プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

物理学について個人的に調べてまとめています。
物理学者の簡単な経歴などはいろいろな場所で紹介されているのですが、面白いエピソードがなかなかありません。
特にニュートン、ケプラー、シュレディンガーなどの裏話?があったらぜひ教えてください。もちろんほかの物理学者の話も大歓迎です。
例えばニュートンは偏屈者だった。とか、ガリレオは実際にはピサの斜塔の実験を行っていないなど。
よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

本にも出ていることなんで、裏話というより


逸話ということで・・・

No.6の方がキュリー婦人のことを書かれているので
その辺から・・・

 キュリー婦人は1度目のノーベル賞受賞は
夫のピエールキュリーと一緒でしたが、
2度目のときは未亡人。しかし、恋人がいた。
えーと、名前忘れましたけど、お相手は妻子ある
有名な物理学者でした。
 それをあるゴシップ誌に不倫するような女は
ノーベル賞受賞を辞退すべきだ!と叩かれます。
しかし、たくましいキュリー婦人はそれを
ものともせず、それは別問題!とし、2度目のノーベル賞
受賞となります。

>特にニュートン

 ニュートンに少し興味のある人は、ニュートンが
ロンドンにあるイギリス造幣局の局長だったことを
ご存知かと思いますが、惑星の運動や光の研究で
物理学者として名声をたてたニュートンが、なぜ
造幣局の局長なのか?それもいったいどうやって?
と思うでしょう。
 今で言うと・・、ノーベル賞をとった田中ですが・・・
造幣局長になってもいいですか?みたいな話で、
いくら業績上げたからといって、それ違うんじゃ
ない?ってことなんですが。
 結論を言うと、ニュートンには非常に美しい
姪がいて、その姪が当時のイギリス蔵相の
愛人だったからなんです。
 ニュートンはどちらかというと出世したがりやの
貧乏育ちだったため、学者という立場にあき足らず
王室に接近するなどして、何か名誉ある公職につこう
としていました。そんなとき、この姪が大蔵大臣の
愛人となったことを知り、それとなく大臣に近づき
ます。大臣はニュートンの出世欲を知っていて
姪との不倫関係に文句をつけられないよう、
ニュートンに局長の地位を与えたというわけです。


・ニュートンはリンゴが落ちるところなど見ていないの巻!

 ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て
万有引力を発見したと言われていますが、
ニュートンという男がロンドンの社交界で
そんな面白い話をしていると友人に書き送った
貴族がいて、現在伝わっているリンゴの話は
その手紙に元ずいているというのが定説で、
本人が言い出したという記録はないそうです。
ところが後世その話が有名になり、イギリスには
ニュートンのリンゴが落ちた木なるものがある
そうで・・・

・エドモンド・ハレーはひどいやつの巻!
 
 ハレー彗星で有名なエドモンド・ハレーは
イギリス王立天文台(現グリニッジ天文台)
の初代台長、ジョン・フラムスチートに目を
かけられ、若いときから当時の学者の多くと
交流を持つことができました。
 当時の王立学会会長であったロバート・フックらの
惑星の運動に関する議論にも参加しており、
フックが引力を距離の2乗で働くという法則で
数式化を試みていることを知っていました。
 2乗の数式化には困難があり、フックが苦戦
していることをハレーはニュートンに話します。
それに対してニュートンがアイディアを出すと、
その考えをすぐ出版するよう働きかけ、
ハレーは自らその本の編集長となります。
こうして出版されたのが、ニュートンの物理学書
プリンキピアです。
 ところがプリンキピアの計算方法で出た
結果と、王立天文台の観測データが合わず
大問題になります。
 ニュートンは王室の力を借りて、出版のためと
いう目的で、王立天文台の観測データを全て
没収します。ここで再びハレーは編集長を名乗り出て
観測データ集の編集を行うのですが、観測データを
ニュートンの理論式の結果と合うよう書き換えます。
これを知った天文台長、フラムスチートは激怒しますが、
当時社交界で発言力のあったニュートンは知人らに
「天文台の観測データには誤りが多く、ハレー氏の
手を煩わしている」と発言。そのため後からの
フムシチートの抗議は聞き入れてもらえず、
観測データ集、王立天球史は出版されます。
このような不名誉なデータが後世に残ってはいけないと、
フラムスチートは諸外国に手紙を送り、このデータ集を
できるかぎり回収しますが、度重なる苦労から
失意のうちに死んで行きます。
 ニュートンはその後も観測データの改ざんを
行うために、次の天文台長としてハレーを
送ります。ところがハレーは周囲の学者の議論
を聞いていて、知識があっただけだったので、
観測機器など使いこなせず、観測データの空白
時期が長く続くことになります。

 自分の理論にそう自信があったわけは
なかっので、ためらっていたニュートンを
そそのかし、本を出版させた上、恩師フラムシチート
が一生を捧げた観測データに泥を塗り、
知ったかぶりをして天文台長になったはいいが、
観測データの1つも取れず、王立天文台の歴史を
汚し・・・ もーハレーってひどいやつでしょ!(笑)


