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 いろいろ調べると、「了解」は「ぶっきらぼうで敬意が不足」なので避けたほうがよいようです。「了解です」も同様でしょう。
 でも「了解しました」「了解いたしました」が不適切な理由がわかりません。

■下記にある『明鏡国語辞典 第二版』の記述
http://m.news-postseven.com/archives/20121207_15 …
================引用開始
「りょうかい【了解 諒解】
1:物事の意味・内容・事情などを理解すること。
2:理解した上で承認すること。

 近年、目上の人の依頼、希望、命令などを承諾する意に使う向きもあるが、慣用になじまない。(ぶっきらぼうで敬意が不足)『分かりました』『承知しました』のほか『かしこまりました』『承りました』などを使いたい」
================引用終了
 原文が少しわかりにくいのですが、『明鏡国語辞典 第二版』の記述と思われます。
 これは「了解」の話ですよね。「了解(いた)しました」が「ぶっきらぼうで敬意が不足」とはとうてい思えません。

■下記にある『敬語』の記述
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2329408.html
================引用開始
「了解しました」でも「了解いたしました」でも、敬語としては問題ありません。ただし、#3の方のおっしゃるとおり「了解」自体に尊敬の意味が含まれていないこと、また一般的な日本の大人社会を考えると、「かしこまりました」などを用いた方が無難でしょうね。
参考文献 菊地康人 「敬語」 講談社学術文庫
================引用終了
 この『敬語』は手元にあるのですが、このような記述は見当たりません。該当ページがおわかりのかたは教えてください。
 仮に〈「了解」自体に尊敬の意味が含まれていない〉から×ならば、「承知」も×になる気がします。

「了解しました」「了解いたしました」が不適切な根拠をご存じのかたは教えてください。

A 回答 (28件中1~10件)

 「了解・了解する」の意味ですが、指示に従うとの語彙があります。

たとえば、航空機のパイロットと地上管制官との遣り取りで、最後に使われる言葉はラジャー(了解)です。これは地上からの指示に従うとの語彙になります。英語ですから日本語の敬語とは異なりもし、普通の会話では事務的な表現でも差し支えはありません。
 一方の「承知」にも「不承不承」との語があり、これは意に染まないながらも渋々相手の指示命令に従うとのニュアンスになります。
 質問者様が、名詞としての了解とそれが名詞化する以前の動詞であることの違いになぜ無視されるのかが何か今一つ僕には理解できません。
 「~します」は通常の「~する」に対しての丁寧語としての表現ですから、それ自体が敬意を示すことになります。そこに動詞の了解するが加わった形ですから、これを敬語と見なさないとの格段の理由も見当たりません。
 了解しました、との語句が「今、受けた指示に基づいて作業を始めますよ」の意味を示すならば、了承しましたと同じにもなるはずです。例示された質問No.2329408の回答ですが、これは回答No.3の方が如何なる根拠に基づいてそのような回答をされたのかが明確でない限り、何ともお応えのしようもありません。
 「了解」に尊敬の意味が含まれていないならば「承知」も×になる。この疑問も当然の話です。先に説明しましたように、その語句が敬語表現であるかどうかを判断する一つの材料として「語幹+語尾」の考え方と「語そのもの」の二つのケースの違いもあります。
 この場合は「語幹(了解・承知)+語尾(ですます・しますしました)」の組み合わせで判断すべきでしょう。単に「了解・承知」といっただけでは「並行」もしくは上意下達に近い関係を想像させますが、ここに丁寧語の語尾が加わった構成ならば、僕は不適切であるとは考えませんが。
 もしこの疑問が成り立つならば、逆に「尊敬」はどうでしょう。「尊敬する」は普通語であっても丁寧語や尊敬語・謙譲語ではありません。つまりは敬語でないことになります。ならば単語としての「尊敬」はどうなるのでしょう。尊敬や敬うとのニュアンスがあっても敬語ではないと話になります。そうです、「尊敬」は単語として名詞であっても、尊敬するとの動詞+尊敬の助動詞の構造ではありません。語彙と語句の構造をゴチャゴチャにしてしまうからおかしな話になってもしまいます。

 なお引用されているNEWSポストセブンなる週刊誌での説明ですが、これはそこに登場する作家氏とこの記事を書いている記者(恐らくは委託した外部プロダクション)の印象もしくは感想でしかありません。個人のエッセー的に記事であって、しかも会社や企業といった「組織」と「家庭」を同列に並べて論じていることからして既に信頼性に疑問符が付き胡散臭いともいえます。
 論文であるならば、引用元の「ポライトネス理論」に対する検証とその典拠を詳細に示し、その信憑性と問題性も合わせて掲載する必要もあります。こうした手続きを経ないままの引用ならば、ますます疑わしいとの結論になりもします。
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この回答へのお礼

 コメントありがとうございます。

>名詞としての了解とそれが名詞化する以前の動詞であることの違いになぜ無視されるのかが何か今一つ僕には理解できません
 ここがよくわかりませんが、名詞として使う「了解(です)」はぶっきらぼうな印象で、動詞として使う「了解(いた)しました」にはそういう印象がないことと関係があるのかもしれません。

