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私は大学で研究を行っているのですが,最近研究に次のような疑問がわきました.
私が現在行っている研究(工学系)は学部で習ってきた教科書に載っている方法を自分の研究に適用しています.またはある論文からある手法をそのまま自分の研究(開発中の機械)に適用したりしています.

 これは研究なのでしょうか?何か世の中には出ていない,未知な手法を提案するのが研究なのではないでしょうか?今自分がやっている研究はすでにある知識(手法)のチャンプルでしかないように感じます.

 工学系の研究をなさっていた方で私と同じような疑問を感じた方がいらっしゃいましたら,ぜひ意見をお聞かせ下さい.

A 回答 (11件中1~10件)

B4の頃、ある研究論文をもとに追試的に同じ手法で違う例題をやってみた。

まあ、予想通りの結果で、それを卒論にした。

MCの頃、その手法に若干独創性を加えたつもりになってつっぱってみた。学会の諸先生方から袋叩きにあうも、一応形っぽいものが出来たのでそれを修論にした。

DCの頃、MCの後輩たちと一緒に色々なものに応用してみた。貧乏くじを引いた可哀そうな後輩も数名はいたが、なんとか国会図書館に並べてもらえそうな背表紙のついた冊子になるぐらいの当たりくじは引けたようだ。

っていう感じの発展もあるので、決して悲観する必要もないどころか、明るい未来への第一歩ととらえた方がいいんじゃないかと思います。それどころか、チャンプルーなら十分独創性があると思いますよ。たとえばプリクラなんて、出た当初はデジカメとシール台紙と昇華型カラープリンタを一つの箱に押しこめただけじゃないか、とも思ったのですが、それを喜んで使う人がいまだにたくさんいるのですから、その独創性、先見性は認めざるを得ないでしょう。

と偉そうに言っていますが、私はその後数年研究職に就くもドロップアウトした人間なので説得力はないですけど。
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この回答へのお礼

興味深いお話ありがとうございました.

プリクラはいい例ですね.考えを改めます.

お礼日時:2013/12/29 12:11

Dさん>最初は何が書いてあるのかさっぱりわからないんで、呼び出して「君が考えていることを遠慮なく語ってご覧」



ぼくが愛用するせりふは,「まず,英文要旨をもっといで」。プロ(文系の)が書いた,なんだかグチャグチャした論文でも,英文要旨を読むとすっきりわかることが多い 笑。英文でゴチャゴチャ書ける日本人は,そんなにいないし。
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>投稿原稿を3回も朱入れすれば,いったいだれの論文やら。

ぼくは学会の若手奨励賞を受けなかったが,指導学生が受けるって,どういうことよ 苦笑。

 上に同じく、です。まさに哲学でしたよ。私の専門じゃないんだけれど思いながら、私が「書き換え」ました(爆)。でもこれは日本語の問題だけで、中身はいじっていません。しかし大変でした。最初は何が書いてあるのかさっぱりわからないんで、呼び出して「君が考えていることを遠慮なく語ってご覧」「この一節は何を言っているの」「じゃあ、これはこういう言い回しを使うといいね」とやっていきました。

>それを「学恩」というのかもしれんなあ。

 こう言えるようになるまでが辛い(笑)。まだ悪夢を見ますよ。
 いや、私が指導した学生も悪夢を見ているかもしれません。T先生にいろいろ言ったけれど、他人のことは言えないなあ。

>そういうケースは結構あります。

 哲学系を面倒見ると、元理系という人が多いんです。

>理解できるかな?

 あの問いがきっかけで、研究に関する問いがたっているわけだけれど(私の問いもあるから手前味噌か、笑)、押し問答だけではなく、内容のある議論になったような気がしますよ。私も自分が考えてきたことが、他分野と相対化できてきました。
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質問者さん>先生のアイディア・・・


Dさん>文系は基本的に、独自の手法を編み出します。既存の方法を適応するなどという柔なことはしません。

ぼくは理系在籍でも文系に近い流儀で育ってますね。D論にも準論博級の公表論文と完成度が求められた(だから課程博士ではない)。

いっぽう,「独自の手法」が同業者との対話(および同業者からの評価)が生じないほど独善的になれば,「手前勝手な土俵」になる危険性もあると思っています。

>それでも「独自=全部自分で考えた」ということはないのです。先生が一緒に考えて、半分は先生のアイディアだったりします。合作に近いです。

理系との違いは,共著論文にはせず,指導学生の単著で公表させること(自分の業績にはならん)。投稿原稿を3回も朱入れすれば,いったいだれの論文やら。ぼくは学会の若手奨励賞を受けなかったが,指導学生が受けるって,どういうことよ 苦笑。

>夢を見過ぎてるんじゃないの?

