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法律に詳しい方にお尋ねします。

死刑の是非を巡ってある人が、ブログのコメントに次のように書いていました。私はその意味がわかりません。それは表現がおかしいからではないかと思うのですが、皆さんはどう思われますか。

国家という名のもとに、結局人が人の命を奪う。ですから死刑には反対です。「罪を憎んで、人を憎まず」の罪刑法定主義から見ても、今の日本は、マスメディアによるリンチ的報道が過剰なまでに溢れていると思います。

私がおかしいと思う表現 ⇒ 「罪を憎んで、人を憎まず」の罪刑法定主義

A 回答 (8件)

 罪を憎んで、というのは以下の意味と語源ですね。



http://kotowaza-allguide.com/tu/tsumiwonikunde.h …

 現在でも、原意に即した理解をされていると言って差し支えないでしょう。

 お示しであり疑問に思われる『「罪を憎んで、人を憎まず」の罪刑法定主義』は、文学的修辞として、想像力を駆使して意味を考えることができないわけではありません。

 ただ、事実を明らかにしたうえで意見を明快に述べているブログがあって(ちょっと読んできました)、それに対して書くべきコメントではないでしょうね。コメント主が言いたいことを、読み手に慮らせてはいけません。

 そういうのって、荒らしがよく使うテクニックの一つであったりします。曖昧なこと、矛盾しているようなこと、意味的や論理的なつながりを欠いたこと、そういうことを言って、相手に意味を考えさせる手間と労力を強います。荒らし側に都合のいい考えを引きだしたり、読み手が推測で述べたことに次々と「そういう話ではない」と駄目出しを続けることができます。荒らし側は片手間、読み手は一生懸命ですから、読み手側が疲れてしまいます。

 こういうときは、「意味不明である。明快に述べたら考慮してやってもよい。」と突き放すべきです。もちろん、明快かどうかは、今度はこちらの裁量で判断します。相変わらず不明瞭なら、「考えを持っていないなら喋るな。邪魔以外の何ものでもない。」などと述べて、以降は完全スルーです(自分のブログなら、おちょくって遊んでもいいですが、他所様の場所ですとね)。

この回答への補足

>自分のブログなら、おちょくって遊んでもいいですが

なるほどと思います。とても貴重なご意見かと思います。

私も、意味のないコメントの応酬は馬鹿らしいので相手のブログでは一切していません。その代わりに自分のブログでその問題を取り上げています。

補足日時:2012/11/04 09:42
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この回答へのお礼

的確な回答ありがとうございました。
この上なく参考になりました。

お礼日時:2012/12/02 20:45

 少し様子を見させていただいていました。

純粋に文章論の上での回答です。それ以外はありませんので御寛恕いただければ幸甚です。
 質問者様が「不自然」とお考えになる「『罪を憎んで、人を憎まず』の罪刑法定主義」ですが、この文章はその後にある「今の日本は、マスメディアによるリンチ的報道が過剰なまでに溢れている」との一文と対比の関係にあります。
 そのブログの主の主張がどこにあるかと考えますと、犯罪を裁くのは司法の仕事であって、それにマスメディアが関与する意味や必然性があるだろうか、との疑問および反語的問い掛けでしょう。ここから逆算していけば、「『罪を憎んで、人を憎まず』の罪刑法定主義」の一文は見かけ上では未完結ですが、文意として「『罪を憎んで、人を憎まず』との法哲学を構成する一つの要素としての罪刑法定主義とそれを具現化する司法機関のみが関与でき、またその資格を有する」と読みとることで完結していると考えられます。
 法廷で裁かれるのは被告人の「罪状」であって、被告人の人格などを裁くのではありません。がしかし、日本のイエローメディア(無意味に世論や視聴者を扇情的に煽るだけの週刊誌やワイドショーなどの低俗下劣なメディア)がバッシングするのは、殆どがその行為ではなく人格などに対する露骨な集中砲火を浴びせる形です。
 そうした現実をこのブログの主は憂えていると僕か感じています。
 もっと単純な表現にするならば「『罪を憎んで、人を憎まず』との罪刑を決めるのは法の仕事である」などとすれば誤解する向きも少ないと考えられます。
 尚、ご質問の内容とカテに一部齟齬があるやに感じられますが、「国語カテ」ならば「法律に詳しい方にお尋ねします。」との一文は無視してもよろしいとの前提ですよね?。ですから「死刑の是非」に関しては、私はコメントを避けさせていただきます。

