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なんどもここで質問を、させていただきました。
いつも、どうしようもなく辛くて、死にたくて、言葉をもらうことでどこかに繋がりが持てると感じることに救われるために、とにかく調子が悪いときに助けて頂いていました。
私に声をかけてくださった方、本当にありがとうございました。
今日は通院日で、そのご調子が悪くなり多めに薬を飲んで(処方内での多めです。本当に調子が悪いときは二錠までと言われていていつもは一錠にしていますが、二錠飲みました)気持ちが落ち着いたので質問したいと思います。
幼い頃、親戚から性虐待を受けました。
4才頃から9才までです。
寝ている時に、下着の下を触られる、そういうことから始まりました。
今も、暗闇では眠れず、その感触を夢に見て自分の叫び声で目をさまします。
結婚しましたが、結局うまく関係が持てずいまは夫とは別々に暮らしています。
夫は性虐待のことは知りません。話すつもりはありません。
そして、私の両親も知りません。

、、、ここまでは、主治医にも話してあります。
主治医はなぜ夫に話さないのか?夫に話せないのならせめて、母親に話すべきだと言います。理解者がいるということは私の支えになる、と。
その通りだと思います。でも言えません。

幼い頃から、話せなかった理由は、くちどめをされていたからです。
いったらお父さんとお母さんと暮らせなくなるというニュアンスのことを言われました。
また、私は両親からの愛情を疑ったことがないのに、両親を信用できません。信用できないというか、、、。
その、性虐待をしてきた親戚を中心にうちはどこかおかしかった。
大人の人が罵り合い、泣いているのを(母を含め)、たくさんたくさん見てきました。
一人っ子の私は、なぜだか私がしっかりしないといけないと思ってきました。両親は私が守らなければと思ってきたのです。
子供だったので、できることといえば、毎日を楽しく過ごしてると見せることだけでした。学校でうまくいかなくても、馴染めなくても、友達がいなくても、学校楽しい!、、、と笑っていることが両親を守ることだと思っていました。
今もそう思っています。仕事楽しい、夫婦もうまくいっているよ、と私がそう言えば、それが両親を幸せにする。私はきっと子供は産めません。もう自分が生きていくのが精一杯で親孝行できません。だからせめて、私は幸せにしてると思っていてほしい。
そして、私は今でも性虐待をしてきたその人にただひたすら恐怖を感じています。夫を守らなくてはと思ってきました。このまま別れることになったらその必要はないかもしれませんが、、、。
主治医にはここまでは話していません。話す必要がありますか?
ただ、私は死にたい毎日やこれらの記憶から自由になりたいです。それには、精神科のお医者さんに力を貸して欲しいと思っています。それは間違っていることでしょうか?そのためには全て話した方がいいんでしょうか?
ちなみに、話すのはカウンセラーのほうがよいと思うのですが、主治医はまた、最初から話すのは苦痛だろうからとあまり進められないという感じです。
いつも声をかけてくださり、救われています。ありがとうございます。よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

No.1です。


そのままの自分じゃ愛されない、生きる資格がないと思っていらっしゃるのではないですか。
だから、身近な人、頼りたい人ほど話せないのではないでしょうか。

再入会なので以前とIDは違いますが、実は私も質問者さんのご質問に回答するのは初めてではありません。以前も同じ内容のご質問をしていらっしゃたので、そのときはカウンセリングの側面を持ちつつ、トラウマについて語ることに抵抗があるクライアントにとって真理的負担が少ないとされる治療法であるEMDRをご紹介しました。
でも、今もこうしてここで質問なさっているということは、質問者さんが心から欲していることは、身近な人にまるごとの自分が受け入れられることだからではないかと思えます。

身近な人に自分の悩みを打ち明けられないでいるから、医者にもなかなか悩みを打ち明けられないし、カウンセリングにも漕ぎつくことが出来ずにいらっしゃるのではないでしょうか。
…悩みを打ち明けた途端、相手から蔑まれてしまうと思っていらっしゃるのでは。
頭の中で最初から結論付けてしまうことは、自分を知ってもらうことも相手を知ることも遮断しているのと同じで、相手の人を思いやっているようでありながら、見限っているのと実質変わりありません。今を動かしたいなら自分が動かなければ。


