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日本の近代化が始まったのは今から150年前であり、版籍奉還が1869年、廃藩置県が1871年で、ドイツの統一、イタリアの統一と同時期であることから、この3国は同時期に近代化が始まったと考えてよいと思います。

そして、第一次大戦後の1915年には日本は米英仏伊と並ぶ五大国の一員となっており、日本は100年前には既に先進大国であったのは明らかです。

しかしながら、戦前の日本は遅れており、先進国になったのは1970年頃だと主張する人が多い気がするのですが、彼らは戦前の大国だった頃の日本は無かったことにしたいのでしょうか?だとしたらそれはなぜでしょうか?
百歩譲って、戦前の日本はファシズムが生まれるような民度の低い国家だったと主張したいのであれば、それはドイツもイタリアも同じであり、日本、ドイツ、イタリアは戦前は後進国、小国であったことになりますが、そういう認識で良いのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 私の主張のどこが欠落しているのでしょうか?

    大東亜戦争前の日本は確かに外交下手でした。ただ、日清・日露戦争には外交で勝利した部分もあり、またアジアでは日本(とタイ)のみが植民地にならなかった訳ですから、そういう意味では外交上手だったと言えます。日英同盟の締結など、まさに外交の賜物でしょう。

    また、日本は国ぐるみで暴走したと仰いますが、それをもって後進国だというとすれば、ドイツやイタリアも後進国だったと言えるでしょうが。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/05/24 10:41
  • 確かに、100年前の日本は大国ではあっても、先進国だったとは言いきれないですね。
    でも、アジアの中では先進国でしたし、ヨーロッパの中でも中進国くらいの実力はあったはずです。
    また、当時の日本の地方は江戸時代と大して違いはなかったと言われますが、それを言うならイギリスやフランスだって田舎は封建時代と変わらない生活だったでしょう。
    また、日本でも東京や横浜、大阪、神戸あたりに住む人は欧米的なライフスタイルを送っていましたよ。神戸には戦前の欧州スタイルの建築物が数多く残されています。

    当時の日本は貧富の格差が大きく、貧しい人も沢山居ましたが、それはイギリスやフランスも同じことです。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/05/24 15:51
  • 第二次大戦の際は、日本の女性も軍需工場で働いていましたが、それが何か先進国の条件になるのでしょうか?
    また、戦闘機も、例えばマレー沖海戦においては、イギリスの戦艦を撃破するくらいの実力がありましたし、アメリカを敵に回して数年戦えるくらいの力があったので、回答者様の言うような圧倒的な力の差があったわけではありません。アメリカも日本軍に対しては相当苦戦し、物量の差で何とか押しきったことが明らかになっています。
    日本軍が善戦した証拠として、昭和20年5月にドイツが無条件降伏した後も、日本本土はまだ侵攻を受けていなかった訳ですから、少なくともドイツと同程度に強かったと言えると思いますよ。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/05/24 21:51
  • すみませんが、

    「日本も軍需工場に女性を投入しましたが、結果としては劣悪品の量産に終わりました。
    あの米国も同様の事をしてたようですが、徹底した品質管理で高性能なものを作っていましたけどね。
    それが、当時のの日米の実力です。

    日本は、ぜんぜんまともなものが作れなかった。

    ちなみにいうと、戦争中の日本人が勤勉だったというのもウソです。
    なんだかんだと理由をつけて軍需工場の労働をさぼっていた奴がたくさんいた。
    厭戦気分満載だったんです。」

    ここの部分のソースを教えてくださいな。あなたの回答だけだと嘘臭いので。
    日本軍は負けましたが、一時的にフィリピンを占領したこともあり、他国に比べて特に劣っていたわけではないですよ。フランス、イギリス、ドイツとも互角の強さでした。
    ただ、アメリカは世界最強の軍事力を持っていたので善戦したものの最終的に押し切られて負けたというのが本当のところでした。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/05/25 06:57
  • 日本は五大国の一員であり、国連の常任理事国でした。
    白人優位、西洋優位の考えが強かった当時、有色人種の国が一員になったということは凄いことなんですよ。
    西洋人にとっては自分より劣っていると思われていた黄色人種の日本人が大国になったのは認めたくない人も沢山居たでしょうが、五大国中の下位国家、例えばフランスやイタリアと同等以上の力があったのは明らかだったために認めざるを得なかったのではないでしょうか。また、スペインやオランダ、北欧諸国など大国に分類されない西洋国家と比べた場合、軍事的にも技術的にも圧倒していたでしょう。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/05/25 21:51
  • 重箱の隅をつついているのは、あなたです。
    一時的な勝利だけでは先進国の証明にならないというなら、アメリカ以外に先進国は存在しません。
    第二次大戦の戦いでは日本の敗戦が目立ちますが、シンガポールやインドネシアでは勝っているのですが。

