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単位線分とは長さが1の線分である、という記述をたまに見ますが、違和感があります。
任意の線分を選び、それを単位線分と呼び、今注目する線分が単位線分の何倍かで、長さ1とか長さ2という呼び方が成立するわけですよね。
ならば、単位線分自身について、長さ1という表現を適用することはできないのではないでしょうか?
なんというか、自己言及的になってしまうというか。

A 回答 (20件中1~10件)

No.17です。



『kgは質量を表し、原器と比較することによって対象質量が数量化し 数量kgになる』という定義が正しい ということですね。これに対して 私は異をとなえているわけです。質問者さんの定義もOKかと思っていますが正しいというところに?をつけているのです。kgの定義は国際単位系の基本単位の定義があって単位(=1)kgをkgとすると理解されとおもいます。kgを質量と理解するのは勝手ですが、通常物理学ではmかμが質量を表すとなっています。もちろん 混乱のないように定義すればどの文字を使ってもいいと思います。そして基本物理量の次元は一応[M]と表されます。本来は kg以前のmについて国際的に定義されるべきかもしれませんが、mは他の次元(L、T、A)に関わっている可能性大(十分には解明されてない)、独立次元ではないかもしれなく独立定義ができないと思うのです。だからひとつの区切りとして実用上問題のない単位kgの定義から出発しているとおもうのですが。

この回答への補足

これ以上続けても意味がなさそうなので、ここら辺で締めきらせて頂きます。
みなさん、ありがとうございました。

補足日時:2013/06/16 11:38
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「質量Mの物質が・・・」というような文章に見られるMのことでしょうか。
それは質量を一般を表しているだけですよね。
kgやgは特定の質量を表しています。
でなければ単位になりません。

お礼日時:2013/06/16 11:37

> 単位線分とは言いますが、単位平面とか、ましてや単位立体という言葉は聞きませんよね。



単位線分の二乗は、フランス語ではsurface unitaire、英語ではunit areaまたはunit surfaceまたはunit surface area,
単位線分の三乗は、フランス語ではcube unitaire、英語ではunit cubeです。
以上ご参考まで。

蛇足ながら、
> その定義は誰の定義ですか?
> どっかの公式文書に載ってる定義ですか?

" a line segment of "unit length" is a line segment of length 1." ........http://en.wikipedia.org/wiki/1_(number)
まったく同じ文面ですが、" un segment de longueur unitaire est un segment de longueur 1." ...........http://fr.wikipedia.org/wiki/1_(nombre)
英語フランス語いずれも、1という概念を説明する際の導入部にあります。
このことは、質問者さんの理解しようとしていることが、1の理解にかかっていることを物語っているようでもあります。

質問者さんに他意も悪意もないのはわかりますが、誰の定義だの公式文書だのと聞き方が変なのはいただけません。
いずれにしても、ほかの方の回答にもあったように、長さ(線の)、線分、単位、1の定義にしたがって、
「単位線分とは長さが1の線分である」とは自明である定義になっています。
わたしたちはそれを丸呑みせずに解きほぐして来たわけですね。

質問者さんが挙げられているリンク(コトバンク)の内容は、単位線分を説明しているのではなく、
単位線分を利用して線分の長さを測るという作業を示し、それによって、長さとはそこで得られる「正の実数」であると述べているのです。

回答はこれで終わろうと思います。
マッチ棒を使い、手を動かしてはいかがですか。
正方形や立方体にしたり、運動する先端の軌跡を調べたり、
曲線にあてがって延ばしながら差異を埋め合わせてみたり、相似形を作ったりするんです。
数式で普遍化したら楽しいですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
これで終わりですか。
私の中ではまだ結論が出ていないので残念ですね。

>質問者さんに他意も悪意もないのはわかりますが、誰の定義だの公式文書だのと聞き方が変なのはいただけません。

いや、回答者様が「定義を踏襲していることは自明」と仰ったので、公式文書にそういう定義でもあるのかと思ったんです。
単に定義といっても、ネット利用者が大好きなwikipediaの定義なのか、一般人のブログにある定義なのか、公式文書にある定義なのか、分かりませんからね。

