あなたは何にトキメキますか?

今、ピアニストのマドレーヌ・マルローのバイオグラフィーを読んでいます。

その中で、どうしても分からないところがあるのです。

Depuis, en sus des récitals donnés au japon, à Tokyo, comportant des mélodies de Saties, interprétées avec un inaltérable talent, elle joua à Salies-de-Béarn et fît à Paris plusieurs fois salle comble, dans le précieux théatre du Musée de la Vie Romantique, dans celui de l’Archipel; Et dans tant d’autre, pour des soirées où elle interpréte diverses pièces de piano en alternance avec François Marthouret comme récitant de textes d'Erik Satie mis en forme par son amie Karin Müller.

最後の、"comme récitant de textes d'Erik Satie mis en forme par son amie Karin Müller"
ですが、どういう意味なのでしょうか。

「友人のカリン・ミュラーによって、編曲されたエリック・サティーの作品を、歌うように」????
という意味なのでしょうか。(全然、分かりません。)

ちなみに、"Karin Müller" を調べてみましたが、音楽家、もしくは、編曲家ではないようです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Karin_Muller


どなたか、教えてください。

A 回答 (7件)

mit-caltec さん こんにちは



お返しを頂きありがとうございます

戯言に今しばらくお付き合いください
ご存じのように、読むとは、一語一語を追うと同時に
書き手の考えを推測してゆくことではないでしょうか

ご質問にお示し頂いている文 Depuis, en sus des~ の
重要語句はどれであるとお考えでしょうか それは-récitals-です

最初に、演奏都市名を記述(ここでは、日本ー東京やフランスの小都市やパリです
しかし、読み手は、きっと日本文化に造詣ある彼の妻だから日本が先頭に書かれているも
実際は、世界の主要都市で演奏活動をと考えるものでしょう)
次に、その演奏する音楽会場(劇場)の具体的な名前を列挙
段々に的が絞られてきまして、ズームレンズが絞られてきて
最後に、その演奏会の有様の一形態として、ピアノ曲と朗読と解説

ここまで大丈夫ですか 以上あくまで-récitals-を諸側面から描写

そこで、mis en forme が単に-Eric Satie‐のtextesだけを
修飾していると考えてしまいますと、このtextesにのみ
固有名詞まで添えているのは異常なまでにスポットライトが
当たり過ぎて、あまりにも文末が重すぎると推測されるのです

がしかし、この mis en forme が、彼女の演奏会の
在り方全体にかかるのであれば語調として納得できる

下記の一文があります

Madeleine MALRAUX et François MARTHOURET Récital Erik Satie - Piano et Texte

Place à Erik Satie , en musique et en texte
Spectacle conçu par Karin Muller qui remporte depuis un an un très grand succès auprès du public
Beaucoup de sensibilité, d'humour dans une alternance réussie de musique et de texte

Au piano , Madeleine MALRAUX, ancienne épouse d'André MALRAUX, spécialiste reconnue de Satie et Chostakowitch

Au texte, François MARTHOURET, acteur et metteur en scène très connu
Il prête sa voix à de nombreux documentaires diffusés sur Arte

Un concert très original ou les compositeurs se rencontrent autour de Satie sou les doigts de Madeleine Malraux :
Bach, Beethoven, Poulenc, Stravinsky, Prokofiev, Debussy et Chostakowitch qu'elle ne saurait oublier ...

お分かりですね、Karin Mullerさんは、Conceptrice なのです
だって、だって、Erik Satieさんの文に筆を入れるなんて。。。
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この回答へのお礼

再度、大変、ご丁寧なご回答をいただき、誠に、ありがとうございます。
お礼を申し上げるのが、遅くなってしまい、大変、申し訳ありません。
(風邪を引いて、寝込んでおりました。暦の上では、春とはいえ、まだまだ
寒い日が続きます。anapaultole さまも、体調には、くれぐれも、お気をつけ
くださいませ。)

ところで、私のような未熟者が、anapaultole さまのように、博学多識な方に
意見を申し上げて、大変、失礼をいたしました。

でも、anapaultole さまに、詳細にご解説を頂き、理解できました。

私の欠点は、文章を読むとき、「木を見て、森を見ず」となってしまうことです。
今回、改めて、「虫の目」だけでなく、「鳥の目」をも、持たなければいけないな
ということを、痛感いたしました。