・ニュートンの猫

 これはリンゴの話同様に他人に作り話かも
しれないのですが・・・

 ニュートンは晩年、猫をかっていました。
猫が外と自由に行き来できるよう、塀のところに
猫1匹が通れるほどの穴を開けていました。
 あるときその猫が子猫を生みました。
それを見たニュートンは召使に
「子猫用の穴を塀に開けるように」
と命令します。しかし召使が
「親猫用の穴で子猫も通れますが」
と答えたところ
「そうだなー」
とニュートンは答えたとのこと。
 天才ニュートンも老後はボケてしまった
という逸話のようです。


 またこの話にもう1つの解釈がり、それは
ニュートンが鉛中毒で病んでいたというものです。
ニュートンは月の軌道計算で1年以上悩んだあげく
うまく行かないので、錬金術の世界に没頭したと
言われています。錬金術士は、金属を自分の舌で
なめて、その味を記録に残したりしていたため、
ニュートンも同じことをして鉛などの重金属が
体内にたまり、中毒症状を起こしていたはずだと
言われています。
 10年くらい前だと思うのですが、ニュートンの
子孫に当たるひとの髪の毛の検査を行ったところ、
やはり多量の鉛が検出されたというニュースを
聞きたことがあります。


>もちろんほかの物理学者の話も大歓迎です。

 19世紀から20世紀初頭に活躍した
物理数学者 ジュール・アンリ・ポアンカレ
について・・・
位相幾何学の父として有名。
カオス力学、(惑星の)三体問題などで有名です

1)どっちの手で書いた字?の巻!

 ポアンカレは左右どちらの手でも字が書ける
人でした。ところがその文字は非常に汚く、
ポアンカレの書いた文章を見るといつも
友人らが茶化していたそうです。
「これは右手で書いた字?それとも左手で書いた字?」


2)橋のないところを渡る

 ポアンカレはボーットした人でした。
子供のころ母親と妹と一緒に川原を歩いて
いたとき、途中に橋があったので、母親と
妹は渡ってしまいましたが、ポアンカレは
それに気づかず歩いて行ってしまいました。
 母親らが川の向こうにいるのに気づいた
ポアンカレは、そのまま橋のないところを
渡ろうとしてずぶ濡れに・・・


3)待っていた友人を怒鳴りつける

 あるとき友人が訪ねてきましたが、玄関の
ところで待ってほしいとポアンカレは友人に伝えた
ものの、それをすっかり忘れ、30分ほどして
から玄関にやって来て
「きみはいったいそこで何をしているのかね!」
と、わざわざ待っていてくれた友人を怒鳴りつけた
とのことです。

 こんなポアンカレですが、残した業績は
偉大です。



そそ、さっき日本の湯川秀樹博士のことを
回答に書いたんで思い出したんですが・・・

・朝見ると愚作

 日本初のノーベル賞受賞者である京大の湯川秀樹
博士は、枕もとにノートを置いていて、夜中でも
すばらしい理論のアイディアが浮かぶとそのノートに
書いていたそうです。
 ところが朝になってそのノートを見ると
必ずくだらない考えであったことに気づくと
いう繰り返しだったそうです。



 すいません、長くなり過ぎましたようなので、
以上です。










 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

みなさんありがとうございました。
大変参考になりました。

お礼日時:2004/05/22 01:02

こんにちは。


数年前、キュリー夫人の研究ノートが発見されたという新聞記事を読みました。
自分の研究を纏めたノートなんですが、文章の末尾とかが「ハート・マーク」なんかで括られていたりするんだそうです。やはり、女性ですね。
そのノートからは、僅かですが、放射能も検出されたそうです。
    • good
    • 0

ニュートンは、パジャマ姿のままで、大学の教壇に立ったことがあるそうです。

    • good
    • 0

ニュートン


 晩年、議員になったが議員としての発言はただ1回だけ
 「暑いので窓を開けてほしい」だったそうです。

ケプラー
 好きな女性を理論的に点数をつけて評価し最高点の
 女性に告白したが断られ、実際に結婚したのは
 最低点の女性だったそうです。

シュレディンガー
 シュレディンガー方程式を考え、量子力学の基礎を
 作ったが、量子力学の考えについていけず生物学者
 になった。

参考URL:http://ibuki.ha.shotoku.ac.jp/school/science/phy …
    • good
    • 0

スピン行列や禁制原理で有名なヴォルフガング・パウリの話ですが、彼が触ると実験装置がよく壊れたそうで、「パウリ効果」というらしいです。

転じて、偉大な物理学者ほどよく装置を壊す、とのこと。

私が初めて見たのは裳華房の量子論の注釈に載っていたものですが、誰が初めに言ったのか、笑える話です。検索すると数十件ヒットするみたいですよ。勿論、マジメな物理法則ではありません。
    • good
    • 0

たしかニュートンは晩年、錬金術にハマったんじゃなかったかな。

当時の化学実験では試料の「味」も検査の対象だったとかで、それが体内に蓄積し、遺髪から水銀が検出されたという話を聞いた事があります。(違う人かも)
    • good
    • 0

ニュートン


・彼は生涯童貞だった。
・万有引力、慣性の法則はフックが考えたのをニュートンが体系化し、発表したもの。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!