もう回答なさらないなら、これ以上質問しても意味ないんでしょうね。
釈然としない終わり方ではありますが、ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/15 18:40

6,7,12,15。

当初の質問内容から変化があるということですのでそれをふまえつつ。

> 私の質問は、「単位線分の長さを1とすることはできるのか」という極めてシンプルなものです。
> まずは、できるかできないか、という回答者様の立場を明示してください。

先に確認しましょう。
「単位線分」という言葉を用いるとき、定義を踏襲していることは自明ですから、
上記の質問者さんのカッコ内の文は、〈長さが1の線分の長さを1とすることはできるか〉
にほかなりません。
そして、念のため言いますが、質問の意味をわたしは正確にとらえていると思います。
また、質疑が進むに従って「単位線分の長さ」が主題であるかのように話される質問者さんには、
困惑をおぼえています。

わたしの立場を見出し兼ねていらっしゃるようなので、
単位線分がみずからを長さ1と認めることはできるかできないか、について、
6に明示していることを再掲します。

>> 全体との照応関係が想起できないものについては、
>> 1という単位を与えることもできません。
>> 線分の長さ1は、その線分が属する線ないし大きな線分の、可算性を物語るものであり、
>> そこに部分と全体の照応関係を認めるという約束を果たしているのです。

いってみれば、体系を知らず扱おうとしない者が見るなら、1も他の数字もありはしないし、
体系を知って扱おうとする者が見れば、1とは、体系を可算的であるとする約束でしょう。
つまり幾何体系を知って扱おうとする者が見れば、
長さ1の単位線分とは、幾何体系を可算的であるとする約束でしょう。
なーんだ、要するに数を数えられる条件を満たしながら、基本の長さが一個、基本の長さが二個って
数えればいいだけでしょ、なんて思われるかもしれませんが、
単位線分が単体でそれのみ存在するというイメージが仮構だと気づいてもらえれば、
そのような単位線分は、それ自体の体系を知ることはないだろうから長さが1だと自白「できない」、
けれども、しょせんそれはありえない空想だと気づいてもらえると思うのです。
一方、ユークリッド以来の全体視ないし全体予測の力を行使するからこそ、
単位線分という概念をもつことができるわれわれは、単位線分は長さが1の線分であると考え、
長さが1であることを、幾何学において存分に使うことが「できる」。

> ただ、非物質である時間について物質と同じ数え方ができると仰るのに、長さについてそれができないとするのはなぜでしょう?

そうですね。しかしわたしが述べたのは、
単位線分が1であることについて、問題にされるべきは単位であることであって、長さそのものを問題にしているのではないだろうということが一つと、
もう一つは、時間の長さにせよ、空間の長さにせよ、長さって何だろうかということなんですね。
これはただわからないですね。
延びる縮むは心理学うんぬんではなく、長さというのはあいまいな経験の慣習的なレベルにあって、
たとえばメルロ・ポンティの言うような間身体性における合意事項であろうと考えられるわけです。
とはいえ、幾何学的変換によって、長さは単位をともなって数えられるものです。
遠近法などもその例です。わたしは、長さを数えられないとは一度も申しておりません。それどころか、7は測る話数える話で満載です。
むしろ質問者さんが、「単位線分の長さ」なる独自表現をもちいて、長さを数えられないと訴えていたのではありませんか?

質問者さんは、「長さに着目」し、「単位長」を導入することにしたようですが、
単位線分と単位長って、使うとなると用途が違うのではないでしょうか。
単位長あたりの数値を求めるとか、適宜の単位長に換算するとか、
つまり、単位長それ自体を操作するということはあまり思い当たらないのです。
それに、曲線に適用できるというのを、線分だから違うとおっしゃる意味もよくわかりません。
mという単位長が1mの線分を基準にするにせよ、その単位長で曲がったホースを測ることができるからです。
一方、単位線分は曲がったホースに対して、微分することになると思うのですが、どうでしょうか。

「単位長の平方積、立方積」
「単位長の写像」
「単位長の曲率」
「単位長の傾き」
これらが幾何学的な作図にしっくりくるのでしょうか?

