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江戸時代の庶民の間にはお伊勢参りがさんだったようです。
これは、お伊勢さんが江戸庶民に人気があったということだと存じます。
質問:
1. 江戸庶民の間にどうしてお伊勢さんの人気があったのでしょうか?
2. ここで江戸庶民というのは、お江戸にいる庶民という意味で、他の地域の庶民は含まれていないのでしょうか。
3. 庶民とは“高禄の武士や豪商を除く”という意味でしょうか?

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A 回答 (8件)

こんにちは。



>>1. 江戸庶民の間にどうしてお伊勢さんの人気があったのでしょうか?

伊勢大神宮は日本人の信仰の大元(おおもと)であり、江戸ではどの家庭の神棚にお伊勢さんのお札が祀られていました。

伊勢神宮は20年に一度、社殿が建て替えられ遷宮が行われるので、儀式を見ようととりわけ参詣者が多く集まりました。さらに、60年に一度特別の効果があるといわれたありがたい年で、空から神符(おふだ)が降ってきたと言う噂をきっかけに各地から多くの人がお伊勢さんを目指すようになりました。

江戸に限って言えば、伊勢神宮から毎年年末になると、御師(おし)と呼ばれる下級神職が各地に出向き「伊勢暦」や「一万度の御祓」(おはらい)という神札(神宮大麻=じんぐうたいま・とも呼ばれた)を各家庭に配って回り、お伊勢参りを希望する者へは、御師があらかじめ懇意にしている宿などの宿泊の手配をしてくれました。

と言う訳で、伊勢神宮でも活発な宣伝活動をしていましたので、全国的に「一生に一度はお伊勢参り」と言われるようになりました。江戸でも各町内ごとに「講中」が結成されたりしていました。


>>2. ここで江戸庶民というのは、お江戸にいる庶民という意味で、他の地域の庶民は含まれていないのでしょうか。

また、御師は農村部にも出張しましたので、農村部でも各地に「講中」と言う組織ができ、銭を毎年積み立てて、主に、20年ごとの遷宮や60年ごとの特別な効果があると言われた年にその講中の代表者2~3名が集まった銭で伊勢へ向かいました。そして、帰る時には講中の人々の分だけのお札やお守りを買って帰りました。


>>3. 庶民とは“高禄の武士や豪商を除く”という意味でしょうか?

豪商は別として、基本的には「YES」です。
なぜなら、各大名家でもそうですが、特に江戸に住まいを持つ旗本や御家人などは将軍家の家来で、住んでいる家屋敷は全て幕府からの貸与ですので、いわゆる、官舎住まいですから、いつ戦いが起きても出動できるよう自宅待機が原則で御符内の範囲であってもその外側であっても、一泊またはそれ以上の宿泊にも組頭への届け出が必要でしたし、御符内から外へ出るにも届け出が必要でした。ただ、面白いところでは夜九つ刻(午前1時)までに帰宅していれば良く、それを過ぎてしまうと宿泊扱いになり、届け出をしていない場合には「謹慎」などの処分を受けました。
朱引図と言われ赤い点線が、御符内と御符外との境でした。
ちなみに、黒線(墨線・ぼくせん)の部分は、町方同心の巡回管轄範囲です。

御符内の範囲→http://bungetsu.obunko.com/newpage507.html


(よもやま話)
1.古くから日本では神参りというと、男女の間が乱れても許されると言われ、お伊勢参りでも伊勢の宿場の「古市」には遊女がいて参詣客を男にしてくれました。

2.遷宮の参詣をはるかに上回ったのは、60年に一度の特別な「ご利益」(ごりやく)があるとされた年で、「お陰参」と言って子供や丁稚などが親や雇い主に無断で講中に加わって伊勢へと旅に出ました。これを「抜参」(ぬけまいり)とも言いました。
そして例えば、丁稚などの場合には、帰って来た時に、お札やお守りを持っていれば、主人は叱ってはいけない、という通達さえ出されていました。

3.「お陰参」は強い信心の表れと言われ、「柄杓」(ひしゃく)一本を腰にさして一文もなくても、道々では「お陰参」だと言えば誰かが助けてくれるほどでした。そして、「通行手形」がなくても関所は通過することができました。

4.江戸時代を通じて6回の「お陰参」があり、文政13年(1830)には参詣人が1日で19万人にも達したとの史料もあります。また、4か月間に宮川(三重県)の舟渡し場をわたった者が428万人だったとも言われています。

5.宮川の渡しは、
●小俣の下の渡し(桜の渡し):京・東国から参宮街道を通る者が利用した渡し。
●川端の上の渡し(柳の渡し): 大和・紀州から初瀬街道を通る者が利用した渡し。
●磯の渡し:地元の人が利用した渡し。
の3か所があり、小俣の渡しは「下の渡し」、またはこの付近には桜の木が多かったことから、「桜の渡し」とも呼ばれ、それは、今の宮川橋付近にありました。 渡しは、昼夜の区別なく運行され、無賃であったといいます。 また、宮川を渡ると神域に入るため、勅使参向の時はここでみそぎを行いました。諸国からの参詣人もこれにならって身を清めたという、聖なる川・宮川。 はるか昔から、多くの旅人たちの心を和ませていました。