「了解しました」なら丁寧語。
「了解いたしました」なら謙譲語。
 なぜ世間がこの表現を不適切としているのか、理由がわかりません。
 ネット検索すると、「不適切」とする説が山ほどヒットします。信頼できる根拠を示しているものがあったら是非教えてください。

>「了解」に尊敬の意味が含まれていないならば「承知」も×になる。この疑問も当然の話です。
 そのとおりだと思います。
「了解(いた)しました」が×で、「承知(いた)しました」が○になる理由はないと思います。

>信頼性に疑問符が付き胡散臭いともいえます
>こうした手続きを経ないままの引用ならば、ますます疑わしい
 やはりそうですか。この記事を根拠にする説もよく目にするのですが、かなり疑問でした。

お礼日時:2014/02/02 18:24

#27です。



なんどもすみません。
若干、追加修正させてください。

×
ただ、上記辞書の2では、「申し出の件、確かに承知した」という例文が挙がっています。
これなどを見ると、謙譲語とは言えないと思われるのも尤もだという気もします。


ただ、上記辞書の2では、「申し出の件、確かに承知した」という例文が挙がっています。
これなどを見ると、謙譲語とは言えないと思われるのも尤もだという気もします。
おそらく、謙譲語2の用法があまり浸透していないため、「した」という表現だから謙譲ではない、と判断されてしまうのだろうと思います。
しかし、この例文は、話している相手が目下なので丁重に話す必要がないため「ました」という丁寧語も、「いたしました」という丁重語(謙譲語2)も使っていない、というだけの話です。
外務大臣が、「駐日大使のお姿を拝見した」と自分の友人に言ったからといって、駐日大使に対する「拝見」という謙譲の意味が失われているわけではないのと同様です。
こうした上位表現があるのに「見た」と言うのは不適切になるでしょう。
たとえ、「見ました」と丁寧語を使っても同じことになります。
    
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この回答へのお礼

 申し訳ありません。
 No.24へのお礼を繰り返すしかありません。

お礼日時:2014/02/19 18:46

#26です。



1.
>>「謙譲語性があるのに、なぜ不適切になるのか理由がわからない」という意味に解釈したわけです
⇒ そんなことをまったく考えていない当方としては、何も言いようがありません。

そうおっしゃられると確認せざるを得なくなります。

t:【>『「了解」には謙譲語性はないが、「了解(いた)しました」には謙譲語性がある』
⇒ 何を根拠にそのように「総合的に解釈」されたのかはわかりませんが……そんなふうに解釈できるようなことを当方が書いてますか?】
という質問をされたので、ご質問文の冒頭に書かれていますよ、と申し上げました。そして、そこに書かれている内容を、
h:【「謙譲語性があるのに、なぜ不適切になるのか理由がわからない」という意味に解釈したわけです】と答えたわけですが、
t:【そんなことをまったく考えていない当方としては、何も言いようがありません。】というのは、「何を根拠にそのように解釈したのか」「どこに書いているのか」という当初の疑問が、まだ解けない、という意味ですか?

2.
>>「新たな論拠を出していただけないと」に応じさせていただいた
⇒ 要点を絞って、どこが新たなの論拠なのかわかるようなコメントをお願いできませんか。↑のほとんどはすでに読んだ記憶があります。

「すでに読んだ記憶がある」のはわかっています。
「すでに触れてきた事柄ですが、重要な点ですので再度述べさせていただきました。」と注釈していますよね。
この注釈の骨子は、「すでに触れてきた事柄」ではなく、「重要な点ですので再度述べさせていただきました」という箇所です。そこに着目してほしかったのですが、まぎれの無いように再掲します。いちいち画面移動するのも面倒でしょうしね。

----------------------------------------------------------------------------------
謙譲語2というのは、話している相手に対する敬意を表わします。
言い換えると、謙譲語1のように、「行為の向かう先の人物(または、その所有物)」に対する敬意ではない、という点が非常に重要です。
つまり、「おっしゃることは了解いたしました」と社長に対して言う場合、『「わたしが話す相手」としての社長』に対する敬意になります。
言い換えると、この場合は、「社長のおっしゃった内容」に向かう謙譲表現(敬意)ではない、ということです。
「社長のおっしゃった内容」に対して敬意を表わすためには、そこに向かうという自分の行為に絡める必要がありますから、あくまで謙譲語1を使う必要があるわけです。
これは論理的な解釈ではないかと思います。
それが「承知しました」であり「承知いたしました」でしょう。
「了解いたしました」は謙譲語2であり、「承知しました」は謙譲語1です。
「承知いたしました」は謙譲語1 + 謙譲語2。
以上から、
・了解しました<了解いたしました<承知しました<承知いたしました<かしこまりました
のような順で敬意度(丁寧度)が高くなる、とお考えになるのが自然でしょう。
----------------------------------------------------------------------------------