最後に小噺をひとつ思いつきました。

絶世の美女がいたという噂を聞いた三人。
物理学者は言った。
「さっそく汎方向から出入りできる大型の箱を設置して、絶世の美女が観測される確率を割り出すための研究費を申請しよう」。
哲学者は言った。「もしこの世に男がいなかったら、女は女であるといえるだろうか」。
数学者は言った。「1人の美女とは、写真に写しても1人、実物に触れても1人、写真が折れ曲がっても1人だ」。

お粗末様でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>「単位線分」という言葉を用いるとき、定義を踏襲していることは自明ですから、
上記の質問者さんのカッコ内の文は、〈長さが1の線分の長さを1とすることはできるか〉
にほかなりません。

その定義は誰の定義ですか?
どっかの公式文書に載ってる定義ですか?

http://kotobank.jp/word/%E5%8D%98%E4%BD%8D%E7%B7 …
たとえば、このサイトを見ると、「単位線分とは長さが1の線分である」というような定義はまったく書かかれておらず、単に、長さを測る尺度程度の扱いにしかなっていません。
私も、単位線分とは文字通り「単位(基準・尺度)とする線分」という意味であると解釈しています。

>また、質疑が進むに従って「単位線分の長さ」が主題であるかのように話される質問者さんには、
困惑をおぼえています。

主張ではなく質問なのですから、その過程で主題が変わっても問題ないと思います。
多くの人から回答を頂く過程で、考えが移ろうのは自然です。

>もう一つは、時間の長さにせよ、空間の長さにせよ、長さって何だろうかということなんですね。
これはただわからないですね。

そんなことを言ったら長さという言葉を使えなくなってしまいますよ。
数学はある程度割り切って話を進めるものでしょう。
実はそこまで哲学的ではない。
また、長さとは何かが分からないと仰るなら、線分とは何かもまた私には分かりません。
大きさのない点とはなにか、幅のない線分とはなにか、まったく分かりません。

そもそも私が問題としたことは、単位線分を尺度とするなら、なぜ単位線分についてその長さを1とすることができるか、です。
たとえば、単位線分の長さは単位線分の長さの1倍だから単位線分の長さは1、というとき、「単位線分の長さ」という観念的な対象に着眼していますよね(無意識的にであっても)。
回答者様は、単位線分に着眼するのであり、単位線分の長さに着眼するのではない、と仰いますが、よく分かりません。
単位線分そのものに着眼したところで、何も始まらないじゃないですか。
単位線分の長さに着眼するから、長さの話が始まるのではないでしょうか。
ある立体それ自体に着眼しただけでは、その体積に着眼したことにはなりません。
その立体の何に着眼するのか。
一辺の長さに着眼するのか。
体積に着眼するのか。
対角線の長さに着眼するのか。
その立体の一体なにに着眼するのかが、問題になるはずです。

あと、単位線分とは言いますが、単位平面とか、ましてや単位立体という言葉は聞きませんよね。どうしてでしょうか。
単位長さという言葉は私が出すまでもなく存在していて、単位面積、単位体積という言い方は頻繁に聞きますが、単位立体という表現は聞きません。

お礼日時:2013/06/15 11:26

No.16です。



JIS Z8203:2000の規定(附属書B)によりますと、質量については、
国際単位系の基本単位の定義として、kgは質量の単位であって、それは国際kg原器の質量に等しい。と理解されます。『kgは質量の単位であって』のkgは基本単位なので1ツか一個のkgと理解されると思います。それをkgと表すということでしょう。だから『キログラム原器の質量を1kgと定義してしまうと、それに等しい物体の質量は、1(1kg)になってしまうと思います。』の(1kg)は(kg)と表記され得ると思います。あるいは実用的に問題なしとして()なしで表記されるのでしょう。原器のn倍の質量はn(kg)と表されますが、仮にn(1kg)と表しても 意味するところは同じでしょう。キログラム原器の質量を1kgと定義しても問題ないとおもうのです。表記法とか記号については取り決めておく必要はありますが。これが国際的約束ごとでしょう。