6.慶応3年(1867)の「ええじゃないか」は、お陰参にかこつけての討幕の陰謀説とも言われています。

こんなサイトを見つけました。
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/haku/osusume/177 …

この回答への補足

kagerohoさんがすばらしいですね。
今回はまことに素晴らしいご知見のご回答を賜り、皆様に心からお礼申し上げます。
お江戸、なんとも私達にもっとも影響を持ち、私たちの心性や基本の観念を形成させている文化と風俗ですね。

みなさんの素晴らしいご回答を暫く、勉強したいと存じます。
心からお礼申し上げます。

補足日時:2012/11/06 16:05
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この回答へのお礼

最後に文月論文を訪問しました。
うぅんさすがです。
たくさんの名ご回答の中で、お江戸を知る上では、やはり素晴らしいものです。
有り難う御座いました。

お礼日時:2012/11/06 16:00

No5です。


幾つかの回答に「お伊勢参りは旅行に出かける口実」であったかのような記述がありますが、その認識は大きな誤りです。江戸時代、お伊勢さんに対する憧れは非常に大きなものがあり、神宮大麻は今でもそうですが、家庭での厚い信仰対象でした。
人々は家財を売り払って出掛けたり、沿線の人々の厚志を頼りに無一文で出掛けたり、命がけでお伊勢参りに出かけたわけで、物見遊山の口実というのは、江戸時代の日本人に対する認識不足も甚だしいと思います。
蛇足ながら、戦前まで「参拝」という行動は日本人にとって大切な行事であり続け、それをあてにして池上本門時参拝客目当てに引かれたのが今の池上線であり、川崎大師参拝客目当てに引かれたのが当時の大師線、今の京急です。
また、お伊勢参りが江戸近辺だけの話であったかのような記述もありますが、これも大きな誤りで、全国的なブームであったことは間違いありません。記録では、遠く陸奥の国から往復百日以上かけて詣でた話しも残っています。

この回答への補足

文月さんとどちらか。とても迷っています。素晴らしいお江戸に関するご知見です。

補足日時:2012/11/06 16:01
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この回答へのお礼

うぅむすごいお話です。
私たちの真底の観念や見方の根底になっている江戸時代の心性を画くことが出来ます。
有り難う御座います。

お礼日時:2012/11/06 15:47

1すでに出ていますが、正確にはお伊勢参りの目的は必ずしも伊勢神宮ではありません。


東海道旅行が実際の目的ですが、参詣目的じゃないと通行手形がおりないのでお伊勢参りとなったわけです。
つまり単なる旅行が本来の姿です。
2概ね江戸を中心とした関東の天領の住民です。
3豪商の二男三男や隠居した元武士などの暇で経済的に恵まれたものも、当然下と思います。

すでに講が出ていますが、江戸時代の庶民は貯金の習慣がないため、多くの人間が集まってお金を出し合い抽選をし、当選したものがお伊勢参りに行きました。現在のわれわれの宝くじみたいなもので、お金に余裕があるとき夢を買うような話で籤を買い、当選したものが参詣という名目で旅行したのです。
逆に言うとそれができたのは、時間に余裕のある(というかその日暮らしの)日雇い人夫や内職で暮らしてる職人、隠居者、富裕層の二男・三男などです。
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この回答へのお礼

そうですか。
そういう側面もあったのですね。
ありがとう御座いました。勉強になります。

お礼日時:2012/11/06 15:49

お伊勢さんは、江戸時代、60年周期で大ブームが巻き起こり、ピーク時には年間数百万人が詣でたと言われています。

人気の秘密は定かではありません。祀られている天照大神が商売繁盛の神として人気が高かったとも言われていますが、もっとも貢献したのは布教師とも言うべき御師の存在ではないでしょうか。お伊勢さんのご利益を広く民衆に伝えて、伊勢神宮をあこがれの地として広めました。
これは、お伊勢さんに限らず、様々な神社の御師が、全国を回りました。今、日本全国に稲荷神社や熊野神社があるのは、これら御師たちの仕事です。
また、江戸方面からであれば、東海道を歩きますが、街道沿線の観光地も人気があったようです。
ちなみに、当時、観光目的では通行手形を得ることが難しく、参詣目的で初めて手形をもらえたため、伊勢に限らず、関東であれば大山街道を通った大山詣、日光街道を通った日光詣など、様々な目的地があり、富士登山も信仰の対象でした。もちろん、庶民に伊勢まで行く旅費はなかなか工面できません。そこで、伊勢講という互助組織を通じて、集めた会費を旅費にして、代表者がお参りに出かけるシステムを取っていました。(富士講、大山講など、同じシステム)
また、特にお伊勢参りの場合は、お伊勢参りだということがすぐわかるように柄杓を持って旅をしましたが、それを目印に、沿線の民家やお店から、銭や握り飯などの振る舞いがあったりしたそうです。
数百万人も集まるのですから、当然「江戸」の住人だけではなく、農村からのお参りも数多く報告されています。農村の場合、部落の代表として行くわけですから、講で旅費を工面するだけでなく、旅行中の田畑の世話も、部落の人たちが面倒を見たようです。
武士や豪商が伊勢に参るのは特に珍しいことでもないわけで、ここで「庶民」というには、庶民までが旅行できたということを現しています。
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この回答へのお礼

