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歴史上で番狂わせな出来事を教えてください。
マイアミの奇跡のようなスポーツのものや、昔の戦争、合戦など、なんでも構いません。

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A 回答 (6件)

<西洋史>



・レウクトラの戦い
古代ギリシアで無敵の無双であったスパルタ軍を相手に歩兵の数で劣っていたにも関わらず勝利。古代ギリシア史はあまり詳しくないですが、他にスパルタ軍が敗北した戦いってあるのかしら(映画「300」の元ネタになったテルモピュライの戦いは圧倒的多数の敵に押しつぶされたもので、同数以下の敵に敗北を被ったのはレウクトラの戦いのみのはずです)?

・イッソスの戦い
アレクサンドロス大王に率いられたマケドニア軍はおよそ3万。一方のペルシア軍は10万だったといわれています。アレクサンドロス大王伝説の戦いですね。

・カンナエ(カンネー)の戦い
当時のローマ軍は今でいえばアメリカ軍のような近代的で最強の陸軍。一方のハンニバル率いるカルタゴ軍は、カルタゴ軍というより反ローマ連合軍ともいうべきはっきりいって烏合の衆。この戦いで文字通りにローマ軍は壊滅。世界中の戦いでも、よく敗北側が全滅という表現がされますが、実際には敗北側は四散しているもので本当の本当に全滅するってことは滅多にないのですが、この戦いは本当の本当にローマ軍は全滅しました。「人類の歴史において、これを上回る勝利を納める戦いはないだろう」といわれています。古代史に燦然と輝くローマ帝国(当時は共和政ローマだったけど)の歴史において、唯一本当にローマが滅亡しかかりました。

・ジャンヌ・ダルク
存在そのものが番狂わせといってもいいんじゃないかしら。フランスが超絶に不利だった百年戦争でフランスからイングランド勢力を一掃できたのは彼女の存在を抜きにして語れないでしょう。文字通りの「神がかり」。田舎に生まれたひとりの少女が、カリスマ性ひとつで世界史を変えました。

・ナポレオン・ボナパルト
この人も存在そのものがチート。不世出の軍事の天才。軍事システムというか、戦争のスタイルというか、そういうものをたった一人で根底から変えてしまいました。史上最強の戦術家を三人選べとなったとき、エパミノンダス(レウクトラの戦い)だアレクサンドロス(イッソスの戦い)だハンニバル(カンナエの戦い)だ韓信(背水の陣)だと出るでしょうが、そのうちの一人であることは外せない。

<中国史>

・劉邦
「百戦して百敗したが、肝心のたったひとつの戦いで勝利したために皇帝になった」といわれるくらい番狂わせ。負け続けたのは後の三国志の劉備もそうだけど、劉備は天下を取れませんでしたしね。

・井陘の戦い
その劉邦に仕えた韓信の有名な戦い。「背水の陣」の語源になった戦いです。

・毛沢東
中世中国史に詳しくないので一気に時代が飛びますが、元々はゲリラの隊長みたいなもんで、戦えば日本軍はもちろん国民党軍にも鎧袖一触されるような土豪の衆を率いて最終的には中国全土を統一しちゃいました。あの絶対ひとつにまとまりそうにない中国人をひとつにまとめちゃったんだから、並大抵の人物ではありません。文化大革命で自国民をあんなに殺したのに失脚はもちろん反乱さえ起こさなかったってどういうこと?身分低いところから登りつめたといえば明の太祖(朱元璋)がいますけど、私が生まれたときに生きていた歴史に永遠に名を残す人物だということで。

<日本史>

・千早城の戦い
日本史は回答者が多いと思いますので、この戦いだけを。わずか1000人の手兵で籠って、百万(と誇張したくなるくらい)の大軍を相手に勝利。普通、戦争から人質事件に至るまで、籠城側が籠城という戦術のみで勝利するというのはあり得ません(河越城の戦いなどにしても、外部から救援の部隊がきている)。長引けば攻城側が必ず勝利するのに、その攻城側が根底から士気を失うほどのダメージを与えました。

<番外編>

・UEFAチャンピオンズリーグ2004-2005決勝
マイアミの奇跡も奇跡だけど、あくまでローカルニュース。世界で最も注目を集めるチャンピオンズリーグの決勝戦で、しかも相手がACミランで3失点したところから勝つなんて、ねえ。ちなみに私、この試合の中継をテレビで見ていたのですが前半終わって3-0になったところで「ミラン相手に3点じゃ絶対追いつかねーや。決まったな」と眠かったので寝てしまいました。嗚呼もったいないことをしたもんだ。
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madogiwa7 さん、こんばんわ。




僕はこれを挙げておきます。モントリオール男子体操団体5連覇です。日本の体操選手が病気やけがで欠場が続く中、5人の選手が必死で頑張り勝ち取りました。



詳しくは、このURLを参照してください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3% …


合戦は三国志の赤壁の戦いです。

魏軍100万を孫権、劉備連合軍数万が破った戦いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2013/09/15 21:23

