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先日、東北地方の放射能に無関係な震災廃材処理で北九州市に廃材が搬入されて反対者が又騒いでいるとのニュースがありました。
公共の利益と個人の利害が衝突しての問題だと思うのですが、例えば災害の際障害になる狭い道路を拡幅しようとしても立ち退かない家が一軒あって拡幅工事が一向に進まないと言った所もあります。
公共のなると判っていても、さて我が身の問題となると公共の利益は後回しに日本人はなるようです。
東北の震災では絆と称して助け合いが言われましたが、北九市の様に震災廃材処理では絆は見られませんね。
貴方は北九市のように絆に反する人達をどの様に思いでしょうか。
お考えをお聞かせ願います。

A 回答 (14件中1~10件)

北九州市は、震災瓦礫を受け入れたから、反対運動が起こっています。



それ以前に、受け入れ拒否の自治体の方が圧倒的に多いことを認識ください。


なんで、1500キロも離れた九州で処理しなければならないの?
東日本で処理すれば、搬送費用も安くてすむのに・・・


それから、正しいことを知っておいた方が良いですよ。


瓦礫の広域処理は、“絆”ではなく“利権”です。


広域処理することで莫大な儲けを得るところがあるのです。

この回答への補足

利権は別の話です。
我が家の土地に瓦礫が山になっていて減らずに困っています。
困っているのに助けてくれないのは変じゃないですか。

補足日時:2012/09/15 17:42
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「絆」って口先だけのものじゃないかな?



もっと言えば、他人様同士に「絆」という言葉で無理させる
当人はご都合主義で「絆」という言葉には無責任なもの

それが現実だと思うので、質問者は、「絆」に希望的幻想を抱いているだけのように思えますね

『思いやり』とかなら、まだ信用したくなるけど、『絆』は胡散臭いように思うけどね

思い出すのが、神戸のある市議の発言
記憶があやふやですが、確か、『東日本大震災を受けて、関西はチャンスだ』みたいな発言した人がいましたよね
人間ってああいうものですよ

東電の事故当初は、東電だけが電力不足になることを指摘していた関西人が、歓喜してましたが
蓋を開ければ、沖繩を除く日本全域が節電というw

別に北九州市に限らない話だし、質問者が想定する「絆」ってのは幻想だと思うけどねぇ

この回答への補足

絆を期待してはいません。
困っている者に援助を期待していけないんでしょうかね。

補足日時:2012/09/15 17:43
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絆という言葉が国民全体でお互いに損害を分かち合うという意味でつかわれだしたのは、おそらく震災後出てきた概念で、それ以前には夫婦の絆とか地域の絆というように限定的にしか使われていないと思います。



それ以前の考えは、基本的に高度成長時代以前の日本人というのは
「人様に迷惑をかけない」
と習って育っていると思います。
たとえ、事故で自分のところの製品が損害を受けたとしても、その損失を他人にかぶってもらうということが日本人の美徳であったことはありません。まして、事故をした側が「絆だから」という理由で他人を巻き込むというのことは一般的には「おこがましい」といいます。事故にあっていない人が事故にあった人に対して助けの手を差し伸べるのは美しいことかもしれませんが、何も毒物を引き受けるということをする必要はありません。ほかの応援の仕方もいくらでもあるのです。
また、たった2割のゴミを九州くんだりまで運ぶのが正しい判断だとも思えません。

国民だからお互い犠牲になる、という日本人的なものの代表にゼロ戦の神風特攻隊があります。国のために自分の命を顧みず敵の船などに突撃するわけです。
この場合、人的な被害は突撃する人にのみ限られ、残された妻子やほかの国民の皆さんが生き残る、自分の考えや人生を全うするというところに自己犠牲の美しさがあります。
がれきを受け入れて、ひょっとしたら、子供たちが運ばれてきた放射性物質で被害を受けるかもしれない、さらに運ばれてきた物質によって二次、三次の被害がでるかもしれない、そのどこに自己犠牲の美しさがあるでしょうか。

NHKなどは毎日毎日絆だ絆だといいながら、決して福島原発3号機の爆発映像は放映しません。事実はどうだったのかということはいろいろな意見があるでしょう。しかし、明らかに放射性物質が拡散したという事実を隠ぺいしながら、がれき拡散は推進しています。まず公平に報道をして、そのうえで検証の結果安全ですからお願いしますというならともかく、最初から事実は伝えませんけど、手伝いはしてくださいなどという態度なのです。