文章というのは、全文で成り立っているんですものですね。
一部だけにフォーカスしてしまうのは、誤った解釈のもとですね(反省)

もっと、もっと、文章の構造について、勉強しようと思います。

これからも、こちらのサイトで、質問をさせていただくことが、多々あるかと
思いますが、また、ご回答をよろしくお願いいたしますね。

anapaultole さまに、今回、ご回答いただき、私は、とても、ラッキーでした。
私のために、貴重なお時間を割いていただき、心から感謝をいたしております。

お礼日時:2013/02/14 17:21

recitantは名詞でしょう。

したがってcomme recitant はあ「ナレーターとしてのマルトゥレ」。

dans tant d’autre, pour des soirées ou以下を継続的に訳すと
その他たくさんの場所で開かれた夜会で彼女は、いろいろなピアノ曲を、友人カリン・ミューラーによって調整されたエリック・サティのテクストを朗読するフランソワ・マルトゥレと交互にいれかわりながら演奏した。

なお時代から考えてサティの友人とは考えられません。 pepe1939
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

おっしゃる通り、"recitant" は、「ナレーター(名詞)」だと思います。

ただ、今までにいただいたご回答者さまたちのご意見を参考にさせていただくと、
カリン・ミュラーは、「エリック・サティーのテクストを調整した」のではなく、
「マドレーヌとフランソワの夜会を企画した」ようです。

あと、"son amie" ですが、pepe1939 さんのおっしゃる通り、"son" が、
「サティー」を指すとは、考えられませんので、マドレーヌか、フランソワか
どちらかの友人なのでしょうが、これは、マドレーヌのバイオグラフィーなので、
私は、"son" は、マドレーヌを指すのではないかなと考えております。

ただ、もう、何度も、カリン・ミュラー、プロデュースによるこの夜奏会は
催されているようなので、初めは、どちらかの友人であったにしろ、
今は、カリンは、マドレーヌ、フランソワ、両方にとって、大切な友人だと思います。
なので、あまり、"son" が、どちらを指すかは、こだわらないことにいたしました。

お礼日時:2013/02/15 14:53

1で回答した者です。


あの時点では予備知識もなかったので、迂遠な答えになってしまったようです…

ミュラーが演出したマルローとマルトゥレによるサティのリサイタルについては、他ならぬマドレーヌ・マルローのウィキペディア記事に記述がありましたね…

2007 - Création du récital" EsotErik Satie" avec François Marthouret (récitant), conçu par Karin Müller - Concert en soliste au Japon
( http://fr.wikipedia.org/wiki/Madeleine_Malraux )

他の方のお答えが充実しているので、改めて解説的なことを記すのは恥ずかしいところですが、一つだけ気になる点が。

"mis en forme par son amie Karin Muller"

の"son amie"とは「『誰の』友人」なのかが判然としません。
この部分だけ切り出せば、"son"は直前の人物"Eric Satie"となりますけど、これはあり得ませんよね。
そこがわからなかったので、前回は触れずにいました。

他に現れる人物は、マルローとマルトゥレで、純粋に文脈をとればマルトゥレ(avec句)よりマルロー(主語)の方が自然なのですけど、年齢的に二人が「友人」だったのか…というところが疑問でした。
(そのため、「マルトゥレの友人」という前提で「並行的な比喩」と解釈した次第です)

ただ、ウィキペディアのマルローの記事にミュラーの名が出てくるので、両者の間に知己があると考えるのも不思議ではなさそうです。
そう考えると、"comme recitant de textes d'Erik Satie / mis en forme par son amie"と切り、前者は関係副詞節に係る副詞句、後者は文全体に係る副詞的過去分詞句…と整理できるかもしれません。
(そう考えれば、4&5の方の解説にも整合するかと)

以上、補足まで…
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この回答へのお礼

再度、ご丁寧なご回答を頂き、誠に、ありがとうございます。
また、わざわざ、私のために、ウィキペディアまで、お調べ下さって、
本当に、感謝いたしております。


ところで、

>"comme recitant de textes d'Erik Satie / mis en forme par son amie"と切り、
>前者は関係副詞節に係る副詞句、後者は文全体に係る副詞的過去分詞句…
>と整理できるかもしれません。

