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私個人の問題ではありませんが、気になるので、教えてください。

共依存の人は他人の顔色を伺うので、本心を言えない。
そこで、信頼できる人に、過去の様々な傷を打ち明ける、
又は、自分の汚点(やったこと)を告知する・・・聞いて
貰う・・・だけで、気持ちが楽になり、自分を受け入れる
余裕が云々・・・と、様々安本に書いています。

そこで、疑問に思うのですが、打ち明けると楽になるのは、

1:いつかバレる心配が無くなったから、知ってる人がいるから
2:その人が受け止めてくれた→→→その人に「依存」してる

ことになり、【新しい】依存関係が形成されてるのではないでし
ょうか。
(相手がどれだけ成熟していても問題ないですか。勿論、詳細は
語らないでしょうけど・・・)

それで、楽になって、心が開放され、心の回復が進み、薬や酒
から開放され・・・るのは良いんですが、打ち明けた人への
依存・・・にはならないのでしょうか。

そのことが、将来、問題を生まないでしょうかぁ・・・

最近、この手の本が随分出ていますが、ワンサイドな意見で、
問題点や反対本を余り見ないです。

心理学や脳科学のお分かりの方。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (5件)

依存する側は依存する相手に対して、時にはあらゆる手を使ってでも相手の気を引こうとします。


依存される側は依存されている相手に対して「自分がいなければ この人はダメになってしまう」という思いが生まれたり、自分が精神的、体力的に疲弊している時でも相手から求められれば ついそれに答えてしまいます。
アルコール依存症などで家族と暮らしている場合、家族は依存者に甘えを許す姿勢を見せてしまうこともあるのでアルコール依存症の治療が進まないこともあるようです。
よって、共依存の度合いにもよりますが、依存する側・依存される側 両方の段階的な治療が必要になります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私の説明不足だったかもしれませんので、追記します。

例えば、共依存者がNPOに通い、アル中から解放され、その団体の仲間と
元気にボランティアするようになったとします。
同じ問題から回復した仲間が居るので、何でも話し合える場もあるとします。

これにより完全にアル中や非行・DVから全く抜け出した健全な生活をして
10年とします。

これは、回復したと言えるでしょうか。
NPOが新しい逃げ場となり、ボランティア活動や、元・共依存患者同士が
新たな依存対象になっていないでしょうか。

この場合、このNPO団体が解散したりしたら、10年間も完全に治癒した
と思われてる人が、元に戻ったりしませんか。

駆け込み寺もそうですが、同じ悩みを持つ仲間が居て、痛みを理解し合い、
共に更正・回復した人生を過ごして・・・10年経ってるとします。
全く別人に、家族がみても職場の人が見ても誰がみても、完全に健全な人に
見えていたとしても、この寺が潰れて、コミュニティが消滅したら、徐々に
元の状態に戻ってしまうんじゃないでしょうか。

であれば、NPOでも駆け込み寺でも、その場が新たな依存対象になっている、
更に、奉仕活動も依存対象になっている→→→依存対象が「酒やDV」から、
「集団活動、集団関係」へ移行し、多少は理解し合い励ましあうことも相ま
って精神もより安定してる・・・だけで、根本は回復していないのではない
でしょうか。

もっと言えば、更正した人が、新たに加わった共依存患者を指導するリーダー
になって頑張っていますが、この奉仕さえも「新しい依存」=他人に認めら
れたい・・・になっていないでしょうか。

極論を言えば、無人島に単身赴任したような環境でも、再発しなければ完全
に治癒(回復)してますが、それで10年振りに元にもどちゃった・・・では、
初めから何もよくなっていないことになりませんか。

なんか、NPOや駆け込み寺で人生が変わった・・・と言う人をみて、カルト宗
教と何処が違うんだろう・・・とさえ思います。

更正した人生を歩んでる人は、それで、社会にも認められるようになり、セルフ
イメージも向上するので、このこと自体に依存してることになりませんか。

どんな境遇でも誰から批判されても揺るがなく更正したままでなければ、
治ってないと思うのでうが。

お礼日時:2015/04/20 03:01

追記されたことは十分にあり得ることだと思います。


しかし、何らかの依存症の疾患を持っていない人達に全く依存がないかと言うと そうではないと思います。
依存とまではいかなくても、家族、仕事、趣味が生きがいだと言うように、そういう程度の人達もいるのではないでしょうか?

