No.11
- 回答日時:
他の方も回答していますが、やはり国内の経済対策が大きいですね。
アメリカが中立を宣言していたのは、第1位次大戦で景気がよかっったので、内需拡大ができていたからですが、その後の世界恐慌からなかなか立ち直れなかったのが1930年代です。
ニューディール政策で財政出動させたのに、すぐに金融引き締めをやってしまって、今の日本のような状態になってしまいました。
失業率は10%前後だったので、失業対策では戦争が最も当時は効率が良かったので、戦争やりたくて仕方なかったのがルーズベルト政権でした。
実際に日本と開戦する前には、議会を説得して武器輸出の解禁をさせたりしています。
そして、実際に日本と開戦すると、1200万人の雇用を生み出し、1945年には、失業率1.2%を達成しています。
No.10
- 回答日時:
うーん、すごい回答がキラ星のごとくですねぇ(;^_^A
陰謀も景気も関係ないです。簡単です。
ナチス・ドイツがアメリカに宣戦布告してきたからです。真珠湾の3日後、12月11日に。
おなじ日にイタリアも対米宣戦布告しています。で、この日に日独伊は、「対英米軍単独不講和条約」をむすんで、がんばろう、と誓っています。
だからアメリカは、日本、ドイツ、イタリアと戦争することになりました。
日独伊三国同盟は、同盟国が戦争をしかけられたら、いっしょに戦うという項目はありましたが、しかけた戦争にはつきあう必要がありません。事実、日本は独ソ戦につきあっていませんよね。
なので、ドイツも日本がアメリカにケンカ売ったのにつきあう必要はなく、実際ドイツ外務大臣のリッベントロップや海軍は、対米宣戦布告をしないようヒトラーに働きかけています。
ただ、ヒトラーは
・英国を打倒したとしても英国政府(と王室)はカナダに移動するだけで、いずれアメリカを連れて参戦してくる
・日本が太平洋、インド洋、ペルシャ湾までおさえてくれれば、英米はそちらのほうを重視して、欧州に介入してくるのは先になるであろう
・それに、アメリカはドイツが占領しているデンマーク領グリーンランドに軍事進駐しているし、ソ連にも英国にもレンド・リース法で武器を流しているから、実質戦争は始まっている
・むしろアメリカ船を区別しなくてすむから、大西洋でのUボートによる通商破壊はいま以上に効率よく実施され、レンド・リースでかろうじて維持されている英ソは共倒れとなるだろう
と、考えたらしく、ならアメリカも合法的にドンドン攻撃できるようにした方がよいだろう、との結論に至ったといいます。
日本を過大評価しており、かつUボートの将来を楽観しているのがよくわかります。
アメリカ国務長官だったキッシンジャーですら、ドイツの対米宣戦布告については「謎だ」と書いているくらいですから、私のドイツ対米宣戦布告の理由もダボラではないにせよ推測です。
が、法的にはアメリカは、ナチス・ドイツが宣戦布告してきたから、すでに戦争状態の日本、そしてナチス・ドイツ(ついでイタリアその他枢軸国)と戦争を始めたのです。これで、正解です。
No.9
- 回答日時:
様々な複合的な理由に起因して、ボタンの掛け違いや行き違い、思い込みや財布の事情等で起きています。
大きな理由としては時代の流れ、小さな理由としては政府の都合、何れは始まるものが始まった戦争でした。
(1)経済目的
当時は戦争は、勝利者が敗戦国に賠償金を課して、経済力を高める目的がありました。(しかしWW2は1の時のドイツへの賠償金が引き金とも言える)
更にアメリカは軍需産業界からの政治資金も多く、戦争を行う事を望まれ、また、現実に戦争の度に内需が拡大する性質を持っていました。
(2)「黄禍論」の存在。
遠くは13世紀に遡りますが、当時ヨーロッパはイスラム圏との攻防を繰り返していました。
其の中で一つの伝説がありまして、東方の遠国に敬虔なキリスト教徒の王「プレスター・ジョン」が存在していると言うものです。
此の東方の王が、イスラムを滅ぼしてくれると言う内容です。
そして現実にモンゴル軍が東から隣接するイスラム圏を侵略し始めます。
基督圏は歓喜しましたが、直ぐに悲鳴に変わりました。
モンゴルはヨーロッパにも侵攻したのです。
此の時の記憶が「黄禍論」となったとの説があります。