これに対して、質問者さんの定義は
質量はkgという量で表し、その単位はkg原器の質量に等しい。となるのでしょう。これも定義になっていると思いますが これが唯一正しいと言われますと ? と思ったというわけです。

もちろん自己言及になる定義の正しさの証明はできません、が別の定義をすれば前の定義の意味がよく分かる 可能性があります。必要に応じて定義は変えて考えればいいのではと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

回答者様は根本的な勘違いをされていると思います。
量そのものは数ではありません。
量の概念と数の概念は峻別すべきです。
数概念を使わなくても、量を把握することはできます。
二つの紐の長さを数概念なしに比較することは可能ですし、日常生活においては、多くの人が数概念を用いずに量を比較していると思います。
ただ、数概念を使えば、厳密な表現が可能になるというだけです。
数を使わなければ、どれだけ長いかということについて、少し長いとか、かなり長いといった曖昧な表現しかできませんが、数を使えば、単位長さ一つ分だけ長いとか、三つ分だけ長いというように、厳密な表現が可能になります。
『単位は語る 科学のツボ』にもあるように、数は物理量の枠外にある概念です。
kgとかmは量そのものを表す記号であって、数ではありません。
量そのものを表すのですから、数であってはいけないのです。
数の本質の一つに基数性があると思います。
一つ、二つと数えられるということです。
連続量の場合でも、その本質は変わりません。
つまり「何がいくつある」という表現になるのです。
そして、この場合は「長さがいくつある」とか「質量がいくつある」という考えになります。
「単位長さが一つ分ある」といえるとき、そのとき初めて、1kgという表現が出てきます。
kgは量で、1は数です。
量そのものを命名するのに、数である1を使ってはいけないと思います。
kgやmは特定の量そのものであって、数ではありません。
そして、数そのものは量そのものではありません。
オイラーやマクスウェルも同じことを述べていると思います。

お礼日時:2013/06/15 10:52

No.14です。



『単位線分とは長さが1の線分である』の意味ですが、質問者さんは(1)から(2)に理解を変えられ 今や問題はない と表明されています。
(1)単位線分は原器であると理解されとし、長さが1も原器と理解し、線分であるは計測され得る と理解して 原器で原器が計測され得るのか という自己言及問題になっている。
(2)単位線分は基準とする線分量一つ分であり、長さが1の線分とは単位線分1個の線分である

私は(1)であってもいいのではないか ということです。Z8203:2000の附属書Bのなかに国際単位系の『基本単位の定義』という言葉もあり 利用者として基本単位の説明まで遡るまでもないとして 基本単位という言葉が使用されているとおもいます。もちろん 基本単位がn個の量ならn量(呼称)と表すという説明もないと思いますが混乱は発生しないと思います。
(2)は質問者さんの理解ですが ここまで来ると線分、長さ、の空間定義まで遡る必要があるように思われます。『単位線分とは長さが1の線分である』を一段と厳密な言葉に代える必要があるとおもいますが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

まずはっきりさせておきたいことがあります。
回答者様は以下のように仰られたと思います。

キログラム原器の質量を1kgと定義することは、定義として何の問題もない。

私は『単位は語る―科学のツボ』の著者と違って、キログラム原器の質量を「結果的に」1kgとしても良いのではないか、と今では思いますが、「そもそも」キログラム原器の質量を「1kg」と定義することには著者と同じく反対です。
なぜなら、質量が1とは、ある基準となる質量が1だけある(他の回答者様も仰られている個数の感覚)という意味であり、質量そのものが1というわけではないからです。
キログラム原器の質量を1kgと定義してしまうと、それに等しい物体の質量は、1(1kg)になってしまうと思います。
1770年に出版されたオイラーの『代数学完全入門』では、以下のように説明されています。

