A 回答 (9件)
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No.9
- 回答日時:
北米のメリットですが、当初移民に成功したのは本国の抑圧を逃れようとしたピューリタンです(1607年)。
その後の移民の実態は多様で、本国で困窮して食べていけなくなった貧民がプランテーションの労働者としてアメリカへ、流刑者が流刑地としてアメリカへ、戦争で大量に徴収された兵士が戦争終結後失業してアメリカへ、いわば本国の棄民政策の場が北米でした。
経済的なメリットでいえば、砂糖などのプランテーションの存在です。
なるほど、ポルトガル、スペインが黄金など直接的メリットを目的としていたのに対して、北米移民は、弾圧からの逃避や島流しなど受動的理由によったのですね。
No.8
- 回答日時:
他の方へのお礼等に イギリスはなぜ北米に・・・とありましたので、No1の最初を書きます
スペインもポルトガルもそしてイギリスも「アメリカ大陸」に行きたかったのではなくて、インドに行きたかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E8%A5%BF% …
15世紀終わりから20世紀にかけて、欧州列強諸国は航海者や探検家を各大洋に送り出し、東アジアに向かう海路を発見しようとした。いわゆる大航海時代である。
~
こうして、アジアへの最短航路発見の夢が、ヨーロッパ人による北アメリカ大陸の東海岸と西海岸に対する探検活動の動機となる。
以上引用
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Cabot
Cabot had a simple plan, to start from a northerly latitude where the longitudes are much closer together, and where, as a result, the voyage would be much shorter.
緯度が高ければ(北に行けば)距離が短くなるから、直ぐに到達できる。
※ と イギリスに説いた(この部分は、なんかの本で読んだ記憶なのでおぼろげですが)
ありがとうございます。すると、アメリカが、インドでないと、わかったあともなお、インド(香辛料)を求めていたのですね。その結果、北米を開拓することができたわけですね?。最終的には北米が劇的に発展し、こぞってアイルランド、ドイツ、イタリア、ユダヤ、ポーランドなどから移民が押し寄せた、という理解でしょうか?。
No.7
- 回答日時:
大航海時代には船が自分の位置を確認できるのは南北だけでした。
北極星を見上げた時の仰角などから相当正確に位置を知ることは出来ました。
目標物の無い海上では東西の位置は確定できませんでした。
船の速さを定期的に測定するのと、搭載してある時計とから、出航した日時を基点として概略を割り出していました。
揺れる船上で正確に時を刻む時計が必要とされて、時計の技術が発達しました。
船の速さは、ロープに印をつけて船の後方に流してやり、その印の数を目安としました。
ロープに着けた目印(ノッチ)は、すなわち船の速度を表すノットの原語です。
外洋を航海をする場合には、まず目的地の南北の位置即ち緯度まで移動してそれからエイヤと船の向きを東西に替えて目的地へ向かいました。
コロンブスは、実はマルコポーロの東方見聞録に書かれている黄金の島ジパングを目指しました。
(こんな話に金を出す人がいないために苦労しました)
ジパングがあると考えた緯度で西に向きを変えて、真っ直ぐに行ったらカリブ海の入り口のサン・サルバドル島に行き当たりました。
この話を聞いたスペインやポルトガルの連中が、インドの東海岸と同じ緯度まで南下してエイヤと西へ向かいました。
たどり着いたのがブラジルの海岸でした。
この海岸の奥にはどうもバカでかい陸地が広がっているらしいと言いだしたのがアメリゴという男でした。
彼の名前をとってこの陸地をアメリカと称するようになりました。
それ以来、スペインやポルトガルはセッセとブラジル近辺に通いました。
コロブンスはそれには目もくれずに、カリブ海でジパング探しに明け暮れていました。
コロブンスにせよスペイン艦隊にせよ、帰り道は、メキシコ湾暖流に乗って北上して、適当なところで東へ向かいました。
そうこうしているうちに、北側にもバカでかい陸地があることがわかりましたが、スペインやポルトガルは南米でインディオから黄金や銀を巻き上げることに熱中していました。
当時の後進国であったイギリスやフランスは北側の陸地を目指しました。
以上が超概略の経緯です。
帆船が経度を正確に測定できなかったことが、アメリカの運命を決めました。
北大西洋の西の方角に陸地があることは、バイキングの昔から知られていました。
北大西洋というのは、メキシコ湾暖流が南西の方角から北上して来ているのと、常時西風が吹き荒れる海域です。
