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麻生副総理のナチス発言について全文(http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201 …)を何度か読み返してみたのですが、国語的に解釈する場合、これは反語でしょうか?

私の理解は、前文で、喧噪の中で誤った方向に憲法を変える大失敗をした。と言っており、だから、我々も喧噪の中でやろう。では意味が通じませんので、言いたいことは、反語となり、喧噪の中でやってはならない。もっと冷静に考えようという意味に取りました。

ただ、例えば毎日の社説(例えばhttp://mainichi.jp/opinion/news/20130802k0000m07 …など)では、後半のみ引用されており、本当にただの勘違いで記事が出回っているように思えます。しかし、プロの報道ですし何故このようなことになっているのでしょうか?

ちなみに、私自身は、ノンポリで特に麻生さんを応援しているわけではありません。
単純に、今回のニュースの解釈と伝播(特に海外では上記解釈が多い)に違和感を持ったため質問させていただきました。

宜しくお願い致します。

A 回答 (17件中1~10件)

まず反語は無い。



>プロの報道ですし何故このようなことになっているのでしょうか?

 ただ単にヒットラーが作ったナチス憲法を例に出したんでスクープにしただけだと思います。
その部分だけ抽出しないとインパクトが無いからです。上段の記事をそのままニュースにした場合、「麻生さんがナチスを持ち上げたぞ!」というインパクトが薄くなる
 下段の書き方なら「なんてこと言ってんだ!麻生め!」という感じになってインパクト残るでしょ?
報道陣なんてそんなもんですよ。
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反語は、「○○ではないでしょうか」というフレーズが使われるのが通常です。


特定のフレーズが使われたときのみ反語として解釈するということにしないと、すべての文が反語として解釈できるようになってしまいます。
しかし、彼の文章には反語特有のフレーズが使われていません。そのため、前半と後半で言ってることが真逆になっているような印象が受けられます。本当に反語であるならば「○○ではないか」という表現を使うべきです。
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ナチスはドイツ国民をないがしろにし、ユダヤ人を大量虐殺した悪の権化。

学ぶなどとんでもない。言語道断です。議論の余地なし。麻生は即議員辞職させるのが日本国政府として当然です。
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わたしは国語の偏差値が関東圏で83ありましたが、麻生氏の発言はじつに奇怪です。


麻生さんは、「静かにやろう」と言う主張のもと「ある日気付かないうちに変わったナチス憲法」という不穏かつ不勉強な例を出しましたね。
補うとすれば、以下のようになります。(以下補足 by amaguappa)

 " だから、(まわりの世論は)静かにやろうやと。
  憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。
  (ドイツの国民の狂騒にあおられているうち)だれも気づかないで変わった。
  あの手口(にマスコミュニケーションの恐ろしさを)学んだらどうかね。
  (マスコミは今)わーわー騒がないで。
  本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。
  (多数決の民主主義的なのがいちばんよい方向へ行くというわけではないんだ)"

彼としては、まわりの世論が静かであれという意味でした。しかしこの「静かに」は、改憲を静かに遂行する、という意図に取られたようです。
この齟齬の原因は、人々にとって、世論が静かであることがナチス憲法の誕生に加担したという脈絡は想像しにくいのに比べ、改憲を静かに遂行することはナチス憲法の誕生にうまく働いたと想像しやすいからでしょう。もちろん、卑怯な手段で議会を乗っ取りあっという間に通すのを、静かにとは言いませんけれどもね。「気づかない」という言葉が「静かに」の意味を牽引しやすかったかもしれません。

麻生さんは、〈密室で〉喧々諤々とやるのを冷静な議論とし、マスコミに浮かされて世論が「わーっとなったとき」の騒ぎを狂騒の中の議論としています。つまり雰囲気が気に入らないという話ですね。

 " 私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。"

しかし〈密室で〉冷静な環境となっても、50~60代の人はお喋りが足りないと麻生さんは考えていますから、世論やマスコミには静かにしてほしいけれど、〈密室で〉静かなのは問題視しているということですね。