研究者としての「親離れ」とも言えるかも 笑。とはいえ,ぼくがどんなに師匠連中に反発したところで,授業を受けたり論文を読んだり演習で袋叩きになることで,基本的な学風や姿勢は継承している。それに気づくのはかなり後年のこと(つまり彼らが次々に鬼籍に入り,自分が当時の彼らの年齢に近づくころ)。それを「学恩」というのかもしれんなあ。ヒトとしての成長を,研究者・教育者としてもう一度してるんだろう。

>たぶん、独自の真理を追究するというのなら、文転して哲学になると思います。そういうケースは結構あります。

わはは。ぼくは哲学科には入ってない(入れてもらえない)けど。

ところで,ここの議論も,別のところで「大学教員が研究しない」とかなんとか吠えている某君に理解できるかな? 爆
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました.

お礼日時:2013/12/29 12:05

 私は文系なので場違いですが、ちょっと思ったことがあるので投稿します。



>それも先生のアイディアであってそれをもとに研究をするのも何か悔しいくてその案は使いたくありません.

 文系は基本的に、独自の手法を編み出します。既存の方法を適応するなどという柔なことはしません。それでも「独自=全部自分で考えた」ということはないのです。先生が一緒に考えて、半分は先生のアイディアだったりします。合作に近いです。

 もっとも創造的だと言われた哲学であっても、同様です。全部独自のことをやった人というのは、天才として稀にいるかもしれません。しかし普通は修士から博士に上がれないです。

 研究の態度についてご一考なさってもよいかと思いました。噛み砕いていえば、夢を見過ぎてるんじゃないの?ということです。冷水を浴びせかけるようですが、そういうことも必要かと思いました。

 たぶん、独自の真理を追究するというのなら、文転して哲学になると思います。そういうケースは結構あります。そして哲学にいっても、完全に独自ではなく、先生との合作に近い状態になります。故に今の時点で冷水を浴びせた方がいいと思ったのです。
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この回答へのお礼

研究に対する考えを改めます.ありがとうございました.

お礼日時:2013/12/29 12:02

『これは研究なのでしょうか?何か世の中には出ていない,未知な手法を提案するのが研究なのではないでしょうか?今自分がやっている研究はすでにある知識(手法)のチャンプルでしかないように感じます.』


私は生物系ですが、未知な手法を提案するのも研究ですが、既存の手法を使って新しい応用を開発したり、既知の方法でもその理論的な面を補足したりするのも新しい知見を得るということでは研究でしょ?だって新しい知見(今まで未知だったこと)を見つけたことには違いないしだから論文になるのでしょ?ただ、あなたがそういうことに魅力を感じるかどうかの問題で、“未知な手法を提案する”ことに興味があってそれで食べていく自信あるのでしたらそういう研究をされたらいいだけのことではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ごもっともです.回答ありがとうございます

お礼日時:2013/12/29 11:59

理学部出身で工学部に勤務しています。



>教科書に載っている方法を自分の研究に適用しています.またはある論文からある手法を
>そのまま自分の研究(開発中の機械)に適用したりしています.
どの程度のことをやっているかこれだけではわかりませんよね。
開発中の機械に適用するのがかなり困難なことに関して既知の方法を使うのが、研究といえるのかいえないのか、そんな抽象的なことはわかりません。
ご自分で判断するか、周囲の人に聞かないと、ここで聞いてもわからないでしょう。

>これは研究なのでしょうか?何か世の中には出ていない,未知な手法を提案するのが研究
>なのではないでしょうか?自分がやっている研究はすでにある知識(手法)のチャンプルで
>しかないように感じます
それなら自分で納得できるようにそうすればよいのでは?
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この回答へのお礼

そうですよね,ありがとうございました

お礼日時:2013/12/29 11:56

No.1の補筆。



ぼくは「面白くない」と書いたのであって,「研究じゃない」とは書いてませんからね。理学系にだって銅鉄主義もあれば,「面白いおもちゃを買ってもらったので,たくさんデータをとりました」はいくらでもあります。

ただ,ぼくらのドクター論文は,独自の観点やメッソド,普遍的ななにかをいえるだけのデータ量がないと通らなかった。「そうしてPh.D(哲学)に到達しろ」と厳命されました。今は昔の旧弊なはなしですけども,就職のために糞論文を増やすことにやっきになるより,こういう通過儀礼を経るのが博士課程の本当の意義なんですがね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます.理学部は特に独創性を重視していそうですね.