絆というのは、自分たちの利権を守り、保身に走る人たちが都合よく使っている言葉に過ぎないのです。

がれきを運ぶということの賛否はあると思う。人によって絶対安全であるというご意見もあると思います。しかし、がれきを運ぶために政府が従来の放射線の安全基準を変えたのは事実であるし、ということはがれきが汚染されているということは国が認めているのです。そんなものを受け入れる「絆」などいい迷惑以外の何者でもありません。

この回答への補足

絆は嘘ってよく分かってきました。
日本人は変ですね。

補足日時:2012/09/15 17:44
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放射能汚染と無関係ってのが信用できない状態です。



それと、他の震災(たとえば阪神大震災)でも瓦礫なら発生しましたが、余所に持っていくという話は今回が初めてと記憶しています。
そりゃ規模や地域の違いはありますが、いくらなんでもおかしいと思いませんか?

まず、本当によそに持っていかないとどうにもならない量なのかどうか、そこから考えたほうがよいと思います。
この瓦礫の処理や運搬にも当然ながらカネや利権が絡みます。
そこらへんも掘り下げて考えてみてはどうでしょう?

この回答への補足

私は東北人です。本当に瓦礫が一向になくならず家が建てられないで困っています。利権云々は一部の話ですよ。部外者が言うことではないでしょうか。

補足日時:2012/09/15 17:40
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全国のすべての自治体が受け入れる中で北九州の住民が反対したのなら非難の槍玉になる事もあろうかと思いますが、今回のように受け入れを実施した自治体住民のみを非難するのはいかがかと思います。


受け入れを表明しなかった自治体の住民から「瓦礫を受け入れよう」との意思表明はあったのでしょうか?(私自身積極的な受け入れのためのアクションを起こさなかったことに一種の罪悪感を感じてもいます。)
おっしゃるように「絆」がマスコミによって大きく喧伝されて共感を得ていますが、所詮は誰しもが「我が身に降りかからないように」と願っていることの証左ではないでしょうか?
この問題に限らず、自分が住む場所の近くに焼却工場ができようとすれば反対運動が起こりますが、誰しも焼却工場の必要性は判っていながら、総論賛成、各論反対の感情に基づく行動がとられます。

ある自治体では首長が受け入れ表明すると、脅迫行為が起こって受け入れを撤回したり、受け入れを表明したあと、被災地の焼却施設の拡充が図られたことによって、その必要性がなくなったとの判断から撤回したところもあります。

これは、何と言っても憲法が保証した基本的人権の保障規定と、それを絶対不可侵のごとく喧伝してきたことに原因があるのではと思います。現状での国の非常事態の際の対応ができず、決められない政治」が延々と続くのはもうごめんです。
大日本帝国憲法を絶対不可侵の規定と崇め、現実との乖離を放置したことによって、国そのものが破滅に近い状態に追いやられた歴史に学ぶべき時に来ているのだと思います。同じ過ちを犯さないことが重要です。やっぱり「臭いにおいは元から絶たなきゃダメ」

この回答への補足

助け合いは嘘だったんだ。
一部の反対者で絆が泣いていますね。

補足日時:2012/09/15 17:45
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困っている人たちに、出来るだけのことをする、というのは普通にある行動ですが、瓦礫を受け入れるという行動が「出来るだけ」に当たるかどうかの見解の相違だと思います。



寄付はするけどガレキは反対、と言っている人を偽善者呼ばわりする人というのは、日本人はカネだけ出して自衛隊を派遣しないから国際貢献していないなどと言っているアメリカ人のようだなと思います。

また、公共の利益のために個人の利益を犠牲にせよなどというのも全体主義みたいで賛成できないですね。

今回の騒動は、放射能に無関係な廃材、というプレスリリースを信頼していない人たちの行動と思われますので、まあある意味無理も無いかなと。

他の方の他の質問にも書きましたが、絆とか助け合いという名のもとに、福島の野菜を全国民で食わされたり、安全で放射能には無関係と言って入るが、もしかしたら危険かもしれないガレキを全国に拡散させるという行為はちょっと違うんじゃないかなと思いますよ私は。

受入賛成反対という議論の前に、拡散させない方法もしくは誰も文句を言わない方法を国が主体となって考えるというのが本来の形なのではないですかね?

