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No.6
- 回答日時:
>富士山を見た天皇は明治天皇が最初だとは知りませんでした。
伊勢神宮に参拝した天皇も、明治天皇が最初です。聖武天皇、持統天皇が親拝したという説もありますが、神宮側にも確実な記録はないようです。
なぜ天皇が事実上の幽閉状態にあったのか。諸説あるようですが、やはり誘拐を懸念したのでしょう。取ったものが勝ちですから、危険を減らすのが上策です。
江戸時代になると、外出には幕府の承認が必要になりました。だからお忍びなどは難しかったと思われます。
わー、何回も回答ありがとうございます。
私も伊勢神宮を参拝した天皇は明治天皇だけだと聞いたことがあります。
聖武天皇、持統天皇が参拝したというのはそういう説があるというだけなのですね。
江戸時代にはお忍びも難しかったのですね。
なんか天皇になるって不幸だったんじゃないかって思っちゃいますね。
とても勉強になりました。
No.4
- 回答日時:
上皇は熊野へ 天皇は伊勢神宮へ
素晴らしい回答をありがとうございます。
伊勢を参拝した天皇は4人だとききましたが
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6814520.html
天皇が即位するたびに斎宮をたてているので、天皇は伊勢神宮へといっていいかもしれませんね。
つまり、天皇になるためには伊勢に斎宮をおくる必要があり
上皇になるためには熊野へ詣でる必要があったということかもしれないですね。
大変勉強になりました。
No.3
- 回答日時:
巷の一般論です。
天皇には制約が多すぎます。物忌みの日であるとかがそうですし、何よりも平安時代になると「神聖化」されてきます。そのため土を踏むことも許されないなど、ありとあらゆるタブーに取り囲まれていました。従っ行幸というのは大変に困難を伴います。
さらに「治天の君」ということで、実勢の政務には上皇や法皇が当たったのも天皇自身にあまりに制約が多すぎるためです。
http://www.mikumano.net/keyword/gokou.html
素晴らしい回答をありがとうございます。
当時の天皇は都を離れることはおろか、土さえ踏むことが許されなかったのですね。
貼っていただいたサイトは大変参考になりました。
女院も結構熊野詣をしているんですね。
大変勉強になりました。
No.2
- 回答日時:
基本は前例主義でしょう
主要な上皇を見てみた
41代 持統天皇 697年退位
実権を握っていた
46代 孝謙天皇 758年退位
その後 48代として復位
実権を握っていた
51代 平城天皇 809年退位
退位後、平安京から平城京に
※ 弟の嵯峨天皇との衝突を避けるためではないかと。
※ 810年薬子の変
52代 嵯峨天皇 823年退位
実権を握っていた
56代 清和天皇 876年退位
出家して、巡礼の旅へ
57代 陽成天皇 884年退位
皇統の変更、文德系から光孝系へ
59代 宇多天皇 897年退位
さらに比叡山や熊野三山にしばしば参詣
61代 朱雀天皇 946年退位
子供に恵まれず、弟へ
63代 冷泉天皇 969年退位
病弱で弟へ
64代 円融天皇 984年退位
石清水八幡宮・石山寺・南都諸寺への御幸を行った
65代 花山天皇 986年退位
紀伊国熊野から宝印の三十三の観音霊場を巡礼し修行に勤め、大きな法力を身につけたという。
72代 白河天皇 1087年退位
嵯峨天皇までは、上皇は院としての組織を持ち、実権を握っていた。
※ 嵯峨天皇譲位に関しては院が増えると経費が増える(=組織が肥大化する)というので反対が強かったそうだ。問題になるほどの組織を持ち得たということらしい。
清和天皇から、「気ままに成りたいから譲位」というのが生まれ、10世紀の間は、上皇になったら京都を離れていもOKという前例になった。
清和天皇のWIKIPEDIAを見ると、結構「変な人」だなぁ。
変な人が突発的に始めたことが、前例になっちゃったって感じ。
11世紀に入ると、天皇は上皇にならない、なっても天皇のまま亡くなるのは憚られるの亡くなる直前に譲位という方式になった。
白河天皇は、上皇になって
権力の保持
気ままな京都離れ
この両方を「前例でやっているじゃん」としてやってしまった。
ってなことかと。
平安時代に天皇の移動は、ドンドン狭い範囲になっていったというのを、何かで読んだが、失念。
素晴らしい回答をありがとうございます。
前例主義というのは今の日本にも通じますね。
日本人の根本にそういう精神があるのかもしれませんね。
清和和天皇が退位後、巡礼の旅をされたこと
宇多天皇が退位後、比叡山や熊野三山に参詣されたこと
円融天皇が退位後、石清水八幡宮・石山寺・南都諸寺への御幸を行ったことなど
大変勉強になりました。
これらの天皇の行動がのちの熊野詣につながったのかもしれませんね。
平安時代に天皇の移動は、ドンドン狭い範囲になっていったということも
大変勉強になりました。
No.1
- 回答日時:
自説ですが、2つ考えました。
・天皇の方が若い
上皇よりも天皇の方が年齢が若く、宗教行事に熱心でないのでしょう。
上皇は先が見えているので、来世に対する関心が大きくなっているのでしょう。
・クーデターを恐れた
上皇の首が替わることはありません。
しかし、天皇の首は上皇や武力保持者の意向によってすげ替わることが何度かありました。
平清盛でさえ、熊野詣での間にクーデターを計画されています。
ですから、上皇は都を空けることは可能でも天皇は都を空けることができなかったのでしょう。
・熊野信仰の本質
熊野信仰の本質は、役行者に代表させるように「超能力」です。
この世の権力の頂点に立った上皇にとって関心があるのは人間を超えた力です。
それよえに、天皇よりも上皇にとって興味のあるものだったのかも知れません。
また、熊野信仰はほぼ男性のみを対象にしたものです。
まだ、年齢の若い天皇にとっては紅や鉛白のにおいのある都を離れるのはつらい
ことですが、上皇の年齢だと草深い南紀の山がいいのかもしれません。
素晴らしい自説を考えてくださってありがとうございます。
他の方も回答くださっていますが、天皇が都をあけることができなかったのであれば
なるほど、天皇が熊野詣をしていないのは納得です。
また年を経るほど来世に対する関心が大きくなるというのも、そのとおりでしょう。
その上、熊野信仰の本質にまで触れていただき、大変勉強になりました。
「超能力」、私も昔の人は真剣にそういうものを信じていたのではないかと思います。
藁人形を用いて呪詛するとか、仏教寺院において様々な行事を行ったりしたのも
超能力を信じていたゆえ、といえるかもしれませんね。
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