御師の性格、信仰での旅とその方式、並びに講についての話は江戸時代の文化と風俗を画くたいへん貴重なものです。
有り難う御座いました。

お礼日時:2012/11/06 15:44

>1. 江戸庶民の間にどうしてお伊勢さんの人気があった


>のでしょうか?

「伊勢講」ってのがありまして、言えば「旅行積立」ですな。
これを村落や長屋などで行い、代表者1名が伊勢参りに行く
というシステムが出来上がっていたんです。

さらにそういう「旅行積立システム」を伝授する「御師」という
一種のセールスマンが居まして、「御師」に従って(別に一緒
に行かなくても口実で構わない。ただ、伊勢滞在時には自分
の所の御師に世話になる)伊勢参りに出立すると、通行手形
を容易に入手できるということもあったんです。

こういう「旅行システム」があるのは「伊勢神宮」が大手でした
ので(長野善光寺や日光東照宮にもシステムがあったらしい
けど、全国的なのは伊勢だけ)ので、伊勢神宮が有名だった
んですね。

>2. ここで江戸庶民というのは、お江戸にいる庶民という意味で、
>他の地域の庶民は含まれていないのでしょうか。

ということなので、御師の廻った地域=ほぼ全国です。単に
経済力が江戸が一番大きかったので、「講」も江戸が一番
多かった・・・というだけです。

>3. 庶民とは“高禄の武士や豪商を除く”という意味でしょうか?

ということで、「伊勢講」は基本的に武士商人ではなく、いわゆる
一般庶民で、農民や職人のシステムでしたから、「その通り」が
答えになります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E8%94%AD% …

更に伊勢参宮には「お陰参り」という、独特な一種の自然発生的
カーニバルがありまして、これが発生すると、庶民が奉公先から
抜け出し、資金も無いのに伊勢参りに出かける人が急増したん
です。そうなると庶民を中心に数百万人が伊勢に殺到したわけで、
沿道の大商人などは、そういう人たちに無料でふるまいを行う
事が通例でした。

ですので、無一文でも「お陰参り」の時期には伊勢参宮が出来
ちゃったんですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%88%E3%81%88% …

伊勢参宮と、一般的な江戸時代の旅行は、かなり異質なものです。
江戸庶民文化を考える時、「伊勢講」や「お陰参り」は非常に面白い
事象だと思いますよ。
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この回答へのお礼

たいへん江戸時代の風俗と生活文化についての貴重なご知見を玩味したいと存じます。
有り難う御座いました。

お礼日時:2012/11/06 15:40

>江戸時代の庶民の間にはお伊勢参りがさんだったようです。



ウソです。^^
 庶民に伊勢まで行くお金がありませんし、通行手形が入手できません。

1.行きたいという意味での人気です。実際に行けたのは商人など財のあるごく一部です。

2.全国的に人気はありました。

3.そそそ
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/06 15:34

1 道中手形を入手する口実になるから。


2 「ここで」と言うのが何を指しているのか解りませんが、旅行(社寺参詣)がブームだったのは全国的です。
3 高禄でない武士や僧侶、非人なども除かれるでしょう。
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この回答へのお礼

有り難うございました。
つまり常民の間の人気風習なんです

お礼日時:2012/11/06 15:33

1>お伊勢まいりにいくというのは、三重までの道のりには、尾張や美濃 長野の温泉など、飲んで喰っての風呂に入って歓楽街や湯治場が多く点在していました。

 お参りに行くというのは建前で、本来は、旅をしながら名物食って、風呂はいって楽しむことが目的でした。
それに、お伊勢にいくというと、近所中からめったにいけないとこだから
御札貰ってきてと余分に選別くれたので、銭に余裕のある旅でした。交通の便もよかったので
人気になったのです。

2>お伊勢まいりとはやし立てていたのは江戸のほうで、それ以外ではそれほどはやりません。
やはり江戸に住む人間は、他の地方より金銭的余裕のある金持ち庶民だったのでしょう。

3>伊勢までの道のりは、そりゃ金はかかります。万年長屋住まいの人間なら一生に一度いければ
御の字でしょう。なにせ何ヶ月も掛かりますから。
どちらかというと、お店の旦那さんや奥さんとかが供を連れて出かけたほうが多かったんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

あぁそういう側面もありましょうね。
有り難う御座いました。
聖地は賭博場や悪所とがいつも一緒って言うこの庶民の世界ですね。

お礼日時:2012/11/06 15:32

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Qなぜ昔の天皇は伊勢神宮に参拝しなかったのですか

明治天皇が参拝するまで千年以上天皇家の伊勢参拝は無かったと聞きました

本当ですか?