 " 若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。
  一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。
  私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、
  ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。
  記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。
  この人たちの方が、よほど(おれと)しゃべっていて(おれは)現実的(だと感じる)。
  50代、60代、一番頼りないと思う。(おれと)しゃべっていて(頼りなく感じる)。
  おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構(お互いによく)しゃべる。
  しかし、(50代60代は)そうじゃない。 "

そういうわけで、

 " 憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。
  どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。
  べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。
  そういった思いが、我々にある。
  そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。
  30人いようと、40人いようと、極めて静かに(=静かな環境の中で冷静に)対応してきた。
  自民党の部会で怒鳴りあいもなく。
  『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。
  偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、
  偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、
  『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところ"

〈密室〉はこのような空気で喋りあってほしいという話ですね。
しかしひどいですね。麻生さんの言語運用力が。
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麻生氏を忖度すれば、



『憲法改正については 自民党案は党内では喧々諤々議論の上つくった。が憲法改正についてはヒットラーの例のように民主的議会のなかでナチ憲法に改正される場合もある。だから国会議員の選挙では候補者の思考、言動などよくよく吟味して慎重に選んでほしい。マスコミ、中国、韓国などの騒ぎたてのなかで決めてほしくない。マスコミ、中国、韓国の反日本喧騒を排除した 静かな環境のなかで よくよく自民案を吟味し、議員も吟味してほしい。それとも ナチ憲法は 内外の喧騒のなかで だれも気がつかないうちに変わった。そのような喧騒のなかでナチ手口をまねて日本ナチ憲法を作ってみますか(そんなことをしたら大変でしょう)。』
と言いたかったのではないかと。

ところが
『・・・・・韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。・・・・・』
と発言しており、ナチスは 静か(喧騒ではなく)に進行させた結果憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。』と理解されたということです。静かに行えば憲法改正ができるということです。

反語ではなく 喧騒排除=静か=>ナチ改憲=>改憲OKの意味にとられても仕方のない表現になっています。
この麻生氏の表現力は国会議員としては問題だと思います。ほかにも喧々諤々は静かでOK、喧騒は騒がしくNOとかナチ憲法(全権委譲法の成立は喧々諤々の国民的議論を経てない)とか不正確な表現になっております。前の踏襲問題からして 問題脳のように思われます。
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1)憲法はよくてもナチス(わるもん)が政権を取ったりする。

そういうことはある。
2)憲法改正は静かにやりたい。わーっとなった狂騒の中でやってほしくない。
3)静かにやろうや。だれも気づかないで憲法を変えた、ナチスの手口学んだらどうかね。

ナチスは悪いけれども、ナチスの手口には学ぶべきものがあるんじゃないかね。
ええ? どうですか、そうじゃないですかみなさん、と言ってるのでしょう。
反語とは思えないですね。
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全文を読んでみても、反語と理解するのは困難です。



本人が弁明しているように、「憲法改正は喧騒の中で進めるべきではない」ということを主張するのであれば、それは「憲法改正は冷静に議論を進めるなかで行うべきだ」ということです。「しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。」と述べているのはこの趣旨だと思われます。

そうだとすれば、「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」という発言には結びつきません。

事実認識が正確か否かは別にして、麻生氏が理解しているナチスの手口が、「(憲法が)だれも気づかないで変わった(変えた)」と言うことであれば、それは「喧騒の中で進める」例でもなければ「冷静に議論を進める中で行う」例でもないので、そのままの意味でも、反語の意味でも主張を補強する例にはなり得ないからです。

なおご質問の「私の理解は、前文で、喧噪の中で誤った方向に憲法を変える大失敗をした。と言っており」とはどのようなことでしょうか、麻生氏は「今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。」とは言っていますが、「喧噪の中で誤った方向に憲法を変える大失敗をした」とは述べていません。麻生氏は自民党が改正草案を作成した時については「30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。」と冷静な議論を自賛していますし、ナチス政権下のドイツは「だれも気づかないで変わった。」例です。

