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戦国時代は戦闘終了後、敵の階層も含めた首実検により戦功が決められたようで、戦の最中誰が誰を討ち取ったか等々それを見てる役割の役人もいたようです。(ウィキペディアや他の資料で大体調べました)

質問ですが大規模な戦闘で(設楽ヶ原、四次川中島、関ヶ原のような)敵味方入り乱れるような戦でもその戦見付?みたいな人は全ての戦功(足軽に至るまで)を目視してたのでしょうか?
時代背景、大名や戦闘場所により異なるでしょうが何人の兵に対して大体何人のお見付けがいたのでしょうか?(実際、戦に赴く者の立場になったら重要だと感じました)

また、戦闘中に可児(笹の才蔵)のよう首を馬にぶら下げてたのは事実でしょうか?(戦闘中、敵の首などまともに切ってたら背後からやられそうです)
やはり戦が終わったあと順々に戦死者から首をあげてたのでしょうか?

その辺のことを詳しく知りたいと思いました。複数回答ですがよろしくお願い致します。

A 回答 (3件)

戦目付・軍目付の仕事は、採点以外に、お守りや監視もあり、各部隊に一人か二人。


部隊の重要性に比例して、目付役も大物があたります。
http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/senjiyak …
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/334 …
http://www.sekigahara1.com/?p=467

戦闘中に可児(笹の才蔵)のよう首を馬にぶら下げてたのは事実でしょうか?
やはり戦が終わったあと順々に戦死者から首をあげてたのでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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この回答へのお礼

ご回答頂きありがとうございました。知りたい内容全て詰まっていましたのでベスアンさせて頂きます!
現代では考えられないような壮絶で猟奇的な場面が容易に想像できます(>_<)
こういったものを読んでると現在の平和な時代に生まれ、つくづく良かったと思いました!!

お礼日時:2014/04/18 07:18

検視役は居ましたよね


有名なところだと秀吉の毛利攻めのさいに備中高松城主の清水宗治の首の検視は堀尾茂助(吉晴)が行ってます

ちなみに可児才蔵は首をぶら下げていたわけではなく
関ヶ原で討ち取った17の首に目印に笹の葉を立てて自分が討ち取った首とわかるようにしました
なので可児才蔵は「笹の才蔵」と呼ばれています


明智光秀が死んだ時だって 首は秀吉が確認してますが
それはだいぶ後で腐ってて判別は不能でした


それに首実験がされるのは名前のある せいぜい足軽大将以上の首です
無名の雑兵や下っ端の足軽の首は捨て首といって討ち取っても手柄にはなりませんでした

この回答への補足

自分の質問の仕方がおかしかったようなので補足致します。
戦闘終了後の首実検全般のことではなく、戦闘中の監視役人についてと戦闘中の首級のあげ方(討ち取った間際、戦闘状態が続くなかでどう首級をあげたのか)についてお聞きしたかったです。
文章が下手くそで申し訳ありません。

補足日時:2014/04/15 18:23
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この回答へのお礼

ご回答頂きありがとうございました!光秀の首が腐っていた・・・
それは知りませんでした。勉強なりました!!

お礼日時:2014/04/18 07:13

 タイムスクープハンター劇場版 で参考に成るシーンがありました。



 手柄をあげられないお侍が、それっぽい人物のクビをはね兜なども武将っぽい恰好をさせるというシーンがありました。 映画ではそう成る前に助かりましたが。
 鎧や衣装などで区別をしていたようですね。だから他人でも分からない可能性はあります。
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この回答へのお礼

ご回答頂きありがとうございます!映画と史実は異なるでしょうが上級武士ともなれば確かに鎧や兜で見分けがついたのかもしれませんね。拾い首は多くあったみたいです。

お礼日時:2014/04/18 07:23

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