「覚え間違い」を教えてください!

最近押入れの奥から学位記が入った筒が転がり出てきたので、久しぶりに中身を見てみました。3枚を見比べてみて、ちょっと疑問に思ったのでご存知の方ご教授ください。

1. 学士の学位記と、修士、博士の学位記の授与者について
私は学部、大学院とも同じ大学なのですが、学士の学位記の授与者は「○○大学総長○○○○」「○○大学工学部長○○○○」の連名でした。これに対し大学院の方は、修士博士ともに、「○○大学」のみでした(人名なし)。これには何か意味があるのでしょうか?それともたまたま学位記のフォーマットが変わったタイミングで在学しただけでしょうか?

2. 博士の「所定の単位」と「最終試験」について
学位記に、所定の単位を取得して最終試験にも合格したから博士の学位をくれてやる、旨の記載があります。しかし、博士後期課程の3年間で、いわゆる単位というやつを一度も気にしたこともなければ自分が何単位取得したかも知りません。最終試験といわれても、何を以て最終試験なのかよくわかっていません。雰囲気的には、最終試験については学位審査してくれ的な書類を出した覚えがあるので、博士論文の提出とその後の公聴会がそれなのかなと思いますが、しかしやはり「単位」はいまだに謎です。事務手続き上必ず何かあると思うのですが、明確にご存知の方いらっしゃいますか?

くだらない質問で恐縮ですが、よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

単科大学と総合大学と言ったのは単科大学の場合は学部長っていないですよね。

そういう意味で言いました。

単位の話ですが、思うに(推測ですが)、もし“単位”と言う考えがない場合、論文が通らず学位がもらえなかったらオーバードクター(留年)か中退ですよね。でも、“単位”は満たされていると考えれば学位はあげられないけれど修了としていいですよ、となります。その後、研究生になるなり実験補助や助手になって(収入を得ながら)その研究を続けて、学位審査会に提出できるくらいにまとまれば、提出して学位をもらうことが出来ますよね(オーバードクターなら奨学金も打ち切られます)。しかし、もし、中退ならもう一度博士課程に入りなおすかより審査基準の厳しい論文博士で学位を取らないといけなくなります。

そのために“単位”を考えて、そしてその“単位”があるのなら何かしなければと思う大学は授業らしきものをやっているということではないでしょうか。
私が博士課程に入った時に、“単位をつけているので何か授業をした方が良いということで共同研究施設の説明会を始めた”と聞きました。
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この回答へのお礼

再びありがとうございます。

>単科大学と総合大学と言ったのは単科大学の場合は学部長っていないですよね。

なるほど、そういわれればその通りですね。総合大学にしか身を置いたことがないので、学長、学部長がいるのが当たり前だと思っていました。

>私が博士課程に入った時に、“単位をつけているので何か授業をした方が良いということで共同研究施設の説明会を始めた”と聞きました。

やはり大学によるものなんでしょうか。単位取らされた感が記憶として一切ありません。

お礼日時:2014/05/03 01:55

単位について,いま思い出したこと。



演習のほかに,わりときちんとした講義形式の特論(特講)がありました。専攻教員が回り持ちで,毎年1科目を開講するものです。3年間で3教員6単位。だから,「○○さんの特論は今年しか聴く機会がない」といって,単位とは関係なく聴講する院生もいたと思います。

優秀な大学に勤めると,教員冥利につきますな。うちの田舎大学で,「在学中にp先生の講義を聞き逃すわけにはいかん」と言ってくれる学生なんかほとんどいないよ。必修科目ならわんさと来るけど。

この回答への補足

ちょっと書き損じたので訂正しますが、「いわゆる授業というやつを受けた覚えがありません」は不正確で、「いわゆる授業というやつを受けさせられた覚えがありません」が正確です。企業の研究員など学外から講師を招いた特別講義とか、定年退官の教授の最終講義とかいったオープンなものは聴講していました。番外編としては、友人の公聴会を聴講して、門外漢の自分が素人質問をぶつけてその友人の困った顔を見て楽しんだりとかもしてました、その後見事に仕返しされましたが

補足日時:2014/04/28 00:22
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この回答へのお礼

さらに再びありがとうございます。

#2の方のお礼にも書いたのですが、いわゆる授業というやつを受けた覚えがありません。いや、実は受けたはずだが全く記憶にないだけなのかもしれません。

お礼日時:2014/04/28 00:02

>ところで、学歴の後ろ盾は学位記(ちょっと厚手の紙切れ)しかないんでしょうか?



