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元自衛官の方の書かれたブログや書籍を読むと「普通の国」や「戦前の日本」では軍人の地位が高かったらしいのです。何か功績のある英雄というわけでもなくただその地位にあるというだけで昔の軍人は世間では尊敬されたらしいのですが、その尊敬の程度ってどれくらいでしょうか?
「普通の国」や「戦前の日本」で幹部以上の階級にある軍人がどういう特権を持っているのか、医者や弁護士、高級官僚、そのほか社会的地位の高いエリート的な職業と比較してかつての士官の序列はどの位置にあったのか、わかるところだけでいいので教えてください。

A 回答 (7件)

大正、昭和初期、日中戦争激化まえ、という、戦争が切羽詰まっていない状況での話ですが、陸軍限定で、まあ漫談です。



陸軍は各地方に地元の連隊をもっていました。東京なら麻布と本郷です。

各連隊の佐官、少佐より上が管理職でして、大佐の連隊長となると地元の名士となり、町長、村長、校長、警察署長、と同じくらいだと思っていただければまちがいありません。
連隊長の官舎はそういった地元の名士を集めて盆暮れ正月の宴会ができる広間がありました。そのような席には地元の新聞なども「時局について一言」なんてやってきますし、立派な「陸軍省の官僚」なのですから、このくらいになると軽んじられはしません。直下の部下である佐官も、やや同様です。

尉官になると、下は士官学校卒業したての二十歳そこそこから、上は佐官直前の30半ば過ぎまでいましたが、ややイコールで、いまの大学卒業して一流企業に就職したサラリーマンだと思っていただければ合っています。新入社員から課長クラスまでですね。

下士官で、軍隊生活で一生を送る人は、学歴はないけれど腕の立つ職人さんみたいな扱いです。

兵隊さんは地元で徴兵された人がほとんどですから、自分の親族が連隊にいる、というのは珍しくないことでした。自分の親族・知人が、現代の消防団、自警団、警察巡査の一員をしている、とおもっていただければ、おおむねまちがいありません。

意外と平和ですが、軍隊が動くようなトラブルがあるほうが異常なことは、新旧問いません。

ただ、海軍の人は軍港の周辺にしかいないので、普通の人、たとえば東京の人でも日常目にすることは、霞が関の海軍省ような、海軍関連施設近辺くらいでした。
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N04さんが少し触れておられますが。

「昔」といっても時間(時代)の経過で変わってきます。
明治維新直後は、維新の功労者が武官として上流社会では比較的大事にされていましたが、一般の兵隊さんは、いわゆる食い詰め人が大多数で、相当バカにされていたようです。武士だった人やその子弟は兵隊さんにはなりませんでした。
日清戦争のころから、少しづつ尊敬されるようになり、日露戦争で一躍郷土の名士となりました。今でも古いお寺へ行くと兵隊さんの階級では下の人でも、郷土の誇りとして巨大な石碑が残っています。誰の子供で何処で名誉の戦死をしたかと、仰々しい文章で掘られています。
士官学校とか、陸軍大学とか、高級将校を養成する学校の人気が高くなりましたが、帝国大学や高等学校生からはあまり評価されていませんでした。
満州国建国、日中戦争(支那事変)など国際情勢のひっ迫に伴い政治の世界で軍部の発言力が強くなると同時に近代化が進み、飛行機や軍艦に憧れる子供達が増えて人気が出てきました。
社会的に軍人さんが我が世の春だったのは、昭和の初めごろでしょうかね。
お医者さんは日常生活では頼りになる人でしたが、医学部へ進学する人は少なく、数学がだめだったから医学部へ入学したなどという時代でした。医学部がエリートになったのは、昭和30年代後半ぐらいからですかね。
弁護士さんは、難しい本を沢山読んでいる偉い人という感じでした。(庶民にとっては雲の上といった感じですかね)
政治家や成功した実業家が一番いばっていました。(今よりは政治家は大事にされていました)
国民を守るというよりも戦争そのものが目的のように考えていた集団ですから、相当に荒っぽく庶民も触らぬ神に祟りなしということで、本当に尊敬していたかどうかは良く解りません。
特権も無理やり強奪したようなものでした。法律的に認められていた訳ではありません。
第二次世界大戦以前の小説や、色々な人の日記などを読むとなんとなく朧げに見えてきます。(学校の教科書とは少し雰囲気が違います)
こんな本もあります。庶民感情がよく判ります。
おせい&カモカの昭和哀惜 田辺聖子著 誰か戦前を知らないか 山本夏彦
こんな歌も残っています
可愛いスーチャン you tube で聞いてみて下さい。makkisakamaという人の投稿に歌詞も書いてあります。
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16gb さん、こんばんわ。