過去に親戚から性虐待を受けた。
このことの責任はあなたにはありません。
初めて虐待を受けたのは4歳で、思春期すら迎えていない幼い頃のことです。
深層意識では不快感や恐怖心を感じても、自分ではどうしたら良いのか解らない、そんな幼い頃の出来事だったのですから。

ご質問だけでは詳しいことは分りませんが、ご親戚とご家族は共同生活をしていらっしゃったのかな? 寝ているときに頻繁に性被害に遭ったということから、私にはそういった背景が思い浮かびます。ともかく、親戚は生活の深部に入り込んでいて、幼いあなたには逃げ場がなかったのですよね。だから、あなたは何も悪くない。

トラウマを負ったことは不幸だけれど、それであなたの価値がなくなったなんてことは決してないし、幸せになる権利を失ったということも決してありません。
幼くして被害に抗う力を持ち得なったあなたは、交通事故に遭った人、震災に遭った人と何が違うのでしょう。辱めに遭ったと思うと、そういう方たちとは違う、同じ立場の人はずっと少ないし、もっと辛く悔しいことなんだと思われるかもしれません。
でも、辱めに遭わせた人こそが人として恥ずべき人間なのです。
だから、やはりあなたは何も悪くないのです。

人が災難に遭ったとき、身近な人に助けを求めることは、ごく自然なことです。
だから、主治医はご主人やお母さんを頼るように仰っているのだと思います。
本当に助けて欲しかった、そのときに声をあげられなかったからずっと蓋をしておかなければならない、そんなことはないのです。助けたくても知らなければ相手はあなたを助けられないし、何に苦しんでいるかも知ることが出来ないからです。

あなたが、これまでお母さんに真実を話せなかったのは、お母さんが弱い人だと実感しているから、お母さんが泣くのを見てしまったからなのかもしれないですね。
もしかしたら、お母さんは本当は秘密を知っていたのかもしれません。
知っていても、あなたを救う力を持っていなかったのかもしれません。
だけれど、あなたがどれだけ苦しんだのか伝えたいと思うなら、話しても良いと思います。
家族とは労わり合うものだけれど、痛みを分かち合うものでもあるからです。
お母さんが本当の親ならば、あなたのもとから去ることはないです。
お母さんが本当に親ならば、あなたには何も罪がないということは痛いほど分っているはずですし、親だという自覚があるならば誤魔化し続けることは出来ないし、けじめある行動を取ると思います。

もしも去ってしまったとしたら、それがお母さんの真実の姿です。
…あなたがお母さんに本当のことが言えないでいるのは、お母さんの本当の姿を知りたくないからなのではないでしょうか。
相手の本当の姿を知りたくないと、自分の本当の気持ちを伝えることは出来ません。
幼い頃に、大人の醜い姿を見てしまったあなたは、そういう刷り込みがあるので、お母さんにもご主人にもトラウマについて何も話せないでいるのではないかと、そんな気がしてなりません。


お母さんは、もしかしたら、あなたの家で何が起きていたのかを知っていたのかもしれませんが、ご主人はそうではありませんよね。
お母さんが事実に耐えられない人だとあなたが思うだけのことが、これまでにあったのでしょうけれど、ご主人は、あなたとは違う環境に育ち、違う人生を歩まれて来られたのですよね。
だからこそ、真実を話しても理解されない、そういう考えもあるけれど、その逆もあると思いませんか? あなたはお母さんのことをつぶさに見てきたけれど、ご主人についてはまだ知らない面が沢山あると思います。

お母さんのことをよく知っていて、子どもらしく甘えることが出来なかったから、あなたは苦しいのだと思います。本当の家族になりそこなってしまったように感じているから、辛いんだと思います。
でも、ご主人は違うのではないでしょうか。
ご主人にも、あなたにも、まだ本当の家族になるチャンスは残されているのではないでしょうか。