この回答への補足

「法律に詳しい方にお尋ねします。」との一文は余計でした。すみませんでした。

言いたいことを相手が理解できるように伝えるには、それなりに言葉を継ぎ足す必要があると思います。伝える側にとって言うまでもないことであっても相手にとってはさっぱり訳の分からない事である場合もあるわけです。

言わなくてもわかるだろうという身勝手な思い込みがコミュニケーションの齟齬を生む事になると思います。

ですので、「『罪を憎んで、人を憎まず』の罪刑法定主義」の一文は見かけ上では未完結だと思います。

補足日時:2012/11/10 00:45
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答ありがとうございました。
十分に参考になりました。

お礼日時:2012/12/02 20:44

こんばんは。



回答がダブっていたらすみません。

「法律に詳しい方にお尋ねします。」だっだので、カテ違いだと思い、一旦は、回答をパスしました。

引用文されている内容が論理的にはおかしいのは言うまでもないし、それは、感情論だけで、ここで俎上にあげて料理するほどのものではありません。

・「罪を憎んで、人を憎まず」の罪刑法定主義から見ても
 「人を憎まず・・」は倫理や宗教の分野の概念で、罪刑法定主義ではない。

・マスメディアによるリンチ的報道が過剰
 これが、結果的には死刑制度を後押ししているとしても、直接、死刑制度を支援しているわけではない。
 罪刑法定主義から見たからといって、マスメディアの印象が変わるわけではない。これは、人権問題である。

 こんな主張をしていたら、逆効果です。

私自身、この議論は、数十年も前「アムネスティ・インターナショナル」のパンフなどでも読みましたが、ある程度の死刑廃止論の骨子は出尽くしています。ですから、死刑廃止論は、そうした内容を持ちださなくてはならないはずで、その一つでも出せばよいものの、まったく出ないのでは、もはや相手にする必要もないと思うのです。ただ、概ね、日本人の、この死刑廃止論は、根拠になる部分が感情論になりがちではないのか、と思います。

なお、ここのカテで、死刑制度を云々したくないです。

この回答への補足

>死刑廃止論は、そうした内容を持ちださなくてはならないはずで、その一つでも出せばよいものの、まったく出ないのでは、もはや相手にする必要もないと思うのです。

同感です。死刑廃止論者の主張には見当外れのものが少なくありません。

死刑は廃止すべしという主張をしている某評論家は、公開の席上で「死刑の問題が感情的なところで議論されている」として「きちんと向き合わないと」と言っています。つまり、自分は論理的に(理性的に)意見を表明していると言っているのですが、その主張は明らかに見当はずれのものです。本人としては、もっともらしく知的に言っているつもりなのでしょうが、冷静に分析すればその論理の破たんは明らかです。

死刑に賛成する人は8割を超えるといいます。死刑反対論者の主張があまりにも説得力を欠くものであるために死刑に反対する人が増えないのは無理もありません。

補足日時:2012/11/04 09:36
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この回答へのお礼

実にわかりやすい回答でした。
ここに御礼申し上げます。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/02 20:47

罪を憎んで人を憎まず。

感情論的な意見しか言えませんが、
もしも愛するものを訳もなく殺された被害者が加害者に対して
こんな心境になることなどあるでしょうか。しかもいかにも
それが良いことだみたいな悟った言い方をされるのは理不尽だと思います。
罪刑法定主義とは
いかなる行為が犯罪であるか、その犯罪にいかなる刑罰を加えるかは、
あらかじめ法律によって定められていなければならないとする主義(広辞苑第6版)
なので、罪を憎んで人を憎まずとは相いれない論理だと思います。
情状酌量なら分からないでもありませんが「情状酌量の余地なし」
となることもあるでしょうし公平に扱われると思います。
マスメディアの情報がいくら過剰にあふれていても
それは正確な作り物でない真実を語るものでなければ意味ありません。、

この回答への補足

確かに、死刑反対論者にとっては相いれることなのかもしれません。

しかし、死刑容認派の私にはそれはとても相いれないことでした。

どの立場での発言かという事を考えれば理解できたことかもしれません。

補足日時:2012/11/04 08:33
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この回答へのお礼

お礼が遅れまして申し訳ありません。
回答ありがとうございました。。

お礼日時:2012/12/02 20:49

NO.1 です。



>「罪を憎んで、人を憎まず」と「罪刑法定主義」の結び付け方がおかしいと私は思うのですが。

ご質問の趣旨がわかりました。国語カテでしたね。


>「罪を憎んで、人を憎まず」の罪刑法定主義 という場合、他の言い方にするとしたらどうなりますかね。

罪刑法定主義 を厳密に解釈すると、確かに舌足らずの感はあると思います。

日本は法治国家であり、罪人を法以外にも社会が叩くのは「罪刑法治主義」に反するだろうというような意味に取ったのですが、解釈は間違っていないと思います。

”「罪を憎んで、人を憎まず」を理念とする、罪刑法定主義を標榜する今の日本 ”