    そしてそもそも、タイトルは「戦前の日本が大国であったことが無かったことにされている理由」なのですから、あなたも細かいところで揚げ足をとるのでなく、その部分を答えてくださいな。戦前の日本が大国だったことはあなたも認めていますよね?
    ここは揚げ足をとる場ではなく、疑問を解決する場なのですよ。他の回答者様はちゃんと回答してくれていますよ。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/05/26 07:06
  • 私は、補足で戦前の日本は大国であっても、必ずしも先進国だったとは言い切れないと書いていますが、何か?
    先進大国と書いたのは、戦前のアジアの中では先進大国だったというニュアンスで書いたのですよ。
    これには異存はないでしょう。確かにアメリカやイギリスに比べれば遅れていますが、それに続くレベルにはあったはずです。

    質問文は、「戦前の日本が大国であったことが無かったことにされている理由」です。これにきちんと答えてくださいね(2回目)。

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/05/26 23:47
  • すみません。私は先進国=大国 だとは一言も言っていません。あくまでアジアの中の先進大国であり、世界的には1大国です。

    大国とか先進国の議論をする際に、インパール作戦やビルマ作戦の話を出してきたのはあなたでしょうが。私もそれに対応して別の事例を出しただけです。人を重箱の隅をつつくと批判する前に、まず自分を省みましょう。

    また、勝った相手が植民地の二流の軍隊だったとどう証明できるのでしょうか。日本軍が撃沈させたプリンスオブウェールズはイギリス最強の戦艦だったらしいじゃないですか。

    あなたが何か素晴らしい知見があるのかと思って補足でいろいろ聞いてみましたが、どうやら私の揚げ足を取りたいだけだと分かったので、そろそろ閉じさせていただきます。

    No.14の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/05/27 07:14

A 回答 (14件中1~10件)

なんだか中途半端に掻い摘まんだ知識によって構成されている理論に感じます。



日清戦争、日露戦争、日英同盟などをもう一度勉強してから自分の理論を再検討されては?

先進大国といわれていますが、その定義はなんですか。また、第一次世界大戦の後、戦後といわれていますが、これは大東亜戦争の後のことで良いですか。

三国同盟の中で日本が一番小国もしくは、後進国だったとか、誰かに吹き込まれたのですか。
軍部の暴走や暗号解読や外交下手などを判断材料とすれば、大東亜戦争前は日本は後進国だったと誰もが認めるところでしょう。

いずれにしても、もう少し勉強しましょう。
欠落している部分が多い上に、感情が暴走して客観的裏付けのある主張とは考えられませんよ。
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質問者さんの理屈によると、大国=先進国、のようですが


果たしてそれは一般的なお話でしょうか?
歴史も大きな土地と人口も持っているインドなどは明確な大国と思いますが
先進国としてG8などに参加していましたっけ?

大国という定義は曖昧です。
戦前の日本は大きな海軍力を持っており、その意味では海軍大国でした。
ですが、その海軍が使っていたゼロ戦は(運搬手段がないので)牛車で輸送。
それで先進国と言えたのでしょうか?
昔の日本は現在の北朝鮮みたいに軍事優先で虚勢を張っていましたが
実際は発展途上の後進国で満足な舗装道路すらありませんでした。

国際連盟の常任理事国は、第一次大戦の戦勝国だから得た席です。
その戦勝国というのも日英同盟によって得た「漁夫の利」みたいなもの。
先進国だから「お願いします」と言われて得た席ではありませんよ。

産業革命に成功しいち早く世界侵略に出た英仏および米国に対し、
カオスな状態で出遅れた独伊と極東の島国日本が同じ立場にいたのは
第一次大戦後においてはその通りと思います。
しかし、世界初の自動車を発明していたドイツなどと比較し
当時の先進国と呼ばれた国の製品をコピーして改良するしかできなかった日本とは
技術的な観点から明らかに先進国(ドイツ)と後進国(日本)の違いがあったと思います。