成績証明書を発行してもらえば,成績のほかに入学年月日と修了年月日が書かれていますから,これで学歴は証明できます。いわばこちらが「車検書類」で,学位記は「フロントガラスに貼るシール」。

>最終試験は、ある意味ご褒美ですね。ページ数の上限がない論文を書けて、講演会並みの口頭発表の時間をもらえる、こんな楽しい試験は過去に経験がありません。

いやあ,それは一般的じゃないでしょ 笑。指導教員にとっては「文句の言い納め」だし,後輩にとっては「みせしめ公開処刑」だと思いますよ。 ぼくは論博だけれども,教員の看板を背負った人間が集中砲火をあびて脂汗たらして抗戦するところを,聴きにきたぼくの指導学生に見られちゃった。もっとも,彼らにとっては,自分らの処遇が「ぬるま湯」だとわかったろうと思いますが。
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この回答へのお礼

再びありがとうございます。

学歴は車検書類を請求すればいいわけですね。どうやら「高卒」になっちまうのは避けられたようです(笑

「みせしめ公開処刑」とは面白いですね。私の指導教官は関係者の間ではとても切れ味の鋭い刀のような指摘をする人として知られていたのですが、毎週の進捗報告会ではまさに斬り合いのような議論をしていました。良く言えばざっくばらんに、悪く言えば教官も学生も時に声を荒らげて議論したものです。もしかしたらそれで感覚がマヒしていたのかもしれません(笑

お礼日時:2014/04/27 23:58

明確には知らない40代の者ですが、自分の経験を言いますと、



1. 学士の学位記と、修士、博士の学位記の授与者について
私は学部と修士課程が単科大学で、博士課程が総合大学でした。いずれの学位記の最後には学長の署名と印が印刷されています。ただ、卒業(修了)後、卒業(修了)証明書をもらうとその書類にはいずれも(現在の)学部長の名前になっています。


2. 博士の「所定の単位」と「最終試験」について
『しかし、博士後期課程の3年間で、いわゆる単位というやつを一度も気にしたこともなければ自分が何単位取得したかも知りません。』
文系の方は知りませんが、理系(生物系)なら実験して良いデータを出すことが唯一の仕事ですよね。ですから、研究室に来て実験していれば出席点?として評価されてそれが単位になるのではないでしょうか(病気で長期に休むとダメ?)。

私の場合は、後期課程に入学時に共同実験施設の方たちが1,2週間かけて遺伝子工学(シーケンサーの説明)や顕微鏡などの共同研究施設の機器の説明の授業があり、それが単位になると言われました(出席をきちんと取っていました)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私も40代なので年代が近いですね。

1. 単科大学、総合大学といった分類というよりは、大学のポリシーの問題のようですね。卒業(終了)証明書は取得したことがないので、現学部長の名前なのは初めて知りました。まあ、「学位記」というお手紙を書いた人は当時の学長、昔卒業したことを照明してあげるのは、過去の名簿を調べてくれた学部長、というのは筋が通る話ですね。

2. 少なくとも私はDCのときにいわゆる「授業」というやつを受けた覚えがありません。理系だとどの研究室でも当たり前のように行っている、定期的な進捗報告会が単位の理由になっていたりするんでしょうかね。

お礼日時:2014/04/27 23:46

1.学士が「大学の代表」+「当該課程の代表」の連名になっているのに合わせれば,修士・博士は学長+研究科長にすべきじゃないかと思いますがね。

ちがいがある理由は,学士課程と大学院の運営が別々で,おたがいに調整しなかったからじゃないですか。

ぼくの博士学位記では,研究科委員会委員長がまず「所定の学力」を認定し,それを受けて学長が「学位」を授けたという2段構えのかたちですね。学士・修士もおなじ手順です。学長は「総長」と表記されていますが,総長は文科省の正式な職名ではなく,大学内で勝手に呼称しているだけのはずです。だから,文科省が「これらの文書は無効だ」と言い張れば,最終学歴が「高卒」になっちまう 笑。

2.

>博士後期課程の3年間で、いわゆる単位というやつを一度も気にしたこともなければ自分が何単位取得したかも知りません

ちゃんと何単位という定めがあります。単位数が少なく,指導教員の演習(研究の打ち合わせもふくむ)で自然にとれたりするので,気にしなかっただけです。

>最終試験・・・博士論文の提出とその後の公聴会

そうです。博士論文には単位がなく,評価も「合・否」しかありません。だから,単位をとって学位をとらない「単位取得退学」というふしぎな終わりかたができます。「修了」するためには,オプション(学位)をつけないといけないわけです。

卒論・修論には単位とABCD評価があるので,これを取得しないと卒業・修了できません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

1については、私が在学中いわゆる大学院重点化の過渡期だったこともあり、何かが変わったのかもしれません。学部卒の時点では教職員は全員大学院所属、事務室が学部と大学院でわかれていることもなかったです。間違いなく学生に近いところでの運営は一本化されていたと思います。

「総長」は、正直違和感ありました。大学に入学した時は「学長」だったのですが、ある年から医学部の教授が学長になり、いつしか「総長」と名乗るようになったのです(という情報で出身大学バレそうですが)。ところで、学歴の後ろ盾は学位記(ちょっと厚手の紙切れ)しかないんでしょうか?大学が「配った紙切れは出鱈目書いたが、確かにこいつはうちの大学修了してるぜ」と言い張ってくれればそれが後ろ盾になったりするんじゃないかと淡い期待を持っています(笑

2は、形式上単位というのはあるのですね。にしても、単位の取得要件も知らずに3年間を過ごしていたわけですが、単位の証明書とか大学に請求したら詳細がわかるかもしれないですね、請求しないですけど。
最終試験は、ある意味ご褒美ですね。ページ数の上限がない論文を書けて、講演会並みの口頭発表の時間をもらえる、こんな楽しい試験は過去に経験がありません。

お礼日時:2014/04/24 02:22

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