どうも、着目していただきたい点はほとんどスルーされる傾向にあるような気がしますが、これもわたしの表現が下手だからなのでしょう。
新しいと感じるかどうかは個人の受け取りかた次第ですから、新しくないと言われれば特に否定はしませんよ。
いずれにせよ、新たな論拠でも古い論拠でも良いのですが、「これは論理的な解釈ではないかと思います」という点に関してはいかがですか?
実は、ここが最も重要なフレーズなのですが・・・。
端的に申し上げると、「謙譲語2だけでは敬意を十分に示していることにはならない」という解釈を論理的と思うか否か、ということですね。
思われるようなら、上位表現としての謙譲語1である「承知(いた)しました」あるいは「かしこまりました」を使うのが妥当である、というところに遡ってくだされば、よろしいでしょう。
これが論理的な解釈ではないとおっしゃるのであれば、これ以上何も申しません。
「新たな根拠」とは言えないかもしれませんが、こうした本質的な点について確認させていただきたかった、ということです。

3.
> No.19の段階で〈「承知する」は謙譲語Iではない〉と話がついているはずです。ここに話が戻るということは、何かあらたな典拠が見つかったのでしょうか。
 それがあれば半歩前進できるかもしれません。
 もしかすると『日国』の記述はそういう解釈もできるかも……とは考えていますが、やや苦しい気がします。詳しくはNo.23の「お礼」のリンク先をご参照ください。

たしかにそうでしたね。
失礼いたしました、と言いたいところですが、少なくとも「謙譲語性がある語」ということはお認めになっているわけですから、どちらでも大差ないでしょう。
むろん、謙譲語と意味的にほとんど変わらないと個人的には考えていますが、あえてそれを論点にするつもりはありません。
わたしの見解を正確に言うなら「かなり明白な謙譲語性を持った語」といったあたりですかね。
ただ、その根拠が、辞書説明文の解釈によっていることは、すでに申し上げたつもりです。#24では、
・「理解して認める」と「聞き入れる」のニュアンスの違い(類語辞書より)
・【2は謙譲語性のある意味内容であるのに対し、1は、むしろ「了解」に近い意味であることがおわかりになる、と思います。つまり、その区分けをするために、あえて意味を分けているのだろう。】(「承知」の辞書説明より)
後者に関して補足すれば、「知る・わかっていること」という1の意味と、「聞き入れる」という2の意味を比較した場合、2は謙譲語性があり、1は無いものとして分けられていると言えるだろう、といったようなことを述べています。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/109329/m1u/ …

リンク先参照しましたが、『日国』というのが上手く探せなかったですね。
ただ、下記のブログ主は「承知は謙譲語ではない」と主張していました。
http://d.hatena.ne.jp/tokoroten999/20140209/1391 …
同じ辞書を参照しているのですが、辞書説明文の解釈の違いが明確(正反対)に現われており、興味深く感じました。
また、辞書に謙譲語と書かれていない謙譲語はあると思うのですけどね。
ただ、上記辞書の2では、「申し出の件、確かに承知した」という例文が挙がっています。
これなどを見ると、謙譲語とは言えないと思われるのも尤もだという気もします。
しかし、「申し出の件、確かに了解した」と比較した場合、(目下とはいえ)相手の申し出に関しての敬意が濃厚であることがわかるように思うのです。
「あなたの申し出を承って、そして、それをわたしの知るところとします」といった構図でしょうか。
「了解した」の場合、相手の申し出を尊重するという意図はほとんど無く、とりあえず自分は理解しましたよ、というニュアンスになっているでしょう。
  
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#25です。


わがままにお付き合いいただきありがとうございました。

1.
>>『「了解」には謙譲語性はないが、「了解(いた)しました」には謙譲語性がある』
 何を根拠にそのように「総合的に解釈」されたのかはわかりませんが……そんなふうに解釈できるようなことを当方が書いてますか?

端的に申し上げると、
『 いろいろ調べると、「了解」は「ぶっきらぼうで敬意が不足」なので避けたほうがよいようです。「了解です」も同様でしょう。
 でも「了解しました」「了解いたしました」が不適切な理由がわかりません。』というご質問文冒頭部分です。
わたしとしては、「謙譲語性があるのに、なぜ不適切になるのか理由がわからない」という意味に解釈したわけです。
その後の応答でも、それを否定するような記述が見当たらないことから「総合的に解釈」という表現を使いました。
わたしの解釈のしかたが間違っていたということですね。
いずれにせよ、そうではないことがわかったので、どういう意味だったのか、ということはこれ以上詮索しません。

2.
>それが「すれ違いの最大の原因」なのですか……。

その点にすれ違いがないようなら、単なるすれ違いではなくなってしまいますので、そう申し上げました。
やはり、(重要な)すれ違いがあったようです。

3.
>「了解しました」には謙譲語性はないでしょう。単なる丁寧語ですから。しかし、単なる丁寧語だから目上に使うのは不適切、などということはないはずです。
「了解いたしました」は謙譲語性があるでしょう。「いたす」は謙譲語ですから。厳密に言えば謙譲語Iと謙譲語IIの性質は違うようですが、世間では謙譲語として通じるはずです。
 謙譲語Iと謙譲語IIの敬度の違い……などと書きかきはじめると難解な話になるのでやめます。

