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「格差座性を!」と言う人は
今まで自分が努力してこなかったことに対する
僻みや妬みや負け惜しみみたいなものなのでしょうか?

本人の努力次第でとりあえず自分だけは格差を無くすことができますよね?

A 回答 (14件中1~10件)

米国のとくに「共和党」は格差はまさに努力の差と考えています。

富裕層の増税などもってのほか、富裕層こそが国を富ませていると考え、富裕層の減税を求めます。中間層の人も自分の折角の稼ぎを努力しない貧困層に分け与えるなどどぶにお金を捨てるものだと発想します。経営の傾いた会社を国のお金で支えるのも嫌います。これが米国流の「フロンティア精神」を支える「自助」の考え方なのですね。米国でも現在失業が増え中間層が貧困化していて大いに問題なのですが、対処の仕方では国論が割れます。

日本では政治の話になると貧乏人ほど大きい顔をしていろいろ予算要求しますが、日本は社会主義の国と言われるゆえんです。

社会主義の国である中国は共産党員は賄賂や役得でお金を稼ぎ、貧困者は救済しません。

面白い対比でしょう?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/28 21:25

いま一番問題になっている「格差是正」問題は、東京などの選挙区で国会議員に選出されるための必要獲得豹数と、鳥取県などの地方の必要票数に数倍ではきかない差があるので、この不公平をなくせ!という声が最高裁判所で認められたことです。

これは
>今まで自分が努力してこなかったことに対する
僻みや妬みや負け惜しみみたいなもの

ではありません。
>本人の努力次第でとりあえず自分だけは格差を無くすことができますよね?
できません。全国で票割りなどのむづかしい操作が必要であり、更に国会での議決が必要です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/28 21:25

> 僻みや妬みや負け惜しみみたいなものなのでしょうか?



「どこまで是正?」と言う、程度の話しとか、「どの部分?」と言う範囲の問題ですよ。
従い、「是正を!」の内容によっては、仰る通り、「それは妬みだろ・・」みたいな部分は出て来ると思います。

社会主義などは、「平等」ですから、「平均化」的な格差是正が基本です。

一方、我が国の様な資本主義は、人権などに関わる部分は平等ですが、経済的な部分については、富の所有を認めるかわりに、富者は多くの税負担をすることで、「公平」を目指しています。

即ち、そもそも「多少の格差は認める」ことが前提の主義なんです。
そこまで是正しちゃうと、社会主義になってしまいます。

また。弱者保護政策の生活保護などは、「公平」の観点からも、優れた制度ではありますが、それをやり過ぎたら、真面目に年金を掛け続けた人より生活保護が優遇されるみたいな、「不公平」を生じています。
そうなりゃ制度悪用者が出て来るのも当然ですね。


> 本人の努力次第でとりあえず自分だけは格差を無くすことができますよね?

基本、「ベクトル」の問題です。
「努力」に加えて「方向性」が必要(重要)ですよ。

座標A点と座標B点を合致させる(または近づける)のが「格差是正」ですよね?
「努力」が「ベクトルの長さ」としますと、「向き」が違っていれば、いくら努力をしても、合致はしません。

ただ問題は、「上の方にある点を引き下げる」でも、格差は是正出来るんです。
具体的に言えば、「金持ちが努力しない」(長さを短くする)でも、「金持ちが貧乏になる努力をする」(方向を下向きにする)でも、格差は是正されるでしょ?
しかし、そんなコトをしても、国民は豊かになりませんし、それどころか、国が滅びる「方向性」です。

社会主義的・平等主義的な考え方の人間や、仰る通り「僻み・妬み」などから、格差を口にする人は、スグに「金持ちから税金を取れ!」みたいなコトを言いますが・・・。
資本主義社会ってのは、富者が税負担者で、貧者は税受益者ですから、富者が減って困るのは、最終的には貧者なんですよ。

正しい方向に、充分な努力した人が、報われる社会にせねばなりませんし、そうでは無い人に対しても、人権は担保せねばなりませんが、共に富が享受出来ない社会であることは、仕方が無いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/28 21:25

結局、原因がどこにあるのかにも依存します。


8割方は当人の責任ですが、そうとは言い切れない部分もあります。
例えば、縁故就職などですな。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/28 21:25

自分の格差は自分の努力でどうにでもできると思いますよ。


まあ、個人的な意見ですが、
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/28 21:25

>努力の差なのでしょうか?