そうならばなぜ皇祖神を祭る神社への参拝がなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

伊勢神宮の起源を知れば理解できます。
壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)が、吉野から逃れ
伊勢に入った時、国司初め多くの国人の助けを受け、
これが勝利の元になった。
のちの柿本人麿呂の歌の中に

行く鳥の  争うはしに  渡会の斎宮ゆ
神風に  伊吹きまどはし

伊勢の神風で大海人皇子の勝利が決まったとの意。
天武天皇はお礼に国人の信仰厚い渡会(今の三重県
明和辺り)の狭く簡素な斎宮を、五十鈴川のほとりに
立派な社殿を建立し移すこととした。

生存中は完成せず、持統四年に完成し、伊勢皇大神宮
の第一回遷宮を行った。

天武天皇の私的皇祖祭祀場と見られたようです。

持統六年の伊勢神宮御親拝にあたり、強い反対が
あった。
それ以降明治まで約千年間天皇の伊勢御親拝は
行われなかった。

道鏡の事件で、御神託を仰いだのは、宇佐神宮、
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伊勢詣はない。

もうひとつ「逆説の日本史」の井沢元彦氏の説。
天武天皇の血統は称徳天皇で途切れ、光仁天皇から
まえの天智天皇の血統に戻り、それが続いたためでは
ないかと。
天武系の他の天皇の時代にも伊勢行幸はなかったので
これは関係は薄いようです。

それなのになぜ伊勢神宮は庶民に人気がある。
一つは天武天皇が、律令制度とともに定めた20年
式年遷宮が庶民の注意を惹くから。
庶民は大行事が好き。   戦乱で遷宮が中断された
時代は庶民の関心はありませんでした。
清流五十鈴川の畔で環境が素晴らしい神社だから。 
天武天皇の鑑識眼の高さです。

建立は勇み足かも知れませんが、お蔭で江戸時代j以降
民衆の楽みになりました。

伊勢神宮の起源を知れば理解できます。
壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)が、吉野から逃れ
伊勢に入った時、国司初め多くの国人の助けを受け、
これが勝利の元になった。
のちの柿本人麿呂の歌の中に

行く鳥の  争うはしに  渡会の斎宮ゆ
神風に  伊吹きまどはし

伊勢の神風で大海人皇子の勝利が決まったとの意。
天武天皇はお礼に国人の信仰厚い渡会(今の三重県
明和辺り)の狭く簡素な斎宮を、五十鈴川のほとりに
立派な社殿を建立し移すこととした。

生存中は完成せず、持統四年に完成し、伊勢皇大...続きを読む

Q江戸時代の旅の手荷物や衣類・食事などは?

お世話になります。

時代劇を見ると、江戸時代の旅装束・手荷物・衣類・食事は、かなり少ない様子です。即ち、

●笠、合羽程度を振り分け荷物で着たきりスズメ

で、手ぶらのようです。その他には、せいぜい杖くらいです。泊りは宿場なので問題なしとしても、こんな軽装で旅が続けられたのでしょうか?

よって、質問です。

Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)
Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)
Q3.昼ごはんはあった?(平安時代は、朝夕の2回だそうですが・・・)

特に、食料事情は重要で飢饉があるくらいですから、食料が不足している可能性がありますが、お金があれば食べるには困らない状況だったのでしょうか。また、荷物が少ないし、着の身着のままみたいで、不思議です。お遍路くらい荷物が限定されたのでしょうか?

ご回答をよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

東海道を例にとりましょう。
東海道では、男足で15日位。
女足では20日位。
これを念頭において・・・

>>Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)

着物は1着。下着は2~3着・・・洗濯は道中の小川や池で行いました。そして、良く絞って油紙に包み持ち歩きました。


>>Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)

大概は、旅篭での朝夕の食事でしたが、途中の茶屋などで団子や饅頭などで代用しました。


>>Q3.昼ごはんはあった?(平安時代は、朝夕の2回だそうですが・・・)

昼飯はヌキが多かった。しかし、前述のように茶屋などで団子を食べたり饅頭を食べたり煎餅を食べたりしました。


>>特に、食料事情は重要で飢饉があるくらいですから、食料が不足している可能性がありますが、お金があれば食べるには困らない状況だったのでしょうか。

やはり、「銭」が一番でした。
農村部では飢饉などで困ったことでしょうが、旅篭などでは、米の流通を銭の力で優先的に差し押さえていましたので、旅人にはあまり不自由なく往来できました。


>>また、荷物が少ないし、着の身着のままみたいで、不思議です。お遍路くらい荷物が限定されたのでしょうか?