官尊民卑という言葉があります。民間の普通のお医者さんや弁護士さんでは地位的に及びもつかないでしょう。
宮中席次という制度がありますが、これは武官文官を末端まで序列化する制度ですが、これをもって比較することが出来るかもしれません。
だから、医学部の教授や検事総長くらいでないと比較ができません。医学部の教授では軍隊では中佐か少佐の高等官4等から5等、検事総長は大将の親任官です。高級官吏ですと、大臣の下の次官が中将の高等官1等です。
軍人ですと、元帥の称号を持った大将は国務大臣級、大将でも親任官です。ただし、中将は高等官1等ですが、でも、師団長や艦隊司令長官ですと、親補職待遇で親任官と同等の待遇が与えられました。今に比べて、とても高い待遇が与えられていたのです。特権としては予備役に入っても、元の階級で呼称され、少将以上は「閣下」と呼ばれます。正装では帯銃、帯剣が許されます。勲章でも金鵄勲章という特別な勲章を授与されます。
明治の日清・日露戦争から軍縮の大正デモクラシーまでは軍人は尊敬されていたかもしれません。それから、満州事変あたりからまた盛り返したと思います。
しかし、軍人に比較して、高級官吏はとても出世のスピードが速いのです。同じ40歳で高級官吏が少将の本省局長でも軍人は中佐、大佐ですから、本省課長くらいです。


下記のURLを参照してください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E4%B8%AD% …
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社会的というか、いわゆる世間体ってやつですよね。

一言で戦後といっても、1970年代頃と東日本大震災以降では自衛隊に対する世間の目も様変わりしているように、戦前と一言でいっても時代によりかなり違います。

大正時代は軍縮時代であるとともに、世間一般は好景気でもあったので、相対的に軍人の地位は低かったようでした。山口多聞だったかな、軍服姿でバスに乗っていたら乗り合わせたジイサンが「税金泥棒」といったので殴りつけたという武勇伝があります。
好景気のなにが影響しているのかというと、景気がいいときはギャラのいい仕事が世間にありますから公務員というのは敬遠されがちです(バブルの頃もそうでした。当時は公務員はバカが行くところというイメージがありました)。だから、デモシカ軍人が増えてしまうのです。デモシカてのは「○○にでもなるしかないか」って意味です。そういう人は、まあなんというか優秀な人はまずいないわけですね。だから大正時代は陸軍も海軍も優秀な若者をスカウトするのに非常に苦労しています。

ところが時代は昭和恐慌になると、世間は大不況ですから仕事がなくなり、生活は苦しくなります。文武両道に秀でているが家が貧しくて進学できない、なんて子に軍は「軍隊に入れば三食ついて体も鍛えられて勉強もできるぞ」とスカウトして、優秀な若者が軍隊にこないという問題はなんとかなったようです。今でも陸上自衛隊には高等工科学校という高校がありますが、以前そこに入学した子たちのルポをしたテレビ番組を見たことがありますが、やっぱり「家が貧しくて進学できない」という子が多かったようですね。

他の方が書いている周囲の人たちが赴任の挨拶に云々などは、軍人の士気向上と優秀な人材の確保のため、国家プロジェクトとして「軍人に敬意を払え」とやらせたようです。もっと遡って明治初期なんかは軍人なんてのは田舎の食い詰め者が集まる集団でしたからね(註・だいたいどこの国でも昔は兵隊というのは乱暴者で素行が悪く村から追い出されたような若者の集まりでした)。
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幹部っていうのは士官って事かな?