戦前の日本は、後進国であったが軍事大国であり
アジア地域の暴れん坊として相応の発言力を持った地域大国であったと思います。
ですが、戦後の高度成長期になるまで、
日本のほとんどは江戸時代と大して変わらない生活だったんですよ。
(だから「文化住宅」なるものが戦後あった)
また、先進国の技術を盗用するのは実は80年代までやっています。
独自の技術を世界に広めれるようになったのは、ほんのつい最近の話。

日本は戦前から大国ですが、先進国と自他ともに認められたのはつい最近です。
もし質問者さんがお若いのであればご存じなくても仕方ないかもしれません。
国威掲揚の観点から誰も率先して説明しませんからね。
でも「昔から先進大国だったのだ」的な発言は、
今の某国の発言とそっくりな気がするのですが。
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No2です、お礼をありがとう。



明治時代初期の日本は、おロシアや清国にビクビクしていた、どうしようもない小国でしたよ。
でも、内紛続きで弱体化していた清国を偶然にも黙らせた結果、
東アジアでの覇権を握りたかった英国が、代理国家として日本を選択したので状況が変化。
日露戦争では英国が全面的な支援をしてなんとか勝利できたし、
その後も最新鋭の軍艦を英国から優先的に提供してもらってアジア1番の海洋大国になった。

でも、これはあくまで英国の支援によるものであるし
日露戦争だってロシアは内紛が始まるような不安定な状態だった結果。
そもそも日露戦争は勝ったわけでなく講和休戦しただけだと思います。
ロシアの領土に攻め込んで屈服させたわけでもないし。

アジアだけで見れば相対的に海軍大国であったかもしれませんが
それは世界覇王であった英国の支援によるものであっただけ。
とても先進国とは言えなかったと思います。

英国などは現在でも階級社会が続いていますが、それが先進国の定義に関係するのでしょうか?
日本人はアメリカばかり見ているので「世界に封建社会はもうない」と思っていますが
欧州ではいまだに貴族とそうでない人の差は歴然としてあります。
これは米国人と米国人に徹底教育された日本人が気づかないだけの話で、
これを語っている僕を含めて、封建社会の根の深さは
理解しがたいものだと解釈したほうがいいはずです。
封建社会とかは関係ないと思います。

田舎の暮らしと言う観点ではそんなに極端な差はなかったでしょうね。
自動車や電気の普及なんてそんな時間差はないと思います。
でも、それを使う人たちはどうでしょうか?

第二次大戦の際、英国やドイツでは女性も積極的に軍に関与していました。
航空機を製造しそれを軍事基地まで飛ばして輸送したりするのは女性の役目。
防空センターのコンソールを操作する女性補助員の話は映画などでよく出てきます。
それだけ女性進出も進んでいたのですが、その背景には分厚い教育があったとみるべきです。

社会全体の底上げには国民全員の教育が必要です。
日本は江戸時代から識字率が驚異的に高かったのですが
それはあくまで文学的な観点での教育の高さであって
現代における先進国の定義であると思われる科学力の高さには結びついてない。
文字を読める国民がいても科学的なものを教育するネタがないので
教えることができなかったのです。
しかし、当時の先進国にはそういうネタが揃っていた。
いわゆる「基礎技術」と言う奴です。


戦争初期に驚異的な戦闘力を誇ったゼロ戦ですが、
その後継機種はパッとしませんでした。

小型軽量大出力のエンジンを設計できてもそれを製造できない。
基礎となる製造技術が無かったからです。
なんとか作ってもすぐオイル漏れ。
基礎となる保守技術がなかったからです。
ゼロ戦はそういう事情を考慮した設計でしたが、
戦争始めると先進国はどんどん戦闘機を高性能化してしまい
無理をしないと日本も太刀打ちできなかった。
で、設計上は対抗できるものを開発したが、作れないし保守できなかった。
一握りの天才はいても、他の国民は江戸時代と大して変わらないレベルなので
図面通りに作れないし、まぐれで作れても維持できなかったんです。

世界最大の戦艦大和は僕も大好きですが、
分厚い装甲を一枚で作ることができず主砲塔は3枚の板を繋ぎ合わせてる。
その結果、虫のお腹みたいになってしまった。
同レベルの戦艦であった米海軍のアオイワ級の主砲塔はフラットですが
当時の米国にはその程度の装甲なら1枚で作れる技術があったからです。
日本にはそういう工業基礎技術がなかった。