江戸時代書かれた「道中案内記」によると・・・

着替えの衣類(着物1着・下着2~3着)、脇差(道中差、女は懐剣)、頭巾(または笠、女は市目笠)、三尺手拭、扇子、矢立(筆記用具)、鼻紙、草履(草鞋)、財布、道中記・・・などを小物篭に入れて包み、肩から振り分けにして持参すると良いと書かれてあります。

(よもやま話)
江戸時代中期(文化・文政の頃)になると江戸も繁盛するようになり、小旅行がもてはやされました。
箱根の関所手前までなら、「通行手形」もいらなかったので、自由に往来できました。
日帰りまたは1泊2日くらいの旅としては、
箱根七湯、江ノ島詣、鎌倉見物、金沢八景、大山詣、成田山新勝寺詣、秩父三十三箇所詣、日光東照宮参り、
などが人気でした。

また、関所でも「○○講中」と書かれた白い上着を着て、それらしき旅姿であれば、通行手形は不要でした。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

東海道を例にとりましょう。
東海道では、男足で15日位。
女足では20日位。
これを念頭において・・・

>>Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)

着物は1着。下着は2~3着・・・洗濯は道中の小川や池で行いました。そして、良く絞って油紙に包み持ち歩きました。


>>Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)

大概は、旅篭での朝夕の食事でしたが、途中の茶屋などで団子や饅頭などで代用しました。


>>Q3.昼ごはんはあった...続きを読む

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか?

風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? ...続きを読む

Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む

Q江戸時代、藩がどう分布していたかがわかりやすい日本地図を探しています。

たとえば、
今の山口県のあたりには長州藩があり、藩主は毛利家
ということが見てわかりやすい日本地図を探しています。
そのような地図がおいてあるサイトをご存知の方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

江戸時代初期は大名の取り潰しが多かったので、いつの時代が必要なのか難しいですが、一応300藩と言うことで参考URLをご覧ください。
地方ごとに分かれています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q江戸時代後期の通行手形

我が家に寺の発行した通行手形があります。
どんなときに使ったのか、どの辺まで有効だったのかが判りません。
寺が村の家々を管理していて、人別帳も寺に有ったと聞いていますが、我が家にあった通行手形がどの辺まで有効なのか、知っている方がおりましたら、よろしくお願いします。
自分の藩や領を出るときの一番簡易な通行手形なのか、神社仏閣発行の物はお伊勢参りなどの時に有効なのか、
あるいは商売で隣接する藩に行く為なのか、はたまた黄門様のように商売上なら、諸国漫遊できたのか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

関所や地方の番所を通る時に見せる往来手形
(道中手形)ですね。
旦那寺や名主などが発行するのですが、時代により
藩により発行法が異なります。

寺や名主などは発行したことを藩に届け出しますが
新発田藩のように先ず願いを出して承認を求める
ところもありました。

出国の承認書類に当たるわけですが、商売のため、
信心のため伊勢参りのためなど、理由を書き
旅行期間を書くこともありました。

江戸後期になるとルーズになり手続簡略化され、役所に
届出もなくなったといいます。(天下泰平になり)

  寺の往来手形の一形式
           氏名
  この者拙寺旦那に相違なく御座候。
    用向き
    年 月 日
                    寺名
御関所
御役人中

なお必ず書かれているのは
「この者が病死しても、こちらへのお知らせは無用、
お慈悲でそちらで葬って下さい」の文面です。
虫のよいお願いのようですが、行き倒れは当地の
人が面倒を見るのはしきたりでした。

Q煩悩ってどういう意味ですか?

煩悩(ぼんのう)ってどういう意味ですか?
辞書で調べても難しくて理解できません。
具体的に、わかりやすく教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。
 
  しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。
  「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。
 
  煩悩とは、わずらわしく、悩みになることだ、ということになります。しかし、そんなに煩わしく悩む、困ったことなのかというと、日常の用法では、ちょっとニュアンスが違います。ここは、仏教のお坊様に出てもらって、具体的な使い方の説明をしましょう。
 
  仏教では、覚りを開くため、修行する人が、元々「坊様」だった訳です。従って、元の仏教の「戒め」では、修行者は、例えば女性となれなれしく口をきいてはならないとか、女性の姿もまともに見てはならないなどとなっていました。女性の美しさなどは、「迷い」の元だというのです。
 
  しかし、坊様がすべてそうではないでしょうが、すけべな坊様もいる訳で、道で通りがかりの、和服の美人を見て、ほわ、と口を開けて見とれ、なんちゅう、綺麗なべっぴんさんや、いや目の毒じゃ、これも「煩悩、煩悩」などと云いながら、女性の後ろ姿を見送ったりします。別に和服でなく、洋装でも構わないのです。また、坊様も、そんな女を見るとすぐ見とれるような人は珍しいでしょうが、やはり、坊様も男ですから、美人と道ですれ違うと、ふと、心が動くこともあるのです。
 