高校の世界史の教科書には「ナチス新政府は、1933年2月の国会議事堂放火事件を共産党の陰謀としてこれを弾圧し、3月に成立した新議会で、以後4年間政府に独裁権を与える法律(全権委任法)を可決し、他の政党を解体または解散させて強力な一党独裁体制を確立した」とあります。(山川出版社 「詳説世界史」)国民が気づかないうちに憲法を変えたのではなく、強引な手段でそれまでのワイマール憲法を無力化し、権力を掌握したのです。

この史実を麻生氏が正確に理解した上で今回の発言を行ったとは思えませんが、ナチスを引き合いに出したことによって、国内外の多くの政敵に「麻生氏(自民党)は、ナチスのような手口で憲法改正を行いたいと内心では願っているのではないか」と批判する理由を与えてしまいました。またそれだけでなく、日本のトップの政治家の歴史理解(あえて歴史観とまでも言えない段階)が、他のほとんどの国の指導層の理解とは著しく異なっているのではないかという懸念も諸外国に広めてしまう結果になったのではないかと危惧します。
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#8ですが、ちょっと補足しておいたほうが良いかもしれません。



麻生さんは、「喧々諤々」を「一生懸命、しかし冷静に論議する」という意味で使っています。
以下の抜粋部分を確認していただければ、そのことは明白でしょう。
『 この人たち(若いひとたち)の方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。

 しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。

 そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。』

しかし、実際には「喧々諤々」は騒がしく議論する様を表わしますから、彼はこの四字熟語を誤用していることになります。
この点は踏まえておく必要があります。
いずれにせよ、彼の言っているのは、仲間内では大いに議論を交わすべきだが、護憲派(反対派)はうまく丸め込むとか、避けるとかして、国民的な(静かではない)大議論になるようなことは避けるべきだ、と言っているわけです。
そして、その手法としてナチスに学んだらどうかね、と言っています。
「手法」ではなく「手口」という表現を巧まずして使っているあたりも、彼の思考形態がよく表われています。
おそらく正直な方なのでしょう。
形だけでも論議さえすれば、民主主義は維持されているという貧弱な発想が憐れではありますが。
こうした彼の処遇をどうするのか、で日本の民度が問われるわけですが、現在の日本ではまだまだ・・・なのかもしれません。
何らかの目的を果たすためには、多少の(あるいは、自分に関係なければ、いくら大きくとも)犠牲を払うことになっても仕方ない、というのは、日常的に我々の良く見聞きする姿勢でもあるはずだからです。
その意味で、厳密には、彼だけを責めることはできないのかもしれません。
この国民にして、この政治家あり、といったあたりが案外真実なのでしょう。
     
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「喧騒の中で決めたくない」と言っているのですね。



つまり反対意見がわーっと言われる状況をこういう風に感じているんだと思います。
(たしかに人を非難したり批判したりという議論は熱くなればお行儀が良くない、しかしそれぞれの立場から見れば当然とも思える。政治的な論議や対立というのはどうしてもそういう面を持っている物だと思う。麻生さんや与党ももし自分が何か相容れないものに面したら同じような態度をとるに違いないのです。)

ですから麻生さんとしてはなんとか喧騒の中ではなく、反対意見など出す機会は制限して粛々と進めたい。なるべく(喧々諤々の)議論を避けたい。そういう気持ちが素直に出てしまったんでしょう。

なおヒットラーは選挙で選ばれておらず、「全権委任法」(お調べください)で反対派の政治活動を禁止したうえで選挙を行うことでナチスは政権を掌握していますから、前段で麻生さんが述べている歴史認識“ナチスは公正な選挙で選ばれた多数派”はかなり偏っています。
ですから前記のように「喧騒を避けたい=議論はなるべく無しにしたい」と解釈するとぴったりとつじつまが合うのです。私もちょっと驚きました。
あるいは反対意見が頑強であることをかなりプレッシャーに感じているのかもしれません。
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#5です。



補足していただきありがとうございます。
おっしゃることはよくわかりました。
>麻生さんは「憲法が素晴らしくても、ヒトラーは生まれてしまった。」とヒトラーを全否定しているように読みました。