いろいろ挑戦して当時の先進国と同じ機材は持っていた。
でも独自に発明もできなければ、コピーしても同じものは製造できなかった。
これが、戦前の日本は先進国ではなかった、という具体的根拠(の一つ)です。

軍事雑誌で読んだ、昔の航空整備兵の話です。
ノモンハン事件において航空戦力は日本優勢で進んでいましたが
鹵獲したソ連の戦闘機を調べて驚いたそうです。
日本の戦闘機エンジンはオイル漏れが当たり前のように発生していて
その対応が日課になっていたのだそうですが、
ソ連の戦闘機エンジンはまったくオイル漏れをしていなかったのだとか。
これが当時の日本とヨーロッパ諸国との差だったと思いますよ。


明治時代からもう1.5世紀も経過し、世代も何人も変わった今の日本は
米国に次ぐ特許を持っている圧倒的な科学大国であると思います。
どんなものでも工夫してカイゼンしてしまう基礎技術の高さは誇ってよいと思います。

ですが、戦前の日本はどう転んでも先進国とは言えなかったと思います。
ただ、欧州大戦以降の最強国家である米国とガチでケンカした軍事力と
それを支えていた兵士の士気の高さだけは凄かったと思います。


横浜や神戸は欧米との交流のために作られた都市ですから
欧米的になるのは当たり前の話です。
当然、その親玉である東京大阪にも波及するでしょうけど
具体的にどれだけの人が欧米的なスタイルだったのでしょうか?
また、当時の人口分布では東京なんか地方の県よりも人口少なかったです。
日本全体で見たら微々たる話で、それで先進国とは言えないです。
そもそもモダンな建物があったら先進国なんですか?

明治政府は鹿鳴館でダンスしまくって欧州諸国に先進国であるとアピールしましたが
どの国もそれで先進国と認めてはいなかった、と中学校の社会科で勉強しませんでしたか?


貧富の差ですが、これがどう先進国の定義に関わるのかわかりません。
政治思想とかそういうものも先進国とか大国の定義に影響するものなのですか?
もしそうであるなら、世界帝国であるUSAは現在も後進国ですね。
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質問者様、大変申し訳ないのですがもう少し歴史を勉強したほいうがいいですよ。



人間の歴史は戦争の歴史ですけどね。

日本も軍需工場に女性を投入しましたが、結果としては劣悪品の量産に終わりました。
あの米国も同様の事をしてたようですが、徹底した品質管理で高性能なものを作っていましたけどね。
それが、当時のの日米の実力です。

日本は、ぜんぜんまともなものが作れなかった。

ちなみにいうと、戦争中の日本人が勤勉だったというのもウソです。
なんだかんだと理由をつけて軍需工場の労働をさぼっていた奴がたくさんいた。
厭戦気分満載だったんです。
本来の熟練工を赤紙一枚で徴兵してしまう稚拙な体制なども含め、先進国的な要素はまるでありませんでした。


航空機による援護も護衛艦船による輪形陣防空フォーメーションも無かった英国戦艦を撃破できても先進国にはなれません。
英国側が日本を甘く見ていたのは事実でしょうが、個々の性能を競うようなマレー沖海戦は先進国の評価になりません。

徹底した防空体制を敷いていた戦争後半の米国エセックス級空母を日本は一隻も撃沈できていません。
これは、確かに物量の差もありますが、数が多ければ潰せる確率も増えると思うのですけどね。

実際の日米の国力差は物量でなく、技術力と運営方法だったと思いますよ。

日本には優秀な潜水艦が多数あったのに艦隊決戦ばかり考えてシーレーン破壊をしなかった。
第一次大戦でドイツがUボートを用いてイギリスを干上がらせようとした経緯があったのに
それをまったく研究せずに、とにかく帆船時代の海戦だけをイメージしていたのが日本です。
米国は敵国であったドイツから学び日本のシーレーンを徹底的に破壊し日本を干上がらせましたけどね。

シーレーンを完全に破壊され、武器の原料になる鉄も燃料になる石油もない日本は
もうその時点で「負け」ていました。
その時にはまだナチスドイツは英米ソとガタガタやっていましたけどね。
(陸地続きのドイツと島国の日本を同一視する時点でまともな議論になりませんけどね)
(それにドイツは日本が参戦する前からドンパチやっていましたし)