  あるいは、仏教では、イスラム教と同様、精神の安定や、日常の心の状態を興奮させたり、おかしくする飲み物などは禁じています。例えば、麻薬などは無論駄目ですし、煙草やお酒も駄目なはずです。しかし、日本の坊様は、何時頃からか、「般若湯(はんにゃとう)」と称して、酒を店で買って飲んでいたりします。坊様が、良い酒を味わいながら飲みつつ、何という味わい、この酔い心地、さすがに銘酒は違う。極楽じゃ。しかし、考えてみれば、これも「煩悩、煩悩……仏様よ、お許しあれ、南無阿弥陀仏、いやもう一杯、何ともうまい」などと云っていると、どこが、煩い、悩みの煩悩か分からないでしょう。
 
  また仏教では、生き物のいのちを大切にせよと教え、殺生を禁じ、従って、動物の肉は無論、鳥の肉も、魚も食べてはならないことになっているのですが、それも何のことかです。酒のさかなに、コイのあらいを食べつつ、いい気分になって来て、坊様が、いや、浮き世もまた楽しいぞよ、酒はうまいし、ねえちゃんは綺麗だ……などと歌っていると、「生臭坊主」ということになるのですが、以上は極端に戯画化しているので、日本では、昔から、坊様が、妻帯し、子供がおり、酒は飲み、魚も食べ、それで別に社会から糾弾などされていません。
 
  大酒を飲み、酔っぱらって、寺の本堂で乱交パーティを開くような坊様は、それは別に坊様でなくとも、普通の人でも社会から糾弾されます。
 
  仏教の坊様にとっては、女性と触れたり、メイクラヴすること、酒を飲んだり魚を食べたりすることは、仏教の教えに反することで、こういう「欲望」を、修行の妨げになる「煩悩」と呼ぶのですが、煩悩というのは、多くの坊様の日常生活から云うと、自然なことのようです。
 
  もう一つ、坊様ではありませんが、一般に、「子煩悩」という言葉があります。これは、別に、子供が煩わしく悩みの種で、何かの邪魔になるのかと云えば、そうではなく、子供が可愛く、何時も子供のことを考え、細かいことにも、子どものためにと、あれこれ気も身も使う親のことを、こう呼びます。別に、子どもが、何かの「妨げ」になっているのではないのです。親にしてみれば、ふと、思うと、「ああ、おれは、何と子どものことばかり思っているのか。これも煩悩か」などとなります。
 
  「煩悩」というのは、仏教の教えとか、人間の生き方はいかにあるか、などということの前では、何か安楽な、気持ちよい、楽しい方にばかり気が向くようで、困ったことだという考えもある他方、「自然な欲求」「自然な望みのおもむく方向」であって、煩悩だが、しかし、これもまた良しなどというものです。
 
  これは、仏教の教義として、煩悩に迷う人の姿こそ、すなわち、仏の姿に他ならないという考えもあるのです。
 
  煙草をやめないと、肺ガン確実と云われていて、それでも吸いたいという人の場合、煩悩とは云いません。また、大学受験中なのに、異性のことに意識が向いて勉強に集中できない高校生も、それを煩悩とは云いません。(ただし、高校生の親が、寺の住職だったりして、子どもに、そんな煩悩は振り払え、と説教するかも知れません)。
 
  煩悩というのは、本来の仏教の教えでは、たいへん厳しい、覚りの道にあって、克服せねばならない誘惑や欲望だったのですが、「煩悩すなわち仏」というような考えは、人間は自然に振るまい、自然に生きるのがやはり一番であるという考え方でしょう。
 
  肺ガン寸前の喫煙者や、受験勉強に必死な高校生にとっては、喫煙や、恋愛は、自然のままを楽しもうなどということではないのです。
 
  人間は、欲望が強すぎると、色々不都合なことが起こることが、或る程度分かっているともいえます。分からない人、自制がきかない人は、酒に溺れて身を滅ぼすとか、守銭奴になって、世人の顰蹙を買うなどとなり、そういう人自身は、煩悩も何もないでしょう。しかし、そういう人を横目で見ていると、酒を飲み、恋愛をし、ギャンブルで小銭を失い、自堕落な生活を少々しても、歯止めがかかっていて、ああ、これが煩悩というものか……で片が付きます。
 
  「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、確か古い歌の言葉ですが、そういう心境の「分かっている」のが、煩悩だと分かっているということで、度を超さなければ、やめる必要もない訳です。本格的な修行をしている坊様にとっては、厳しいことでまた別ですが、普通には、煩悩はまた楽しいことなのです。本来しない方がよい、というのをするのは何とも楽しいことなのでしょう。
 
  世界中の文化がそうだとは分かりませんが、日本は、煩悩を楽しむ文化です。
 

 
  煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。
 
  しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。
  「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。
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Q寄付金や募金などを受け取った場合の税金