お礼日時:2013/12/22 16:02

>何か世の中には出ていない,未知な手法を提案する



こんにちは。これはメソドロジー(方法論)と言いまして、研究のひとつではありますが、一部にすぎない。つまりこの世にはメソドロジーじゃない研究が沢山あるということです。
逆にそうでなかったら、この世の研究者は未知の手法の考案ばかりをすることになります。考案された手法を実際に使ってデータとる人がいなければ、どんな素晴らしい手法も絵に描いた餅にすぎず、クソの役にもたちません。

>今自分がやっている研究はすでにある知識(手法)のチャンプルでしかない

それ自体はまったく構いません。大事なのは、すでにある手法だろうが何だろうが、それを使った結果、これまでにない新しい知見が得られたかどうかです。それがあれば研究と呼べるし、何もないなら研究でない。「小学校の自由研究と同じだね」 と酷評される部類の代物になります。
もっといえば、研究といえるかどうかは 「論文になるかどうか」 で判断します。いま貴方の回りにある棚にささってる先達の書いた論文をみてみましょう。メソドロジーの論文ばかりですか? 違うでしょう。メソドロジー以外にも研究目的はたくさんあるからです。

1点気になるのは、質問者さんの心にあるのは、「オレは本当は手法開発をやりたいんだ」 ですか。
であるなら素直にそう指導教官に告げた方がいいです。興味のないものをやり続けるのは不毛であり、時間の無駄。 ただし 「手法開発以外は研究じゃない」 的は発言はしない方がいい。世にあなたの知らない研究はたくさんあるし、それで食ってる同業者を怒らすことになるからです。

この回答への補足

おそらく質問文と上記の文では矛盾しておりますよね.というのも質問文のように誰かの論文を参考にしたものの寄せ集めであったり,先生からいただいた提案をそのまま自分の研究に使ったりしていたのは1年前の僕です.ずっとこのことが気になっていたので今年から研究テーマを変えていただき,なんとか自分の力で何か新しい案を提示できないかと模索しているところです.

補足日時:2013/12/22 16:43
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この回答へのお礼

ありがとうございます.僕は人の手法のチャンプルは研究と呼べるのか疑問に思っておりましたが,mstk2さんのお考えを聞いて,大変ためになりました.

>1点気になるのは、質問者さんの心にあるのは、「オレは本当は手法開発をやりたいんだ」 ですか。

僕は自分の研究に対して,何か独創的な事を提示してそれが他人に認められたときにこの上ない喜べであろうと思い描いております.現在はなんとか独自の手法(または機構)を開発しようと取り組んでおります,ですので偶に教授からこういう機構にしたらと提案されるのですが,それも先生のアイディアであってそれをもとに研究をするのも何か悔しいくてその案は使いたくありません.(もちろん実験の手法であったりは参考にさせて頂きますが)

お礼日時:2013/12/22 16:18

理学系なので、参考にならないと思うけど。



化学の世界では、スクリーニングは立派な研究です。
独創的でない手法で、すべての物質の組み合わせを試し、より収量の大きな製造法、より原材料が安価な反応を見つけるのも研究です。

一握りの研究者が開発した手法を追いかけ、その周辺に群がり、そして、その研究分野を広げていくのも研究ですよ。

この辺の基礎的な教養のような部分は、大学の1、2年次に私は教わったのですが、今はそういう教養課程がない大学が多いと聞きます。
ちなみに、ポリエチレンなんて、「独創的」な研究を求めていたら出来なかった研究です。失敗実験で偶然生み出してしまって、その再現のために、ありとあらゆる製法条件を試したわけです。実験ノートにも残らなかった失敗の要因を再現するというわけの分からないことをやったわけですが、それも「研究」ですよね。

ご質問さんのいう独創的な研究も研究ですし、既存の手法のまだ試されていない組み合わせでの知見を得るのも研究です。
研究って、「真理を知る」こと以外に、目的はありません。社会に役立つとか、生活に寄与するなどは、手段に過ぎません。その意味で、まだ知られていないことを知るものであるなら、既存の手法の組み合わせでもそれは研究だと思います。

私自身、このスクリーニングって大好きで(ようは実験が出来れば何でもよかった。。。)、当時、高かった試薬を、自分なりの実験手法で安く作ってました。研究室の先生が、その試薬はもっと才能のある同級生には使わせていたけど、私には使わせてくれなかったんで。そうやって、自分勝手に大量に作った試薬を元に、大学院の2年間で何十、何百の実験をしていたんです。修了後、全然別畑に就職したので、院での実験ノートは研究室に残していったんでが、その試薬を作る部分だけは「研究」とは思っていなかったんで、残さなかったんです。
あとで、その実験ノートも送れと連絡が来て、送ったら、その実験だけが論文になって、私の名前が載ってました。私はまったく書いていないのにね。
その内容って、実験の反応も、物質も、溶媒もまったく既存の論文と同じで、実験器具への物質や溶媒の加え方に工夫をしただけのものです。ただ、既存の論文との違いは、収量1~2%だったものを70%台に引き上げたただけです。そういうのも研究なんだって。
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この回答へのお礼

ありがとうございます.エピソードもお聞かせいただき大変興味深いものでした.

>あとで、その実験ノートも送れと連絡が来て、送ったら、その実験だけが論文になって、私の名前が載ってました。私はまったく書いていないのにね。

こういう体験は大変うれしいですよね.自分の研究したことがためになっていると.

0(無)から1をつくるのも研究であり,1から数十パーセントに引き上げるのも研究だということですね.納得です.

お礼日時:2013/12/22 16:30

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