たしかに麻生さんはヒトラーを肯定しているわけではありません。
ただ、その部分で彼が言いたかったこと、つまり要点は、「だから、憲法を変えるとダメ、という考えは意味がない」ということだと思います。
仮に現在の憲法が素晴らしいものだとしてもナチスのような憲法が出てこないとは限らないのだから、という理屈をワイマール憲法を例にして述べているわけでしょう。
むろん、改憲後も自民党がちゃんとしないと間違った方向に行ってしまうから注意する必要がある、といった意味も含まれているでしょうが、今回の彼の発言に関しては、それはあくまで枝葉の要素です。
この前半の要旨は、『改憲という行為によって政治の善し悪しが決定されるわけではない(だから大いに改憲を促進していこうよ)』ということなのです。

こうした前提で、では、どのように改憲を進めていけば良いか、という手法に移行していきます。
麻生さんは、そのためには大いに話し合うべきだ、と言っています。
しかし、護憲派は話し合う前に感情的になって憲法改悪反対と言うばかりで話し合いにならない。
そんなことではいかん、というのが、「50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです」という発言部分だろうと思います。
つまり、こうした護憲派やマスコミなどが喧騒を巻き起こしているのであり、これに引きずられないようにする必要がある。
そのためには、ナチスがワイマール憲法を気付かれないようにナチス憲法に変えた手法を見習ったらどうかね。
と言っているわけです。
麻生さんの言っていることに矛盾はありませんし論理的です。真意も十分に伝わってきます。
ただ、最大の問題点は、ある目的(改憲)を達成するためには、どんな手法(ワイマール憲法を国民に気付かれないようにナチス憲法に改悪したような手法)を使っても良い、という彼の本音が透けてしまっていることですね。
機敏な仕事の動作を従業員に教えるのに、「空き巣はわずか3分で仕事を終わるんだよ。ちょっと見習ったらどうかね」と言っているようなものです。
いくら前段で「空き巣など犯罪はよろしくない」と言っていたとしても、本当にそうは思っていない、ということがこうした発言で露呈していることは明白でしょう。
つまり、本当に良くない、とは思っていないことになります。
真意であり、誤解でもなんでもありません。
表現とはそうしたものです。

つまり、彼の論理展開は以下のようになるでしょう。
1.
ワイマール憲法のような優れた憲法下においてもナチス憲法のようなものが台頭し得るのだから、護憲か改憲かで論議するのは無意味である。
だから、希望通りの憲法に改憲することを前提にしつつ、その内容に関してこそ十分論議すべきだ。
その憲法が良いものになるか悪いものになるかは、その後の政府がどのように運用していくか、という問題になるのであり、憲法を変えなければ(むろん憲法を変えてもだが)良い政治ができるというわけではないことは歴史が証明している。
2.
次に、改憲論議の進め方に関しては、喧々諤々、多数の納得が得られるように十分に行なわれるべきだが、あくまで静かに進められるべきだ。
護憲派(あるいは一部のマスコミ)のように何でも感情的に改悪反対を言うばかりでは話にならない。
改憲を実現させるためには静かに進行させることが大事なわけだが、ワイマール憲法が、誰も気付かないうちに、いつの間にかナチス憲法に変わった、というあの手法を見習ったらどうかね。

麻生さんの言いたいことの骨子は、こうなるでしょう。
先の空き巣の例と比較参照していただくとわかりやすいと思うのですが、彼が、ナチス憲法を本当に悪いものだと思っていないことは明白であり、そこが批判の対象になっているのだと思います。
例にあげたことが問題なのではなく、例にあげることに抵抗がなかったという、その思考形態自体に問題があるわけです。
撤回しても、その本質が変わるわけではありません。
本当に理解を得たいのであれば、そうした思考形態自体に関して自己批判する必要があると思います。
むろん、それが正しいと思うのも個人の自由ですが、「真意ではなかった」などと嘘をついたり、小手先の表現で国民を欺こうとするのはよろしくありません。
   
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