とのことですが、そうですね。おっしゃる通り、そこで、スラッシュを入れ、
"mis en forme par son amie" は、全体に係ると考えるのが、正しい解釈でしょうね。


話は変わり、"son amie" についてですが、私も、この"son" は、
マドレーヌをさすのか、フランソワをさすのか、ずいぶん、悩んだのですが、
これは、マドレーヌのバイオグラフィーなので、(年齢は離れていますが)
マドレーヌの友人と考えるのが、妥当かなあ...とも思います。

(マドレーヌとフランソワ、両方の友人とも考えられますが、それなら
 "son amie" ではなく、"leur amie" と書くのでは?と思ったりも
します。

...とはいえ、カリン・ミュラーは何度も、二人のリサイタルをプロデュース
しているようですから、初めは、どちらかの友人であったにしろ、今では、
両方の親しい友人になっているのでしょうね。)


また、こちらのサイトで、質問をさせて頂くことが、多々あるかと存じますが、
その時は、また、どうぞ、ご回答をよろしくお願いいたします。

お礼日時:2013/02/14 18:26

mit-caltec さん こんにちは



良くお調べです
疑問を抱いていらっしゃる文章は
其の主語をKarin Müllerとして
訳して見ると、すっきりすると凡慮

つまり

Karin Müllerが、総合企画をし

Erik Satieのことを
その楽曲は、ピアニストMadeleine Malrauxに演奏で
その文章は、俳優François Marthouretに朗読で
交互に紹介した と

ピアニストのマドレーヌ・マルローの自伝ですから
彼女のの多様な演奏活動の一こまとして、友人の
Karin Müllerの企画に乗って俳優との共演も在った
と解釈出来ます 無論この自伝に紹介するぐらいですから
その企画は成功を収めたと言えるのでしょう

フランス語commeの用法としては
俳優さんが、俳優として演技するのでなく
朗読(体を楽器として音で演技)するのですから
彼の役割をcomme~としているまでです

久しぶりに樋口一葉のように綿綿と流れるように
綴られた文章に出会えて、嬉しく思います。。。
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この回答へのお礼

ご丁寧に、ご解説をいただき、誠にありがとうございます。
また、過分なお言葉をいただき、嬉しくて、スキップしたくなる気分です♪(ルン)

ところで、ひとつ疑問があるのですが、お聞きしてもよろしいでしょうか。

"mis en forme par son amie Karin Müller"

は、「カリン・ミュラーが企画した」という意味なのですか。

今まで頂戴した三人のご回答者さまからのご解説を読ませていただき、
私は、"mis en forme par son amie Karin Müller" は、
「カリン・ミュラーが編纂した」という意味で、
"textes d'Erik Satie" に係るのかなあ、と思っていたのですが...。

No.2 のご回答者さまによると、サティは、舞台の脚本も
遺しているそうですね。

なので、エリック・サティが執筆した舞台脚本を、カリン・ミュラーが  
編纂して、それをフランソワ・マルトゥーレが朗読しているのかな、と思ったのですが...。

もし、私の解釈が誤っていれば、お手数ですが、また、ご指摘のご回答を
いただければ、幸いです。

お礼日時:2013/02/11 23:34

récitant は演奏者というより朗読者(ナレーター)と解するべきでしょう。



「カリン・ミュラー編集のエリック‧サティのテキストをフランソワ‧マートゥレが朗読」
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かに、おっしゃる通り、「ナレーター」だと思います。

この質問をさせていただいた後、ネットで、マドレーヌとフランソワが
共演するリサイタルを見つけました。そこでは、マドレーヌが演奏し、
それと交互に、フランソワが文章を朗読していました。
それで、はじめて、"recitant" が、「ナレーター」なのだということに
気がつきました。

私には、『ピアノの演奏と文章の朗読を交互に、リサイタルでする』という
発想がなかったのです。


ところで、textes d'Erik Satie mis en forme par son amie Karin Müller
ですが、私は、「(フランソワの?)友人のカリン・ミュラーが、エッリック・サティー
の曲に発想をえて、創作した文章」かなと思ったのですが、この"mettre ... en forme"
は、「編集」の意味なのですか。


cherry77さまはじめ、三人のご回答者さまたちから頂いた解説を踏まえて、

; Et dans tant d’autre, pour des soirées où elle interpréte diverses pièces de piano en alternance avec François Marthouret comme récitant de textes d'Erik Satie mis en forme par son amie Karin Müller.