ただ当初は中国が其れだと見なされていましたが、現実には中国は近代化が出来ずに居て、隣の日本がちょんまげだったのが洋式の軍隊を持ち、日露にも勝利しました。
現実味を帯びて来ていたのです。
(3)ダーウィニズムの存在
人種差別と被りますが、優性論とでも言いましょうか。
大体要約すると「生物は理想の姿を目指して競争をしている、最適解以外の生物は劣等種で滅びる種であり、人間が頂点だ」と言う物で、「万物の霊長」という言葉が其の象徴です。
そして其の最適解に最も近いのが白人であるという思想です。
ヒトラーも劣等人種と言う言葉を用いていますね、アメリカと同レベルです。
(3)奴隷制の存在(アメリカでは奴隷解放されていましたが)
此れは経済問題と人種問題の双方に被ります。
当時の奴隷は経済奴隷であり、労働力でした。
しかし工業化が進んでいる所では、人力ではなく技術者(工員)を求める時代になっていました。
奴隷制の維持の意義の狭間で揺れている時代だったのです。
テンションが上がっている所に、日本が人種差別撤廃論で切れ目を入れた感じです。
各国としては、邪魔な発言と見えたかもしれません。
(4)日本の国防意識
幕末からこっち、ずっと日本は国防を意識していました。
「富国強兵を成し、維持しなければ国体を保持出来ない」此れが全てでした。
最終的には戦争でしか、国際問題の解決法が無い時代で、日本の選択肢も世界の選択肢も、一択でした。
しかし日本は「国防」の為に侵出し過ぎたのです。
もちろん日本の都合も言い分もあったのですが、其れで収まる物ではなかったのが現実でした。
以上が潜在的な問題で、此れに皆さんの仰られた様な引き金が働いて、アメリカ参戦となりました。
この回答へのお礼
お礼日時:2014/09/19 23:37
大局的なご意見ありがとうございました。大変参考になりました。確かに日本は迫り来る列強の脅威から身を守るためだったとはいえ、出すぎてしまった感は否めません。
No.8
- 回答日時:
当時のアメリカには、それ以前からの風土、国民感情として、他国と同盟しない、同盟した結果、国際政治や国際紛争の煽りを受けてアメリカ国内で、多数民族から構成されているアメリカ内部で紛争が起きてしまうのを恐れていた心情があり、国際的政治的には孤立主義、モンロー主義の状況がありました。
だから、政府の思惑や財界の思惑とは別次元で、国際戦争に参戦してアメリカが一方に与し、同盟関係をつくるのには反対の人々が多かったようです。
ただ、先行回答者さんが指摘しているように、第一次大戦で経済力を高めたアメリカも、戦後の不況、大恐慌に苦しんでいて何とかしなくてはならない状態があり、輸出や武器支援というだけでは、先々ヤバイ状態に陥る危険は感じ、政府はそれなりに本格参戦の準備をしていたようです。
形式的に眺めるなら、1941年12月に日本がハワイを攻撃し米国としては応戦する状態になったこと、この太平洋での開戦をみてドイツとイタリアが12月11日にアメリカに宣戦布告したので、アメリカとしては受けて立つ恰好になり、米国民に対しての説明もしやすくなった陽です。
面子のようなものは、戦意をかき立てる大きな要素ですから、攻撃された・宣戦布告されたというのは、アメリカが本格的に参戦するおおきなきっかけになったと思います。
第二次大戦で、欧州が経済的に大打撃を受け、アメリカは経済的には無傷で大きな市場を得ることが出来たので、その後は、世界の警察、自由社会の旗手、覇権主義に傾き、孤立主義やモンロー主義的な意見は少数派になっています。
No.7
- 回答日時:
ま、アメリカが日本といずれ戦争をしようと考えていたのは確かです。
確定的になったのは、人種差別撤廃法案(1919年)をアメリカが無理やり廃案に追いやった事です。
これ以後、日米ともに戦争計画を立案します。アメリカではオレンジ計画(1919年)といいます。
さて、質問のルーズベルト大統領は第二次世界大戦に参戦する決意を強めたのですか?ですが、
ルーズベルト大統領はスミソニアン博物館教授アレス・ハードリシュカに、「日本はなぜ邪悪なのか」ということを研究させたり、 「日本人が邪悪なのは、我々よりも頭蓋骨の発達が二〇〇〇年遅れているからだ」というような事を本気で信じていた、強烈な人種差別主義者でして、日本人を病原菌にたとえ、「日本人の根絶」を政治目標としていました。