そもそもその様な団体はdontakosさんの言う様に薬物、買い物などへの依存から切り離すこと、依存することなく自立した生活を送ることの手助けなどが目的だと思います。団体にもよるとは思いますが。。
周りに迷惑がかからないのであれば、その様な団体があっても良いと思います。

病気の程度に個人差がある様に、dontakosさんの仰っていることにも個人差があると思いますよ。

身も蓋もない様な回答になってしまい、すみません。
参加する人にとっては、依存から自力で立ち直ることはそれ程大変だということなのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

再度、回答くださって、ありがとうございます。

>>追記されたことは十分にあり得ることだと思います
<<依存の向かう方向が、奉仕・ボランティア・集団行動に変わった
  だけですよね。

それで、アルコールなどから完全に開放されれば、それで良いんですが・・・

そこで、この治療には、認知行動療法が用いられますが、最近の研究では、

【アダルトチルドレン】→→→【共依存】→→→【アルコール依存や恋愛依存】

が必ずしも成り立たない。(また、一斉を風靡したPTSD・傷と回復~も、専門
家の間では、かなり疑問が出されてるようです。無意識に自分を騙す脳に気付け
ないなどが原因のようです。)

むしろ、

【脳の機能障害】や【体質~アルコール消化酵素】の関係で、アルコールが進み

他人よりアルコールが多く飲めるために、その結果、脳の機能が以上を来たし、

【依存症】や軽い【人格障害】を起こし、共依存やDVなどになっている人も

少なくないようです。全ての原因を共依存に極端化させ、グループカウンセリング
で回復する・・・ことで多くの成功例がありますが、実際には、アダルトチルドレ
ンも、共依存も、初めから余り酷い物ではなく、集団の中で受け入れられ、安心す
る、自分の立ち位置の確認することで、

 ≪集団性正常化バイアス≫が働いていて、アルコールや麻薬・セックスから全く
解放されている場合も、少なくない・・・様に思えます。

 こういう場合は、何かで、NPO団体が解散してコミュニティーが消滅したり、
無人島などに勤務(極端に言えば)して孤独になってしまえば、元に戻っちゃう
んじゃないんですか・・・