私は、お母さんとあなたの間にも、本当の家族になるチャンスがあれば良いなと思っています。でも、お母さんにどうしても言えずにいた、親戚以外のことでも何か重い事実があったのかもしれないと思うので、お母さんに相談してとは強く言えません。
ただ、私なら娘には自分では背負いきれない辛いことは話して欲しいですし、もし、一緒に暮らしていながら娘がそんなに酷い目に遭っていたことを知らずにいたのなら、自分を心底恥じます。何も知らずに一生を送った方が良かっただなんて全く思えません。
家族なのに、子どもを犠牲にして、子どもの苦しみを何も知らずにのほほんとしている方が辛いです。

娘がずっと何でも話してくれたから、だから私は親という、自分ではこの世で一番難しいと思えることを放棄せずにいられたんだと思います。
他人からはよく頼りないと言われますけれど、娘も息子も、ここぞというときはいつも相談をしてくれたから、だから、私にも存在する意義があると思えるんです。
相談者さんのお母さんにも、そんな気持ちはあるんじゃないかと…あれば良いなと思います。
そういう気持ちを知らないまま、経験しないままでいるということの方が不自然だと思うし、何も知らずにいることがお母さんの幸福だとは思えません。
お母さんにだって、自分では気が付かずにいるだけで、本当にはあなたを癒せる力があるのかもしれないのだから。

あなたが、お母さんに話をしても希望通りの結果にはならないかもしれません。
でも、心を閉ざしていたら、あなたは独りぼっちのままです。
傷付くことは怖いけれど、黙っていても辛いだけなら、お母さんに本当の気持ちを話してみてはどうでしょうか。

誰かに救われたという経験は人を信じる力を自分に与えるけれど、救って欲しい人に救っては貰えなかったという出来事は、自分を強くすることがあります。
宙ぶらりんでいることが、自分をより苦しめてしまうことがあるのです。
だから、思い切って話すということを私は母にしました。
相談者さんの悩みとは質が違いますけれど、私の悩みも人としての尊厳に関わる話だったので、母から期待外れの返答が返ってきたときは酷く落ち込みましたが、でも、それで踏ん切りがつきました。

話すべき人を選ぶこと、話すべきタイミングを掴むこと、これはとても大切なことだけれど、話すという経験をつまなければ、それはいつまでたっても分らないし前に進めません。
同じところに留まってもがくのが嫌なら、肉声を通して、本当に話をしたい人と会話をするということが何よりも大切なことだと思います。

この回答への補足

ひとつだけ。
書いていただいたことを読んで、気付いたことがあります。
私がまわりに事実を言えない、助けてと言えないのは、助けてと言って拒まれるのが、手を振り払われるのが怖いからです。だからある意味では、私を好きでも嫌いでもない職業として話を聞く精神科医はまだ話しやすかったこともあります。
でも、、、夫にはきっと話すべきなのでしょうね。彼には選択肢があるから。別れることも、続けることもできて、今の状態ではどちらもできないから。
死ねればいいのに、という気持ちが消えません。今日入院をすすめられたので、そうなるかもしれません。入院して、臨床心理士さんときちんと出来事を見つめて、臨床心理士さんの立会いの
もとで家族に話すこともできる、と。望んだ対応がされなくてもそのまま、病院で休めるから、と。

補足日時:2015/01/19 21:06
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私の気持ちを代弁してくださったように思います。
きちんとお礼をしたいのですが、締め切られてしまうかもしれないので、お礼だけ言いたくてコメントしました。書いていただいたこと、本当にありがとうございます。

お礼日時:2015/01/19 20:53

No.5です。

何度もすみません。
先の投稿に変換ミスがあったので訂正します。

誤)トラウマについて語ることに抵抗があるクライアントにとって真理的負担が少ないとされる治療法であるEMDRをご紹介しました。

正)トラウマについて語ることに抵抗があるクライアントにとって心理的負担が少ないとされる治療法であるEMDRをご紹介しました。

   ~ 訂正は以上です。


>私は今でも性虐待をしてきたその人にただひたすら恐怖を感じています。夫を守らなくてはと思ってきました。このまま別れることになったらその必要はないかもしれませんが、、、。
主治医にはここまでは話していません。話す必要がありますか?