日本海軍、というか第一航空艦隊は当時世界最強でした。
真珠湾をぶっ潰し、東南アジアで大暴れしてインド洋で英国空母を一方的にぶん殴って撃沈。
でも、そういう連戦連勝から油断が生まれミッドウエーで大敗。
それでも大火災が発生しても沈没しなかった空母なのに
回収方法が浮かばなかったので安易に自ら葬り去り負けて帰ってきた。
同じように大火災になっても無事に帰国させた米空母とは大違いの
運用テクニックの稚拙さです。
戦って勝つことはできても、負け方を知らない日本軍。
玉砕するしか知らなかった日本軍。
こんなので先進国の軍隊と言えるんですかね?

陸軍の三八式歩兵銃は命中精度に優れた歩兵銃でしたが、
ボルトアクションで一発撃つごとに手動で弾込めをしていた。
米軍はM1ガーランドやトンプソンでバリバリ打ちまくってくるのにね。

自動小銃は、米国、英国、ソ連、ドイツ、それなりに配備されてました。
特に米国は全歩兵が持っていた。
自動と名前が付くものがほどんど配備されなかったのは日本だけです。
それでも軍事的に先進国なんですか?


日本の過去を誇りに思うのは良いことだと思います。
ですが、過去の事実を正直に正確に把握せず
表面的なものだけを見てわかったつもりになってしまったり
ただただ「こういうのがあった」と拡大解釈するのは
先進国の国民として正しい意見なのでしょうか?

過去の中には過ちもあったようですが、それも直視できなくなりますよ。

世の中にはいろんな意見があるものですから
質問者さんの主張があってもいいとは思います。
ですが、ここは質問と回答の場ですからね。

>小国であったことになりますが、そういう認識で良いのでしょうか?

そう思うから裏付けを質問で求めたのではないのですか?

まあ、そうじゃない、とわかっていてこちらもおつきあいしているのですけどね。
今の立場を過信しないように学んだ歴史を振り返ってみました。
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先進国とか大国と言う表現は単なる感情的な物です。


歴史を考えるなら、一人前の国という意味が適切ですね。
戦前の日本を検討して見ましょう~

統治機構は近代的な体裁を整えており国交も多くの国
と有った。軍隊の攻勢も近代的軍事組織と言い得る。
戦争における士気も他国と比べて劣りはしない。

工業についても発達に力を尽くしていた。
まず近代機械工業の基礎であるベアリングを国産できた。
電子装置にしても無線についてはドイツ技術の勉強により

理論面では先端研究をしていた。軍艦を自国で建造出来た。
戦闘機を国産出来た。大砲や機関銃も作れた・・・
火薬についても研究開発の能力が有った。テレビジョン研究。

ベアリング生産能力は当時の世界では数カ国しかない。
アメリカの品質管理ですか?
あのぉーーー砲弾や魚雷の不発や暴発の苦情が戦争中に

殺到し専門の品質管理体制を作り、ようやく改善しました。
日本で有名な酸素魚雷実用化は品質管理により実現した。
他国では不良爆発にあきらめて酸素魚雷自体を止めた。

戦艦大和建造の過程でブロック建造や品質管理が開発された。
日本の品質管理は戦後のデミング理論だけによる訳では無い。
それに世界最初の近代ヘリコプター理論は戦前の日本人による。

アメリカのヘリ操縦免許の過程でこの日本人の名が教えられる。
技術的には八木アンテナとヘリコプターが日本の誇り。
ヘリコプターを見かけると自分まで誇らしく成る。

ああ・・それから国民数も領域で考えれば1億人を超えていた。
ああ・・・プリント配線も銅はく配線は戦前の日本で始められた技術。
これらを考えると一人前の国だったと想う~~~~

馬鹿馬鹿しいけど戦前だって電気洗濯機や電気冷蔵庫や扇風機
や電気掃除機は販売されていましたからね。他国に劣る訳じゃ無い。
世界征服出来る国力が無いのは言うまでも無い事。

戦前の日本が世界ランク5位以内というのは正しい。
異論に対してはヘリコプターの歴史で逆襲せよ!
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言い忘れたけど・・・第二次世界戦では軍馬も沢山使われた。