最後の一文が非常に重要ですので、釈迦に説法でしょうが、あえて触れます。
謙譲語2というのは、話している相手に対する敬意を表わします。
言い換えると、謙譲語1のように、「行為の向かう先の人物(または、その所有物)」に対する敬意ではない、という点が非常に重要です。
つまり、「おっしゃることは了解いたしました」と社長に対して言う場合、『「わたしが話す相手」としての社長』に対する敬意になります。
言い換えると、この場合は、「社長のおっしゃった内容」に向かう謙譲表現(敬意)ではない、ということです。
「社長のおっしゃった内容」に対して敬意を表わすためには、そこに向かうという自分の行為に絡める必要がありますから、あくまで謙譲語1を使う必要があるわけです。
これは論理的な解釈ではないかと思います。
それが「承知しました」であり「承知いたしました」でしょう。
「了解いたしました」は謙譲語2であり、「承知しました」は謙譲語1です。
「承知いたしました」は謙譲語1 + 謙譲語2。
以上から、
・了解しました<了解いたしました<承知しました<承知いたしました<かしこまりました
のような順で敬意度(丁寧度)が高くなる、とお考えになるのが自然でしょう。
すでに触れてきた事柄ですが、重要な点ですので再度述べさせていただきました。

4.
>できればこの問題からしばらく離れたいのですが……。

それは1311tobiさんのご自由でしょう。
わたしはご質問・ご要望があったので、それに応じているだけです。
今回は、「新たな論拠を出していただけないと」に応じさせていただいた、とお考え下さい。
    
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この回答へのお礼

>「謙譲語性があるのに、なぜ不適切になるのか理由がわからない」という意味に解釈したわけです
 そんなことをまったく考えていない当方としては、何も言いようがありません。

>「新たな論拠を出していただけないと」に応じさせていただいた
 要点を絞って、どこが新たなの論拠なのかわかるようなコメントをお願いできませんか。↑のほとんどはすでに読んだ記憶があります。

 この問題からしばらく離れようと思っていたのですが、重要なことに思えるのでひとつだけ確認させてください。

>「承知しました」は謙譲語1
 No.19の段階で〈「承知する」は謙譲語Iではない〉と話がついているはずです。ここに話が戻るということは、何かあらたな典拠が見つかったのでしょうか。
 それがあれば半歩前進できるかもしれません。
 もしかすると『日国』の記述はそういう解釈もできるかも……とは考えていますが、やや苦しい気がします。詳しくはNo.23の「お礼」のリンク先をご参照ください。

お礼日時:2014/02/19 11:21

#24です。



> 新たな論拠を出していただけないと、〈「了解しました」「了解いたしました」が不適切な根拠〉するのはむずかしそうです。

これ以上、納得いただけるような新たな論拠を出すのは難しそうです。
お役に立てず残念です。
また、機会を改めてということにいたしましょうか。

最後にひとつだけ教えていただきたいことがあるのですが我儘を聞いていただけますか。
>(「承知」に関して、)当方は多少の謙譲語性を否定する気はありませんが、それが論理的な理由になるとは思えません。
 仮に論理的に説明できたとしても、「了解(いた)しました」を×にする理由にはならないと思います。

それまでの内容と、この記述から総合的に解釈すると、1311tobiさんは『「了解」には謙譲語性はないが、「了解(いた)しました」には謙譲語性がある』とおっしゃっていることになりますが、もし、そうだとすれば、また、もし、そのように思われる根拠があるようでしたら、教えていただけませんか。
特に無い、ということでも構いません。
実は、この点がすれ違いの最大の原因と思っていまして、この部分だけでも確認をさせていただきたいのです。
   
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この回答へのお礼

>また、機会を改めてということにいたしましょうか。
 よろしくお願い申し上げます。できればこの問題からしばらく離れたいのですが……。

>『「了解」には謙譲語性はないが、「了解(いた)しました」には謙譲語性がある』
 何を根拠にそのように「総合的に解釈」されたのかはわかりませんが……そんなふうに解釈できるようなことを当方が書いてますか?
 それが「すれ違いの最大の原因」なのですか……。

「了解しました」には謙譲語性はないでしょう。単なる丁寧語ですから。しかし、単なる丁寧語だから目上に使うのは不適切、などということはないはずです。
「了解いたしました」は謙譲語性があるでしょう。「いたす」は謙譲語ですから。厳密に言えば謙譲語Iと謙譲語IIの性質は違うようですが、世間では謙譲語として通じるはずです。
 謙譲語Iと謙譲語IIの敬度の違い……などと書きかきはじめると難解な話になるのでやめます。

お礼日時:2014/02/18 11:13

#23です。



念のために確認させていただきたいのですが、ご質問は、『「了解しました」「了解いたしました」が不適切な根拠をご存じのかたは教えてください。』ですよね。

1.
>>「シチュエーションを無視して全て適切だ」とおっしゃっておられるわけではないとのことですが、ビジネスシーンというのは、その無視すべからざるシチュエーションが極めて多いような気がします。
⇒「極めて多い」「ような」「気がします」……これは主観ですよね。どの程度多いのかはなんとも言えません。「シチュエーション次第」ではありませんか?
「(目上には)使わないほうが無難」ということならわかりますが。

