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いたるところでゆとり教育への批判を聞きますが、賛同するご意見も聞きたいと思います。
ゆとり教育によって子供たちの学力低下がよくいわれます。
その批判はよく聞きます。
しかし、これもどれほどの問題が起こるのかについても疑問があります。
一方、受験勉強によって得られるメリットよりも、多くの青少年が大切な時期を受験戦争に費やすことに疑問もあるのですが。

A 回答 (17件中1~10件)

義務教育じゃないんだから自分で選んだ選択肢に責任を持てばいいだけの事です。

で、学力が凄まじく低下する方が問題です。センター試験の数学なんてレベルがこのまま低下すれば、高校受験問題より難易度が下がりそうですから。実際、20年前と比較すると、中学の二年間でやってきた事を三年に引き延ばしていますから。

http://matome.naver.jp/odai/2135866614370811801

これで悲鳴を上げる受験生なんて、頭が腐っているとしか思えない。このレベルの受験勉強に多大な時間を費やさなければならないのは程度が低く効率が悪いから。結局、大学がレジャーランドと化して、まともに勉学・研究に勤しまない環境ができあがったからですな。ゆとり教育のメリットが現代社会には全く見出せない。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
ゆとり教育には相当に批判的なのですね。
まず学力ありきというお考えですね。

お礼日時:2014/03/27 21:14

自分は世代ではないのですが、そもそも“ゆとり教育”とは、



「与えられたゆとりを行使して難しいことは考えないで休みなさい」

という事ではないですよね?

なので、学生本人の努力や不安のレベルで学力は変わるのではないでしょうか?


ちなみに自分の周りに、『自分に対しての“ゆとり世代”という世間の見方』を嫌って努力し、成功された方がいます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「学生本人の努力や不安のレベルで学力は変わるのではないでしょうか?」はそうでしょうね。
最後の努力した方はそれでよかったですね。

お礼日時:2014/03/27 21:17

>多くの青少年が大切な時期を受験戦争に費やすことに疑問もあるのですが


これだけ少子化が進み、大学は次々に新設されます。どこが「戦争」なのか分かりません。以前は大学はごく一握りの秀才だけが行くところで、高校でさえも生徒数より随分と少なかったのです。つまり高校入試で不合格だったら、その時点で生涯を中卒で過ごさなくてはなりませんでした。そのような時代なら「戦争」という言葉も意味があるのですが、現在の「広き門」の状態なら、名前さえ書ければ高校に合格し、分数ができなくても大学に入学できるのです。

「ゆとり」は低いほうに合わせるという発想から生まれた制度で、プロ野球で言えば6位のチームが追いつくまで、他の五球団が待っている状態です。面白くないのと同時に、することに意味のない制度です。

受験勉強が嫌なら勉強をしなければいいのです。困ることなど一つもありません。楽しいことを続ければいいのです。ある人が亡くなった時に、「死因は英語が不得手」なんてことが書かれることは金輪際ありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「現在の「広き門」の状態なら、名前さえ書ければ高校に合格し、分数ができなくても大学に入学できるのです」はその通りですね。
「ゆとりは低いほうに合わせるという発想から生まれた制度」はちょっと違うのでは。

お礼日時:2014/03/28 09:53

それは、教師のゆとりができる教育のことですね。



生徒は朝から夕方まで学校へゆけばいいし、学校で遊べばいいです。

勉強なんかテキトーでいいから土曜日も授業やれば特に問題ないです。

受験勉強は個人的に好きな子がやればいいです。

家で閉じ込めるのは反対です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「教師のゆとりができる教育のことですね」はそういう目的もあるでしょうね。
「家で閉じ込めるのは反対です」はその通りですね。

お礼日時:2014/03/28 09:56

 まず『ゆとり教育』の基本理念として


学校での勉強時間を減らし
 その分家庭の時間を増やし、人との対話、自然とのふれ合い、議論など
 家庭での勉強を増やそうという物です。

 決して学力をおろそかにしていいという考えではないんです。
問題は子供の自由時間に対し、多くの各家庭の親がなにも行わなかった・・・という事です。
 つまりゆとり教育の問題はその家庭や親にあります。

親が子供に対し何も教えないのであれば、学校の勉強のほうが遙かにましです
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ご指摘の「家庭や親」の問題はまったくその通りですね。

お礼日時:2014/03/28 09:58

競争世界で生きてきました。



ゆとり教育は、たしか大正時代に、ある教育者が提唱し実践したものと記憶しています。
私も、その流れで小中学教師が心酔し、教育を受けました。と言っても、子供の事ですからそんなものだと思い高卒で都会に出てきて、都会はゆとりがない厳しいところだと感じたものです。別にのんきに大自然に囲まれてゆったりと教育を受けたわけではありませんが。

実は、ゆとり教育は、ゆとりをもって教育するのではなく、ゆとりを作る教育なのです。
ですから、基本は暗記と実践、何でもやってみよう。体験教育でした。
そのため、6時間で達成させるために3時間はほとんど暗記と筆記で頭フル回転でした。次に2時間はその応用です。つまり体験です。理科の実験や算数ならば面積を求めるとなるとわら半紙を問題通りに辺を切りその面積の大きさを体験させられました。時には校庭で30m×60mの線を引いたこともありました。残り1時間は、そのまた応用で自分で類似問題を考えて発表です。問題と解答(適切な回答への導きも含む)今で云う塾の講師みたいなものです。それを小学生にやらせるのです。
そう、5時間詰め込み授業で1時間ゆとりを確保する、ゆとりを作る教育でした。