尉官クラスではそれほどでもなかったでしょうが
佐官はお付きがつき送り迎えも付いたそうです
県知事クラスの待遇?

医者や弁護士が社会的に地位が高いかどうか私にはわかりませんが 戦前の日本では軍人は政治家よりも人気があったのは確かだと思います 政治家は地盤が無いと出世できませんが 頭さえよければ士官学校に入ればどんな貧乏人の小倅でも入学と同時に給料が支給され更に士官大学に進めれば元帥ですらなれる可能性があるのですから 憧れの的であったのは間違いありませんしそのような背景から 現在の防衛大ですら優秀ですがそれより更に優秀な人材が多かったと思われます

将官クラスは当然 村の誉れ誰もが尊敬とあこがれの眼差しで見ていたことは間違いありません
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 戦前の宮中席次では、軍の最高位たる元帥は、国務大臣と同等の礼遇を持って遇せられます。


   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E4%B8%AD% …

 まあ、通常元帥を生前に送られる皇族以外の者は特別の功績を果たした場合が多く、大勲位(菊花章頸飾 or 菊花大綬章)を持っている場合も有り、その場合は内閣総理大臣より格上です。

 なお、戦前の官僚の最高位は高等官1等[勅任官](各省の次官クラス)ですが、軍人の場合その上の親補職(師団長などの特定の役職に着いた時[主に陸海軍中将])、親任官(陸海軍大将)が有ります。

 ちなみに森鴎外が娘を連れて軍服(軍医総監(中将相当))で歩いていた時に、子供たちが中将閣下がいらっしゃるぞと大騒ぎになった事が有ったのですが、目ざとい子供が襟章から軍医である事に気がつき「おい、なんだ、軍医だよ」と言って集まった子供たちが皆離れて行った事に大変なショックを受けたそうです。
 (森鴎外は自分も軍人の一人である事に大変なプライドを持っていた) 

 まあ、当時の子供たちにとっては中将は大変なヒーローであったのですが、医者はそこまでではなかった様です。
 
 ちなみに、弁護士は戦前は帝大法学部を卒業すると無試験で成れましたし、他人の争いに首を突っ込んで利益を稼ぐ職として世間体が微妙な職でありました…。

 あと、戦前だと陸軍の師団長(中将)が新しく就任すると、軍政を担当する師管区下の府県知事等が雁首を並べて就任への挨拶に来なければ成りませんでした。

 それから、戦前では士官学校を卒業するなどして少尉に任官すると天皇の官吏として官報に名前が乗ります。
 (大変な名誉であるとされる)

 なお、軍では新任士官や下士官(軍曹など)でも官吏である判任官ですが、警察では判任官は警部、警部補に当たります。
 (警察の巡査部長、巡査は判任官”待遇”でしかありません。←警察官のこの微妙な身分差[警察官には士族が多いにも拘らず]がゴーストップ事件の遠因にも成っている。)

 あと、家を継ぐ必要の無い次男以下の者が将来の出世がほぼ約束される陸軍大学校や海軍大学校に入校すると、出身地域の名家の養子依頼が殺到するとか…。
 (第二次大戦時の連合艦隊司令官の山本五十六大将は、旧長岡藩家老の家柄である山本家を相続している[旧姓は高野])
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対警察官に関してですが



戦前は
ゴーストップ事件というのがありました

陸軍の兵士が信号無視して横断したところ
警官が呼び止め、交番に連れて行き、そこで乱闘
そこに憲兵がのりこみ、さらに事態は悪化し


ついには陸軍大臣と警察庁長官(それに相当する戦前の警察のトップ)の争いとなりました
結果、警察側が屈服することになるのですが…


戦後は…

自衛官時代に
先輩士長がスピード違反で交機に捕まって
相手が自衛官だとわかると
「この予備隊野郎(自衛隊の前身が警察予備隊だから)が」
と言われたそうです


戦後は地位が逆転したようですね…
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