例えば、最近はあまり報道されませんが、小さな子供が難病にかかってしまい、外国で手術をするという事がありますよね。

親も若い人が多いためか、多くの場合は周りの方が音頭をとって寄付や募金などを募って資金を補っているようです。

お金の流れは次の様になると思うのですが、

一般の人 → 支援者(○○ちゃんを助ける会) → 保護者 → 医療費・滞在費用などの支払

こうした場合は税金はどの様になるのでしょうか?保護者は寄付金に対する税金を払っているのでしょうか?
個人的には税金を課税するのはどうかと思うのですが、自費で行った場合には給料など税金の支払い済みのお金(給料など)で医療費を支払っているはずで、寄付金で医療費を支払った場合は収入に課税されないというのはおかしいとも思えます。確定申告の医療費控除も一旦税金が課せられたものに対して控除をする仕組みになっていると思うのですが。

果たして、この様な場合に税金はかかるのでしょうか?

Aベストアンサー

「善意の~」「慈善の~」という部分については感情論としてはわかるのですが、やはり税金は法律に基づいて徴収がされますので、課税、非課税については法的な根拠が必ず必要です。


まず、団体についてどの様な課税が考えられるかですが、
 支援団体(○○ちゃんを助ける会)については人格のない社団又は財団として通常では贈与税はかからないでしょう。ただ、#2の方の言うように寄付者一人当たり110万円を超える場合には贈与税の課税があるはずです。その分については仕方のないものです。法人税に関しては収益事業とは認定されにくいでしょうから課税はおこなわれないでしょう。


最終的に受け取った親についてどの様に扱われるかですが、
 支援団体が人格のない社団とすれば、受け取った個人に対する贈与税の課税は有り得ません。他の方が仰るように法人からの贈与については相続税の補完税である贈与税の課税がありえないからです。もし、同じ目的であっても他の友人など個人(扶養義務者以外)から受け取った場合には通常の贈与税としての課税がありえます。
 で、法人としての支援団体からの贈与については「所得税の一時所得」としての課税となるか否かが問題となります。

一時所得については通常その金額が50万円以上の場合には他の所得の状況にもよりますが50万円を上回った額の1/2に課税が行われるのですが、この様な場合にどのように取り扱いがなされるのかは正直なところ私にはわかりません。

 ひとつ、参考となるのは所得税法9条1項十六の規定及び、所得税法施行令30条の「非課税とされる保険金損害賠償金等」の規定です。これは次の1~3に掲げるもの及びその他これらに類するものについては所得税において非課税とする規定です。
1.損害保険及び生命保険の給付金で身体の傷害に起因して支払を受けるもの並びに心身に加えられた損害について支払を受ける慰謝料、その他の損害賠償金
2.損害保険及び共済契約の保険金・共済金で資産の損害に基因して支払を受けるもの突発的事故によって資産に加えられた損害について支払を受ける損害賠償金
3.心身又は資産に加えられた損害について支払を受ける相当の見舞金

この3の規定、もしくは「これらに類するもの」に該当するかという所ではないでしょうか?どちらの方法でも解釈は可能かもしれません。

なお、見舞金については一方で所得税法基本通達9-23で「葬祭料、香典又は災害等の見舞金で、その金額がその人の社会的地位、贈与者及び受贈者の関係などに照らして相当と認められる場合には、非課税として取り扱う。」という規定もあります。ですから、不相応な部分については課税がありうる事も示しています。


ただ、これは私の考えで他に明確な規定や通達があるのかもしれませんし、課税の取り扱いが行われる事があるのかもしれませんが、私には最終的に税務署がどの様な論拠により対応するかはわかりません。しかし、先週の日本テレビの報道プロジェクトで怪しげな募金の事がでてました。また、ビッグコミックオリジナルの壁ぎわ税務官にも募金屋の話題が出ていました。今の時代は募金をする側も受け取る側も色々勉強をしなければなりませんね。

「善意の~」「慈善の~」という部分については感情論としてはわかるのですが、やはり税金は法律に基づいて徴収がされますので、課税、非課税については法的な根拠が必ず必要です。


まず、団体についてどの様な課税が考えられるかですが、
 支援団体(○○ちゃんを助ける会)については人格のない社団又は財団として通常では贈与税はかからないでしょう。ただ、#2の方の言うように寄付者一人当たり110万円を超える場合には贈与税の課税があるはずです。その分については仕方のないものです。法人税に関しては...続きを読む

Qユダヤ人はなぜ迫害されたのですか?