注意して欲しいのは、ナチスドイツのユダヤ人迫害のモトっとなっている「優生学」はアメリカが本場です。
具体的な事例としては
(1)ルーズベルトは対日石油輸出禁止政策を発表する二日前に「東京無差別爆撃の許可を海軍提督とグラマン社と大統領署名付きで、フライング・タイガースに命令証を発行していた(近年の情報開示制度で発覚=JB355)。
(2)米ソ冷戦時代幕開けにソ連暗号受信の際にUSA内に大量の在米スパイが二次大戦以前から要職に蔓延ってる事に気がついた事件(ベノナファイル)
(3)対日先制攻撃、都合が悪いので戦果確認後(日本軍潜水艦)も祖国防衛の大英雄として受勲される事もなく、真珠湾奇襲撃退(奇襲前)だったので「ドラマだまし討」に都合が悪いので「永遠に戦果不明」として封印されてる戦果確認済みな「事件扱い」=(ワード号事件)。
の3つが有名ですね。
こうして、真珠湾攻撃が行われ日米が開戦し、ヒトラーは、参戦義務もないのに何故かアメリカに宣戦を布告して、アメリカの欧州戦線への参戦が決定しました。
ちなみにアメリカの歴史は面白いもので、戦争の際には、いつも都合よく敵国からの攻撃があり、「リメンバー!」の合い言葉で国民世論がまとまって開戦に至るのです。リメンバー・アラモ砦!、リメンバー・メイン号!、リメンバー・パールハーバー!、リメンバー・トンキン湾!、リメンバー・911!、次のリメンバーはなんだろうね。
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
かつて高橋和夫氏の国際政治の講義を受けましたが
かつてのアメリカ合衆国が最も恐れていたのはアメリカを超越する経済力、工業力を有するスーパーパワー超国家の誕生で
それは過去2回ありました
それが第一次、第二次世界大戦のドイツです
ただ単に単独のドイツなら力が接近すれどもアメリカを超越する事はあり得ない
それは冷戦時代のソ連も同様ですが
もしドイツが武力や威嚇によりヨーロッパを統一するような事態になれば
アメリカを超越するスーパーパワーを有する超国家が出現する可能性が出てくる
これに対しては何らかの理由をこじつけても力でねじ伏せる必要がある
というような講義だったと思います(多少の記憶違いもあるでしょうが)
日本に関しては工業力も技術力もアメリカより格段も下であるが
現在の北朝鮮のように何をしでかすかわからない部分もある
日本の弱点である工作機械、屑鉄の輸出を停止し、石油の日本への輸入を抑制し締め上げれば良いと考えていたのでしょう
実際日本は高級な工作機械を生産する能力が全くなく、殆んどアメリカよりの輸入に頼っていました
また日本の鉄鋼生産も消費に追い付かず
インドの民族系財閥のタータ製鉄から輸入していたほどで
日本の鉄鋼生産の原料としてアメリカの屑鉄も重要でした(もっとも日本には高度な特殊鋼を生産する技術力もなかったのですが)
つまりアメリカは
ドイツに対しては戦う意思があったが
日本は経済制裁で根を上げると考えていたということです
実際、アメリカ軍の(対独戦に必要のない海軍艦艇兵器は別として)新兵器や戦力の3分の2を対独戦に投入
対独本土爆撃に投入した航空機は対日本土爆撃の十数倍もあったのです
No.5
- 回答日時:
米国は日本と戦争する気は元々なかった。
同盟をしたかった。
(一節には当時の大統領が日本を追い込んで戦争を仕掛ける
機運を生んだとあるが、必ずしもそうではない・・これは当時の
海軍と陸軍との確執が生んだ悲劇とも言われている。つまり
海軍は世界情勢に長けていた、が陸軍はそこまでノウハウが
なかった。
業を煮やした陸軍は腰抜け海軍と罵倒したため海軍はやむなく
戦争を選んだという説がある)
米国は天皇に戦争はするなよと書簡を送った。
が、しかし、間に合わなかった。
わずか数時間、いや、天皇が知ったのはそれから1日あとの事。
大本営は[ニイタカヤマノボレ一二〇八]と打電。
日本軍は12/8の午前0時の数秒前までにハワイを目指していた。