回答というものは基本的にすべて主観だと思いますが、それはさておきましょう。
「極めて多い」かどうかは不明だが、「シチュエーション次第」では、「了解しました」「了解いたしました」が不適切になる、とおっしゃっているわけですね?
わたしの主観と、大体同じ主観をお持ちになっているということだと思います。
「(目上には)使わないほうが無難」というのは、不適切だと言う人が案外多いから、という理由でしょうから、それでは、ご質問をした意味がなくなるでしょう。

2.
> gooの類語辞書の話はNo.7の「お礼」の段階で当方が出しています。それに対してhakobuluさんがNo.8で「最も不得意とする分野ですね。これに関してはお役に立てそうにありません」と書かれたので、もう済んだ話と解釈しています。いまさらその話を出されても……話がループするだけでは。

『「了解」と「承知」の違いに関して、典拠になるような資料はございませんか。』とおっしゃったので、それに関しては「不得意」と申し上げました。
資料を探すということが不得意、という意味です。他に関しては「得意」というわけではありませんが・・・。
類語辞書に書かれている説明文の解釈によって、「了解しました」「了解いたしました」が不適切な根拠が明らかになるかもしれない、と思い述べた箇所です。
いまさらその話を出されても・・・と受け止められていたとすれば残念に思います。
なんどかループという表現をしていらっしゃいますが、おそらく勘違いなさっていると思います。
のちほど改めて述べます。
いずれにせよ、#7でおっしゃっていたのは、
『「了解」と「承知」の違いが多少わかりますが、どちらも「~しました」の形で使えます。当然「~いたします」の形でも使えます。』ということでした。
今回は、
・「了解」「了承」は、事情や事柄の内容などを理解して認めること。
・「承知」は、申し入れや頼みをききいれること。
という解説文自体をよく比較検証してみてください、という意図で提示したものです。
現在は、ほとんどgoo辞書しか使っていませんので、つい参照してしまいましたが、先に 1311tobi さんが参照していらしたので、ひと言断るべきだったでしょうかね。

3.
>「承知」には謙譲語のニュアンスがある、と言って差し支えないと思います。
⇒ すでに書いたように、その解釈には個人差があります。
 当方は多少の謙譲語性を否定する気はありませんが、それが論理的な理由になるとは思えません。
 仮に論理的に説明できたとしても、「了解(いた)しました」を×にする理由にはならないと思います。

たとえば、こうした記述が、結果的にループを自ら醸成していることになるのですけどね・・・。
以下に理由を述べます。

まず、
『(「承知」について)多少の謙譲語性を否定する気はないが、それが論理的な理由になるとは思えない』とおっしゃっていますが、「論理的な理由」として、わたしは、
・「理解して認める」と「聞き入れる」のニュアンスの違い(類語辞書より)
・【2は謙譲語性のある意味内容であるのに対し、1は、むしろ「了解」に近い意味であることがおわかりになる、と思います。つまり、その区分けをするために、あえて意味を分けているのだろう。】(「承知」の辞書説明より)
と述べました。
後者に関して補足すれば、「知る・わかっていること」という1の意味と、「聞き入れる」という2の意味を比較した場合、2は謙譲語性があり、1は無いものとして分けられていると言えるだろう、ということです。

これに対して、1311tobi さんは、「多少の謙譲語性を否定する気はないが、それが論理的な理由になるとは思えない」と述べているだけです。
ということは、わたしの説明が下手だったのだろう(わたしの言っている意味が通じなかったのだろう)と考えられるので、他の視点から、再度のチャレンジを行なう、ということにならざるを得ないと思いませんか?
ループと勘違いなさっている、と先に述べたのは、このことです。
要するに、1311tobi さんは、なぜ「論理的な理由になるとは思えない」と考えるのか、その理由を提示する必要がある、ということです。
そうすれば、それに関して同意なり反論なりが展開できますからループにはなりませんよね。
または、言っていることはよくわかったが、その考えには同意できない、というご返事でも構わないでしょう。
「多少の謙譲語性を否定しないのであれば、それが論理的な理由になる」ということを、様々な根拠を挙げながらわたしは述べているわけですから、それに対して、
「多少の謙譲語性を否定する気はないが、それが論理的な理由になるとは思えない」と返信されれば、私の論理説明が下手だったのだ、と判断せざるを得ないので、別の視点から(理解していただけるように)改めて論理説明をしようと試みることになるわけです。
以上は、「承知しました→謙譲語性あり」「了解しました→謙譲語性なし」に関する記述でした。