>貴方は北九市のように絆に反する人達をどの様に思いでしょうか。

絆、というのは自己犠牲を払ってまで大事にするものではなく、あくまで人としてそれぞれ出来るだけのことをする、ということだと思いますので、北九州市の人たちは絆に反してはいないと思います。実際にたくさんの支援をしていただいております。

私は被災地に住んでますが、こういう報道を見るたびに申し訳なくてこれ以上他の地方の方たちに迷惑をかけられないという気持ちになります。だから自分達で出来るだけ何とかしようと思っています。

この回答への補足

それじゃ我が家の土地にある瓦礫を早く除けて下さいね。

補足日時:2012/09/15 17:47
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誠心誠意尽くして人を騙す政権の言う絆であり安全を誰が信じます。



「大丈夫?」っていうと、
「大丈夫」っていう。

「漏れてない?」っていうと、
「漏れてない」っていう。

「安全?」っていうと、
「安全」っていう。

そうして、あとでこわくなって、

「でも本当はちょっと漏れてる?」っていうと、
「ちょっと漏れてる」っていう。

こだまでしょうか。
いいえ、枝野です。

管と枝野が遣った事の全てがこの皮肉に現れてます。

この回答への補足

何を仰りたいのか、言いたいのか不明ですがね。

補足日時:2012/09/15 17:48
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「絆」は、水戸黄門の、三つ葉葵の印籠じゃありませんよ。


問題解決において万能では無いと言うだけのコトでしょう。

当座は必要が無い資金を寄付するとか、休暇で現地でボランティア活動をするなどの範囲において、「絆」は動機になり得ますが・・・。

生活を圧迫するレベルで寄付するとか、会社を辞めさせられるかも知れないけどボランティアするなど、「そこまで強い動機では無い」だけです。

質問者さんも、自分の家の横に、墓場とか葬儀場とかゴミ処理施設とか原発が出来たらイヤでしょ?
いずれも公共性がありますが・・。
現実的にも、資産価値などが減少するだろうし、環境や治安の悪化に影響するかも知れません。

絆は、「それでも!」と言うほどの、強い動機では無いだけで、また、そもそも絆に強制力などありませんから、「絆に反対」と言うのもどうかなぁ?と思います。

更に、それを「日本人」などと考えるのは、早計過ぎるでしょう。
自己中で有名な中国人や韓国人なら、反対どころじゃないから。
欧米でも権利主張が強いので、裁判になると思います。

この回答への補足

>質問者さんも、自分の家の横に、墓場とか葬儀場とかゴミ処理施設とか原発が出来たらイヤでしょ?・・
私なら反対はしませんよ。
早く我が家の土地の瓦礫を除けてほしいだけです。

補足日時:2012/09/15 17:49
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難しいお話だと思いました。

メディアを通して「絆」と言う言葉をよく見るようになったものの、やはり人間というのは、自分に関係なければいいやと考える人が多いのでしょう。普通はこんなにひどい震災があったなら他県であっても、のみ込まなければならない時は、黙って受け入れるしかありませんが、それをしたくない人間も必ずいるので…周りを考えられない寂しい人達なんだなと、思います。
このままですと、いずれ日本で、また大きな震災がくるような気がします。
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この回答へのお礼

仰る通りですね。有難う御座いました。

お礼日時:2012/09/15 17:50

無知と思い込みが織りなす事でしょうから逆に可哀想な人達ですね。


岩手・宮城も原発事故を起こした福島を含めた東北地方で括られますし、震災映像には福島原発事故がセットで放映される事も少なく無いので、震災イコール放射能と結びつけているのでしょう。
北九州で受け入れて貰う震災瓦礫の放射線量は自然放射線量と殆ど変わらないでしょう。
自然放射線量で言えば東北より九州の方が高いらしいですし、震災瓦礫を放射能汚染と言うのならば、瓦礫の放射線量より九州の放射線量の方が高いから北九州に住むな!って事になるでしょうね。

※岩手・宮城の自然放射線量 年間 0.90~0.99ミリシーベルト
 福岡県の自然放射線量 年間 1.10ミリシーベルト以上
 参考資料:正しく覚えよう放射線の基礎知識(エステー:小冊子監修 首都大学東京 大学院 福士政広教授)

この回答への補足

東電福島第一原子力発電所事故の放射能ってチェリノブイリ原発事故に比べると些細なものです。
日本人は核アレルギー、原発アレルギーになっているんでしょうね。」

補足日時:2012/09/15 17:51
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この回答へのお礼

仰る通りですね。有難う御座いました。

お礼日時:2012/09/15 17:52

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