くらいでしょうか。

この回答への補足

なるほどと思います。その通りかもしれませんね。

どうして最初からそういう表現にしてくれなかったのかと思います。

補足日時:2012/11/04 08:23
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この回答へのお礼

重ねての回答本当にありがとうございました。
わかりやすい説明でした。

お礼日時:2012/12/02 20:51

 たしかに違和感を感じますね。



 罪刑法定主義は罪刑法定主義であって、「罪を憎んで人を憎まず」という観念とはそもそも無関係でしょう。
 法は法であって、観念とは無関係です。
 罪刑法定主義とは、罪と刑罰を法で規定しようというものであって、法は別に罪も人も憎んでなどいない、単に「規定している」だけのはず。

 そしてそこに突然メディア批判が入って、内容が飛躍混乱し脈絡のない文章になっています。
 メディア批判をしたいのならば、メディアの報道手法、取材の姿勢、メディアへの法規制を論じればよく、そもそもメディアは営利企業が好き勝手に情報を商品化して発信しているだけなのですから、法律云々、罪や人云々と絡めた語り方をすることには違和感を感じます。

 ただ単にちょっと難しい、格好いいような言葉を並べれば、文章に箔がつく、という程度のレベルの低い文章ですね。
 本当に伝える能力のある人と言うのは、言葉をただ繋いで並べるよりも、分かりやすい言葉を使い、段落を分けて簡潔にまとめるものです。

この回答への補足

わかりやすい説明だと思います。

このコメントに対して私が意味がわからないとコメントしたところ、そのブログの主(管理人)から「いちいち噛んで含めるようなことはしませんから、よく考えてみてください」と一撃を喰らいました。

どう考えても訳が分からなかったためにそのブログにコメントしたのですが、そういう反撃をされるとは思ってもいませんでした。参りました。

補足日時:2012/11/03 15:23
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この回答へのお礼

実にわかりやすい的確な回答だと思います。ありがとうございました。
ベストアンサーを別の方にしてしまいました。
申し訳ありません。

お礼日時:2012/12/02 20:54

「罪を憎んで人を憎まず」という考えは、むしろ刑法の責任主義と関連があるように思えますね。




「罪刑法定主義」は国家による恣意的な刑罰権の行使を防ぐことを目的とした考えですから、「罪を憎んで人を憎まず」との考えからは導き出しにくいものだと思います。


しかし、コメント主様がどのような意図で書いたのかがわからないので何とも言えませんね。それを知れば、「なるほど」と思えるかもしれませんし。

この回答への補足

コメントの主がどういう趣旨でそういう言い方をしたのか。それがわからないわけです。つまり、言葉足らずだと私は思うのです。
複雑な問題を簡単な言い方で説明することは容易ではありません。本人はわかっているつもりでも、その表現手段によっては相手には伝わりません。
また、わかっているつもりでも、それを書いて表現してみると、実はよくわかっていなかったということもよくあることではないかと思います。
コメントの主は、死刑には反対という立場は明快であってもその考えを説明することは得意ではなかったということではないかと、私は思います。

補足日時:2012/11/03 14:39
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
お礼が遅くなって申し訳ありません。

お礼日時:2012/12/02 20:55

おかしいことはないと思います。


>「罪を憎んで、人を憎まず」の罪刑法定主義

人の罪を裁くのはこうあらねばならないということでしょうね。つまり

人間が罪を犯すのはそれなりの外的要因があり、その人間そのものの人格とは無関係であり、犯した犯罪とその原因とは何の関係もないその人の普段の行状とか別のミスなどを興味本位であばきたて面白おかしく報じてその人自身の全人格、ひいてはその家族を完膚なきまでに破滅させる現代の風潮を戒めているのでしょう。

この回答への補足

「罪を憎んで、人を憎まず」と「罪刑法定主義」の結び付け方がおかしいと私は思うのですが。

「私の鉛筆」という場合、「の」は所有を意味します。つまり、「私が所有している鉛筆」という意味になります。

「罪を憎んで、人を憎まず」の罪刑法定主義 という場合、他の言い方にするとしたらどうなりますかね。

補足日時:2012/11/03 14:33
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
十分に納得することができました。

お礼日時:2012/12/02 20:57

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