ご主人と別れなくてはいけないのでしょうか?
家族なのに、何が原因なのか分からないまま別れるだなんて、愛する人にとって無力なまま別れるのだとしたら、ご主人が気の毒ではありませんか?
奥さんを守ることのできない人と奥さんから思われているご主人・・・
それって、幸せと言えるのでしょうか?

主治医には中途半端に話すから余計に辛いのだと思います。
乗り掛かった船ならば、後戻りせずに乗ってしまえば良いと思います。
通院しているということは生きる力を,本来の自分を取り戻したいからなのでしょう?

一度に話せなくても良いから、少しずつでも構わないから、少なくとも、この件だけでも主治医にはちゃんと話すことをお勧めします。
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この回答へのお礼

★回答を下さった皆様

本当にありがとうございました。
体調が悪くきちんとお礼をお伝えできていないこと、本当に申し訳ありません。
今日で、自動的お礼も打ち込めなくなってしまうかと思い、お礼だけは伝えたく、書き込みました。
皆さまからいただいた言葉は、しっかり読んで心に刻みます。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2015/01/19 20:05

以前、BAをくれたので質問者の質問内容を時々思い出します。

いかが御過ごしでしょうか。

曽野綾子さんをご存知でしょうか。ずいぶん前の時代から、女性の社会進出に鋭い眼点を持っていた方です。彼女は教会付属の学校を出ました(本人は信心深くはない)。そこで、犠牲的な奉仕の精神を軸とする教育を受けます。それから大学へと入り、同人小説のサークルに属し、色々あって一人の男性と出会います。その男性とのやり取りが面白い。

冬の電車、二人は座席を一瞥した。片方は冷たい風が吹き付ける扉に近い席、もう片方はそうでない席。ここで彼女は自ら率先して、さも当たり前に寒い席に座ります。それはいつもの犠牲的な態度を示すためでした。所が「何でそっちに座るかなぁ。女のあなたがそっちに座っちゃったら、男の僕の立場が無くなるって事が分かんないかな…」と、男性。そうです。彼女は善意とか正しさとか優しさとか云うものを、いつも主観的にしか実行していなかったわけです。この男性の善意は厳しく正確、且つ社会的で複雑なものであったのに対し、それまでの彼女は善意を、ムード的で一方的に彼女の側だけで完結させていた訳です。全く面白い話です。

頼られた側の人間性はいざ知らず、頼られた側の甲斐性は見えるはずです。配偶者を頼るわけです。打ち明けてみる。すると、頼られた側は仕事を任される形になるので、期待に応えようとしてくれます。そうしないと事態は一向に進展しません。それに、質問者は善意をどのように解釈してますか。関係が上手くいかなかったその原因が、もしかしたら自分にあると云うのであれば、又はそう思うのであれば、やはり原因を打ち明けるべきだと思いませんか。結婚生活の破綻で精神的なショックを受けたのは質問者だけではなくて、同時刻に配偶者も受けているわけです。配偶者はショックなんて受けていないのだとどうやって証明されましょうか。原因を知らされず、事後処理に追われる日々。質問者との明るい生活を望んでいたのに。原因がそれだと云うのであれば、詐欺とは言いませんけど、伝えるぐらいはするべきです。

寒いですね…。風邪薬が不要な程に健康でいてくださいよ。
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あなたが身近な両親でさえ信頼できないのは実は自分自身が信頼できないから、あなたの「表の顔」を信頼できないからです。



人は誰でも表裏があります。しかし、自分の中で折り合って納得して信頼して「表の顔」で他人と接します。
あなたはその「表の顔」が信頼できてないので、「表の顔」を通した関係も信頼できないのです。