 それは、何も、変わっていない・・・んじゃありませんか。

>>程度の問題・・・はその通りと思います。
  誰でも、ある程度はあるでしょうけど、いらいらするとか、眠れなくなるとか、
  過食になるとか・・・レベルなら、共依存やアダルトチルドレンと思います。

~~~~~~~

 話が戻ってしまいますが、ですから、回復して、上手く生活できているように
見えている人達~実際に見違えている~が、突然に別環境に放り込まれ、良い環
境を失った場合にも、実際に見違えている生活=解放されてる生活を維持できな
ければ、真の治癒=回復・・・とは思えないのですが、いかがでしょうかぁ・・。

お礼日時:2015/04/20 22:01

何度もお邪魔して すみません。



精神疾患の場合、完治ではなく寛解といいます。症状が好転または消失し臨床的にコントロールできる状態を指す言葉です。

精神疾患や依存症と診断を受けた時点で、真剣に改善に取り組み寛解の状態になった方でも再発への恐れなど 意識的または無意識的に過去の疾患のことを切り離せない状態にあるのではないでしょうか?

私個人的には、精神疾患や依存症はどのような状況でも再発の可能性があるものだと思っています。

因みに精神科へ通院しています。
10代の頃から情緒不安定でしたが、初めて病院へ行ったのは2年程前からです。
ずっとフリーターで仕事も長続きせず、当時勤務していた会社を辞めたくなかったので受診しました。結果辞めてしまいましたが。
症状は割とひどいほうだったと思いますが、病院へ行ったことが正しい選択だったのか正直 今でも悩むことかあります。
私は病気または病名に依存しているのではないかという考えが浮かんできます。

でも、うつ状態などの人が現れれば私は病院での受診を勧めると思います。
自分自身や家族ではどうにもならないところまで追い込んでしまう可能性があるからです。

NPOなどもそのようなものではないでしょうか?
あとは一般企業の精神疾患者などへの知識・理解がないのも問題だと思います。

お邪魔しました。
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私は、特に障害児童の発達の研究職に就く者です。

その職種柄、心理学脳機能科学を避ける事は出来ませんが、あなたの問いは、それらの科学を持ち出すまでもない事だと思うのですよ。
依存症を、依存関係の解消が克服なんだと考えた場合には、あなたの仰る通りの問題が自然発生します。ですが「依存」は、絶対に完全に、取り除かなくてはならないものでしょうかね。
例えば、私達は生きる為に水を飲まなければいけない。これは水への依存が生理メカニズムとして組み込まれいるからです。私達は社会性を維持しなければならない、故に経済活動に組み込まれる。それは、全体経済への共依存です。ですが、それらは即ち「依存」なので、排除して然るべきものとは、言い難い。生きる為に役立ている事だからです。
これらの構造が将来問題に繋がるかといえば、それは繋がるんですよ。水が無いとたちまち禁断症状の死の瀬戸際だし、社会経済の破綻は、生活の破綻に直結します。だから、依存をやめよう、最初から水を飲むな、経済活動から逃げろとは、なり得難い。
依存とは、生きとし生きるゆえの課題そのものなのです。あらゆる生物は、この問題からは逃げられない。
であるから、無意識的であるよりは、意識的である事がより重要なのです。「私は、これを必要とする、求める」その作業が、ある意味では告白なのですよ。その人の欲求が無意識であった時、その欲求は相手を果てしなく貪るのです。意識的であるならばこそ、満足を知る事も出来るのです。
如何に意識的に生きる事が出来るのか。「知る」生き物として存在する私達の科学とは、その為のものだと思います。
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この回答へのお礼

猫が盛りで目が覚め、深夜に失礼いたします。
ご返信、ありがとうございます。

仰るとおり、人は何かに依存する物ですし、それ自体は悪くないと思います。
>>ですが「依存」は、絶対に完全に、取り除かなくてはならないものでしょうかね。
<<いいえ、そこまでとは考えておりません。

>>その職種柄、心理学脳機能科学を避ける事は出来ませんが
<<出来れば、報酬系の脳科学や、グループカウンセリングなど、お勧めの本があれば、教えてくださいませんでしょうか。

実は、随分前ですが、非行少年や引きこもり少年を十人以上は更正させた事があります。寄り添って上げると、彼ら自ら更正したいと渇望し、夫々が見違えるほどに変わり、周囲の人からもうちの子も・・・と随分頼まれました。

ところが、私はその地域から引っ越しました。
彼らはじきに結婚しました。

私が遠くに~800km~引越し、初めは私に会いに来て相談してましたが、都合の悪いときは電話でも言わず、似た様な問題のを抱える間近な人間と行動を共にするようになり、終には私と出会う前に戻りました。(発達生涯とか他のことも初級程度は分かります。)

1:結局は「共依存やアやるとチルドレン」が治っていたのではなく、私のそばに居るときだけ、依存する対象が私であって、それで気晴らししてただけです。
>>ですが「依存」は、絶対に完全に、取り除かなくてはならないものでしょうかね。
<<はい、それで良いと思います。
ただ、ここまで治っていないで親代わりが居なかったり、環境が変わる度に過去に戻るのでは。
(イ)成長したように見えてしてないのは如何に見分け、
(ロ)独り立ちまで助けるにはどうすれば良いでしょうか。
2:ボランティア団体、サークル活動・・・がある程度の依存
場所であったり、仲間がグループカウンセリング効果があったりしても良いと思います。
(イ)突然、そのグループが解散したり、