続けて、
『仮に論理的に説明できたとしても、「了解(いた)しました」を×にする理由にはならないと思います。』ともおっしゃってます。
ということは、「了解」には謙譲語性が無いが、「了解(いた)しました」には謙譲語性がある、ということですね。
簡潔にするため「了解しました」について述べますが、これも、なぜあるとお考えになるのか、ということをおっしゃらないと会話にならないと思います。
たとえば「ます」が丁寧語だから、という理由であれば、「了解」よりも「承知」のほうが謙譲語性があることは辞書説明などからも明らかだから、同じ丁寧語を使って比較したとしても「承知しました」のほうが上位の謙譲表現になる、と考えるのが論理的だと思うが、その点について検証してみる必要があるのではないか、という反論につながっていきます。
理由を述べずに、ただ「そう思う」だけでは、「そうですか」で終わってしまうでしょう。
ただし、わたしは回答者ですから、わたしが「そう思う」というのは止むを得ません。
先に述べましたように、回答はすべからく主観に過ぎないからです。
質問者の立場としては、それに納得できない場合、ひとつの姿勢として、「言っていることの意味は良くわかりました。しかし、特に根拠はありませんが、わたしとしては同意できません」と返せばよいのです。
回答者としては、「わかりました」と言うしかありません。
もうひとつは、「これこれの理由で、わたしとしては同意できません」と返します。
その場合、その理由について、回答者からさらなる反論が展開される可能性が残されます。
どちらの場合もループはあり得ません。
しかし、根拠(理由)があるのかどうかもわからないままに「同意できません」と言われれば、同じことを視点を変えて述べるしかなくなりますよね。(論理に対する反論ではなく、論理の内容が回答者の説明が下手なために伝わっていないのだ、と解釈せざるを得なくなるので)
これがループの正体、というわけです。

4.
>>(敬意を表すべき)場合に、上位の敬語表現があるにも拘わらず(敬意を積極的に表す意図の無い)「了解しました」などを使うと、敬意が不足しているという印象を与えてしまう場合がある、ということになります。
⇒ これもすでに書いたように、そういう考え方をするなら、「承知(いた)しました」も×と主張することもできるでしょう。
 当方はそうは思いませんが……。

(このように、同意できない理由を書いていただくと、会話がつながりループしませんね)
「そういう考え方」というのは、『「承知(いた)しました」が「了解(いた)しました」の上位表現』という内容ですから、
『そういう考え方をするなら、「承知(いた)しました」も「かしこまりました」という上位表現があるのだから×と主張することもできるでしょう』という意味なのでしょうね。
それは、おっしゃるとおりだと思います。
しかし、すでにお互いに(たぶん)了解済みの事項として、「承知しました」には謙譲語性があり、「了解しました」には、それが無いという前提での話です。
つまり、「承知しました」にはたしかに上位表現がありますが、これは、「敬意を積極的に表す意図の無い」表現ではない、という点が決定的に異なる、というわけです。
実際、「かしこまりました」のほうが敬意の度合いとしては上位であることは広く納得が得られていることだと思います。
ただ、上のような理由で、「承知しました」に敬意が無いという意味にはならない、ということになるでしょう。

5.
ネット記事のご紹介、ありがとうございました。
言葉は無意識的に使っているものなので、その本質に迫ろうとしても、なかなか手ごわくて奥が深いですね。
「了解しました」には、「迅速な理解性」を個性として認めてあげるほうが本人?も喜ぶでしょう。
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この回答へのお礼

 申し訳ございません。
 No.22の段階では〈hakobuluさんのように、微妙なニュアンスや意味の違いを積み上げていけば、「論理的な理由」に近づくのかも〉と思いましたが、そのあとの説明でどんどんわからなくなっている印象です。

 新たな論拠を出していただけないと、〈「了解しました」「了解いたしました」が不適切な根拠〉するのはむずかしそうです。
 現状では、「論理的な理由」はないが、「(目上には)使わないほうが無難」と考えるしかないんだろうな……と思っています。

お礼日時:2014/02/17 11:10

#22です。



要点を絞らせていただきます。
大事なことは、「了解」には謙譲語性が無い、という点です。
ご質問文冒頭でもおっしゃっているように、1311tobiさんとしても、「了解」という語自体には敬意は含まれていない、ということはお認めになっているのですよね。
しかし、「了解しました」「了解いたしました」には敬意が込められているのではないだろうか、というご主張でしょう。
この場合、留意すべきは、これらに替わる敬意表現があるかどうか、という点です。
もし、無ければ、「ます」などの丁寧語が付いているのですから敬語表現と認められるべきでしょう。
「報告」には、通常使われるような敬語表現が(たぶん)無いので「報告します」と言えば、一応敬語として認められるはず。
しかし、「承知しました」「畏まりました」などが上位の敬語表現として存在すると仮定した場合、それをあえて使わないのは、敬意を積極的に表しているとは理解されません。
たとえば、「くださる」「召し上がる」という尊敬語を持つ「くれる」「食べる」を、「くれました」「食べました」と敬語(丁寧語)表現しても、それは、敬意を表している(尊敬表現)とは言えないのと同様です。
丁寧語を使っているので、あからさまに失礼というわけではありませんが、シチュエーション次第では失礼と認識されても止むを得ないだろう、ということです。
「シチュエーションを無視して全て適切だ」とおっしゃっておられるわけではないとのことですが、ビジネスシーンというのは、その無視すべからざるシチュエーションが極めて多いような気がします。
むろん、何度も申し上げていますように、簡潔性が要求される場合は除きます。
そうしますと、「承知しました」「畏まりました」が「了解しました」の上位表現と言えるかどうか、とういうことに焦点が当たることになります。
ここまでは特にご異議はないものとして、次に進みます。