誰も嫌な部分は歓迎したくはないと思います。だけどそんな部分もまとめて面倒みてくれる人はいます。あなたなら両親とかご主人とか。それが家族です。

あなたの中で裏と表を少しずつ折り合わせて、信頼できる「表の顔」を作ってぶつかってみましょう。思い通りの結果はなかなか出ないと思いますが、自分が自信を持って信頼できる「顔」で接していけば、信頼できる呼応が必ず起きると思います。

新たな発見や信頼で過去にとらわれなくなれば、最高の結末となるでしょう。
自分を見つめ直すところから始めてみませんか?
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誰の質問だったかは忘れましたが、医者に相談すれば、あなたのケースに経験の多いカウンセラーを紹介してくれると思います。


そして医者からカウンセラーに概要が伝わり、同じ苦しい話を何度もする必要がなくなるでしょう。
あなたが、結婚生活をどのようにしたいのかを言えるなら、そのようにカウンセリングを出来ます。

あなたが性行為も楽しめるようになり、お子さんの誕生も期待できるようになるように、いろいろとアドバイスして貰えると思いますよ。
御主人に抱き締められると、虐待の感覚が戻ってしまい、パニックになる女性の話をしたと思います。
どの様にお二人が触れ合うようにすれば、望む結婚に出来るのかをアドバイスできると思います。
カウンセリングの本なら、カウンセリングの遣り方が幾つもありますから、苦しまないで済みますよ。

ここでアドバイスを求められても、あなたの希望が何も書いていないので、出来ません。
行為の詳細は聞いても役に立ちませんから、書いてある以上の話は必要ないです。
必要なのは、今もご主人への危害を恐れているのかどうか、でしょう。それは必要だと思います。

死にたいが無くなり、記憶から自由に成ったら、どの様な生き方をしたいのですか。
それがカウンセリングの目的に為ると思います。
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>夫は性虐待のことは知りません。

話すつもりはありません。
そして、私の両親も知りません。
>主治医はなぜ夫に話さないのか?夫に話せないのならせめて、母親に話すべきだと言います。理解者がいるということは私の支えになる、と。
その通りだと思います。でも言えません。

大切な人を心配させること、その人から嫌われること、それが怖いから話せないのですか?それとも、自分が悪いと思うから話せないのでしょうか?
それとも、どれも当てはまると思うからでしょうか?

子どもは親を心配させずにすくすく育つのが理想?
そんなことないですよ。
親が子供に思い描く理想は、本当に困っているとき、苦しいときは隠さずに相談してくれることです。それは、我が子に自分で考えること、乗り越えることを放棄しろと言うことじゃないんです。親は子供の杖となり道しるべとなりと、そういう立場でありたいと思うけれど、子どもの運命の全てを握ろうだとか、こちらの思い通りになる子に仕立てあげようだとか、そんなことは思いません。
子どもを自分の思い通りにしよう、自分の理想通りにしようと思うのなら、それは親ではなく調教師です。

親は調教師じゃないし、子どもだってサーカスの馬じゃありません。
親は完全じゃないから、だからこそ、子どもからは何に苦しみ、困っているのか本音を教えて欲しいと思うものなんです。
親だって、出来ないこと、分らないことはたくさんあります。
でも、本当の意味で親になる、そういうチャンスは欲しいし、成長だってしたいんです。
だから、我が子が辛い苦しい思いをしていることを何も知らずに、気が付かずにいたのだとしたら、その方がずっと辛いし、自分で自分を不甲斐なく思うものなんです。
そして親は「子どもを救えない親って、親と言えるのか?」と悩みます。
「何も話してもらえないなら、我が子からは頼りない駄目な親だと思われているんだ」って悲しく思います。

だけど、我が子がずっと言えずにいた辛い話を聞かせてくれたのなら、そのときはショックを受けたとしても、親ならば、どんなに時間が掛かろうとも、ちゃんと受け止めます。
「今までは本当の親とは言えなかったかもしれない。でも、話してくれたのは我が子が私を心から慕ってくれているからなんだ。我が子は自分に本当の親になるチャンスをくれたのだ」と、そういう風に親なら考えます。