(ロ)本人が引っ越し先に見つけられずに、元のアルコール依存やDVに戻るなら、結局、何も成長してない・回復してなかったと理解して良いでしょうか。フォォロー方法があるでしょうか。
3:共依存・アダルトチルドレンと言っても、実は、アルコールのせいで能が機能障害を起こし、結果、共依存のように振舞ってるだけでアルコール依存なだけの場合も少なくないのでは。 1~3で良い方法があるでしょうか。

お礼日時:2015/04/22 04:51

お礼について。


あなたが問われている内容には、核心的な部分と、表面的過ぎる部分があります。不安定なそれらは、この問題や対象者に対峙する、あなたのポジショニングが不明瞭だからだと、言えます。
誰が、誰に対し、どの視点から、どこまで踏み込み、どのような責任を引き受け、どのような責任を対象に求めるのか、のポジショニングが明瞭でないと、良き道具としての知識も機能も不全化します。
まず、あなたが前提としておられる更生ラインがよく分からない。アルコール依存症の人が二度と酒を飲まない事が更生ならば、それは無理な話しです。アダルトチルドレンが他者に依存しない存在として恙無く暮らす事が更生ならば、それはあり得ない事だと断言します。
その人がその人として、生きしぶとく世界にしがみつく為に、獲得しなければならない事は。例えば、アルコール依存症という生き方であり、アダルトチルドレンという生き方だと、私は考えるのです。世間の多くの人は、それを知らない。だからそれを経験学習して研磨したものを獲得するまでは、個人にとって至難の事なのです。ですので、現時点獲得出来ていないのは、更生していないという事だと言われると、無情だなぁ、とも思うのです。生き方の確立なんて、一生の大仕事であって当たり前の事なんですから。死ぬまでに獲得出来なかったとしても、無理もないという類いの物だと思うのです。
あなたが、対象を自分に依存させたと考えるのは、とても表面的な捉え方だなと感じます。依存しようと試みたが、それが果たせなかったとするのが、自然な受け取り方ではないですかね。あなたは、アルコール依存症としての生き方や、アダルトチルドレンとしての生き方の道筋の一端なりを示してくれる人ではなかったから。だから、段階として離れる時が来た。
自助グループには、いずれ自分が行く道や
、かつて自分が辿った道を、俯瞰で観る機会があります。しかし、そこから何を得るかは、個人の内面からのものであり、選択次第なので、良い自助グループとか、効果がある自助グループと言われると、そんなものは無いと言わざるを得ません。
方法として、この問題の対象をどう取り扱うかより、あなた自身をどう取り扱うかについてを、今一度考察されては、如何でしょうか。人は自覚が伴った分だけでしか、相手の事が見えないんです。心理学者の永遠のテーマが自己分析であるようにです。
あなたが、彼等に関わる事を望むならば、その理由を明らかにしなくてはなりません。何故に、あなたは彼等に惹かれるのでしょうか。ご自身を暴いて下さい。
その覚悟で、これまであなたが読んだ本全てを読み直してみては、如何でしょうか。書物の内容は、その人が変容する毎に変容するものなのです。
不完全燃焼的な回答につきまして、大変申し訳ありません。
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この回答へのお礼

何度もの詳いく解説、ありがとうございます。

上手く証言できませんでした、私の関り方の問題ではなくて、自助グループなどを外から見ると、
全てではありませんが、あるグループでは、まるでカルト宗教のように見えるところがあります。
自分の関りについて書いたのは、どうしても関りたい願望があるからではございません。
単に、過去に偶然に関った~頼まれたり~人たちの中で、今もそれなりに更正している人たちと、
私が引っ越した後、すっかり元通りになった人とが居るので、何処まで関るべきだったのか、如
何に関るべきだったのか、あるいわ、彼らの受け止めや自己分析がどの程度であったのかを知りた
かったので、質問しました。
 それと、カルトに見える団体なども、やはり、
>>その人がその人として、生きしぶとく世界にしがみつく為に、獲得しなければならない事は。例えば、アルコール依存症という生き方であり、アダルトチルドレンという生き方だと、私は考えるのです。
<<つまり、対称がすり替わっただけで、根本はさほど変わっていない・・・事になりますし、

ある意味では、全ての人が、何らかに、程よい依存をすることで安定するので、酒や薬に依存する
ことから、グループに依存することでも、結果がそれなりによければ、良しとするべきであること
も分かりました。

>>永遠の課題・・・確かにそう思います。

広範性発達障害の拘りと、趣味の拘りと、それらが程度の差の違いに過ぎないのに似てるでしょうか。

>>あなたが、対象を自分に依存させたと考えるのは、とても表面的な捉え方
<<この様に考えているわけではございません。

最近、とても気になっていることは、ヨガでも何でも、まるでカルト宗教のような活動が増えていて、
オー○真理教では無いですが、集団性正常化バイアス・・・という集団真理に依存してさえも、酒や
薬から解放されてる人々を目にして、ある種の違和感や危険性を感じています。

また、共依存???、実は逆で、酒に強い~消化酵素が多い~ので量が進み、結果として、脳の機能
障害が起き、見た目は共依存~アダルトチルドレン敵に制御不能~の様でも、根本原因は酒が過ぎな
だけで、代わりになる楽しみが出来ただけ~グループ活動など~で、完全に回復??してるのは、元々は共依存じゃなかったじゃないかと。

最後までお付き合いください感謝です。

お礼日時:2015/04/24 01:00

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