「たとえば、お金の量を決定するように求められたとするなら、ルイ、クラウン、ダカットなどの既知のお金の単位をとり、与えられたお金にこの単位がどれだけ含まれているかを示さねばならない。同様に、重さの量を決定するように求められたなら、一定の既知の量、たとえばパウンド、オンスなどをとり、この基準の重さが確定しようとしている物の中にどれだけ含まれているかを示さねばならない。もし長さか何かを測りたいというなら、フィートといった既知の長さを利用するしかない」

ここでは、まず単位である、パウンド、オンスなどがきて、その後に、その何倍であるかの数がくる、という説明になっています。つまり、説明にもあるように、一定の既知の量にパウンド、オンスなどの単位をとるのであって、1パウンド、1オンスとはなっていません。
数がくるのは、決定したい量のなかに単位がどれだけ含まれているかを判断するときです。

また、1873年に出版されたマクスウェルの『電磁気学』の序言から一部を引用します。

「量のどの表現も二つの要素からなる。一つは、参照のための標準として使われ、表現される量と同種類である。もう一つは、表現される量をつくりあげるために、標準の何倍かを示す要素である。標準の量は単位といい、何倍かはその元の量の数値という」

ここに明記されているように、標準の量とその何倍か(数)は、厳密に区別されています。つまり、標準の量の定義に数そのものが入り込むことはないということです。オイラーのように、まず一定の量をパウンドと命名(定義)し、その後に、その1倍ということで、1(パウンド)という呼称が可能になります。標準の量を1パウンドと定義したら、その1倍は、1(1パウンド)になってしまいます。

1の意味(個数、基数)を考えれば、上記の正しさは明確だと思います。

お礼日時:2013/06/14 06:07

6,7,12です。

哲学カテはダブルポストだったため最初からこちらに回答しています。

長さ1の線分を1回転させることができる図形の中で面積がもっとも小さいものは何か。(=掛谷問題 by Wikipedia http://en.wikipedia.org/wiki/Kakeya_set)

Un ensemble de Besicovitch est un ensemble de points du plan contenant un segment unitaire dans chaque direction et de mesure nulle.
("ベシコヴィッチ集合とは、あらゆる方向の単位線分を含みかつ面積がゼロとなる平面に、属する点の集合である" =Ensemble de Besicovitch by Wikipedia http://fr.wikipedia.org/wiki/Ensemble_de_Besicov …

単位線分を使う幾何学的・解析学的状況をあげてみました。
ちなみに英語でunit line segment 、フランス語でsegment unitaire、これらは単位線分と訳しても長さが1の線分と訳しても同じ意味です。

これらの問題を見てお分かりだと思うんですが、単位線分はただの短い針のイメージなんですね。
そもそもお侍が厠で刀を振ったらどうなるかしらというサイズ感覚によって問題は始まるのですが、
刀ではなく数値1の針にするという抽象化によって、平面図形を求める問題は普遍化し、観念的な操作性も高められています。

当時世界中の数学者が、マッチ棒か万年筆を手にしたと思います。
単位線分の1なんて、だれも長さそのものを問題にしているのではないでしょう。
数学の、数の操作ができる体系を開くのにふさわしい値だから1なんでしょう。

> また、線分それ自体に(物質的に)注目すると、私がそもそも問題にしている、単位線分の長さを数で表現できない(すなわち1とできない)という問題にぶち当たると思います。
> その問題を回避するために、性質である長さに着眼することにしたのです。

あなたのそのような表現できなさを仮にxという「長さ」で表したとしますと、
掛谷やベシコヴィッチの問題の数式のあらゆる箇所に、xを付けることになるでしょうが、
求められた比においてxを約せば、1xたるxはしょせん1ですよ。
「ここは長さxに対して√2xで、、、」なんて、xってそんなに大切でしょうか?
工学ならxを約したりしないでしょうがね。
抽象化ってこういうことではないですか。

単位線分は自己措定しない、とわたしは繰り返していますが、
1とは公理系全体を見通しての公差や公比での可算性を示しているのだということはあらためて念を押したいわけで、
それ以外に1が何を表現しうるとあなたは信じているのだろうかと疑問になります。
都合のよい原器1個ぶん、xであろうと1個ぶん、そして世界はそこからどのように導き出されるかが数学なのではないのですか。

