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江戸時代の寺子屋の就学率は1850年頃で70~80%ほどで、1872年(明治5年)から学制により近代学校制度がスタートしましたが、1877年前後では就学率は30%に満たず、就学者の80%は一年以内な退学してしまうといった状況だったようですが、なぜ江戸時代の寺子屋の就学率は高いのに、明治時代初期の学校の就学率は低いのでしょうか?どちらも授業料は徴収していたはずなのですが…。
ふと疑問に思ったのでお願いします。

A 回答 (4件)

寺子屋の就学率70~80%は確かな数字ですか。



江戸の特定地域の数字だとかではないですか。

明治期の就学率については、全国平均のはずなので、そのような数字になるかと思います。

就学率は、明治期も、県によっておおきなちがいがありましたがーーー長野県が全国一ーー

ー特に、東北などは、気候の関係で貧しく昔から身売りなどが慣習的におこなわれていたこ

とは有名で、とても子供をお金のかかる学校に通わせるどころではなかったと思います。

地主等であれば別ですが(太宰治の家のように)。

また子供が就学できなかった理由の最大のものが、授業料ではなく、こどもが労働力だった

からです。都市部であればでっちとして奉公、農村部であれば、農作業に従事するなどの貴

重な労働力でした。そうする必要がない大きな商家の息子などが、ぼっちゃん、とよばれて

いたわけです。それ以外は、小僧です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。大変遅くなって申し訳ありません。
数字についてはネットのものを安易に信じてしまったので、反省の限りです。
私は歴史や文化の専門家ではないので、こういった深い話とても興味深かったです。ありがとうございました。

お礼日時:2013/07/13 14:49

http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bi …

自分の名前が書ける比率が
20%~60%と開きがある < 江戸時代前の蓄積の効果 ≒ 寺子屋に行った と考えると
明治期の就学率30%というのは、まぁ江戸時代の延長線にあると考えて良いのでは。

参考URL:http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bi …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。大変遅くなって申し訳ありません。
こういったことを調べて見ると歴史も面白味がありますね。ありがとうございました。

お礼日時:2013/07/13 14:51

まず明治期の就学率についてのデータですが文部省の統計によりますと


1878年の就学率が男児57%程、女児24%程、合計で41%程です。

一方江戸時代の寺子屋就学率は嘉永期の江戸で70~86%と推計されています。
これは当時世界的にみても非常に高い数字です。

ところが全国的な識字率を見るとは男性40から51%、
女性は15から21%になってしまうんです。
ということは全国的にみると寺子屋就学率はそれほど高くは無かったことになります。

ある推計では寺子屋の就学率を26.7%(男児43%、女児10%)としています。
この推計値は識字率から見て、そこそこの数字ではないかと思われます。

そうすると江戸時代と明治の就学率にはそれほどの差がなかったことになります。
明治のほうが少し高いかもしれません。ただし推計ですから誤差はあります。

どうやら全国的にみると江戸時代の寺子屋就学率には随分地域差があるようなのです。
就学率の高いのは都市住民だけかというと、そうもありません。
滋賀県のある村では嘉永年間の村民の就学率が90%を超えたとの記録もあります。

就学率の高低には生活上の余裕も大きな影響があったことでしょう。
入学者の80%が1年以内に退学するというのも地域差があると思います。
というのは文部省の統計は初年度入学者だけの数字ではありませんから
全国的に80%が一年以内に退学していては40%にの就学率にはなりません。

当時の西日本は概ね豊かでしたから就学率も高かったようです。
江戸時代末~明治期には村々に農村歌舞伎の小屋が建っています。
子供を学校にやれないような貧しさではありません。
金のかかる遊びに費やす余裕がありました。

自作農の比率も高かったのです。
当時の東北農民には信じられないことだったでしょうが、たった五反の田があれば
自作農としてカツカツやっていけたのです。

少し脱線しましたが、江戸時代と明治初期の就学率には大きな差はなかった。
ただしその就学率には地域差が大きかったというのが私の回答です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。大変遅くなって申し訳ありません。
ものすごく細かくわかりやすい文でした!参考にさせていただきます。

お礼日時:2013/07/13 14:52

明治初期には、 江戸期の寺子屋も存続していました。


ただし学校に近いカリキュラムが徐々に取り入れられています。
「学校」 には行かず、 寺子屋に通っていた子供もまだまだいたのです。
「大寺学校」 という戯曲がありますが、 これは当時の、 まだ認められていた寺子屋から発展した私塾を描いたものです。
他の方がおっしゃっている、 就学率ももちろん重要データですが、 公立の 「学校」 ではなく、 寺子屋が中身を改めていった私塾に通った子供もたくさんいたことも、 就学率を考える上では知っておく必要があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。大変遅くなって申し訳ありません。
なるほど「私塾」ですか。参考になります。ありがとうございました。

お礼日時:2013/07/13 14:53

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