親は子供を産みっぱなしで良いのではありません。
子どもが衣食住に困らなければ良いだなんて、そんなことは思いません。
親が我が子に望むのは、我が子の心に深い傷を負わせないことです。
深い傷は心を蝕み、やがて健康を損ねてしまうから、本来のその子らしさが消えてしまうからです。

もしも、我が子が深い傷を負ってしまったのなら、親は、その傷が癒えるよう、そっと力になりたいと望みます。
親は、子どもの何もかもを根掘り葉掘り聞きだそうとは思いません。
でも、少しでも吐き出すことで楽になるのなら、話を聞かせて欲しいし、いつか話せる時が来るのなら聞いてあげたい、そんな風に思うものなんです。

親は子供に仮面を被らせるのが仕事じゃありません。
親がすることは、自分の意見を言える子どもになれるように手助けすること、将来に役立つ技能を付けるチャンスを作ってあげることです。子どものチャンスを潰してしまうのは、親にとっては最も辛いことです。親が子どもに対して心掛けていること、それは、その子その子の個性をちゃんと把握することです。自分の理想通りの人形のような子を作り上げることじゃないのです。

親にとって一番嬉しいのは、我が子が自分らしく、自分の人生を生きることです。
子どもの人生の脚本を書いてやろうだなんて思いません。
親が子供に関心を持っていること、それは我が子が本当にしたいことは何なのかということ。どうすれば、どの道に進めば、我が子が我が子らしく輝けるのか、そういうことなんです。

質問者さんは、親をはじめ、周囲の人の誰もが頼りなく、弱く見えているのではありませんか? そういう人たちに話をしたら、この人たちは脆く、壊れてしまうと思ってはいませんか? 質問者さんの秘密を話したとしても、誰も壊れたりはしないと思います。
話を聞いたから、人生を狂わされたと思う人もいないと思います。
壊れてしまうものがあるのだとしたら、それは偶像です。
偶像で固めている限り、いつまでも本当の自分を生きているという感覚は掴めないし、心の中の石ころが詰まったままです。いつまでも大切な人たちとの心の壁を感じたままです。

>話すのはカウンセラーのほうがよいと思うのですが、主治医はまた、最初から話すのは苦痛だろうからとあまり進められないという感じです。

質問者さんが自分のしたいようにしたら良いと思います。
この人なら…と思ったのなら、カウンセラーに話をしたら良いです。
主治医に嫌われることや、主治医の心を傷つけることを恐れるよりも、自分の本当の気持ちが言えるように、主治医と遭っているときも、リハビリのつもりで思い切って自分の気持ちを伝えて行ったら良いですよ。

世の中、脆く、弱い人だらけなんてことありません。
怒りっぽい人はいるけれど、それはその人が強いからでも、怖い人だからでもなくて、傷付きやすい人だからです。だからって、怒りっぽい人はずっと傷付きっぱなしだなんてことはないです。そういう人は八つ当たりして、ケロッとしています。
人を思いやることは、ほどほどで構わないと思います。
人を思いやって、自分がボロボロになってしまうぐらいなら、自分で自分を押さえつけずに本当の気持ちを伝えた方が良いですよ。

私は自分が大切に思う人、守ってあげたいと思う人からは本当の気持ちを伝えて欲しいと思いますし、自分も本当の気持ちを伝えたいと思います。
素直な気持ちを知りたい、伝えたいと思うことはいけないことではないでしょう。
それを我儘だと言われたとしても、我儘はいつも悪いということはないでしょう?
少しの我儘を許せる関係、それは信頼があって初めて成り立つもの。
本当の気持ちを隠したままだと、そんな関係はいつまでたっても築き上げることはできないですよ。
自分を飾らないで素直に生きていかないと、しんどいです。
人から好かれよう、好かれる自分でいよう、そう思うとしんどくなります。
無理に全てを吐き出さなくても良い、でも無理に隠そうともしない。
そういう生き方があっても良いんじゃないかと思います。
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