> 時間も明らかに物質ではありませんよね。

時間の数え方は物質の数え方にほかならないです。人間は時間を物質によってしか認識できませんから。
物質を離れた時間について明らかなことは何も得られていないと思います。
昼夜のサイクルを12分割したのは空間化と可視化によりますし、1秒はセシウム133原子の基底状態にある二つの超微細準位間の遷移に対応する放射の 9 192 631 770(約100億)周期にかかる時間という取り決めです。

> でも、時間に関しても、たとえば、単位時間を秒と定義し、それがいくつ分かで、1秒とか8秒という表現をしますよね。
> 単位長に着目することは問題だと仰いますが、単位長に着目することと、単位時間に着目することは、何が違うのでしょうか。

それは誤解です。単位「長」なるものでは「曲線」に適用されてしまうと述べたのです。
線分でなければ、あの掛谷の針になりません。
また、単位時間も、全体性への見通しのうえで得られる数え方にすぎません。小石です。棒きれです。
長さって何のことですか?
楽しいと短くなったり、詰まらないと伸びたりするじゃないですか。
禅ですと、大きさとか長さとかいったものはおしなべて、対象にそなわっているのか自己にそなわっているのか聞かれますよ。

参考URL:http://www4.ocn.ne.jp/~arai/semi208/KakeyaProble …

この回答への補足

ちなみに、私は、質問当時は、単位線分の長さを1とはできないという立場でしたが、alice_44さんの回答をヒントに、今では、1と表現できる、という立場に変えました。
そもそも、私がどうして1とできないと思っていたのかというと、たとえば、ものさしそれ自体でものさしそれ自体を「物理的に」測ることはできませんよね。
なぜなら、ものさしそれ自体とまったく同じものさしは存在しないからです。
形・大きさが同じでも、まさにそのものさしではない。
その感覚で考えていたので、1とはできないのではないか、と思ったのです。
しかし、数学は元々観念的なものですから、物理世界ではなく、観念世界で考えなくてはいけないと思い直しました。
そして、単位線分から長さだけを観念的に取り出し、それに着眼することで(この操作は極めて観念的なので、言葉だけで伝わっているか不安ですが)、単位線分の長さは単位長一つ分であると判断でき、よって長さ1であるという結論に至ったのです。
このように、質問当時と今とでは、考えが変わっています。

補足日時:2013/06/13 18:34
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

まず、はっきりさせておきたいことは、私の質問に対する回答者様の考えです。
私の質問は、「単位線分の長さを1とすることはできるのか」という極めてシンプルなものです。
まずは、できるかできないか、という回答者様の立場を明示してください。

私は、回答者様の話には概ね同意しています。
長さ1の1は個数(基数)の1だという考えには賛同しています。
回答者様は、「時間の数え方は物質の数え方に他ならない」と仰いましたね。
私の考えもまったく同じです。
その点に関しては、どこも対立していません。
ただ、非物質である時間について物質と同じ数え方ができると仰るのに、長さについてそれができないとするのはなぜでしょう?
私は、単位線分の長さに着目すると言いましたが、結局は、その長さを物質と同じように数えています。
単位長一つ分なら、長さ1。
単位長二つ分なら、長さ2。
という具合です。
時間は物質のように数えられるが、長さは数えられないとする根拠は何でしょうか?

>あなたのそのような表現できなさを仮にxという「長さ」で表したとしますと、
掛谷やベシコヴィッチの問題の数式のあらゆる箇所に、xを付けることになるでしょうが、
求められた比においてxを約せば、1xたるxはしょせん1ですよ。
「ここは長さxに対して√2xで、、、」なんて、xってそんなに大切でしょうか?
工学ならxを約したりしないでしょうがね。
抽象化ってこういうことではないですか。

その通りです。
ただ、その前提には必ず長さxがあります。
無意識レベルであっても、単位長さxの存在なしに、1という表現は成り立ちません。
なぜなら、1とは「何かが1ある」ということに他ならないのですから。
もちろん、数学では、物理学とは違って、単位量を限定しません。
メートルとか尺とかフィートなどのように、特定の量を問題にすることはなく、単に単位量ということで、抽象化して考えます。
仰る通りです。
対立していません。