この暗号文を傍受した米軍が解読に手間取っているあいだに・・・
プップップップー!。
針が午前0時を指した、その刹那、日本軍は真珠湾攻撃に出た。
一節には午前0時前だったという証言もある。
「トラトラトラ(ワレキシュウニセイコウセリ)」と返電。
ここから戦争への道に突き進んでいったんですねー。
ハワイに駐留していた米軍が泡を食ったのはいうまでもない。
「だまし討ちだ」いまでも米国民の一部の心の中に宿っています。
のちの講釈になぜあそこで「南雲隊は引き返したのだ」という
話しがある。
仮に真珠湾に上陸し、沈めた戦艦を奪い、暗号文の解読器を
頂戴し、拠点としたならば~
歴史には仮にとかもしもとか、たら・ればはないンですね~www
No.4
- 回答日時:
当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。
31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。
"なぜ米国は第二次世界大戦に参戦する決意を強めたのですか?"
↑
経済復興の為です。
”僕が習った範囲では、米国は大戦開始時は中立を宣言して、
世論も参戦に否定的だったはずです。”
↑
世論も戦争には否定的でした。
しかし、政府は戦争したかったのです。
それでハルノートを突きつけたりして
日本が先制攻撃を仕掛けるように仕向けたの
です。
こうした戦法は米国の常套手段です。
米国は大衆民主主義の国なので、戦争をやる
為には国民を煽る必要があるのです。
具体例をいくつか挙げておきます。
イラク戦争を見て下さい。
ありもしない大量破壊兵器を口実に戦争を始めたのは
米国です。
その後、英国BBCは、911以前から米国はイラク、
アフガン戦争を計画していたことを暴露しました。
1898年 2/15 ハバナ湾で、米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しました。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり、あの米西戦争が始まっています。
後になって米国政府は、事故だと発表していますが
陰謀ではないか、という説が強いです。
ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。
湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。
No.2
- 回答日時:
改めて歴史を眺めてみると、フランクリン・ルーズベルトが4期(4422日)もアメリカ合衆国大統領を務めたという特殊事情と、その間に始まり終戦直前まで第二次世界大戦に関わる立場にいたアメリカ大統領としての心の動きも大きいようです。
1933年 大統領1期目就任
1937年 大統領2期目就任
1939年9月1日 ドイツ、ポーランドへ侵攻、第二次世界大戦勃発、この時点では米国は中立を守ると宣言
1939年5月と11月 中立法を改正し、交戦地域を通過して武器を輸出できるようになった
1940年 ドイツ(日独伊)の行動に賛成はしないが、兵力を送ることはしない(武器・物資のみの後方支援)を公約として大統領3選
1941年 大統領3期目就任
1941年8月9日-12日 英国チャーチルと米国ルーズベルトの会談、大西洋憲章(Atlantic Charter)で領土拡大を目的としない、と宣言も、日本を刺激して大東亜共同宣言のもととなる
1941年12月8日(日本時間) 真珠湾攻撃、アメリカ対日戦争参戦、太平洋戦争にて完全に米国が戦闘に関わる状態となる
1945年 大統領4期目就任
1945年4月12日 フランクリン・ルーズベルト死去
1945年8月15日 太平洋戦争終戦、玉音放送
つまり、英国を助けることで、アメリカが直接兵力を出さずにナチス・ドイツを食い止めたい、と思って行動してきたが、日本がハワイを爆撃したことで、もうアメリカは日独伊と直接接している日本と全面対決するしかなくなった、という流れのようです。
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