日本だけじゃ無いよ。 ドイツやソ連でも多く使われた・・・
戦争映画に軍馬はめったに出ないけど現実は軍馬が多い。

映画では派手な打ち合いが多いけど現実は単発銃の戦い。
機関銃の銃弾が嵐のごとく飛んでくるのは突撃戦の時だけ。
ジャングルの様な接近戦では自動小銃が活躍する。
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戦前の日本が大国ではなかった、先進国ではなかった、というのを技術的なレベルやインフラの規模に求めるなら、今のGDP5位以下の西欧国はどうなるのであろうか。



6位のフランスはともかくとして、ブラジルに抜かれたイタリアは先進国ではないか。イタリアは原子力発電所を作る技術をもっていないし、車は作れるものの、電化製品だって日常家電程度しか作っていない、戦前の日本が「ヨーロッパに比べていろいろ作れないから先進国ではない」というのなら、今のイタリアやスペインなどはそろそろ先進国から降りていただこう。

日本が戦前大国ではなかった、という幻想はどこで作られたか、その発端は東京裁判史観に始まるといえるだろう。
東京裁判史観の基本は「日本は、国力が小さいため中国や東南アジアなどの資源を欲したため侵略行為を行い、国力に合わない戦争の結果、本土まで壊滅的な打撃をうけ、敗戦に至った。侵略行為は罰せられなければならないので、東京裁判が行なわれABC級戦犯が刑に処された」ということである。

この見方の基本の中に暗黙のうちに含まれているのは「日本は他国を侵略してはいけない」ということである。だから戦争犯罪があり、連合軍はそれを裁くことができた、という論理である。

なぜ日本は他国を侵略してはいけないかというと、それは国力に合っていないから、でつまり「植民地をもっている欧米と違って、19世紀になってから近代化したような高校デビューみたいな国が、帝国主義なんか選んじゃダメだろう」という論法である。

こうなると、戦前日本が「大国」であると非常に具合が悪いわけだ。

では、大国とはなにか、それは「発言力のある国」であり、帝国主義的な時代にあっては「他の民族、他の地域、他の国家に自国の都合を押し付けることができる国」ということである。簡単にいえば「うちの国がお前んところを植民地にしたら、お前は文句なしに従えよ」と押し付けられる国のことであったといっていいだろう。

実際に、第一次世界大戦前後に、そもそも独立国として成立していたのは、西洋国とアジアでは日本とタイぐらいで、中南米はともかく、アフリカから中近東・アジアまではほとんど独立国は存在しなかったし、その中で自国の発言を軍事力や経済力の裏づけをもって主張できたのは、欧米と日本しかなかったと言っていいだろう。なにせ国際連盟は63カ国しか参加していない(後は植民地)のだ。

その世界連盟の中で日本は設立メンバーであり、常任理事国であったわけで、これを「大国」といわずしてなにを大国というのか、よほどの検討が必要であろう。

もし日本が戦前から「大国的地位」があったとみなが認めたらどういうことになるか、戦前から大国なんだから「どんな戦争をしたって、それは自衛権の範囲」であるとみなされることだろう。

戦後、この点を強く印象付け、日本の実態をミスリードしたのは主に左翼であったように思う。特に日教組と旧社会党の影響は大きいのではないかとおもうが、このような視点で検証したものはないだろう。

ただ、左翼的な視点で日本の歴史が語られていたのは事実で、特に江戸時代から戦前までの時代を、農民や労働者のプロレタリアートと武士階級やその後の資本家などのブルジョワジーの対立のように描いている教科書も実に多かった。

戦後の日本の政治的なバランスは、米ソの冷戦の影響もあり、常に社会党や共産党に代表される社会主義的な要求を自民党が呑むことで政策が進む、ということで、資本主義化において一種の社会主義への憧れとガス抜きが行なわれたものである。
 したがって、教育課程においては日教組を枠内にコントロールしながら自由に教育させたために「戦前の日本は貧しく大国ではなかった」と指導していったのではないか、と推測する。

実際に私は管理教育世代だが、当時の授業の印象から「戦前の日本が世界に発言権がある大国だった」という認識は生まれてこなかっただろう、と思う。

ただ、敗戦当時の日本人は心の底から「戦争はいやだ」と思っていたようで、それが戦前日本の矮小化、評価の極小化につながっているようにも感じる。

戦前の日本は、世界でも有数の大国であったし、併合した朝鮮半島や台湾の行政に責任をもち、南洋州にも目を配り、国際連盟の常任理事国として大役を勤めていたわけで、戦後はこれを小さく見せようとする空気が蔓延したことだけは事実なんだと思う。
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ワタシも今までは、そんな気がしていたのですが、