>それは誤解です。単位「長」なるものでは「曲線」に適用されてしまうと述べたのです。
線分でなければ、あの掛谷の針になりません。

ですから、ここでは、単位「線分」の長さを単位長としているのですよ。
単位「線分」です。
曲線ではありません。

>長さって何のことですか?
楽しいと短くなったり、詰まらないと伸びたりするじゃないですか。

それは時間じゃないですか?
それも心理学的な時間ですよね。

お礼日時:2013/06/13 17:34

No.11です。



『しかし、メートルに関しては、同じwikipediaに、「メートルは、1 秒の 299792458 分の 1 の時間に光が真空中を伝わる行程の長さである」と記されており、「1メートル」とはなっていませんよ。』と説明されますが、その前提に基本単位の定義となっています。つまり長さの基本単位(=1と理解される)量は、量の呼称メートルであって(表記はmを用い)「メートル・・・・」定義される と理解されます。基本単位量の定義がされていると思います。

もともと『単位線分とは長さが1の線分である』という表現に違和感をもつ、と質問者が言われた のですが それに対して論理的には矛盾のない一つの定義になっている と申しあげたわけです。ただし その表現の意味は広がりのない無意味に近いものかもしれませんが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

どうも問題意識が共有できていないように感じます。
言葉には限界がありますから、自分が感じている問題意識を相手に言葉だけで伝えることはときに困難です。

つまり、「長さが1」とはどういうことか、です。
これ以上遡れないなら、定義として諦めるべきですが、「長さが1」という表現は更に遡れると思います。
その意味は、「基準とする長さ(単位長)一つ分」でしょう。
つまり、まず数の1があるのではなく、まず数ではない、量そのものがあるわけです。
数の1は、それが一つ分という意味に他ならないと思います。
その意味で、回答者様の説明では、1が数の1になっていないと思うのです。

お礼日時:2013/06/13 17:01

メートルをメートル単位で測れば、1メートル。


秒を秒単位で測れば1秒になることは、
単位の概念から自明であって、
メートル原器がメートルなのか1メートルなのか
など、悩むまでもない。原器はメートルであり、
だからこそ1メートルなのだ。
それは、定義の問題でも観念の問題でもなく、
表記の問題でしかない。
混乱のための混乱を作り出してないで、
シラフで考えることが大切。
自分の考えに酔ったら、哲学にしかならない。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私もそう考えるようになりました。

お礼日時:2013/06/12 21:15

6-7です。

9のお礼欄にこう書かれています。

> 単位長とすれば問題ないのではないかと思います。
> 単位線分と言ったところで、結局そこで問題にされているのは、その長さですからね。
> 線分そのものではなく、その線分の性質である長さを抽出して、そこに着眼しているわけですよね。
> 物質世界の感覚で考えてしまうから、「自分で自分を測れるか」というまさに物質世界の問題が
> 出てきてしまうんでしょうね。
> 長さという性質にだけ着目して、単位長とすれば、問題は解消されるのではないかと思います。

これは問題大ありです。
まず、長さとすると、曲線上の2点間にも適用されてしまいます。
直線上の2点によって有限になった対象は、線分というほかありません。

それから、線分の性質である長さを抽出して着眼しているのではなく、
あくまでも「線分そのもの」の「個数」を数えるから、
「物質的に」それを1と数え、
実際どんな長さであろうと、「長さが1」の線分と呼ぶのです。

紙に、直線で長い線分を引きましょう。
透明のフィルムを重ねてください。レイヤー状になりました。
透明フィルムに短い線分を引き、紙に書いた線分の左端にそろえてみましょう。

いろいろな透明フィルムに取り換え、いろいろな線分を長い線分に重ねてみましょう。

指の幅や、鉛筆の太さ、クレジットカードの短い辺など、なんでもいいのです。
だって、メートル法が決まるまで、王様の足で決めた線分だったのですから。
やがて18世紀末に赤道から北極までの距離を算出できるようになったので、
その距離を1000万で割った線分を使ったのですから。この線分が昔の1メートルです。

物質的なんです。個数の1なんです。そして、具体的な物質または、具体的な物質を等分した結果の個数の1なんです。
こういうこと、質問者さんには伝わりにくいですか?