じゃないから、格差といいます。

努力しても埋まらない差だから格差なんです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/28 21:25

"「格差座性を!」と言う人は


今まで自分が努力してこなかったことに対する
僻みや妬みや負け惜しみみたいなものなのでしょうか?"
  ↑
二つの場合が考えられます。
・第一は、御指摘の通りの場合です。
頑張らないで、遊びほうけていてそれで気がついたら
大きな差がついていた。
おもしろくない、おもしろくないぞ、という人達です。
・第二は、大きな格差があるのは国家のあり方として、
好ましくないとして格差是正を訴える人達です。
格差が大きくなると、社会が不安定になり犯罪も増えます。
これは国家として見た場合、良い状態だとは言えません。

”本人の努力次第でとりあえず自分だけは格差を無くすことができますよね”
       ↑
格差を是正出来る可能性が高くなる、ということですね。
本人の努力だけでは限界があります。
そこには、運とか社会のあり方などの要因もあります。
サラリーマンがいくら頑張っても、膨大な遺産を相続した
人には敵わないかもしれません。
身分制度がある社会でも同じです。
要は比較と程度の問題です。

中国などは、共産党の党員でなければどうにもなりません。
北朝鮮では、出身で左右されてしまいます。
中国人に言わせると、日本は頑張ればいくらでも
将来が開けている素晴らしい国だということです。
私もそう思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/28 21:25

どこに生まれるかの要素が大きいと思います。



田舎に生まれ育ったのなら、いくら努力をしたところで、良い給料でやりがいのある仕事につける事などほとんどありません。
その為、頻繁に転職をしている人も結構います。
そうなると、都市部に住んでいる人達と収入面で格差が生まれます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/28 21:25

較差是正でいいのかな?



まず格差という概念は、差別・平等と同じく大きく二つに分類することが望ましいでしょう

結果格差 機会格差 です

なお、日本語として「格差」は馴染みがあるでしょうが、正しい意味での格差は、『格差』と『較差』で分岐します。
特に司法審査では、較差という表現が多く使われますし、公文書では、較差の方が利用頻度は高いと言えます。
その意味の違いは辞書で調べるか、補足質問要請あれば回答しましょう

>今まで自分が努力してこなかったことに対する僻みや妬みや負け惜しみみたいなものなのでしょうか?

 本文から指摘できるものは、結果格差と考えられます。
当人に強いられた・生来の較差は、努力では是正できない部分があることを勘案するべきでしょう
例えば、学歴と保護者の所得階層の関係などは顕著なように、保護者の所得階層次第で学歴・学識まで影響される状況は、機会格差 と考えることが望ましいでしょう
 一般的に、法的には結果格差は当人の自己責任であり、自己責任論で批判することが難しいものです。
しかし、上記した機会格差是正措置は、雇用機会均等法などの制定でテコ入れされた結果、是正されてきた歴史があるのは分かるとは思います
 JJルソーの『人間不平等起源論』ではありませんが、”人間生来の不平等”(努力で覆し難い格差)で社会が強いる機会格差是正は、質問者が論じする努力云々の世界とは言えないでしょう
 では、努力次第で・・・という現実を考える必要性があるわけですが、そこまでは政治が至らない部分とは言えるでしょう

なお、この機会均等の部類での格差是正措置は、保守系の指摘する逆差別なる概念に該当してしまう可能性がありえるとも言えます
保守系の低能さんが知ったかで「アファーマティブアクション」(アメリカの人種別の機会平等化政策)の是非論で根拠のない妄言を論説しているような誤解の構造もありますが、機会均等を成し遂げるにも”政治介入は最低限であるべき”かもしれませんし、思想に依拠したものでしょう
ただ、この較差論は、結果格差是正措置を重視すれば、市場原理の機能不全に陥る危険性があることは、ソビエトなどの「共産主義社会を目指した社会」を見れば分かることでしょう

>本人の努力次第でとりあえず自分だけは格差を無くすことができますよね?

無理です

アフリカ社会に生まれた最貧困層の人間がどんなに努力しても学ぶ環境が整備される保障がない限りは、努力しても限界はあります。
恵まれた環境で生きているからこそ質問者は努力次第で・・・と思うのでしょうが、それは希望的観測に過ぎないもので、共有幻想とも言えるでしょう
実際、私の知己の知己(知己の知己は「当人」もありえる)で気が狂った愛国思想の果てに自分の子供を捨て、その子は親戚を垂らし回しされ最後は児童養護施設で生活を余儀なくされました。
そのような環境では、努力しても医学部に通うのは不可能と言えるでしょう。よほど優秀でもない限りは、ある程度の将来の制約があるのは必然です

同時に社会格差・地域格差が存在します。これは結果的に生じる格差であり、これを一人の努力で是正するのは困難でしょう。社会努力で解消しない自然科学的較差などは努力では解消しないものです
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/28 21:25

才能もあると思います。



お金が欲しければ頭を使え
頭がないなら体を使え
 それもイヤなら死んでしまえ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/28 21:25

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