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御足労頂き有難う御座います。
読みづらい文章ではありますが、最後まで目を通して頂ければ幸いです。

現在大学2年の成人している者です。
小学4年の頃から、タイトルに書きました通り、何故か怒られている人の姿を見かけたり怒っている人の怒声を聞くと腹の底から笑いが込み上げ、片方の口角が微妙に上がりニヤけてしまうんです。「あの人怒られてるダサい。」と馬鹿にしているわけでもないし、「なに怒られてるのー。」と茶化したいわけでもない。寧ろ哀れに思ったり嫌悪を感じたりと全くその場面を眺めて(もしくは聞いて)面白さは微塵も感じていないのに自分以外の誰かが怒られている姿を見るとニヤけてしまいます。
随分前の話になりますが、弟の些細な一言が母の逆鱗に触れてしまい、「頭の中に脳が無いから何も考えることが出来ないんじゃない?!」など少し罵るように母が弟へ怒りをぶつけている最中、私はその光景をただ眺めて口角が上がってしまわないように笑ってしまわないようにと自分自身を落ち着かせていました。
けれど、段々と母の怒声が大きくなり謝りながら体を縮こまらせている弟に「貴方のごめんはごめんじゃない、早く家から出て行け」と言い放ち終いには腕を掴んで追い出そうとしていたため、流石に止めないといけないなと感じ母の言動を制止したり弟を母のいない部屋へと行かせ慰めたりとその日はこれ以上酷くなることなく終わりました。弟が母に叱られている場面など全く面白いものではありません。かなり不快に感じていました。なのに口角が上がる。笑いが込み上げる。何が可笑しいのでしょうか。不快に感じているのに笑うって変ですし最低ですよね。だから笑わないようにしているのに無意識に自然と口元が動いてしまう。ダメと言われているのにやってしまう…そんな感覚と一緒なのでしょうか?少し似ている気もしますが、自分では違う気がするんです。

叱られている人を見て笑わないようにする解決策とかありませんか…。ふざけた質問だと感じるかもしれませんしネタとか釣りと思われそうですが、質問者本人はかなり頭を悩ませています。少々辛口気味でも良いので意見を頂けたらなと思います。お願い致します。

A 回答 (2件)

自己防衛による反応なのか


『笑う』とあなたは表現していますが『笑っている』のではなく
他のひとが、そういう場にいた際自然とまゆを顰めるように
それが、あなたにとってはごく自然な体の反応なのかもしれませんね。

自己防衛と言うのは、機能不全家庭で育った子供達が
自身の苦しさを和らげる為に、いいこになったり、おどけてみたり
辛い現実を少しでも緩和させるにもするのですが
そのなかの、ピエロなのかなーと少し思ったり・・・
詳しくはwikipediaで機能不全家庭を見てみて下さい。

それから、いま思い出したのですが私は昔悲しい場面に出くわすと
体のある部分が痛くなっていたんです。なぜかはわかりませんが。
いまではなくなりました。
私には、悲しいイコール体のある部分がイタイということがとても自然な事でした。

こういった感じで、なんらかの認知の歪みがあるのかもしれませんね。

誰かが激怒している場面に出くわすとそこ(体)が反応する。という
一風変わったシステムがあなたの中では自然に構築されたのかな。

だとしたら、最初は嘘でもいいので叱られている人がいたら
『このままだとこの叱られている人は自ら命を絶ってしまうかも』とか
『このままだと、この叱っている人は相手の命まで奪ってしまうかも』と
意識的に真剣になってみて下さい。
笑わないようにする。のではなく、状況をより可能な限り集中し見る事かなぁ。
そうすることで、認知の歪みがすこしずつ解消されるかもしれません。
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この回答へのお礼

日を跨いでしまい申し訳ございません。

回答有難う御座います。
okwaveid45さんの回答を全て拝読させて頂いてからWikipediaで機能不全家庭について調べてみましたところ、このような不快な辛い場面で自然と笑うといった反応をしてしまうようになったのは約10年前に母が再婚相手(今の父にあたる人)を私に紹介してから…始まったような気がします。
新しい父を私に紹介する母はいつになく楽しそうで笑顔だったため、このまま自分がこの人を拒絶したら母は不機嫌になってしまうのだろうかと考え、当時は受け入れたくなくても笑って済ませていました。父のこと、この人と母との間に生まれた弟のことを受け入れ最近では普通に暮らせていると自分で思っていましたが、もしかすると全て自己防衛の為だったのかもしれません。それが今の自然な自分の反応だとすると、やはり正さなければなりませんよね。
okwaveid45さんの言う通り、意識的に真剣になってみようかと思います。

お礼日時:2014/12/10 07:46

まず真っ当でありたいと思う質問者の気持ちと裏腹に


周りの環境はむしろ「そうならない」事が当たり前としているように思えます。
裏人格というか悪い言い方をすれば本性なのですが
自分の望みとは違う過去の生い立ちや親や先生や先輩
そういった見本が作り上げた概念がその正体だと思います。

そうでなく社会に対して未成熟な感性が
ニヒルを気取って自分を哀れんでいることもケースとして在りえますが
この場合は嫌悪しているのでそうでなく更に根深くやっかいなもの。
すなわち自分自身という鏡と向き合う時なのでしょう。

嫌いな人をよく観察して
その中に長所と短所を見つけること。
評価しているものの本当の価値を明らかにすること。
そして求めるもの
あるいは大切としているものがどのようにして得られるか
そういった信念という刃を研ぐべきかと感じます。

願わくばあなたの背中が多くの者に語り
歩く道が多くの者の道標となり
その原動力が自分のみならず多くの者の力となるよう。

悪い質問ではない。
むしろ転機を迎えた証拠であると思います。
叱られている人は貴方自身の姿なのです。
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この回答へのお礼

日を跨いでしまい申し訳ございません。

ROKABAURAさん、回答有難う御座います。
自分自身という鏡と向き合う時…。
ずっと向き合わずに逃げてきた結果このような裏人格(本性)が出来上がってしまったのかもしれないので、これをきっかけに真剣に物事や人物を観察し本当の価値を明らかに出来るよう求めているものが得られるよう、精進しようと思います。

お礼日時:2014/12/10 08:20

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