承久の乱


源平合戦
川越の夜襲
第三次川中島合戦
桶狭間の戦い
長篠の戦い
本能寺の変
山崎の合戦
関ヶ原の戦い
大坂夏の陣
由井正雪の乱
島原の乱
戊辰戦争
太平洋戦争
細川連立内閣発足
郵政解散
ジョホールバルの歓喜
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2013/09/15 21:23

日清戦争も、日露戦争も、当時の(欧州の)常識的な視点からは、番狂わせでしょうね。

それで調子に乗っていったんだけど、対米戦で3匹目の泥鰌は居なかった。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2013/09/15 21:24

本能寺の変

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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2013/09/15 21:22

桶狭間の戦い

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Q番狂わせに終わった過去の戦争の例

 第三国から見て『番狂わせ』に終わった戦争には、どんな戦争がありますか、教えてください(負けるだろうと思われていた国が勝った例)。
 日清、日露もそうだと言われていますが・・・。

Aベストアンサー

こんにちは、第三国というよりも、私個人から見ての『番狂わせ』ですが、

【1】先ず私は、ペルシア戦争あたりの時代にアテナイが直接民主制になってからの、ポリスとしての急成長ぶりに驚きました。

それまで弱小国だった国が直接民主制を手に入れるや、「自由のため」というだけの理由で(生まれながらに、民主主義にの国に生まれていると、ありがたみが分かりません)突然戦争に勝ち始めた事です。

(1)そこで、やはり番狂わせだった戦争は、『ペルシア戦争でした』
自由の為に戦い、ペルシア軍を挟み撃ちにしたとはいえ陸地での多勢に無勢を相手に、、、まさかの『マラソンの戦い』で勝利するとは思いませんでした。

逆に、その後の「サラミス海戦」では泳げないペルシア人相手に、相手方の船をぶっ潰す戦法で、戦いに勝っちましたが、これはなんとなく予想できました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%88%A6%E4%BA%89

(2)しかし、なによりも一番驚いたのが、「ペロポネソス戦争」です。

民主主義の為、自由の為に戦い、「貴族制の国相手に無敵の強さを誇っていた」ように見えたアテナイが、スパルタに負けた事です。

何故、旧来の寡頭政のスパルタ兵が、自由と民主制を背負い精神力で無敵の強さを手に入れたアテナイ兵に勝てたのか、未だに不思議です。

もちろん精神力だけで、戦争は勝てるものではありませんが、、、ペルシア戦争なんて、精神力だけでペルシア相手に勝ったようなものだと私は思いますし、、、本当に不思議です。 それにしてもスパルタ人は何故あんなに強かった、、、。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%8D%E3%82%BD%E3%82%B9%E6%88%A6%E4%BA%89

【2】戦争といえるかどうか分かりませんが、やっぱり「ええ??」と驚いた軍隊は、「アナバシス」に出てくる「ギリシア傭兵団」です。

クナクサの戦いで雇い主のキュロスがあっさり戦死してから、帰国するまでの間に、沢山の襲撃受けたり、戦いをしながら帰国するのですが、、、よくもまあ、全滅しなかったなぁ~。 と感心せずにはいられません。 誰も生きて帰って来るとは思わなかったでは、、、と個人的には思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%90%E3%82%B7%E3%82%B9

では、失礼します。

こんにちは、第三国というよりも、私個人から見ての『番狂わせ』ですが、

【1】先ず私は、ペルシア戦争あたりの時代にアテナイが直接民主制になってからの、ポリスとしての急成長ぶりに驚きました。

それまで弱小国だった国が直接民主制を手に入れるや、「自由のため」というだけの理由で(生まれながらに、民主主義にの国に生まれていると、ありがたみが分かりません)突然戦争に勝ち始めた事です。

(1)そこで、やはり番狂わせだった戦争は、『ペルシア戦争でした』
自由の為に戦い、ペルシア軍を...続きを読む

Q国内歴史上の5大出来事(事件)

歴史上で世の中がコロっと変った5つの出来事(事件)を挙げてみました

1 大化の改新(645年)
  蘇我氏など豪族支配から天皇中心の政治に

2 鎌倉幕府の成立(1192年)
  武家社会の始まり

3 本能寺の変(1582年)
  最高権力者が倒されやがて豊臣、徳川時代へと続く

4 明治維新(1867年)
  武家社会の終焉
 
5 終戦(1945年)

こんな感じでいいでしょうか?
追加や削除などがあればお願いします
  

  
  

