年あるいは10億光年離れた、それぞれの局所空間での静止天体二つが、膨張により、互いの距離が段々開いて行くということは、現在の観測事実と理論からすれば妥当です。

--------------------

しかし、この10億光年ほど離れた、二つの「静止天体」は、宇宙の膨張と共に、そのあいだの距離が、段々大きくなるのが事実としても、両者は、それぞれにやはり「静止している」のです。

そもそも、運動しているとか静止しているというのは何のことかです。運動は、何かの基準に対しての運動である訳で、ニュートンは、どれが空間の基準座標か不明だが、「絶対静止系」を設定(措定)できるとしました。運動とは、「空間を移動する」ことなのです。少なくとも、物理学の力学・運動学ではそうです。

十億光年離れた二つの「静止天体」のあいだの距離が開いて行くとしても、この二つの天体は、「空間を移動していない」のです。何が起こっているかというと、膨張により、二つの天体のあいだの空間で、「空間の生成・増殖」とも言えるような事態が起こっているのです。

「空間の生成・増殖」とは何のことか、現在の物理学では、よく分かりません。観測事実として、宇宙が膨張しており、「宇宙の観測的地平線」では、それは「光速」となり、更にそれより遠い天体は、「光速以上の速度」で、例えば、銀河系などから離れて行っているのです。

一般相対性理論が成立する、または、既存の物理学理論の空間では、「光速を越える速度」は空間には存在しないのですが、それが存在するというのは、膨張宇宙の「膨張」は、観測事実で確認されているだけで、それを説明する理論は、いまだ未完成だということです。

少なくとも、これは強調せねばならないのですが、ハッブル膨張による、離れた銀河のあいだの「距離の開き」は、普通の空間での、「運動による移動」とは、全然異なった原理によるというものです。もし、通常の空間での「運動・移動」と同じものである場合、「超光速」はあり得ないのです。

しかし、膨張の理論では、遠くの銀河は、光速に近い速度で、離れて行っており、もっと向こうの銀河は、光速で、更に、光速を越えた速度で、離れて行っているというものですから、ここでは、従来の一般相対性理論も、運動学も成立しません(もう一度繰り返して言うと、もし「移動運動」によるものなら、超光速はありえないのです)。

(「空間の生成・増殖」などは、聞いたことがないかも知れませんが、分かりやすく説明すると、こういう表現になります。このあたりは良く分からないのであり、ただ、通常の空間での「移動・運動」とは、宇宙膨張は違う面があるのだということです)。


>参考>No.228574 質問:永久に会えない星たち
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=228574

>参考>No.230634 質問:時間の物理について
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=230634

>参考>No.278394 質問:宇宙の膨張の根拠は何?
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=278394
 

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=228574,http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=278394
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この回答へのお礼

ありがとうございます
最高の解答ありがとうございます!

何度も読み直し、よーく噛み砕き吸収しました。

完全に納得できました。
大満足です。
もしや、プロのかたですか?
(失礼にあたりましたら、お詫びします。)
感動のあまり、盛り上がってしまいました。

私にとって、一番のポイントは、

>---十億光年離れた二つの「静止天体」のあいだの距離が開いて行くとしても、この二つの天体は、「空間を移動していない」のです。何が起こっているかというと、膨張により、二つの天体のあいだの空間で、「空間の生成・増殖」とも言えるような事態が起こっているのです。---<

上記の部分でした。


余談になり、話も逸れますが、
今回の議題を元に、
私達のいる「ビッグバンから始まった宇宙」って、すごい空間ですねー

別のビッグバンから始まった別の宇宙もあるんでしょうかねぇ。。。

そんな「ビッグバンから始まった空間」が、いくつもあるとすれば、それらを抱えてる「空間」ってすごいですね。

ものすごく少しずつですが、宇宙の事が解明されていく方向にあることが嬉しいです。
私にとって、とても楽しい話題です。
いつの日か「全部」が解明される日まで生きていれたら良いなあと思います。

お礼日時:2004/01/31 22:55

>宇宙で「止まっている物」ってあるのですか?



逆に全てのものが止まっていると考えたらどうですか?
そういう状況を。
例えば時間の一瞬をとらえた場面とか。
その中でも動いているものが光であると考えると、いろいろ納得できるかもと思います。
その時間の一瞬が存在するぶんだけ進む光であると考えると基準にもできますし、物が光の速度に追いつけないということにも納得できます(必ず止まってるから)。

学校で習ったとき、なんとなくそうなんだろうなと一人で納得してたことなので、間違ってるのかもしれないけど、あってたら回答になるかな?と思い答えてみました。
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>では、自分が止まっていた時に、自分との距離、位置が、全く変わらない星を見つければ、ソレは止まっていると考えられますね?