個人的感覚としては、「畏まりました」がそうであるのは明らかだと思います。根拠はすでに述べてますので、あえて繰り返しません。また、同意もいただけることでしょう。
ご指摘のあった「承知」の場合、「うける」ではなく、「うけたまわる」という意味の熟語と考えていますので、これも上位表現と言ってよいと思います。
なぜかというと、たとえば、下記類語辞書にも、
「了解」「了承」は、事情や事柄の内容などを理解して認めること。
「承知」は、申し入れや頼みをききいれること。
のような比較解説があります。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/3244/m0u/
辞書解説文の解釈の問題になるかもしれませんが、これらを比較しても、「承知」には謙譲語のニュアンスがある、と言って差し支えないと思います。
「了解」に比較して・・・という点に、ぜひご留意ください。
「理解して認める」と「聞き入れる」のニュアンスの違いです。

また、「承知」自体の意味を再確認すると、
1 事情などを知ること。また、知っていること。わかっていること。「無理を―でお願いする」「君の言うことなど百も―だ」「事の経緯を―しておきたい」
2 依頼・要求などを聞き入れること。承諾。「申し出の件、確かに―した」
3 相手の事情などを理解して許すこと。多く下に打消しの語を伴って用いる。「この次からは―しないぞ」
となっています。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/109329/m1u/ …
「承知いたしました」は2の意味になるでしょうが、「承知」には、1の意味もあることにご注目ください。
これも辞書解説文の解釈の問題になろうかと思われますが、2は謙譲語性のある意味内容であるのに対し、1は、むしろ「了解」に近い意味であることがおわかりになる、と思います。
つまり、その区分けをするために、あえて意味を分けているのだろう、と思うわけです。
いずれにせよ、「承知しました」「畏まりました」は「了解しました」の上位表現(または、上位表現になり得る)と言って良いのではないでしょうか。
よって、
(敬意を表すべき)場合に、上位の敬語表現があるにも拘わらず(敬意を積極的に表す意図の無い)「了解しました」などを使うと、敬意が不足しているという印象を与えてしまう場合がある、ということになります。
 
   
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この回答へのお礼

 こういう書き方をするのは心苦しいのですが、やはり話がループしている気がします。

>丁寧語を使っているので、あからさまに失礼というわけではありませんが、シチュエーション次第では失礼と認識されても止むを得ないだろう、ということです。
 そのとおりでしょう。すでに書いたように「シチュエーション次第」だと思います。

>「シチュエーションを無視して全て適切だ」とおっしゃっておられるわけではないとのことですが、ビジネスシーンというのは、その無視すべからざるシチュエーションが極めて多いような気がします。
「極めて多い」「ような」「気がします」……これは主観ですよね。どの程度多いのかはなんとも言えません。「シチュエーション次第」ではありませんか?
「(目上には)使わないほうが無難」ということならわかりますが。

 gooの類語辞書の話はNo.7の「お礼」の段階で当方が出しています。それに対してhakobuluさんがNo.8で「最も不得意とする分野ですね。これに関してはお役に立てそうにありません」と書かれたので、もう済んだ話と解釈しています。いまさらその話を出されても……話がループするだけでは。

>「承知」には謙譲語のニュアンスがある、と言って差し支えないと思います。
 すでに書いたように、その解釈には個人差があります。
 当方は多少の謙譲語性を否定する気はありませんが、それが論理的な理由になるとは思えません。
 仮に論理的に説明できたとしても、「了解(いた)しました」を×にする理由にはならないと思います。

>(敬意を表すべき)場合に、上位の敬語表現があるにも拘わらず(敬意を積極的に表す意図の無い)「了解しました」などを使うと、敬意が不足しているという印象を与えてしまう場合がある、ということになります。
 これもすでに書いたように、そういう考え方をするなら、「承知(いた)しました」も×と主張することもできるでしょう。
 当方はそうは思いませんが……。

 いずれの話も、すでに出た話の繰り返しになっている気がします。
 あとはNo.22の「お礼」の最後の5行を繰り返すしかありません。

 14日朝、ネットで話題になっていることを教えてもらいました。
http://htn.to/C8Q27t
 ここでも、「了解(いた)しました」を×にする「論理的な理由」は見つけられそうにありません。

お礼日時:2014/02/16 13:14

#19です。



お陰様で、すれ違いの原因がわかりました。
わたしの表現不足だったと思います。
以下に改めて述べます。

1.
「了解」も「承知」も、【「相手の言ったこと」を「自分が理解したこと」】を表しています。
ただ、「了解」は「自分が理解したこと」に重点が置かれているため、「相手の言ったこと」に対する配慮が不十分なニュアンスを与える表現と言える。
一方、「承知」は謙譲語としての「承る」という単語が含まれている分、「相手の言ったこと」にも十分な配慮が為されているニュアンスになる。

2.
シチュエーションによっては、「相手の言ったこと」などに重点を置かなくても良いから、理解したかどうかを明確に断定的に表現する必要がある場合があります。
たとえば、「犯人は向こうに逃げた!お前は、すぐ裏に回って退路を断ってくれ!」と上司から言われた刑事が、「承知いたしました」では、あるいは「承知!」でも、いかにも間が抜けているでしょう。
ここは、やはり「了解!」と表現するのが妥当です。