Aベストアンサー

こんにちは。
質問者様のご趣旨に沿っているか分かりませんが、回答者が好きに出来事を
挙げていいものと勝手に解釈して、他のも書いてみますね。

「コロっと」という部分を重視してみました。

●源平合戦
 幾つもの戦場がありますが、前半のほうでは、世の中の人々は「平氏は
 圧倒的だから、まあ勝つでしょ」と思っていました。
 でもあまりに負け続けるものだから、途中から「どうもこれは雲行きが
 怪しそうだぞ」という見方に変わっていったと思います。
●平泉の陥落
 朝廷、鎌倉、平泉という三つ巴の均衡が崩れた瞬間でした。
●元寇 弘安の役
 いわゆる神風が元軍を退けなければ、日本の歴史は全く違ったものになって
 いたかもしれません。
 日本は占領されなかった、つまり世の中は「変わらなかった」という結果ですが、
 順当に考えれば「変わっていたはず」だとすると、この結果はまさに幸運でした。
 また、元寇は外的な要因です。
 その後に発生した恩賞としての土地の不足が幕府の不安定化に一役買ったと
 いうのも、幕府からすれば、不確実なリスクが突然に顕在化した出来事だった
 でしょう。
●応仁の乱
 ある日突然、都が戦場と化し、焼け野原に。
 戦乱は全国に飛び火し、戦国時代に突入。
 様々な背景はあったにせよ、青天の霹靂でもあったでしょう。
●桶狭間の戦い
 信長が今川を破ったことは、大方の予想を裏切る結果で、センセーショナル
 でした。
 義元は上洛を目指して、というよりは予定していました。
 また、この戦いで信長が命を落としていれば、その後の歴史に大きな影響が
 あったであろうことは、説明不要でしょう。
●黒船の来航
 これも突然の出来事でしたが、開国を強要されるとともに、幕府では外国の
 力に対抗できないことが、白日の下にさらされました。
 みんなにバレてしまいました。
●高度経済成長
 短期間でした。

いかがでしょう?

なお第二次大戦などはあえて書いていません。
内容が膨大、複雑すぎますので…。

こんにちは。
質問者様のご趣旨に沿っているか分かりませんが、回答者が好きに出来事を
挙げていいものと勝手に解釈して、他のも書いてみますね。

「コロっと」という部分を重視してみました。

●源平合戦
 幾つもの戦場がありますが、前半のほうでは、世の中の人々は「平氏は
 圧倒的だから、まあ勝つでしょ」と思っていました。
 でもあまりに負け続けるものだから、途中から「どうもこれは雲行きが
 怪しそうだぞ」という見方に変わっていったと思います。
●平泉の陥落
 朝廷、鎌倉、平泉という三つ巴の...続きを読む

Q関ヶ原の戦いでもし(IF)小早川秀秋が裏切らなかったらどうなってた

関ヶ原の戦いでもし(IF)小早川秀秋が裏切らなかったらどうなってた

小早川秀秋がもし東軍(家康側)に寝返らなかったら関ヶ原の戦いは西軍(石田三成側)の勝利となっていたのでしょうか。
小早川秀秋は家康から寝がいりを要求する手紙をもらっていたらしいのですが。
もし寝が入り、の決断をできなかった、もしくは家臣に反対されて西軍を裏切らす東軍と戦ってた場合

関ヶ原の戦いの結果はどうなっていたのでしょうか
あと裏切りという作戦を家康が立てていたのですが
裏切ってくれなかったとしたときのために
家康は何か策でも立てていたのでしょうか

皆様の考えをどうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 関ヶ原の戦いのポイントは、戦いの前に岐阜城が落とされたことにあります。ここで西軍の主力の一つの織田が全滅しました。そのとき西軍主力の宇喜多は、伊勢にいました。石田は、岐阜城の重要性に気がつかないで織田を見殺しにしています。その間、戦略をたてに大垣と佐和山を行ったり来たりしています。
 そうして濃尾平野の重要部分を徳川方に押さえられて
関ヶ原を迎えます。
 もひとつは、島津義弘の軍が、正規の部隊でないことだと思います。島津軍が、1万人くらいの戦力で司令官になって作戦指揮していたら家康も無謀な関ヶ原の野戦にでることはなかったでしょう。義弘の朝鮮の役の活躍や関ヶ原以後の対島津の扱いから見ても誰もが納得できるでしょう。
 後一つは、立花宗茂がいたらです。小早川を大津に残し立花を関ヶ原につれてきていたら、宇喜多と立花、島津と並んでいたら、西軍の勝ちになるでしょう。
 といっても、石田は、小早川に(関白)を約束していたので決戦場にいないわけにはいきませんね。結局これも実現の可能性はゼロです。
 ただ、一つ重要な点は、徳川軍本体は強かったかと言うことです。秀吉に対抗した当時までは、徳川は最強でした。でも、関ヶ原前の20年くらいは大きな戦争もなく人数はともかく経験不足でとても精強とは言えない武士団でした。もし、徳川本体が戦って強くないことがばれたら本当に大変なことになるところです。
 いろいろな書籍を読んでみてもホントにうまく進めた物です。家康という人物の戦略眼と組織作りは見事です。最終勝利者というのでしょうね。参考になります。

 関ヶ原の戦いのポイントは、戦いの前に岐阜城が落とされたことにあります。ここで西軍の主力の一つの織田が全滅しました。そのとき西軍主力の宇喜多は、伊勢にいました。石田は、岐阜城の重要性に気がつかないで織田を見殺しにしています。その間、戦略をたてに大垣と佐和山を行ったり来たりしています。
 そうして濃尾平野の重要部分を徳川方に押さえられて
関ヶ原を迎えます。
 もひとつは、島津義弘の軍が、正規の部隊でないことだと思います。島津軍が、1万人くらいの戦力で司令官になって作戦指揮し...続きを読む

Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む

Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む


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