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天皇で最初に法皇になったのは花山天皇でしょうか?
それ以前にも在位中に出家した天皇は居たのでしょうか?

A 回答 (2件)

こんにちは


花山天皇の出家については、一応退位後の出家とされています。『日本紀略』の寛和二年六月二三日の記述(花山天皇の条)に、「今暁丑剋許。天皇密々出2禁中1.向2東山華山寺1落飾。于レ時蔵人左少弁藤原道兼奉レ従レ之。先2于天皇1.密奉2釼璽於東宮1。出2宮中1云々。年十九.翌日。招権僧正尋禅1。剃2御髪1.御僧名入覚。」とあります。
これに対して、同じ日の一条天皇の条でも、「崋山天皇偸出2禁中1。奉2釼璽於新皇1。年七。外祖右大臣参入。令(下)固2禁中1警備(上)。翌日。行2先帝譲位之礼。」とあり、花山天皇の条とほぼ同じ内容となっています。これらは、『大鏡』の記述とも一致しています。
これらの記述を総合すると、寛和2年6月23日の丑の剋(現在の午前2時前後)頃に、花山天皇は藤原道兼と宮中を密かに抜け出すが、この時、三種の神器の内、草薙の剣と八尺瓊の勾玉が東宮(一条天皇)に移ったとされています(なお、八咫の鏡は宮中の賢所に安置してあるので、天皇の身辺には置かない)。花山天皇が宮中を出た後(直後だと思われます)、右大臣藤原兼家(道兼の父で一条天皇の外祖父)が現れて宮中の諸門を閉めて、花山天皇が戻れないようにします。宮中を出た花山天皇は一条通を東に進み、鴨川を渡って南下し、東山と言うより山科の花山寺(元慶寺)に入って、出家したととされています。
名分論ではありますが、草薙の剣と八尺瓊の勾玉が東宮に移った段階で、皇位が一条天皇に移ったことになりますから、花山天皇は出家の段階では退位した天皇という事になります。ただ、この話は後日つくられたのではなく、藤原兼家により周到に計画された宮中クーデター(寛和の変)で、各自役割分担がなされ、兼家と長男の道隆(中関白)が宮中担当。次男の道兼が天皇を誘い出す担当。三男道長が関白頼忠への連絡係。清和源氏の源満仲が宮中を出た後の天皇の警護-と言っても、宮中に戻さず、道兼が出家させられないための監視担当とされています。このような状況からも、時系列は『日本紀略』・『大鏡』の記述だったと思われ、皇位の象徴である剣璽が一条天皇側に移っていますので、数時間の違いとはいえども、名目的には在位の天皇が出家したとは言えないことになります。
では、天皇で出家者がいないかと言うと、います。まず、出家した後の天皇となったのが天武天皇と、称徳天皇。天皇で崩御に先立って在位のまま出家したの天皇もいます。さらに聖武天皇についても在位中に出家したとの説があります。
出家した後に天皇に登位した例については、白河法皇が堀河天皇崩御の後と、後白河法皇が安徳天皇の(平家に伴われて)西下した時に、重祚を考え、先例を調べさせた時に例に上がっていますが、天武天皇の例は重視されたようです(ただし、重祚は実施されませんでした)。その天武天皇ですが、『日本書紀』の天武天皇の条の、天智四年の十月十七日の記述に、「(天智)天皇、東宮(天武)に勅して、鴻業(あまつひつぎのこと=皇位)を授く。乃ち辞譲びて-中略-即日に、出家して法服をきたまふ。」とあり、出家したことが記述されています。その後、天武は大津京から吉野に移り、さらに天智天皇の崩御後に東国(伊勢・尾張・美濃)に走り挙兵して、弘文天皇(大友皇子)の主催する近江朝廷を打ち破って天皇となるわけですが、出家した後に天皇となったことがはっきりしています。
称徳天皇ですが、最初孝謙天皇として聖武天皇の譲りを受けて天皇となりますが、退位後出家し、その後、淳仁天皇・藤原仲麻呂(恵美押勝)と対立し、714年の恵美押勝の乱で反対派を一掃して、称徳天皇として重祚します。天平神護元(715)年11月23日の記述に、「詔曰。「今勅く。今日は大新嘗の大新嘗の直会の豊明-中略-朕は仏の御弟子として菩薩の戒を受賜て在。此に依て。上つ方ば三宝に供奉。次には天社国社の神等をもなやびまつり。」とありますので、称徳天皇として大嘗祭の時に出家していたことになります。
さらに、孝謙・称徳天皇の父である聖武天皇については、天皇在位のままで東大寺で出家したとの有力な説があります。
さて、崩御の直前に在位のまま出家した天皇としては、まず仁明天皇の例があります。『続日本後紀』の嘉祥三(850)年三月十九日の条に、「是日。天皇落餝入道。誓受2清戒1。」とし、同月の二十一日の条に、「帝崩2於清涼殿1。」とありますので、崩御直前に天皇の位にあったまま出家したことが分かります。堀川天皇も嘉承2(1107)年7月19日に崩御されますが、6月20日に落飾出家したことが出ています。このように、天皇在位のまま崩御される場合、落飾出家することがあるのですが、どのようなわけか一般的な資料に出ていないので、詳しく調べないと分からないので、他の天皇にも該当する例があるとは思うのですが、時間がないのでわかっている仁明・堀河天皇の例だけを挙げておきます。

以上、参考まで。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/07/31 09:52

・在位中に出家した天皇



明確に、わかっているのは花山天皇が最初


上皇からの出家したは,聖武上皇・孝謙上皇・清和上皇の例もあるが,
最初に当時から法皇と言われたのは,寛平法皇と呼ばれた宇多上皇が初例。

聖武天皇も、「三宝の奴」となるといい、いきなり寺に行き落飾出家したので、
あわてて、朝廷が「陛下は譲位された後、出家されました」と公式発表して
体裁整えたという異説もあるが\(^^;)...
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この回答へのお礼

arigato

お礼日時:2014/07/31 09:52

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