質問者さんの指摘を受け、目から鱗の思いです。

言われてみればその通りです。
日本は戦前から大国でした。

それなのに、大東亜戦争で負け、米国の庇護下に
入ってやっと大国になれたのだ、なんてイメージ
でおりました。

これは、あれです。
占領下のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
(War Guilt Information Program)
つまり、何しろ日本は悪かった、という
洗脳教育が原因ではないでしょうか。

どこの国でも、物理的占領が終われば、心理的占領を
やります。
日本だって同じです。
明智光秀を悪者にしたのは徳川幕府ですし、徳川を悪者
にしたのは、薩長でした。

小国日本は、思い上がって米国に楯突いたが
米国の善意溢れる統治、援助のお陰で大国になれたんだぞ
という具合ではないでしょうか。
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二流の植民地駐屯軍相手なら日本も善戦できたでしょうが、


本国軍が来たらボロ負け、というのが実態です。

太平洋戦線では米軍が主力ですから米軍に押されたと思うのでしょうけど、
実際はビルマ戦線においても中国戦線においても「勝つことができなかった」。
これが事実だと思いますけどね。
インパール作戦の敵はどの国でしたか?

一時的な勝利は先進国の証明にはなりません。
戦争は勝ってこそ価値あるもの。
途中経過など、まったく意味がない事を理解されてないのでしょうか?


戦争中の日本生産力に関するリソースはいわゆる書籍です。
どの本だったのかはすぐに出てきませんが、
信用できないのならご自身でも調べてみたらどうですか?



ところで、質問者さんの意図が理解できません。
いちいち重箱の隅をつついているだけで、本論については論理的説明がない。
一時的な戦闘の結果や、単品では意味のない兵器などばかりを検討対象とし
例えばパイロットの育成システムに関する優劣や
経済力や国土、海運力や動員できる人口(その国の人口とは違う)など
全体的な観点で語るものがまったく見えません。
一度、国家総動員という言葉を調べてみてください。

お聞きしたいことがあります。
これは質問ですか?
それとも意見のお披露目の場ですか?
補足にてご説明をお願いいたします。
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洗脳理論の信奉者も出没している感じですが質問に


対する最も適切な判断として当時の他民族や国家が
日本をどの程度の国として感じ、判断したかと思う。

日本が一人前の国として認識されたのは日露戦争の
陸戦後であります。観戦武官や派遣記者による日本軍
の戦闘がつぶさに報告され認識が変わりました。

最強最大のロシア帝国の大軍に対し、わずかな兵器を
携えた小柄な兵士が対峙し戦闘開始後、ほぼ1週間の
間、逃亡する兵士は無くどんな攻撃にも戦線を維持して

ついにロシア帝国軍を退けた。これを見たヨーロッパ・・・
ドイツやフランスの有力紙は社説において数百年続いた
植民地体制にいよいよ終わりが来たと論説した。

なぜなら数百年間で始めてヨーロッパの一流国と堂々たる
戦闘を成した有色人国家が現れたから。ヨーロッパ諸国が
それらの国々の教養人や政治家が日本を同等と認めた。

数百年に渡り絶望感の抵抗を続けていた多くの支配されていた
民族に取ってヨーロッパの強国に対抗出来る有色人国家の
現出がどれ程の希望を生み出したか。

ヨーロッパの社説は戦争の帰趨(きすう)に関わらず堂々たる
陸戦の一戦闘の観戦により認識を変えたのです。
社説の論旨はたとえ日本が戦争に敗北しても堂々たる戦闘は

大いに日本の国威を上げた、以後の世界は変化するという認識。
日露戦後、多くの諸国が代表団を日本に派遣した・・・
また多くの民族も多大なる困難を超え日本に代表を派遣した・・・

日露戦争が世界に与えた衝撃は歴史に例が無い壮挙と言い得る。
洗脳理論を正しいと思う前に当時のヨーロッパ有力紙の社説を
詳しく検討してほしい。

日本が大国であったかは知らない。
だが地球に数百年続いた体制を劇的に変えた国なのだ。
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