を、次のように訳してみました。

「さらに、夜奏会では、俳優のフランソワ・マルトゥーレとも共演。彼女が様々な楽曲を演奏し、それと交互に、彼が文章を朗読するのだが、それは、エリック・サティーの舞台の台本等を、フランソワの友人カリン・ミュラーが編纂したものである。」

もし、間違えていたら、どうか、また、ご指摘のご回答を、よろしくお願いいたします。

 

お礼日時:2013/02/11 22:10

Karin Müller 女史はスイス生まれの映像作家のようですね。



avec François Marthouret とある François Marthouret はフランスの役者。

mis en forme par son amie Karin Müller は 「友人の Karin Müller によって形にされて投じられた」 と読める気がします。

comme récitant de textes d'Erik Satie は 「Erik Satie のテキストを吟唱するように」 か。「歌うように」 かも。

en alternance avec François Marthouret は 「François Marthouret と交互に」 かも。

elle interpréte diverses pièces de piano は 「彼女はいろいろなピアノ作品を演奏した」

そうすると質問者さまの解釈で間違ってないような気がします。

Karin Müller が映像の形で表現したフィルムを上映し、その合間にピアノの演奏が入ってるのではないでしょうか。それだけでなくて、サティが書き記した文句も役者が 「歌うように」 吟唱した。歌詞ではなくてテキストなので、役者が朗読したのではないでしょうか。それらが交互に行われたというような、そんな文ではないでしょうか。

サティは特異な作曲家ですから、演奏形態も変わったものにしたのかも。舞台の台本も書いていますし、歌曲もありますから、歌手なしでも朗読でも音楽と組み合わせることは出来たのではないでしょうか。

暗号文を読むような読み方なので、どこまで正確に読めているかは分かりませんけれども・・・
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この回答へのお礼

ご丁寧な、ご回答を頂き、誠にありがとうございます。

私も、質問後、色々、調べてみたところ、マドレーヌとフランソワが
共演するリサイタルの映像が見つかりました。

その中では、マドレーヌがピアノを演奏し、それと交互に、フランソワが
文章を朗読しているのです。

ところで、私は音楽には詳しくないのですが、サティは、舞台の台本を書いたり、
歌曲もつくっているのですか。


そこで、あまり、自信はないのですが、

; Et dans tant d’autre, pour des soirées où elle interpréte diverses pièces de piano en alternance avec François Marthouret comme récitant de textes d'Erik Satie mis en forme par son amie Karin Müller.

は、

「さらに、夜奏会では、俳優のフランソワ・マルトゥーレとも共演。彼女が様々な楽曲を演奏し、それと交互に、彼が文章を朗読するのだが、それは、エリック・サティーの作品から発想をえて、友人のカリン・ミュラーが作ったものである。」

と訳してみたのですが、間違っていましたら、どうぞ、また、ご指摘のご回答をくださいね。

("recitant" は、名詞として考え(冠詞がないのが、ひっかかりますが、ここでは、職業として
とらえているのかなあ) "comme recitant..." で、「ナレーターとして」。

また、"mis en forme par son amie Karin Müller" は、"textes" に係るものとして
考えました。私が見つけた映像には、マドレーヌとフランソワの後ろに、フィルムはないようですので、
"textes" は、ミュラーが作ったものなのかなあ、と考えました。)


でも、一番のご回答者さまに頂きましたご解説と、bakansky さまに頂いたご解説を踏まえて、
再度、考え直してみたいと思います。


(ちなみに、マドレーヌとフランソワのリサイタルが映っている記事のURLは、以下のものです。)

http://www.erik-satie.com/tag/madeleine-malraux/) 


私のために、わざわざ、貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございます。
大変、感謝いたしております。

お礼日時:2013/02/11 15:22

これは、ものすごく複雑な文章ですね…



お尋ねのところに絞ってみると、
"pour des soirées où elle interpréte diverses pièces de piano en alternance avec François Marthouret comme récitant de textes d'Erik Satie mis en forme par son amie Karin Müller."
という前置詞による副詞句に"où elle"以下の関係副詞節が係り、更に"comme"以下の比喩対象に"récitant"が現れるという構造のようです。