この回答への補足

また、たとえば、時間についてはどうなんでしょうかね。
時間も明らかに物質ではありませんよね。
でも、時間に関しても、たとえば、単位時間を秒と定義し、それがいくつ分かで、1秒とか8秒という表現をしますよね。
単位長に着目することは問題だと仰いますが、単位長に着目することと、単位時間に着目することは、何が違うのでしょうか。
本質的には同じことだと思うのですが。

補足日時:2013/06/12 11:40
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>まず、長さとすると、曲線上の2点間にも適用されてしまいます。

はい、もちろん、「単位線分の」長さです。
「単位線分の」長さを単位長と呼んでいます。
言葉が足りなくてすいません。

>物質的なんです。個数の1なんです。そして、具体的な物質または、具体的な物質を等分した結果の個数の1なんです。
こういうこと、質問者さんには伝わりにくいですか?

いえ、伝わりにくいもなにも、私も初めから個数(基数)の1だと認識しています。
実は、哲学カテでもまったく同じ質問をさせて頂きまして、そちらも参照して頂けると助かります。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8125366.html

ただ、物質という点を強調されていますが、線分は物質ではありませんよね。
そもそも物質ではない、という点では、線分も、その性質である長さも変わらないのではないでしょうか。
また、線分それ自体に(物質的に)注目すると、私がそもそも問題にしている、単位線分の長さを数で表現できない(すなわち1とできない)という問題にぶち当たると思います。
その問題を回避するために、性質である長さに着眼することにしたのです。
こういう話は、とても観念的なので、哲学カテの方が盛り上がれたんでしょうが、ダブルポストということで、途中で運営側に締めきられてしまいました。
まあルールを調べずに投稿した私が悪いんですけどね。

お礼日時:2013/06/12 11:27

No. 10です。



(1)「国際キログラム原器の質量を1kgと定義した」は間違い表現とありますが ひとつの定義と思います。参考にwikipediaも同じ表現になっています。
(2)『キログラム原器とちょうど釣り合った物体の質量が「1kg」なのであって、キログラム原器自身について、1kgという表現は適用できないと説明されているんです。』とありますが その『・・・』のなかの釣り合った物体の質量がなぜ1kgなのですか、1kgとするところが (1)とは違う定義になっていると思います。1kg(単位kg)の定義がなければ物差しはできないでしょう。
(3)自己言及の問題を恐れて?おられるようですが 論理学の原則は自己言及の問題になります。kg原器の例では、kg原器が1(単位)kgであることを証明する ということだと思います。
(4)単位線分が単位(1)であることを証明する が自己言及問題とおもいます。ここで単位を1とすれば数字的空間が扱えるわけで AでもBとしても一向にかまわないと思いますが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>参考にwikipediaも同じ表現になっています

しかし、メートルに関しては、同じwikipediaに、「メートルは、1 秒の 299792458 分の 1 の時間に光が真空中を伝わる行程の長さである」と記されており、「1メートル」とはなっていませんよ。

>その『・・・』のなかの釣り合った物体の質量がなぜ1kgなのですか

キログラム原器の質量「そのもの」をkgと定義したうえで、他の物質の質量をその何倍かで測っていくわけです。
1kgは、単位質量1つ分という意味です。
何の矛盾もありません。
それに、あなたの考えだと、上に紹介したメートルに関するwikipediaの(というか国際的な)説明は、いよいよおかしくなってきますよ。

>kg原器の例では、kg原器が1(単位)kgであることを証明する ということだと思います。

これは定義の問題で、証明の対象にはなりえませんよね。

>AでもBとしても一向にかまわないと思いますが

そうですよね。
あなたの説明だと、1が数の1ではなくなってしまいます。

お礼日時:2013/06/12 11:14

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