海流と強い西風に逆らって西へ向かうのは相当にしんどい航海で命がけでした。
大航海時代が始まったころまでは、命がけで北大西洋を渡るメリットも動機もありませんでした。
ということで、北米大陸の開拓は大幅に遅れました。
No.6
- 回答日時:
単純にいやあ、南米の方が金銀財宝がザックザクだったからです。
スペイン人とポルトガル人は単純だったからそれを略奪しまくって終わりでした。イギリス人は遅れてアメリカにやってきましたが、北米しか残ってなかったのです。南米にはスペイン人やポルトガル人だけではなくて、カトリックも広まっていて、イギリスはプロテスタントでしたからね。
ちょうどそのくらい頃、アイルランドなどでは人口が爆発的に増えました。理由は皮肉にも新大陸(メキシコ)からじゃがいもが伝わってきたからです。痩せた土地でも作れるじゃがいもはアイルランドやドイツやロシアに爆発的に普及します。それでアイルランドなんかは人口が倍に増えたそうですが、しかし倍も食わせられる豊かさがない。それで、アイルランド人は北米に移住する人が多く出ました。今でもアメリカ人にアイルランド系が多いのはそういう理由です。確かレーガン大統領もアイルランド系じゃなかったかな。
また、イギリスのプロテスタント信者の中には「もっとこう、聖書の教えに忠実な暮らしをしたい!」という人たちがいました。ピューリタン(清教徒)と呼ばれる人たちだったのですけどね。ピュアって純粋を意味しますでしょ。だからピューリタン。
この人たちが「ヨーロッパは俗世に穢れている。もっと穢れていない土地で清く正しく生きて行こう」と北米に移住したのです。
昔の海外ドラマで「大草原の小さな家」っていうのがあったのはご存じですかね。あのドラマの家族がピューリタンにとっての理想の生活なのです。今でもあの大草原の小さな家の生活を頑なに守るアーミッシュと呼ばれる人たちがアメリカにはいます。
今のアメリカを見ると「どこがやねん!」とツッコミたくなりますが、元々は「聖書の教えに従った、清く正しい暮らしがしたい」という人たちが集まっていたのです。今でも場所によってはモルモン教徒が力を持っていたり、進化論を教える教師が逮捕される町があったり、キリスト教原理主義者が多かったりするのはそういう理由があるんですよ。
No.5
- 回答日時:
すでに同様の回答が出ていますが、
金や銀、サトウキビのとれる資源が目的で南米が大航海時代の先進国スペイン・ポルトガルによって開拓されました。後進国のイギリス・フランスなどはその手垢のついていない北米に進出したのです。
No.4
- 回答日時:
地図がなくて、北米のほうがひろいことがわかっていなかったのです。
そもそもコロンブスは、自分がどこについたか正確にわかっていませ
んでした。インドかどこかについたつもりでいたのではなかったでしょう
か。
ちなみにコロンブスはスペイン王家の財政的援助を受けて航海してい
たので、南アメリカはその後スペインに植民されました。
あと、当時のラテンアメリカには、アステカとインカという帝国がありま
した。当時の北アメリカは、インディアンくらいしか住んでおらず高度な
文明などはありませんでした。
なので、さきについたほうが、南を侵略したのは当然です。
No.3
- 回答日時:
憶測です
ヨーロッパ人は、収奪が目的で、新大陸に行きましたが、
運搬用の帆船は、追風や横風がないと動けません。
ヨーロッパと北米では、同緯度なので、
偏西風の一定方向しか吹かない風では、
往復しづらかったのです。
ヨーロッパと南米では、偏西風や貿易風の
横風を受けて自由に航海できたのです。
また、暖かい地域の特産が魅力だったでしょうね。
もっと憶測です
イギリスは、後発だったので、ボストンあたりで我慢したのかも。
もっと後発のフランスは、カナダでしたね。
偏西風は、季節で緯度が変わるので、
年に1往復できれば十分と考えたのかも。
ありがとうございます。なあるほど。斜めの南南西や帰りの北北東だと風を帆に受けられるわけですかね。
イギリスやカナダは特産品のない北米に何しに行ったんですか?。
No.1
- 回答日時:
スペインもポルトガルもそしてイギリスも「アメリカ大陸」に行きたかったのではなくて、インドに行きたかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%88%AA% …
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Explos.png
それぞれの国から西に向かえば、海流や風の関係で北の方から
イギリスに雇われたカボットが西に向かえば北米
フランスに雇われたディ ヴェラザーノが西に向かえば北米の南部
スペイン/ポルトガルから西に向かえば南米大陸にたどり着く
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