 距離の変化を観測する1つの方法として
ドップラー効果というのがあります。

 赤方偏移というご存知でしょうか?
地球から観測した場合、遠くの星ほど
地球からより早く遠ざかっているので、
そこから来る光を観測していると、光の
スペクトルが赤いほうへシフトするというものです。
光のドップラー効果を観測しているわけです。

 遠くの星ほど早く遠ざかっているということは、
地球を中心に考えると、ある距離より遠い星は、
地球から見ると光速に近い速度で遠ざかっています。
そしてさらに光速を超えた速度のものも・・・

これが膨張宇宙論、そしてビックバン理論を
支えている観測事実ですが、光速近くで
離れて行っている星から見れば、地球のほうが
光速近くで離れて行っているわけですが・・・
地球は動いていますが、光速で動いていると
言われても・・・

 この説明として、空間のほうが膨張している
というのが今の理論です。

 仮に2つの星が、全く運動していない、静止と
呼べる状態でも、その距離は離れて行ってしまう
のです。理屈から言うと日常の世界でも
起こっていることなんでしょうが、変化が
小さすぎて人間の感覚では感じとれないのだと
思います。


 2つの星の距離に変化が無ければ、赤方偏移は
観測されませんが、そのとき、自分の居る星が
止まっていると確認できると、相手の星は
こちらに近づくように動いていることになる。
 ところが、その相手の星に観測を行っている
異星人がいるとすると、その異星人も同じ
結論を出すのです。地球がこちらに向かって
動いていると・・・

 動き(移動)は、運動であって、一定時間に一定の
距離を動くことだというニュートンの考え方
の限界がここにあるわけです。

この回答への補足

ありがとうございます
ドップラー効果、赤方偏移は、意味は分かります。

#8さえなければ、なんとか、今回の疑問を、先へ伸ばそうとしたのですが、

>手足を
大きく伸ばしてみればいいのです。
 回転していれば遠心力を感じるので、
周囲の基準なしに動いていることが
分かります。

とゆう一節が、一点の明るみを見い出しそうに思えてしまって。。。

上記の引用文を、「止まっている事の確認にも使える」とゆう考えは、解釈として正当ですか?
さらに、「遠心力感知器」みたいなものも、ありそうですよね?
それを使えば、もっと明確に、数値で出せますよね?
この数値がゼロなら、ソレは止まっています。

そこで、もう一度、#8の補足に書いた内容に戻るのですが、
止まっているものを見つけることも可能かと。。。
(遠方の星に限らず、すぐ近くにある隕石でも塵でもいいです)

それとも、宇宙のどこで、どのような操作をしても、「止まる事が出来ない」とゆう、法則があるのなら、
数値がゼロになることがないので、この実験は破綻するわけですが、、、
やっぱり、ゼロにはならない宿命でしょうか?

補足日時:2004/01/29 23:00
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>宙の中で止まっている物もあるのでは?と思うのです。


だけど、それは何を基準に?とも思うのです

 基準は必要ないんです。
例えば目隠しされて無重力空間に
浮いていたとします。
自分は止まっているのか回転して
いるのか知るためには、手足を
大きく伸ばしてみればいいのです。
 回転していれば遠心力を感じるので、
周囲の基準なしに動いていることが
分かります。


 加速、減速していればやはり
物体が感じる力でわかります。

 静止してるのと等速直線運動しているのとは
では直ぐには区別がつきませんが、ロケット
エンジンみたいな反動を利用して少し
動いてみればわかります。


 運動には物体の外部に何か基準があると
いうのは、中学や高校でやるニュートンの
物理学の考え方で、そういった考え方が
知らず知らずのうちに身についているので、
ご質問のような疑問が湧くのだと思いますが、
上のようなちょっとした思考実験で、
ニュートンの考え方に矛盾があることが分かると
思います。実際こういった思考実験がニュートンの
死後もいろいろ出されましたが、理論的に
説明付けることに最初に成功したのが
アインシュタインだったわけです。

 アインシュタイン自身も、論文の冒頭で
エルストマッハの回転する惑星の話と
いう思考実験を相対性理論の発想の原点の
1つとして挙げています。

この回答への補足

ありがとうございます

仮に、
自分が宇宙に出れば、自分自身が止まっているかどうかは分かるとゆうわけですね?