"comme"以下の比喩に対してそこまでの文章を見ると、
"elle interpréte diverses pièces de piano en alternance avec François Marthouret"(彼女は、フランソワ・マルトゥレとともに様々なピアノ曲のアレンジを解釈する)
になります。
したがって、"comme"以下の比喩は「オリジナルのアレンジを示すこと」という意味になると考えるのが自然でしょう。

その上で"comme"以下を見ると、お尋ねの句になります。
手前の文と照らし合わせると、
"interpréte" - "récitant"
"diverses pièces de piano" - "textes d'Erik Satie"
までが対応関係にあると考えられます。
となると、"récitant"は"réciter"の現在分詞とみるべきでしょう。

"mis en forme par son amie Karin Müller"
リンク先のウィキペディア記事を見ると、カリン・ミュラーは1965年生まれの作家・映画作家・写真家なので、エリック・サティの友人であるとは考えがたいところです。

フランソワ・マルトゥレは1943年生まれの作家・演出家・映画監督だそうです。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Fran%C3%A7ois_Marth …
彼とマルロー、彼とミュラーの関係がわからないのでここは何ともいえません。

ただ、この「その友人カリン・ミュラーによって(ある)様式で置かれた」という過去分詞節が"récitant de textes d'Erik Satie"に係るのは確かです。
そうなると、「その友人カリン・ミュラーの様式で施されたエリック・サティのテキストの暗唱・朗読」→「のように」という意味となりそうです。

"comme récitant de textes d'Erik Satie mis en forme par son amie Karin Müller"
この句の大まかな意味は、「ミュラーによるサティのテキスト解釈のように(マルトゥレとともにマルローは解釈をした)」ということになるのだと思われます。

最初の方で
"en sus des récitals donnés au japon, à Tokyo, comportant des mélodies de Saties, interprétées avec un inaltérable talent, elle joua"(日本の東京で行われたリサイタルにおいて、比類のない才能によって、サティのメロディを含む解釈を行い、演奏した)
と出てくるので、ここでいう"interprétées"に関する比喩かと思われます。

非常に長くなってしまいましたが、ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

大変、ご丁寧に解説して下って、本当にありがとうございます。

私も、質問後、色々、ネットで調べてみたら、マドレーヌ・マルローと
フランワ・マルトゥレが共演しているリサイタルの映像が見つかったのですが、
そこでは、マドレーヌがピアノを演奏し、それと交互に、フランソワが
文章を朗読しているのです。

なので、

"comme récitant de textes d'Erik Satie mis en forme par son amie Karin Müller"

「(フランソワの?)友人、カリン・ミュラーが、エリック・サティーの曲をイメージして、
作った文章を、(フランソワが)ナレーターとして、」という意味なのかなあ?と、思えて
きました。


あまり、自信がないのですが、

; Et dans tant d’autre, pour des soirées où elle interpréte diverses pièces de piano en alternance avec François Marthouret comme récitant de textes d'Erik Satie mis en forme par son amie Karin Müller.

は、

「さらに、夜奏会では、俳優のフランソワ・マルトゥーレとも共演。彼女が様々な楽曲を演奏し、それと交互に、彼が詩を朗読するのだが、それは、エリック・サティーの作品を元に友人のカリン・ミュラーが作ったものである。」

と訳してみたのですが、間違っていましたら、どうぞ、また、ご指摘のご回答をくださいね。

("recitant" は、名詞として考え(冠詞がないのが、ひっかかりますが、ここでは、職業として
とらえているのかなあ) "comme recitant..." で、「ナレーターとして」。

また、"mis en forme par son amie Karin Müller" は、"textes" に係るものとして
考えました。)


でも、felicitas01 ARB さまに頂いたご解説を踏まえて、また、考え直してみたいと思います。
私のために、色々、お調べ下さって、本当にありがとうございます。
感謝いたしております。


(ちなみに、マドレーヌとフランソワのリサイタルが映っている記事のURLは、以下のものです。)

http://www.erik-satie.com/tag/madeleine-malraux/ 

お礼日時:2013/02/11 15:05

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