高校では、英語の和訳は現代文と古文漢文もどきが求められました。教科書全文丸暗記ですから出来る奴は授業の半分はゆとり時間で、全く出来ない私などは地獄の特訓で今でも夢に出てきます。
ですから、得意な分野ではダントツにゆとり時間でした。

結論:ゆとり教育は必要です。
教えるほうも受ける者もかなり緊張が続き、それからの解放はとてもありがたい時間でした。都会に出てきて、その開放時間がなくびっくりしたものです。
ゆとり教育は、教師にとってもかなり緊張を強いられるものですので、それが嫌で「ゆとり」を手抜きとしたのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
具体的な体験談よく分かりました。なるほどですね。
最後のまとめの「緊張からの解放」はいい言葉ですね。

お礼日時:2014/03/28 10:04

> ゆとり教育によって子供たちの学力低下がよくいわれます。



これは、ご質問者さんの情報源が、表面的なだけなのでは?

ゆとり教育で問題視されたのは、マスコミはともかく、教育関係者は、「やる気」です。
これが、とにかく低い。国際比較でも、過去の日本との調査との比較でも。

日本は資源がない貿易立国ですから、そこに住む人のやる気がない、というのはとてもまずいと考えるわけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「ご質問者さんの情報源が表面的なだけなのでは?」とありますが、そんなことはありません。いろんなところでいわれています。
「日本は資源がない貿易立国ですから」は小学校、中学校の社会の教科書に載っていることですね。

お礼日時:2014/03/28 10:09

ゆとり教育には、いくつかの柱がありました



それらを無視して語る人が多いのは、マスゴミのせいだとは思います


まず、完全週休二日制の導入(2002年4月6日)がありましたね

それに伴い、土曜日や放課後や普通の時間帯(授業)に、一般の人たちを学校に受け入れ、地域の様々な職業の人たちや年配の人たちを招き、様々な学習の機会を児童や生徒に与えるというモノでした

いわゆる、「開かれた学校」という政策です

これらが成功していれば、例えば・・・大工さんになりたい、農業をやってみたい、地域に役立つ仕事をしてみたい、ボランティアをしてみたい・・などの多種多様な将来の夢を育むことが目的とされていました

何のために勉強をするのかを、子どもたち自らが見出す・・・・、ここまでが「ゆとり教育」でした



しかし、なぜこれらのことが行われなかったのかをマスゴミも一般人も忘れています



「附属池田小事件」です (2001年6月8日)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%84%E5%B1%9E% …


それまでは、ゆとり教育の準備として「開かれた学校」を目指し、一般人(地域の人)でも自由に学校に入れるように進められていましたが、この事件をきっかけに、「閉ざされた学校」になってしまいます

本来は、地域の人たちが教師に変わり、児童や生徒のワークショップに参加したり、行事を一緒に行うなどの目的がありましたが、その目的だけが失われたままで「ゆとり教育」が続けられました

また、民主党の「高校授業料の無償化制度」などにより拍車がかかり、ある程度の学力があれば良いという思考が蔓延しました


つまり、書かれている「学力低下」という言葉もマスゴミや左派が作りだした妄想で、本来は「目的低下」であると思います
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほどと思いました。
「開かれた学校」は素晴らしいことです。
このような考えはこれからの日本に必要でしょうね。

お礼日時:2014/03/28 10:17

自分の意思だけでちゃんと生きていける人というのは大人でもほとんどいません。

まして子供ではまず無理でしょう。ゆとり教育のゆとりというのは、いわば自分ひとりで生きて行けというようなものです。これは自分のことを考えても賛成しにくいです。おそらくゆとり教育というのは拝金主義の変形だろうくらいにしか考えられません。普通の大人はゆとりある生活というとお金に不自由しない生活と考えないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
最後の「普通の大人はゆとりある生活というとお金に不自由しない生活と考えないでしょうか」はそうでしょうね。
ただ「おそらくゆとり教育というのは拝金主義の変形だろうくらいにしか考えられません」がちょっと分からなかったです。「つまり」が欲しいです。

お礼日時:2014/03/28 10:22

kaitara1です。

大人にとっては、かねにならないことをやるのがゆとりなのですが、子供の場合には学力が増加しないことをやるのがゆとりです。つまり多くの大人は、自分の子供が金に困らないように学力をつけさせようとします。学校がない時は塾に通わせます。これがゆとり教育の実態です。拝金主義というのは金にならないことはしない、金になることならないでもするという主義です。日本語もろくに操れない小学生に英語を教えようとするのもそうです。英語が使えないと、将来高収入が得られる企業にはいれないからです。つまりゆとりも金を生むために使わなければならないのが拝金主義です。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
「ゆとり教育というのは拝金主義の変形」とはそういう意味なのですね。
確かに、地方の自然豊かな中で暮らすのとは違って、都市部ではお金を稼ぐことが豊かな生活につながりますからね。

お礼日時:2014/03/28 14:50

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