では、自分が止まっていた時に、自分との距離、位置が、全く変わらない星を見つければ、ソレは止まっていると考えられますね?
他者との衝突がない限り、ソレは止まっていますね?

なんか、意外に簡単ですね。
すると、基準(に、やはりこだわりたいのですが)
にできる素材は、けっこう豊富にあるわけでしょうか?

補足日時:2004/01/29 21:25
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いろいろツッコミどころのある質問ですが、


おそらく質問の意図に一番近い回答は
「背景放射」ということになるのではないでしょうか。

>だけど、それは何を基準に?とも思うのです。

まったくそのとおりで、何を基準に静止しているのかを
指定しないと厳密には意味がない質問です。
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ご質問者が疑問を感じたように、「静止している」とは何を基準に?


と考えた科学者がいました。その人こそアルバートアインシュタイン博士です。

この話は遡ること、光はどうやって伝播しているのか?
が出発点となりました。光を伝える何らかの物質(当時エーテルと呼ばれていました)があるのであれば、その物質を基準に動いているのか動いていないのかが定義できるではないか!と考えた人たちが沢山いました。

そこで、そのなぞの物質の存在をめぐって喧々がくがくの議論と実験が繰り返されましたが、ことごとくエーテルの存在を否定するような結果が出てきたのです。

そこでアインシュタイン博士は考えました。
きっとこの宇宙にはそのような絶対的な基準など存在しないのだと。
すべてがある物体とある物体の相対的な動きしかないのだと。
これが「相対論」の根底にある思想です。

つまり、加速している物体は自分自身で加速しているのがわかるのでそれはそれでよい。
でも加速していない物体は、別の加速していない物体からみた速度は定義できるが、絶対座標系(これが静止していると断言できる基準)は存在しないのだから、あくまで相対的に速度を定義できるだけである。

この加速していない座標系(平たく言うと物体)を慣性座標系とよび、世界のすべては慣性座標系が沢山あるだけである。速度はあくまで慣性座標系相互の関係を表すだけである。

としたのです。これから「相対性理論」の「相対」という言葉がつけられたのです。
このように絶対座標系を否定することで、それまでもんもんとしていたことがすべて解決することになったのです。
更にアインシュタインは、これに「光速度普遍の原理」を付け加えました。
上記では絶対座標系は存在しないから、速度というのはあくまで慣性座標系相互の速度差だけで決まると書きましたが、例外として光の速度はどの慣性座標系から見ても速度は一定であるとしたのです。
(ここに凡人ではない発想がある)

そうすると、実は矛盾が生じます。慣性座標系の速度は互いに違うのに、どの慣性座標系から同じ光を見てもその速度が同じというのはおかしな話です。その矛盾を吸収しているのが時間です。(実際には質量も考えねばならなくなりますが略します)
それぞれの座標系の時間が相対的に異なれば光の速度が同じに見えるという矛盾を解決できるのです。

というように相対性理論は常識を覆すかのような理論展開を見せたのです。

現在では相対論で無ければ説明が出来ない現象がいくつもありますのでその存在は誰も疑いませんが、当時は革新的な衝撃だったでしょうね。

ちなみに上記の説明の相対性理論は「特殊相対性理論」と呼ばれているものです。
後にアインシュタインは加速度運動をしている座標系も取り入れた一般相対性理論も作っています。
ブラックホールはこの一般相対性理論から生まれました。

では。
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この回答へのお礼

#1~#6の回答者の皆様、ありがとうございます。

私は、止まっている物を基準に考えようとしていましたが、光の速度が不変的なことで、光を基準にしているとゆうわけですね?!

すごい。動いている物を基準にするとは。

少し逸れますが、速度が上がれば上がる程、時間の流れが遅くなるそうですね。(なぜかはまたの機会に考えます)
そして、光以上の速度は存在しないことの、帳尻合わせとして、その速度に達すると、時間が止まるとゆうわけですね?!(上記同様、理由はわからないけど)
その理屈もすごい!

とにかくすごいすごすぎるジェットエンジンを開発して、光速を超えたいと思いました。

お礼日時:2004/01/27 19:41

決めてあるわけでも基準があるわけでもないと思います。


物はみんな引力で引き合っているので、物が複数あれば動き出します。 ほんとうに偶然たまたま引力のバランスがとれて、そこに物を置いても動き出さない場所があったとしても、その引力を生み出している物が動いていれば、次の瞬間には引力のバランスが崩れてしまいます。 動いていない物が存在するには、宇宙のすべてが動いていないことが条件になります。(高い次元から見ると色々な宇宙があるというから、そういう宇宙があるかもしれない)
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