しかし、大統領から、国を憂える気持ちと今後の対策について長々と聞かされた補佐官が「了解いたしました」と言ったとすれば、やはり不自然になるだろうと思います。
失礼とまでは言いませんが、あれだけ長く大統領の意向を聞いたからには、その「相手の言ったこと」 は十分に拝聴いたしました、というニュアンスを込めて「承知いたしました」とするのが自然ではないだろうか、ということです。

要するに、「了解」の使いどころが好ましくないと失礼な印象を与える場合もある、ということでしょう。
#19でも述べたことですが、
その性質を持たない(敬意を表す意図の無い)「了解する」という表現を、相手の言ったことに敬意を表わすべき状況のときに使えば失礼になる、
ということです。
ただ、両者の明確な線引きはなかなか難しいと思います。
そのため、使い分けが煩雑になる、ということで、なんでもかんでも「失礼だ」と決め付けてしまう人が出てくるのかもしれません。
結論としては、目上に対してであっても(敬意を表す意図の無い)「了解」が適切な場合もある。
逆に言うと、そうではない(敬意を表すべき)場合に(敬意を表す意図の無い)「了解」を使うと敬意が不足しているという印象を与えてしまう場合がある。
ということになると思います。
(自分が理解したことを緊急に表現する必要のある)シチュエーションを無視してすべて不適切だと決め付けるのは間違いですし、逆に、(相手の言ったことに敬意を払うべき)シチュエーションを無視して全て適切だと言うこともできないでしょう。
  
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この回答へのお礼

>わたしの表現不足だったと思います。
 そんなことはないと思いますが、話がややループしている気がします。

1.に関して。
>一方、「承知」は謙譲語としての「承る」という単語が含まれている分、「相手の言ったこと」にも十分な配慮が為されているニュアンスになる。
 すでに書いたとおりです。
「承」の字が入っているからといって、謙譲語性があるとは限らないでしょう。「承ける」の意味と思われる「継承」などは謙譲語性が感じられません。
「十分な配慮が為されているニュアンス」があると感じる人もいるでしょう。しかし、あくまでも「ニュアンス」ですから、「多少はある」と感じる人もいれば、「ない」と感じる人もいるでしょう。
「論理」ではなく、個人の主観の問題になると思います。

2.に関して
>「承知いたしました」とするのが自然ではないだろうか、ということです。
 なんとも言えません。相当目上(基準は不明です)ならそうかもしれません。その状況なら「かしこまりました」でなければいけない、と主張する人もいそうです。
 これも「論理」ではなく、個人の主観の問題になると思います。

>要するに、「了解」の使いどころが好ましくないと失礼な印象を与える場合もある、ということでしょう。
 そういうことだと思います。
 ただし、それは「了解(いた)しました」が不適切な「論理的な理由」ではなさそうです。

>(自分が理解したことを緊急に表現する必要のある)シチュエーションを無視してすべて不適切だと決め付けるのは間違いですし、逆に、(相手の言ったことに敬意を払うべき)シチュエーションを無視して全て適切だと言うこともできないでしょう。
 そのとおりだと思います。シチュエーションしだいでしょう。当方は「シチュエーションを無視して全て適切だ」などと主張する気は毛頭ありません。

 hakobuluさんのように、微妙なニュアンスや意味の違いを積み上げていけば、「論理的な理由」に近づくのかもしれません。
 ただ、世間に流布している〈(ビジネスシーンでは)「了解(いた)しました」は絶対ダメ〉などという主張に「論理性」があるとはとうてい思えません。理由らしい理由をあげている例はほとんど見ません。

お礼日時:2014/02/13 15:39

了解に対比するのが適当なのは、承知ではなく、了承でしょう。


了はたぶん、すべて、の意味と思います。
解は解読、理解の解、情報としての内容は十分伝わった(受けた)、したがって、聞き置く場合も使えます。
承は承諾の承、情報の内容に対して、こちらの意思表示があります。
と考えると、了承のつもりで了解を使っている人と議論しても・・・とも思いますが。
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この回答へのお礼

>了解に対比するのが適当なのは、承知ではなく、了承でしょう。
 
 そのように考えている文献がございますか?
 その文献にはどのように書いてあるのでしょうか。

 No.7の「お礼」にリンクを張った下記はご覧になってますか?
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/3242/m0u/ …
 
 No.19の「お礼」にリンクを張った下記はご覧になってますか?
http://dora0.blog115.fc2.com/blog-entry-45.html

>と考えると、了承のつもりで了解を使っている人と議論しても
 どなたのことでしょうか。

お礼日時:2014/02/10 21:00

#19ですが、若干、補足修正させてください。



×
3.
>つまりhakobuluさんの考察は〈「了解(いた)しました」は不適切ではない、むしろ「わかりました」のほうが敬度が低い〉ということでよろしいでしょうか。

そのとおりです。


3.
>つまりhakobuluさんの考察は〈「了解(いた)しました」は不適切ではない、むしろ「わかりました」のほうが敬度が低い〉ということでよろしいでしょうか。

そのとおりです。
ただ、敬意を表わすべき人に「了解」を使うのは好ましくないだろう、ということです。
「失礼だ!」とまでは思いませんが、少なくとも敬語表現とは言えないでしょう。
  
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