先日オランダへ旅行に行った友人がアンネの日記でお馴染みの家を見学に行ったらしいのですが、ユダヤ人が何故迫害されるようになったのか疑問のまま帰国して僕に聞いてきました。僕なら知っていると思ったらしいのですが、僕はこの何故?に対して全くの無知でした。ご存知の方、ぜひ教えて下さい。

Aベストアンサー

起源をたどるとローマ帝国の皇帝がキリスト教徒になり、キリスト教を国教にしたころまで遡れるそうです。
キリストを処刑したのはローマの執政官だったのですが、それではローマ帝国が悪いということになってしまいます。
そこで教会はユダヤ教徒(=ユダヤ人)が執政官に強硬な働きかけをしたために、ローマは「しかたなく」殺してしまったということにしてしまいました。
何世代もそういう教えが伝えられた結果、「ユダヤ人はキリスト教の敵」ということが常識になってしまいました。
そのことも関係して、ユダヤ人は金貸しなど当時身分が低いとされた職業にしかつくことが許されていませんでした。
(それが原因でユダヤ人の多くが金持ちになってしまいました。これもユダヤ人に反感を持たれるようになる原因の一つです)
金を借りて返せないと逆切れして暴力をふるう人は今以上にいたのですが、その大義名分として先の理由がつかわれるようになります。
こういう騒ぎが暴動に発展して、ユダヤ人が略奪&虐殺されることはナチス以前から多くあったそうです。

このような状態が1000年以上も続いたのですから、「ユダヤ人を迫害してもあまり問題は無い」という悪しき文化がうまれたのでしょう。
ユダヤ人に対する差別や迫害はヨーロッパ(というよりキリスト教圏)全体でよくあることだったそうですが、その中で一番激しかったのがドイツのあたりだったそうです。
(これには神聖ローマ帝国などが絡んでいるらしいのですが、面倒なので省略)。

第一次世界大戦後の混乱を利用してナチスが成り上がるために利用したのがこういった差別意識(+自分たちは選ばれた人種なのだという選民意識)です。
「戦争に負けたのはユダヤ人が悪い」など、現在の某組織のように敵を作ることでドイツを自分たちの都合のいいようにまとめようとしたのです。
後はよく知られているように、資産の没収、強制収容、虐殺という流れになって行きます。


という内容の本を昔読んだことがあります。
記憶で書いているので、内容の正確さについては自信がありませんが、おおむねこんな感じだったと思いますよ

起源をたどるとローマ帝国の皇帝がキリスト教徒になり、キリスト教を国教にしたころまで遡れるそうです。
キリストを処刑したのはローマの執政官だったのですが、それではローマ帝国が悪いということになってしまいます。
そこで教会はユダヤ教徒(=ユダヤ人)が執政官に強硬な働きかけをしたために、ローマは「しかたなく」殺してしまったということにしてしまいました。
何世代もそういう教えが伝えられた結果、「ユダヤ人はキリスト教の敵」ということが常識になってしまいました。
そのことも関係して、...続きを読む

Qインフルエンザ家族感染は絶対?

今日インフルエンザ陽性と言われました
土曜から症状が出て4日目、ピークは過ぎていると思いますが
同居の4歳娘、主人には100%感染するのでしょうか?
主人はともかく娘は常に近距離、布団も一緒で,もうすでに感染していると思われますが症状は出ていません

仮にウィルスが体に入っても、本人の体力や免疫の状態がよければ発症しないという事も有り得ますか?

Aベストアンサー

主人はともかくって(^^;

インフルエンザにかかった人が部屋の中にいた場合、その人の咳やくしゃみ(飛沫)の中にインフルエンザウイルスがいる可能性がありますが、飛沫というのは1~2メートル以上は飛びませんし、マスクをしていれば飛沫の発生は最小限に抑えることができます。また、手や指先を介した感染もありますので、手洗いは重要です。狭くて喚起の悪い部屋などでは、比較的長くウイルスが浮遊することもありますので、時々換気をすることや、部屋の湿度を適度に保つことなどが大切です。インフルエンザウイルスはほとんどの消毒薬に弱いので、目に見えるような、痰やくしゃみで飛んだ分泌物などによる汚れがある場合には、通常の消毒薬により消毒しておくほうがよいでしょう。しかし、十分な湿度があれば生存期間も短いので、通常の掃除だけで十分だと考えられます。

インフルエンザにかかっている時に着用した衣服には、ウイルスが付着していることが予想されますが、これから感染を起こすことはまれだと考えられています。通常の洗濯をして日なたに干しておけばウイルスの感染性はなくなってしまいます。

あと同じタオルは使わない方が無難でしょうね。
お大事にして下さい

主人はともかくって(^^;

インフルエンザにかかった人が部屋の中にいた場合、その人の咳やくしゃみ(飛沫)の中にインフルエンザウイルスがいる可能性がありますが、飛沫というのは1~2メートル以上は飛びませんし、マスクをしていれば飛沫の発生は最小限に抑えることができます。また、手や指先を介した感染もありますので、手洗いは重要です。狭くて喚起の悪い部屋などでは、比較的長くウイルスが浮遊することもありますので、時々換気をすることや、部屋の湿度を適度に保つことなどが大切です。インフ...続きを読む


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